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4月8日(土) 花祭り 旧暦3月12日
椿寿忌やわが青春の稽古会 深見けん二 今日は山西雅子著『花の一句』から。 花御堂濡れたる椿挿しにけり 上野章子 四月八日は釈迦の降誕を祝う仏生会の日。誕生仏を安置する花御堂は、摩耶夫人が無憂樹の花咲く下で釈迦を生んだというルンビニ-園にちなみ、さまざまな花で屋根を葺く。そこに挿された椿がひときわつややかで美しい。句集『桜草』はこの句の前に〈その心いつも抱きて今日虚子忌〉を収める。章子は虚子の末娘。虚子の忌日は四月八日で、戒名から「椿寿忌」ともいう。(「桜草」)季語=花御堂(春) 今日の西村和子さんの「俳句日記」は、井上弘美さんの「汀」五周年のお祝いの会を詠んだものである。 吟行句会のあとに、お祝いの会にかけつけられるようである。 スニーカーからハイヒールに履き替えて。 さきほど出席したPさんから電話が入った。 「とてもいい会でした」ということ。 このお祝いの会については、来週早々にでもこのブログで紹介をしたいと思います。 #
by fragie777
| 2017-04-08 21:21
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4月7日(金) 旧暦3月11日
これはご近所のクィーンズ伊勢丹前の公園の今朝の桜。 こんなことを言っていいのか。 桜って、もちろん美しいんだけど、すこしケッタイ(卦体)な部分があるって感じません。。。 朝起きて、鏡を見た。 ややっ! これは。 なんともけっこうな寝癖である。 左の端が天に刃向かうよう威勢良く跳ね上がっている。 しばらく、見つめ、今日のわたしのテーマは「風」と決めた。 で、 一日を経たいま、 テーマ「風」はいまなお健在である。 今日は先々週からの「鷹羽狩行俳句集成」の季語索引の読み合わせを終えることができた。 助っ人Aさん、Nさん、長い時間にわたってご苦労さまでした。 来週には下版をして、一気に製作にとりかかるつもりである。 鷹羽狩行先生もたのしみに待って下さっている。 最後のツメをちゃんとしなくては。。。。 「狩」の35周年を記念して刊行される予定であったが、もうすぐ40周年となる。 ふらんす堂はことし30周年、ふらんす堂の仕事としては記念すべきものとなった。 (ふらんす堂をはじめるにあたって、真っ先にお仕事をくださったのが鷹羽狩行先生だったのだ。そう思うととても感慨深い。) 下版まで、いや出来上がるまで、油断してはダメだぞ。 わたしはわたしに檄をとばしている。 明日は、俳人の井上弘美さんが主宰する「汀」5周年のお祝いの会が京都にて行われる。 ふらんす堂からはPさんが出席を致す予定である。 京都はちょうど桜の見どころの季節である。 週末は雨ということだが、晴れてくれればよいのだが。。。 #
by fragie777
| 2017-04-07 19:58
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4月6日(木) 旧暦3月10日
こんな風に仙川駅前はいつも人であふれている。 今月の森山恵さんの「祈る詩」は、ジョージ・ハーバートの詩である。 17世紀の宗教詩人とある。 わたしははじめて知る詩人だった。 復活祭(イースター)の祈りの詩である。 しかし、まずはその「詩のかたち」をみていただきたい。 ちょっと驚く。 そして、イースターの美しい卵もご覧あれ。 わたしも大学時代に復活祭のときは教会で、こちらはプロテスタントであるが、子どもたちと卵つくりをしたことがある。いろんな色を塗ったり、飾ったりして楽しくワイワイと卵づくりに励んだものだ。 森山さんの解説によると「卵」は「再生」を意味するとある。おお、そうだった! 復活祭は春爛漫の季節にやってくる。 そう、わたしが住んでいた東中野の駅の土手には菜の花が咲き乱れていたのだった。 ハーバートの詩に戻ろう。 森山恵さんは、1633年に刊行されたハーバートの詩集の写真をわたしたちに紹介してくれている。 とても古くて珍しいものだ。 この詩がどんな風に組まれているかを知ることもできる。 しかも、驚くべきことに「詩のかたち」を保つために縦書きに組まれている。 「詩のかたち」もまた信仰の表れである。 森山さんはこの「詩のかたち」が蔵している深い読みへと読者を案内してくれる。 そして、この詩のかたちをくずさないようにして訳された森山さんの訳がすばらしい。 日ごろわたしたちが触れることのすくない17世紀のイギリス詩人の詩をぜひこの機会に読んでいただきたいと思う。 39歳で夭折した詩人はその後、T・S エリオットをはじめとする詩人への影響のみならず、フランスの思想家シモーヌ・ヴェイユなどにも影響を与えているようだ。 復活祭又眠らむと泣く赤児 中村草田男 これは最近刊行された『季語別中村草田男』(角川書店)よりの抄出であり、句集『大虚鳥』に収録されていたもの。 草田男は、復活祭の句をたくさん詠んでいる。 #
by fragie777
| 2017-04-06 19:08
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4月5日(水) 玄鳥至(つばめきたる) 旧暦3月9日
大きな柳を見上げた。 柳は春の季語。 今日は思いきってヒートテック下着をやめてみた。 温かくなりそうな気配。 そして、一日を過ごしてみたが、 わたしの両腕がしんしんと少し寒がった。 わたしのハートはヒートテックを欲していないが、わたしの両腕はヒートテックを欲していることが判明した一日となった。 明日は両腕のことをもっと考えてあげよう。 新刊紹介をしたい。 著者の藤森万里子(ふじもり・まりこ)さんは、昭和14年(1930)三重県名張市生まれ、昭和42年(1967)に「濱」入会、大野林火に師事、平成9年「アカシヤ」入会、松倉ゆずるに師事、平成12年「百鳥」入会、大串章に師事、現在は「百鳥」同人、平成17年に「百鳥」賞を受賞している。本句集は平成13年(2001)から平成28年(2016)までの作品を収録した第一句集である。序句を大串章主宰、跋文を句座をともにされている小田玲子さんが寄せている。 今年竹空をたのしみはじめけり 大串 章 春光に紐組む糸の色合はせ ひたすらに紐組み花の過ぎにけり 汗の手を清めて紐を組み始む 帰省して紐打つ音に目覚めたる 稲の花嫁入りの荷に紐の台 紐を組む合間秋刀魚を買ひに出る 月に座し新しき紐案じをり 平成十六年、「百鳥」創刊10周年記念コンクールには、百六十一編の作品が集まった。その中から万里子さんの作品「組紐」二十句が、最優秀賞の栄冠に輝いた。 受賞二十句のうちの四句がこの句集に収められている。これらの句には、家業の糸の色や組む音、織子さんや父の姿が詠み留められている。純真な子供の目に映った懐かしい光景を思い出し、一句一句丁寧に生き生きと描いている。 作品には、技巧は必要がないと思わせられるほど外連味がない。組紐という特異な句材を、万里子さんは当事者の視点で、力むことなく色付けすることなく描いた。万里子さんの体には今も組紐が染みついている。 中断しながらではあったが、万里子さんの五十年を超える句歴を考えると、この二十句には五十年の確かさが下支えをしているのだろう。 帰省子に力仕事を頼みけり 共に見しひとの逝きけり秋夕焼 秋刀魚焼き一人つきりの湯を沸かす 底冷えや遺品の時計動きゐて 着る人のなきセーターをたたみをり 何かしてをらねば淋し去年今年 子に支へらるる日日なり二月尽 夫逝きて湯たんぽ一つ残りけり 寒卵母を労る子となりぬ 「遺品の時計」、それは夫の腕時計である。裏面に平成三年と刻まれていて、今も正確に時を刻んでいるその腕時計は、会社から贈られたペアウオッチであり夫婦で愛用していた。主を失っても狂いなく動いている時計に、万里子さんは改めて残された身を実感したのではないか。季語の「底冷え」に万里子さんの気持ちが表れていて、私もしんみりとしてしまった。 全てをモノに託して、感情を押し殺したようなこの句からは、逆に万里子さんの心情が溢れ出ている。(略) 誰からも愛される万里子さんの円満な人柄は、家族のみならず、私たち仲間をほんわかした気分にしてくれる。今、三人の子供に見守られながら、自立した日々を過ごしている万里子さん。その穏やかな暮しが一日でも長く続くことを心から願っている。 小田玲子さんの懇切なる跋文の一部のみ紹介した。 短日の母子並びてよく眠る 生まれたる日に印あり古暦吾が歳の母を知らざり初鏡 朝顔の鉢を残して転校す 地下鉄に並びて座る祭髪 北窓を開けカーテンを膨らます しぐるるやふるさとの山やはらかき 帯締の紅きを選ぶ初句会 若者は若き音たて餅を搗く 父の日や生まれし日より父似なる 香水をつけて何処へも行かざる日 戸を少し開けて商ふ余寒かな 羅や帯解きてより力抜け 担当のPさんの好きな句をあげてもらった。「初鏡」の句は、句集の表題ともなった一句だ。跋文によると著者の藤森さんは13歳のときにお母さまを亡くしておられる。新しい年をむかえるたびにひとつ歳をとっていく。鏡にうつった我が顔をながめ、若かった母の面影がクローズアップして、その母の歳と新しい年をむかえるごとに離れていく自分がいる。この「初鏡」の背後には幾層もの時間の堆積があるが、「初鏡」であることによって、その感慨が手垢のつかない感慨となった。つねに著者は新しい気持でその感慨に浸るのだ。 『初鏡』は私の第一句集です。「百鳥」の平成十二年から二十八年までに掲載された作品の中から三百五十句を収めました。句集名は集中の次の一句より付けました。 吾が歳の母を知らざり初鏡 私の生母は若くして亡くなりました。私は生母の倍以上も生きていますが、いまだに母が生きていたら……と思う時があります。 家業の組紐業を継いだ父は、七十七歳で亡くなりましたが、家業のかたわら、よく詩や俳句を作っていました。長女の私はいつもそばにいて、滑稽味のある父の俳句に自然に親しんでいました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。藤森万里子さんが俳句を作るようになることは、十分な素地があったのである。「あとがき」もまた丁寧に俳句を中心としたご自身の来し方に触れておられる。ご主人のこと、出会い、教師を辞められたこと、育児と家事があり何度ものご主人の転勤があり引っ越しを繰り返されたこと等々、そのような日々の暮らしのなかで俳句を手放さず今日まで来られたこと、その俳句との日々がこうして第一句集『初鏡』となって結実したのである。 これからは、しなやかに、のびのびと俳句を楽しんでゆけたらと願っています。 最後に、この句集を亡き父と夫に捧げます。 「あとがき」こう結ばれている。 ほかに、 花嫁の母となる足袋買ひにけり 浴衣着て浴衣売り場に立ちにけり 朝顔や猫つぎつぎと出てきたる 蛍火の向かうに母の在るごとし 夫よりも嵩の増えたる賀状かな 草餅や水の音する門前町 ふらここや決断を迫られてをり 受けて立つ他なし髪を洗ひけり ランドセルきれいに使ひ卒業す 冬たんぽぽ一人の暮し始まりぬ 遺されし一人の月日鳳仙花 新装の店は古着屋山笑ふ 本句集の装釘は和兎さん。 であるが、本句集の装釘の魅力はなんといっても、装画にある。 この絵を描かれたのは、藤森さんの姪御さんで画家の黒木美希さんである。 この絵をいかに効果的に活かすか、それがすべてだった。 表と背のローマ字のみ赤をおく。 帯の文字も赤にした。 そして赤メタルの箔をもちいた。 カバーに配した赤と表紙の箔の赤。 扉は光沢のある用紙に墨の一色刷り。 多くの色を使っていないのだが、どこか華やいだ雰囲気がある。 著者の藤森万里子さんの心の陰翳を蔵しながらも華やかな一冊が出来上がった。 ふらここや決断を迫られてをり 受けて立つ他なし髪を洗ひけり 著者の身辺に何が起こったのだろう。ドラマチックな二句がかなり近いところにおかれている。著者のあとにはひけぬ状況ではあるが、おかれた季語がどちらもいい。硬直してしまう心をやわらかくして状況にしなやかに向き合おうとしている女性像が見えてくる。 余談であるが、この二句、心情的によくわかる句である。 そうなのよね、決断を迫られたり、受けて立ってやろうじゃないの、って思う事ってありません? わたしは結構あるな。かなり生きてきちゃったからね。 #
by fragie777
| 2017-04-05 20:31
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4月4日(火)清明(せいめい) 旧暦3月7日
ブログを書くのが遅くなってしまった。 詩人の方おふたりをいま仙川駅までお見送りして仕事場に戻ったところである。 これはそのときの仙川駅前の桜。 満開とはまだまだ言えないが、でもいい感じでしょ。 ブログを書くためにだけ戻ったんだけど、新刊を紹介するにはちょっと遅くなりすぎたし、さてと何を書こうかな。 今日のお客さまのことを書こう。(写真はなしね) 今日お出でくださった詩人の方はおひとりは福間健二さん、もうおひとりは第1詩集を刊行予定の若い女性のかたでお名前はまだこれから付けようと思案中なので、お名前はかりにOさんとしておきたい。福間健二さんがなさっている詩のワークショップにて勉強されてきた方である。 大島弓子さんの漫画がお好きだということ、たまたまわたしがこのブログで大島弓子さんの「ミモザ舘でつかまえて」について書いていたのを読まれたことがあるということ、そOさんも「ミモザ舘でつかまえて」が好きだということで、年代を超えて大島さんの漫画はわたしたちを魅了するのだということを改めて思ったのだった。 福間健二さんは、これまで映画を何本も撮られていて、その映画をとることの楽しさと大変さを興味ふかく伺ったのだった。お好きな映画監督はと伺ったところ、わたしはミーハーなのですぐにそういう質問をするのね、「小津安二郎も溝口健二も好きだけど成瀬巳喜男が一番すきだね」と福間さん、「ただしゴダールも好き」とにっこりされたのだった。 ゴダールは同時代人としてきっと観てこられたのだと思う。わたしもゴダールはそうである。ちょうど大島弓子の「ミモザ舘でつかまえて」が初めて雑誌に載ったのを読んだのと同じように。そしてわたしもゴダールは好き。 大島弓子とゴダール。それは楽しい会話である。 女性詩人Oさんが目を輝かせて語る「ミモザ舘でつかまえて」の話しを聞きながら、わたしはどんどんその漫画が読みたくなっていった。 家の本棚のあそこにあったな。 決めた。 さっ、はやくブログを書き終えて「ミモザ舘」を読みに帰ろう。 じゃ。 #
by fragie777
| 2017-04-04 23:03
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