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12月27日(土) 鹿角解く(さわしかつのおつる) 旧暦11月8日
歳晩の飯能・名栗の空。 半日を山里ですごす。 空が青かった。 日の当たるところはあたたかく(汗がでるくらい)、日陰となるとめっぽう寒い。 蔓梅擬の実。 「ほら、西洋柊の実」って教えてくれたのが、名栗にすむ石田郷子さん。 やや渋い朱がいい色をしている。 臘梅がもう咲いていた。 かろうじてとらえた目白の姿。 山にも分け入っていく。 「ここ二ヶ月は熊の情報がないから大丈夫」と石田郷子さんはずんずん登っていく。 ややびびる。 まだあたらしい糞をみつける。 「あたらしい糞があったあ」とわたしは前方の仲間にむけて叫ぶ。 (熊の糞だったらどうしよう…) 郷子さんは飛ぶように戻ってきて、 「ああ、これは多分イノシシの糞だよ」と言ってまた登っていく。 (イノシシだって充分こわいよ)と心の中でさけぶ。 友人たちはへいちゃら組とややびびり組にわかれる。 竹林の間をのぼっていく。 おおきなスダジイの木をめざしている様子。 わたしはすこし手前で竹にもたれて休む。 竹といえども、太くてわたしの体重をささえるのは楽勝である。 名栗川だ。 枯れにふちどられて青々と流れていく。 鏡のように景色が映りこんでいる。 手前がわたしの影。 へんな影。。。 なんだか亡霊みたいでしょ。 石田郷子さんのすむ「山雀亭」の庭に並べられていた陶器。 なかなかいいのがある。 夫君のゼンさんにこれ売ってるの?と聞けば、 「タダ、好きなのを持ってっていいよ」 ということで、 わたしは手前の黒の壺をもらうことにした。 (一輪挿しにしよう) 頸をつかんでもっていたら、 「あなたがもつと、酒瓶みたいね」と友人に笑われた。 ひえー、そんなに大酒飲みにみえるのか。。。 もうひとつ、蝋燭立てになるような陶器をいただいて、戦利品のごとく持ち帰ったのだった。 夕方ちかく、山雀亭の薪ストーブの前には、西洋柊と蔓梅擬がコップに活けられていた。 明日は午後から仕事。 いろいろとやり残したことがある。 #
by fragie777
| 2025-12-27 21:49
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12月26日(金) 御用納め 旧暦11月6日
今日の日の出。 朝日に染め上げられた室内。 (横縞はブラインドのしわざ) 今日でふらんす堂は仕事納めである。 yamaoka以外のスタッフは朝から大掃除。 わたしはお掃除の邪魔をしないように仕事をもってあっちに行ったり、こっちに行ったりと落ち着かない。 スマートボールを机にあげてワックスで床みがき。 床がぴかぴかしてますでしょ。 今日は夕方よりスタッフみんなで忘年会。 ちかくのレストランを借りて、お食事をする予定。 新聞記事を紹介しておきたい。 19日づけの東京新聞・夕刊に安里琉太さんが対馬康子句集『百人』を丁寧にとりあげてくださった。 タイトルは「たそがれた匂い」 かなり長い評より、抜粋して紹介したい。 (略) 本書には師系に根差した理念の単純な継承、あるいは単一の方法や思想による統一された印象がない。あとがきで『俳諧自由」が掲げられているが、その内側には海外詠やアニミズムや生き物感覚やイロニー、そのほか戦後の俳句が、時に他のジャンルの方法さえ摂取しながら身を捩って模索してきたであろう様々な方法の混淆、文語口調さえ入り混じる様々な書きぶりの犇きを覗くことができる。既に鬼籍に入った”偉大”で”手ごわい”書き手たちの方法なり書きぶりなりに通じながら精製されて見える本書は、書名に由来する〈百人に死は百通り薔薇の香水〉と重なり合う。絢爛ながら懐かしく、たそがれた匂いがする。 (略) 安里さんは、対馬康子の評論「中島斌雄における宇宙について」の文章を引用しながら、「斌雄はさらに、季題のイロニッシュな使用法の有効性、蕉風俳諧における試行を超えて、無季俳句におけるイローニッシュな方法をどのように求めるかを、現代俳句の一課題とする、と明言している」と概略し」(略) 1948年の戦後比較的早い段階から見られる井本農一や神田秀夫によるイロニーへの言及、第二芸術論議に積極的でなかった山本健吉の諧謔の論述とは異なる地点からの派生が『百人』には見られる。第5句集の本書まで敬虔に行われてきたこのキメラ的な様相に向かう時、戦後俳句を読みなれた私たちは安心してたそがれることができる。この後に私たちは何を方法として選び、あるいは選ばないのだろうか。 ブログは気ままに書きます。 やり残したことなども。。。 今年のお正月は基本家でくすぶっております。 では、行ってまいります。 #
by fragie777
| 2025-12-26 17:55
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12月25日(木) クリスマス 旧暦11月6日
枯れを行く。 今日はクリスマス(降誕祭)である。 ピラトは言った。「真理とは何か」(ヨハネによる福音書18章38節) 「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。 しかしイエスは答えようとされなかった。(ヨハネによる福音書19章9節) 水の上に日が贅沢やクリスマス 岸田稚魚 繚乱と聖樹が走るバイクにて 能村研三 税金などの手続きで銀行にむかう。 商店街をとおりぬけるとき、ケーキを売る声があちこちでしていた。 そうか、今日はケーキを食べる日でもあったか。。。。 百句シリーズで、鴇田智哉さんに「高屋窓秋の百句」をお願いしていた。 鴇田さんは多忙ななかを引き受けてくださり、時間があると書いては送ってくださっていた。 そして、とうとう百句まで書き終えて昨夜原稿が入った。 たいへん嬉しい。 メールに添付された原稿を見て、わたしはおもわず(おお!)と叫んでしまった。 はじめに原稿をいただいたのが、2018年の1月、なんと7年越しとなった。 しかし、あっという間である。 時間をかけてもわすれずに向き合って書き続けてくださったことが嬉しい。 このシリーズ、一気に書かれる方と、こうして多忙ななかでもすこしづつ書いてくださるという方がいる。 わたしはどちらでもありがたい。 原稿がはいるとテンションがあがる。 今日はお客さまがおひとりご来社くださった。 伊東良平さん。 九十五歳になられるお母さま・伊東芳子さんの句集をつくるお手伝いをされている。 画家でもある伊東良平さんは、ご自身の絵を数枚装画としてあしらうおつもりである。 その絵がとてもいいのである。 ご子息のこのような絵で句集を飾ってもらえるのは、たいへん嬉しいのではないだろうか。 伊東芳子さんは、「野の会」で、俳句をつくられて来られた方である。 長い間俳句をつくってこられたが、ご自身の句集を出すとは思っておられなかった。 それが今回ふたりのご子息の援助と、亡くなられた鈴木明主宰の山本敦子夫人のおすすめもあって、句集の決断をされたのだった。 タイトルは「隣りの席」 良きタイトルである。 素敵な椅子の装画も用意されている。 伊東良平氏。 「俳句はなさらないのですか」と伺ったところ、 「はい、しております」というお答え。 良き俳句仲間がおられそうである。 わたしは、おもわず、 「それでは、お母さまの句集をご上梓されたら、今度はご自身の句集上梓にむかって、がんばってください」って申し上げたのだった。 (やるでしょ!) #
by fragie777
| 2025-12-25 18:48
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12月24日 クリスマスイブ 旧暦11月5日
ソヨゴの実。 視よ、処女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと称へられん。 (マタイによる福音書1章23節) 俳人・茨木和生氏が亡くなられた。 12月23日(火)12時10分にご逝去。 「運河」主宰の谷口智行氏よりご連絡をいただいた。 謹んでご冥福をお祈りもうしあげます。 外灯のほほゑみつづくクリスマス 茨木和生 昨日につづいて新聞記事を紹介したい。 21日づけの北海道新聞の田中綾さんによる「書棚から歌を」に、川本千栄著『土屋文明の百首』が紹介されている。 抜粋して紹介したい。 なほ一人の土屋が山に残り居て落葉の坂を行くかともまどふ 土屋文明 1990年に100年の生を全うした歌人の土屋文明。歌誌「アララギ」を代表する一人で、群馬県生まれだが、北海道にまつわるエピソードも少なくない。 たとえば、祖父について。多感な中学時代、祖父が強盗罪で北海道に送られ獄死していたことを知り、心の傷になったという。とはいえ、壮年期に来道し、祖父と向き合うような心境を歌に詠んだことでその傷は癒えたようだ。 (略) さて、冒頭の歌は戦後の作。東京から群馬に疎開し、山村で農作業もしていたが、明治大教授の職を得て東京に戻ることに。だが、親しんだ風景が名残惜しく、「山」に残る分身の「土屋」を夢想している。今ふうのパラレルワールド短歌のようで、味わい深い。 そしておなじく22日づけの北海道新聞の今年の三冊に、詩のジャンルで詩人の三角みづ紀さんが、ベスト三冊の二番目にそらしといろ・松野志保共著詩歌集『旅のリズムと、うたう手紙と、』をあげておられる。とてもいい評で全文を紹介したいところだが、抜粋にとどめる。 詩人のそらしといろと、歌人の松野志保による往復書簡。これまで連詩や連歌は読んできたが、はじめて出会うように瑞々しい。(略)ふたりの旅の詩歌に登場する土地は実在しない。それなのに、こんなにも生々しい。「ふたりの僕」は生きていて、その道中を鮮やかに感じる。造本も魅力的で、エアメイルみたい。 本詩歌集は、スタッフのPさんが企画から本作りまでふくめて、力をいれたもの。 こんな風に評されてとても喜んでいた。 地味な存在だったが、わたしも良い詩歌集であると思っていた。 見る人はちゃんと見ている、そんな手応えを感じて嬉しい。 「ふらんす堂通信187号」の編集期間に突入している。 「コラム」は、例年のように今年の漢字一文字。 なににしようかなあ。。 変な字をえらんで、その字に一年間呪われて(?)しまうのも嫌だし、なんて思っていると、だいたい、気合いをいれて選んだ今年の一字だってすでに何だったかわすれている。 いい加減なものよね。 さてと、 何にしようかなあ。 ふらんす堂にあって、高いところからわたしを見下ろしていたこの猫を 家にもってかえることにした。 深見けん二先生の龍子夫人からいただいたもの。 #
by fragie777
| 2025-12-24 18:30
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12月23日(火) 乃東生(なつかれくさしょうず) 旧暦11月4日
枯れてすきとおっていく木々。 良き色合いである。 毎夜毎夜、真夜中の12時すぎに、一つ歯の下駄をはき天狗になってマンションの廊下を往復していyamaokaであるが、最近は音楽を聴きながらという楽しみを覚えた。目下のところ、カウンターテナーのSlava(ヴァヴァ)の一連の「アヴェ・マリア」を聴いている。 とりわけカッシーニ作のものが好きである。 ポピュラーなシューベルトのものもキライじゃない。 サン・サーンスのものもいい。 そんなとりどりのアヴェ・マリアを聴くのも楽しい。 しかし、天狗の歩みとしては、なんとしてもカッシーニのアヴェ・マリアがいい。 風呂上がりの天狗が、ちょっと神がかって荘厳の歩みとなるのである。 お見せしたいわ。 嘘! ぜったいに見せたくない。。。 21日付けの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、木村内子句集『金平糖』より。 斑鳩の塔をめざして冬田道 木村内子 坪内さんは、俳句の「取り合わせ」について語っている。この句の場合は、「前半の「斑鳩の塔をめざして」の後には、「2,3人」「ぶらぶらと」などがきても句が成り立つ。」と坪内さん。ただ、思うに「冬田道」で冬のあぜ道の景色がみえてくる。 22日のおなじく坪内稔典さんによる「季語刻々」は、赤松勝著『橋間石の百句』より。 藁しべも円周率も冬至かな 橋 間石 赤松さんの鑑賞について、「徐々に日が長くなってゆく端緒の何気ない特別」と読んでいる。詠まれたことでわらしべと円周率が冬至の日の特別なものになったのだ。いい読みだ。」と坪内さん。 この『橋間石の百句』については、先日関西大学で教鞭をとっておられる藤田真一氏よりお電話をいただいた。 「『橋間石の百句』はとてもいい本です。どんないきさつやコンセプトで刊行されたのですか」というようなお尋ねだった。 う~む。 なんとお答えすべきか。 つまりは、 この百句シリーズは、もっと読まれていい俳人、あるいは読まれるべき俳人を顕彰していくものであるので、当然、橋間石の作品ももっと読まれてほしいと思っていたこと、師系にあたる赤松勝氏に百句の解説をおもいきってお願いしたというようなことをお答えしたのだった。 幸い良き執筆者に恵まれ、好評である。 わざわざお電話をくださって、という反響もうれしかった。 採算的にはなかなか厳しいものであるが、そういう反響などをいただくと、もっとがんばっちゃおうと思うyamaokaである。 まだまだ出版していきたい俳人は多い。 が、どういう書き手を得られるか、それもなかなか難しいところである。 はがきに「百句シリーズに加えていただきたい俳人」を列記してこられた方がいる。 ありがたい読者の声として、わたしは目の前にそのはがきを貼っているが、ふ~む。 なかなか難しいものがある。 明日も新聞評を紹介します。 柚子湯のための柚を一個買った。 湯船になげこむまでの数時間をこうして飾ってみた。 これだけでも部屋がちょっと明るくなるでしょ。 #
by fragie777
| 2025-12-23 18:48
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