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9月13日(金) 旧暦8月11日
韮の花。(ニラノハナ) 夕暮れなどその白さにはっとすることがある。 蟻が2匹いる。 こちらは蜂。 蜜が甘いのだろうか。 よくみるとほかの花にも虫がむらがっていた。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、中間一司句集『すばる』より。 黒揚羽ふはりと次の風に乗り 中間一司 「黒揚羽は屈強の羽にものをいわせて、次々に風を乗り切ってゆく」と長谷川さん。ことしはあまり黒揚羽をみかけなかったように思う。黒揚羽のみならず、夏の蝶全体が少なかったのではないか。これも異常な暑さのゆえ? 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 322頁 3句組 著者の森俊人(もり・しゅんじん)さんは、すでにこの世におられない。昨年の2023年の12月9日に亡くなれている。1933年のお生まれであるから、享年90。本句集はご自身で上梓されるおつもりであったものを、ご息女の隅田聡子さんが、その意志をついでまとめられたものである。本句集は大きく二つの章にわかれている。隅田聡子さんの「付記」によると、第1章は、「静観」と題して、2011年から2016年12月まで、「第一句集以後から母を見送るまでの間に作った句です。」とあり、「ゆくりなき日々」と題された第2章は「一日一句として一年間、三六五句にまとめるつもりだったようですが、「予」としてパソコンに残っていた句もそのまま載せています。」とある。およそ2句集ほどのボリュームのある句集となっている。森俊人さんは第1句集『自在』を2012年にふらんす堂より上梓されている。本句集はそのご縁によってお作りさせていただくことになった。友岡子郷さんの帯文にあるように「森俊人さんは、長年、植物の環境と生育にかかわってきたひと。」である。本句集をよめばおのずとっそのことはわかる。 第2章となった「ゆくりなき日々」によせた「あとがき」を紹介したい。 最近の急激な地球温暖化、気象の異変、気候の変動など、季節のずれが進むなかで、四季、二十四節気、七十二候という古い生活・文化・気象の変化を反映した暦の分割による句の割り付けをした。季語という我が国の文芸上の分類とのずれができた。 句集名を「ゆくりなき日々」とした。 ゆくりなしとは、不意に、思いがけないなど、たまたまとか、偶然とかと理解されているが、その出会いからは逃れられなかった事実である。つまり、必然であり、偶然ではない。そんな日々の記録を綴った句集である。 ご本人に明確な編集意図があっての句集構成による「ゆくりなき日々」となった。 本句集の担当は、文己さん。 鴨引いて風の湖面となりにけり 蟻の道ビルとビルとをつなぎたる 園児らのおじぎ揃はず新松子 春帽のしつとり重し小糠雨 水打つて一人の客を待ちにけり 暮れ早しまだ温かき川原石 蟻の道ビルとビルとをつなぎたる 第1章「静観」の春の部にある句である。なんとも長い蟻の道である。いや、ビルとビルの間は隣接しているのかもしれない。その隙間に泥の地面があって、そこをつなぐようにして蟻が一列になっていたのかもしれない、現実は、と。こう書いてしまったら面白くもない。しかし、この一句を読んだすぐの印象は、まず足元の蟻に視線はあつめられ、そして一挙に視線は高く空にそびえるビル群へとひろがっていく。そしてふたたび蟻へともどりそのビル群をつないでいる蟻の道を意識するのである。蟻の道がつなぐものには不自由はしないだろうか、ビルとビルとは、何とも大きく出た。これって、蟻の道がえんえんと長く続いてビルとビルとをつないでいるって思うと面白い構図となる。まずはそう読めるし、そういう構図を作者は読者に期待しているのかもしれない。働きものの蟻だったらやるかもな。しかし、実際としては隣接する狭い地面で繋がっていたのをそのように詠んで気持ちのよい一句に仕上げたとも考えられる。 園児らのおじぎ揃はず新松子 第1章「静観」の夏の部に収められた一句である。「新松子(しんちぢり)」は、秋の季語で「あたらしくできた松かさのこと」。青青として瑞々しい。そんな勢いのあるできたての松かさの下で、幼稚園児が挨拶をしている。園児たちは勝手気ままにお辞儀をしている長閑な風景を作者はかたわらで楽しみながら見ているのだろう。園児たちには、「新松子」の存在などはあずかりしらぬことだろうが、作者にとっては、不揃いなお辞儀をするにぎやかな園児たちも初々しい新松子もひとしく可愛らしい存在なのである。新鮮な空気みなぎる愛すべき風景。 刈り稲の匂ひの中へ棺出づ 亡き人を見送るときの一句である。あるいは「農」に生きた人かもしれない。稲刈りをおえて、稲がそこここに掛けられて匂っている。そんな中への出棺である。農に生き農に死んだ人であるとしたら、このような情況はある意味祝福された死への旅立ちなのかもしれない。しかし、この一句、どのような感情も詠み込まれていない。しかし、いい句だとわたしはおもう。人の生活のいとなみがみえ、そしてそれを囲む自然の風景がみえてくる。見送る人たちも、逝く人も稲の香につつまれているのだ。そして、稲の香は残された人々にとって大いなる慰めのようにも思えてくる。〈また一つ交はりの減り秋の雲〉という句がつづく。良きお仲間にかこまれている作者である。 囀りの中の破調は何に鳥ぞ 囀りを聞いている。にぎやかだ。すると突然、不協和音のごとく囀りをみだす破調の鳥声が聞こえた。こういう経験ってある。変な声がまじるのよね。それを一句にした。いったい何の鳥? 「何に鳥ぞ」と止めることによって、作者の驚きが並大抵でないことがわかる。 どんぐりの朝日の影を伸ばしけり 「ゆくりなき日々」に収録されている一句である。どんぐりをシンプルに詠んだ一句である。この句、どんぐりが大きくみえてくる。そして生き生きと。それは「朝日」だからだろう。「影が伸びる」ではなく「影を伸ばしけり」で詩になった。あくまで主体はどんぐりにある。 遥かなる羊水たどる柚子湯かな 句集の後半におかれた一句である。不思議な感じの一句。「柚子湯」に身を沈めている。柚子の香りがしてすこぶる良い気持ちである。肢体をのびやかにして、身体中の細胞が甦っていくような、そう、まるで母の胎内にいたときのようなゆったりと守られているそんな心地になった。かつて自身がこの世に生まれいづる前に浮かんでいたところ、この感触はまさに、なんて、そんな遙かなる記憶が呼び起こされるような思いにつつまれる。この一句の魅力は、「遙かなる羊水たどる」と上5中7で羊水の記憶を読者によびおこし、そして「柚子湯」に帰着させたところである。「柚子湯」という気持ち良きものが読み手の身体までもうけとめてくれるそんな思いに一瞬させる、詩情ある一句となった。 校正スタッフのみおさんは、「〈何の群れも一羽は起きて浮寝鳥〉がとても好きです。眠れない鴨もいるのでしょうか…」 九十歳を機に、一日一季語の句を、明石海峡を望む城址内外の小径で徒然なるままの二本の歩歩の間に詠みました。師・友岡子郷の生前の最終句集『海の音』を乗せた海風を直に感じるほどの距離で、様々な海の音が届きます。対岸の淡路島は生まれ育った島です。海に耳を傾けながらの日々に浮かぶ句を、一日一季語にて、重複を避けながら、七十二候ごとにまとめました。所々の余白の頁には、気分転換に、句に因む自作の漢詩を入れました。 「あとがき」の後半を紹介した。 本句集は「あとがき」に記されているように七十二候ごとにまとめられている。そしてところどころ森俊人さんによる「漢詩」がおかれている。 装釘は、君嶋真理子さん。 カバーに使われている絵は、「明石公園」と題した森俊人さんの手によるもの。 このように漢詩が収められている。 「短日」と題された漢詩をひとつ紹介しておきたい。 短 日 短日西風忽寂然 光陰転瞬落暉鮮 高啼一鳥行何処 変幻飛雲自在天 「付記」で隅田聡子さんは、こう記す。 巻末に父が散歩の途中で撮った写真を載せました。マクロルーペも活躍しました。 背伸びしたりしゃがんだり、崖の上にのぼったり、夕日のシャッターチャンスのために懸命に急ぎ足で歩いたり。 巻末には、森俊人さんが撮った植物や虫の写真がならぶ。どれも美しく撮られている。 そして森俊人さんのお姿。 冬麗や波音近く二本杖 ゆくりなく野にて遇ひたり森苺 森 俊人 この句集刊行の実現のためにご尽力をされた隅田聡子さんより、所感をいただいた。 到着の電話やメールが届き始めました。 巻末に写真を載せた翼くんのお宅では、リビングの特等席に「ゆくりなき日々」をおいてくれているとのこと。 父はひとりっ子なので 親戚はほとんど母方。 すっかりご無沙汰の叔父叔母、従姉妹にも句集を発送して、到着の連絡で近況のやりとりまで出来ました。 母方の親戚からは 第一部「静観」の感想が多かったです。 「病みたるを忘れゐるかにかき氷」は、その現場に居合わせたメンバーとっては、母の食べっぷりそのものの句です。 句集のお蔭で素敵な植物画を描かれる父の職場の方のご連絡先も知ることができて Facebookで植物の奥深さを楽しみつつ、父と二人でしゃがみ込んで見つめた道端の草花を思い出しています。 父を私はヘンテコ親子(オシロイバナの種をせっせと集めながら父が自分で言っておりました。)確かに…かなりヘンテコ、バカボンとバカボンのパパみたいだと振り返っております。 この本の上梓にお力をいただいた皆さまに感謝申し上げます。 隅田聡子さま お父さまに句集上梓にむけて、大変であったとおもいます。 隅田さまが願わなかったら、この度の句集『ゆくりなき日々』はこの世に生まれて来なかったでしょう。 本当にお疲れさまでした。 天上で、森俊人さまがさぞ喜ばれていることでしょう。 ふらんす堂もこうしてご縁をいただきましたこと、とてもうれしく思っております。 夏つばめ白紙の朝の来りけり 森 俊人 #
by fragie777
| 2024-09-13 20:22
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9月12日(木) 鶺鴒鳴(せきれいなく) 旧暦8月10日
秋草っていいなあって思う。 全体の色合いも好きだけど、すべて風姿がやさしい。 しかし、 あまりそれになじみすぎると、 ヤバイかなとも思う。 なんというか、 心地よさばかりの日々だと、 柔になりそう。 ちょっとばっかしはロックでありたい。。。 ということで、今日はいつもよりすこしハードに髪をムースで固めてみた。。。 そんなんでいいのか、って。 いいことにしちまおう。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、高橋睦郎句集『花や鳥』より。 星流れ落ち溜る谷ありぬべし 高橋睦郎 坪内さんは、この句から「谷川の清流を連想した」ということである。「その谷川は天の川に通じているに違いない」と。その谷底で星を掬うことができたら素敵だろうなあ。 #
by fragie777
| 2024-09-12 18:54
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9月11日(水) 旧暦8月9日
木肌に日がさしていた。 よく見ると文字のようにも絵のようにもみえる。 わたしへの伝言? っておもって足をとめた。 そんなわけないか。。。。 今日は平畑靜塔の忌日である。1997年9月11日に亡くなった。27年経つ。 五島高資著『平畑靜塔の百句』より、百番目の句。 金星の大き松山虫小声 平畑靜塔 『竹柏』平成6年より。 この句が詠まれた平成六年は、十月二日に宵の明星がマイナス四・七九等級という最大光度となり、月に次ぐ明るい天体として輝いたと記録されている。静塔は、西にある松山の上にそれを眺めたのだろう。陰暦では八月二十七日にあたる。金星の明るさに圧倒されて、虫の声も小さく聞こえたのかもしれない。 この年は、アメリカ航空宇宙局が打ち上げた金星探査機マゼランがその地表の地形を明らかにした後に、金星大気に突入して任務を終えている。改めて深大なる宇宙を実感させられると、虫の声と同じく人間世界の大事も些細に感じられる。 米不足が心配されている。 スタッフのPさんは、秋田に住んでいる友人からお米を直接購入している。 「玄米」を買っているらしいけど、すごく美味しいらしい。 友人Tちゃんは中学時代の悪友であるが、秋田に行って米作りをしている。 わたしもTちゃんのお米を買うことにした。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 268頁 二句組 著者の田中京(たなか・きょう)さんは、1949年東京生まれ、現在や東京・世田谷区在住。1968年に東京女子大の俳句研究会に入会し、山口青邨の指導をうける。1975年「夏草」入会。1988年、青邨没後「夏草」終刊、その後「屋根」「藍生」に入会。2008年「藍生」退会。2013年「未来図」に入会、鍵和田秞子に師事。20919年「未来図」同人。2020年「未来図」終刊、2021年「閏」創刊同人。俳人協会会員。本句集は第1句集であり、守屋明俊「閏」代表が序文を寄せている。 守屋明俊代表は、50年にもおよぶ田中京さんの俳句人生を丹念に紹介しながら序文を記している。「自然と真っ直ぐに向き合い季節の中の一瞬を描き取ることを句作の信条として、今日に至っている。」と、はじめに語る。懇切にかかれた序文より一部のみ抜粋して紹介したい。 暗渠より出でて光の冬の川 けものみち多き世田谷名草の芽 春や銀輪風にプリーツひるがへる 天高しタオル干すにも色に順 シンボルの一樹湖畔の山毛欅黄葉 以上、「閏」誌から引用した。句の素材が多様で、自然詠、身辺詠、境涯的な句を問わず、きちんと対象と向き合い、よく観察しよく感じ取っている。モ ノを見せ、モノに語らせているのが強い。季語の用い方も自然で、読んでいて心地よい。 本句集のはじめの方に〈確かなる胎動ありて秋高し〉という句がおかれ、〈孫七人どの子にも会ふ夏休み〉という句がおしまいの方にあって、この句集がやどす歳月の長さに驚くのである。そうして生活のいとなみのなかで俳句を作りつづけてこられた、ということにも驚く。 本句集の担当は、Pさん。好きな句をあげてもらった。 朝市の赤き棗に人の声 新茶来る空のゆたかにあをき時 翡翠の向きを変ふれば冬の色 梅雨の森降り初め土の匂ひ出す ひと回りして夕顔の実のほとり 日々ひとつ良きこと見つけ草の花 小綬鶏に呼ばれ明るき林へと 朝市の赤き棗に人の声 田中京さんが、青邨指導の「白塔会」に出席し、青邨選にはじめてはいった句である。学生のときの初心の句であるとおもうが、わたしも好きな句である。はじめからセンスがおありだったのか、上手な句だと思う。朝市の風景であるが、棗の赤に焦点をしぼり、そして下五に「人の声」をおいた。「人の声」とおくことで、朝市を飛び買う人間の声がみえてくる。視覚から聴覚へのはこびも巧みである。賑やかとか説明はなにもしていないけれど溌剌とした朝市の風景がみえてくる一句だ。「朝市」と「赤き棗」のア音の頭韻が、読手のこころを明るくひろげてくれるようだ。 ひと回りして夕顔の実のほとり 作者の田中京さんも自選に選んでおられる一句である。「夕顔の実」を詠んだ一句であるが、どう詠んだかといえば、その周りを一周したということを詠んだのみである。なんとも説明がむづかしい一句で、しかしとてもわかりやすい一句だ。散歩にでも行ったのか、ともかくひと回りしたのである。そのことについては、何の説明もない。そして、戻ったところが「夕顔の実」の「ほとり」であったということ。「ほとり」と記すことで、「夕顔の実」の磁場を感じさせ、その存在感の大きさをも思わせる。人間はうごきまわるだけで、「夕顔の実」は重力をもって動かざるものとして存在している。つまりは、「夕顔の実」へのオマージュであるのだ。〈朝顔のひとつひらきて満ち足りぬ〉という句もあって、植物と作者との関係性がみえてきて面白い。 立春に降りしもの雪とみどりごと 驚いた一句である。守屋代表も序文で鑑賞をしておられ、「「雪とみどりご」が立春に降ったことを愛でたいと詠む」と。わたしは、自身の子どもをさずかったことを「降りしもの」と詠んだことに新鮮な驚きをおぼえた。立春の雪も驚きであるが、それ以上にみどりごを得たことのよろこびが立春の雪とひびきあって、祝福の音楽がきこえてくるようだ。校正スタッフのみおさんも好きな一句としてあげている。「清らかな色彩が句にあふれていて、一生に一度しか詠めない句だなあと感じました」ほんとうに、清らかな色彩。 子供らに楽しき箱や冷蔵庫 季語「冷蔵庫」を詠んだ一句だ。この句のまえに〈吾子三人並びて眠る寝茣蓙かな〉という句があって、この子供らはきっと三人のお子さんのことだろう。入れ替わり立ち替わりやってきては、冷蔵庫のなかを覗いていく。子どもたちにとっては美味しくてわくわくするようなものが並んでいる素晴らしい冷蔵庫だったのだろう。幸せな子どもたち。大人であるわたしは、冷蔵庫を「楽しき箱」とはちょっと思わない、すぐれた機能性にみちた箱ではあるが。掲句はまさに子育てを楽しんでいる親ならではの一句だろう。こんな風な角度から冷蔵庫を詠めるのも余裕である。そして、冷蔵庫も自身の魅力をもっと自覚してもいいかもしれない。 秋蝶のよく訪ふ町のせんたく屋 メルヘンチックな一句である。好きだな、こういう句。この句、春の「蝶」でも「夏蝶」でもダメ、やはり秋蝶でなくては、と思った。どうしてだろう。せんたく屋さんのまっしろなシーツが目にうかんだりする。そんな清潔なせんたく屋さんに、爽やかな大気をぬって秋蝶がおどずれる。守屋代表は「リーニング店に現れた秋蝶に対しても近しく接している心のゆとり。」と鑑賞されている。そう、作者には「心のゆとり」があるのだ。秋蝶がせんたく屋さんに現れたことを「よく訪ふ」と叙する想像性、物語のなかを生きているような「ゆとり」、その「ゆとり」がこの句集を一貫して流れているのだ。だから、このような一句もうまれる。 日々ひとつ良きこと見つけ草の花 二十歳の頃、東京女子大学「白塔会」に出席し、初めて作った句の中の一句「朝市の赤き棗に人の声」を、故山口青邨先生が目に留めて下さいました。青邨先生は女性にも俳句を広めたいというお気持ちから、月一回白塔会にボランティアで、指導に来て下さっていました。当時白塔会は俳句研究会という同好会でしたが、学生会員より先輩の方の人数が多く、句会はピリッと引き締まった雰囲気でした。終了後、緊張したまま席を立つ私の肩にそっと触れて、「お励みなさいね」と言って下さる方もあり、青邨先生の温厚で優しいお人柄に惹かれたことと、初めて作った一句が先生の選に入るというビギナーズラックもあって、すっかり俳句が好きになってしまいました。 以来、五七五という限られた詩形の中に、切り取られた一瞬一瞬を、季語を中心に表現するという俳句に魅せられて、これまで続けてきました。 「あとがき」の前半部分を紹介した。 本句集の装釘は、和兎さん。 装画は、田中京さんのご息女・川田真紀さん。 秋草が美しく描かれている。 裏にも秋草が配されて、 優しい表情の1冊となった。 「十一月の光」という句集名。 小綬鶏に呼ばれ明るき林へと 句に真実があり、モノに対する好奇心はいよいよ旺盛である。余生というには余りにも若く、これからがまた楽しみな作家である。(守屋明俊/序) ご上梓後のお気持ちをうかがった。 1) 本が届いた時のお気持ちをお聞かせください。 装丁の美しさに見とれてしまいました。娘の絵を活かして配置されていて、文字や帯も合っていて、開いた時の色、その色に合わせた中の絵がまた素敵でした。とても嬉しく思い、ふらんす堂と守屋先生に感謝の気持ちでいっぱいになりました。 2)初めての句集にこめたお気持ちは? 俳句歴は長いですが、あっという間の50年とも思え、ちょうど結婚して50年の年でもあるので、沢山の句を纏めて句集を編んでみようと思いました。 3)今後の句作への思いは? 今まで自然体で詠んで来ましたので、そのままに少しずつでも進歩して行かれたらと願っています。 句集をお読み下さった方達からの反響は、予想以上に大きく温かいお心のこもったお手紙やメールを沢山いただきました。 あまりにも沢山でご紹介しきれないのですが、少し引用させていただきます。 「一読して私の持っている田中京さんの印象と理解がこんなにも一致することがあるのかと驚きました。つまりジグゾーパズルに手持ちの一片一片がパチンとはまり、‘らしくない’句が1作もないのです。どんな状況においても貴女は素直に自分を表現できる才能のある方で、しかも感性の幅が広い。守屋氏が(きちんと対象と向き合い、モノを見せ、モノに語らせているのが強い)と仰っていますが、その様ななことなのですね。お嬢様の表紙絵といい、本の題、色調、全てがこの1冊を見事にまとめていますね。本当に素敵な句集です。」 「秋の草花の美しく上品な装丁(ご長女の感性は京さん譲りですね。)に惹かれました。日々のさりげない出来事や子育て、草花や動物、身の回りの自然を丁寧に観察され深く心に留めて、素直なご自分の言葉で詠まれていて、京さんの実直なお人柄がどの句にも滲み出ているように感じました。」 いろんなご反響をお教えくださってありがとうございます。 田中京さん(右) 今年の4月24日のご来社のときに、守屋明俊代表と。 50年を俳句とともにすこやかに生きてこられた田中京さんであることをおもいました。 美しい一冊となりましたが、 ずしりと重たい一冊でもありました。 さらなるご健吟をお祈りもうしあげております。 川流る十一月の光溜め 田中 京 11月の仙川。 #
by fragie777
| 2024-09-11 19:39
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9月10日(火) 二百二十日 旧暦8月8日
左手の先に自転車屋さんがあり、 わたしの自転車はそこで購入。 自転車のタイヤの空気はだれでも無料でいれられる。 ときどき立ち寄っていれるのだけれど、お兄さんがいると親切にいれてくれる。 自分でやるときもある。 不思議なのはお兄さんがいれてくれると、すごく充実したタイヤになるのに、 わたしがいれるとちっとも充実してくれない。 とても簡単な作業なんだけど、どこが違うんだろう。 けさ、仕事場に行く前に立ち寄って空気をいれていこうとおもったのだけど、 まだ、やっていなかった。 帰りにやっていたら、入れていくつもり。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は『現代俳句文庫Ⅱ三宅やよい句集』より。 秋めいて八千草薫的マダム 三宅やよい 「秋のいろんな草(八千草)が揺れて、その草むらから女優の八千草薫が出現する気配だ」と坪内稔典さん。 八千草薫という俳優を知っている人はいまどのくらいいるだろうか。坪内さんや三宅さんはもとより、このブログを読んでいる人たちは大方知っていると思う。おっとりした物腰の優美な方で、わたしの学生時代には、やや保守的な男子があこがれる、ようするに「お嫁さんにしたい」とか言ったりして、そういう女優さんだった。わたしは、そんな男子の言葉をきいて、(ケッ)って心のなかで思っていたけど、一応笑って聞いていた。亡くなる二年ほど前だったかしら、よく行く成城の甘味処で、和菓子を買いにみえた八千草薫さんを見かけた。歳はとられてもやわらかな優美さはうしなわれず、たおやかに微笑んでいた。成城という街がよく似合う美しい方だった。 いま、ふらんす堂は戦々恐々としている。 というのは、書籍を保管してもらっていた倉庫会社を移転するのである。 本たちの大移動となる。 オンラインショップでは、赤字で以下の表示がされている。 ゆえに、わたしもこのブログで告知をしておきます。 2024年9月12日より、書籍を管理している倉庫を移転するため、10月1日まで一部書籍の発送ができなくなります。 お急ぎの場合は一度ご連絡ください。 問い合わせ先:03-3326-9061(平日10:00~17:00) スタッフのPさんと文己さんが倉庫会社に足をはこんだり、Pさんはオンラインで何度も打ち合わせをしたり、これまでたいへんだった。 そして、これからも落ち着くまでたいへんである。 yamaokaはというと、「たいへんね」って時々言うくらい。 (たいへんさはわかっているわよ)という意思表示である。 注文をくださる書店さんやお客さまにはすこしお待たせしてしまうことになりますが、 今後さらに注文等に円滑に応えるためにスタッフが頑張っております。 ご了承くださいませ。 もっか句集制作をすすめている、福神規子さんの句集『火のにほひ』の表紙の箔押し見本がとどく。 箔押しはきれいに仕上がり、なんとも上品な表紙となった。 カバー、本文、等々印刷もあがって、いよいよ製本段階にはいる。 本ができあがりつつある、この時って本当に好きだな。。。。 我が友、翡翠。 #
by fragie777
| 2024-09-10 19:08
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9月9日(月) 重陽 旧暦8月7日
藪茗荷(ヤブミョウガ)の花。 いまはいろんなところでよく見られる。 石田郷子さんの第四句集『万の枝(まんのえだ)』が本日出来上がった。 前句集『草の王』以後の九年間の作品を収録したものである。 もう九年も経ってしまったとは。。。。 この句集については、また改めて紹介したいと思う。 石田郷子さんが代表をつとめる俳誌「椋」も今年で20周年を迎えられるという。 会員同士でのお祝いの会も催される予定である。 石田郷子さんとのご縁はふかい。 ふらんす堂をはじめて、一番にお作りしたのが、石田郷子さんのお母さまである石田いづみさんの遺句集『辛夷』であり、お父さまの石田勝彦先生には亡くなるまでお心にかけていただいた。 石田勝彦先生には久保田万太郎の精選句集をつくることをすすめられ、そうして出来上がったのが、ふらんす堂文庫・成瀬櫻桃子編『こでまり抄』である。(千葉皓史さん装釘)。わたしの出版社勤務時代に俳人の大木あまりさんを紹介してくださったのも石田勝彦先生だった。。。 句集『万の枝』を手にして、わたしはいろいろな感慨に浸っている。 悉く秋草や汝に名を問はれ 石田郷子 スタッフのPさんは、ここ数年、蚊に悩まされている。 誰よりもよく刺される。 仕事場から家に帰る途中で、たくさんの蚊にさされたことがあるという。 (わたしはここ数年ほとんど蚊にさされない。血がおいしくなくなったんだと思う) で、Pさん最近蚊にさされない新しい情報を手にいれた。 それを実行するとまったくと言ってよいほど刺されなくなった。 それは、 朝起きたら足の裏を丁寧に拭くこと。 Pさんは、除菌シートで拭いているらしい。 「ホント、こんなに刺されないなんて……」と驚いている。 その情報、ふらんす堂スタッフのMさんに聴いたということ。 Mさんによるとそれはaiのアレクサからの情報であるということ。 アレクサ、なかなかヤルナ…… 蚊に悩まされているお方、是非に足の裏を拭いてみてくださいませ。 落としてしまって、 茫然としている翡翠。 まっ、こういうこともあるわね。 #
by fragie777
| 2024-09-09 18:45
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