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6月28日(水) 旧暦閏5月5日
ブリュッセルの街の落書き。 ベルギー人はどうやら落書き好きのようだ。 27日の毎日新聞の夕刊に、Topicsとして『鷹羽狩行俳句集成』が書影と鷹羽先生のお写真とともに紹介されている。井上卓弥記者によるものである。 タイトルは「明晰性、秀抜な切り口」 後半の部分を抜粋して紹介したい。 「誕生」の序文は俳号の命名者でもある誓子の筆。 落椿われならば急流へ落つ などと並ぶ初期の代表作、 みちのくの星入り氷柱われに呉れよ について、〈現実を見ることの累積が把握の力になる。想像の力になる。そして優遊の世界に入り易くなる。(中略)ほんとに心が優遊し、言葉もそれに伴つて優遊してゐる〉と賛辞を贈っている。 秋桜子、山本健吉らの論評を集めた別冊「栞」も趣深い。〈明晰に言うことを心掛け、明晰に言う才能に恵まれている。(中略)よく解らないことに色気を出さない。従って思わせぶりがない。(中略)不可解な全体を言うことを避けて、解る範囲の細部を適確に掴むことによって、全体への遙かな見とおしを暗示する〉という井本農一の評(81年)は「狩行俳句」の特質と魅力を見事に言い当てている。 海が見えしか凧(いかのぼり)下りて来ず 「月歩抄」 人の世に花を絶やさず返り花 「十二紅」 大寒といふ一枚の落し蓋 「十四事」 いずれも、秀抜な切り口からのぞくかすかな感情の機微が言葉を超えた余韻をもたらす。 自身は「『狩』35周年に刊行するつもりが40周年の前になりました。思えば1万1000句とは膨大ですが、句作は生活のリズムになっているので、今もペースは落ちません」と笑う。18冊目の最新句集も近く刊行予定という。 実はこの『鷹羽狩行集成』について、あとから気づいたことがあった。 本文を読んでいくと、全体からすればわずかであるが、重複句がある。それは意図的に収録したもので、間違ってまぎれこんだものではない。全体をじっくり読んでいくと何故の重複かはわかるので、編集中はそのことは気づかなかった。 しかし、やはり指摘をいただいたのだった。 「凡例に記すべきでしたね」とわたしは鷹羽先生に申しあげた。 「ああ、そうでしたね」と鷹羽先生。 それでせめて電子書籍で対応しようということになった。 電子書籍もすでに発売になっているが、凡例に付け加えることにした。 その付け加える一文をここに記しておきたい。 すげにお買い上げいただいた皆さまは、どうぞご承知おきくださいませ。 ◯海外詠と挨拶句については、年代別句集に収録したものを『翼灯集』『啓上』「翼灯集以後」「啓上以後」にも再収録した。 というゆえの重複なのである。 電子書籍に反映されるのは、ちょっと時間がかかるらしいが、すでにお買い上げいただいた方には修正版を改めてダウンロード出来ると言うことである。 先日、鷹羽先生とお話していた時に、 「この集成って、1000頁を超えてるんだね」とおっしゃる。 「ええっ、先生! そのことはもう何度も申しあげたではありませんか。」(驚くyamaoka) 「そうだったかね。いや、いま改めて気づきました」 その先生の言葉に、わたしは思わず椅子からずり落ちそうになったのである。 鷹羽先生ご自身が、頁数の多さに改めて気づかれたのであった。 著者の方はそんなものかもしれない。 実は、この「集成」は、菊判という大型の判型である。 立派なのはいいのだが、菊判の本文用紙は限られてくる。というか、現実的に使えるのは一種類しかないのだ。 ふらんす堂刊行の菊判の本はすべてこの用紙である。 で、この用紙で束見本(つかみほん=本の厚さをしるために印刷されていない用紙で製本してみるもの)を作ってそれを鷹羽先生にお送りした。1000頁を超える厚さである。いったいどんな厚さになるのか。。 それはもう大冊となった。 すると、鷹羽先生からお電話をいただいた。 「いくら何でもこれでは厚すぎるよ。」と先生はおっしゃる。 「でも、菊判の用紙はこの限りなんです」とわたしも訴える。 「しかし、この厚さは……もっと薄くする方法を検討してみて」と電話を切られた。 わたしは頭をかかえた。 そして頼りになるH印刷会社のKさんに相談した。 「yamaokaさん、無駄取りになりますが、この用紙を使いましょう。これだったらかなり厚さを抑えられます」と言ってある用紙を提案してくれた。わたしも知っているものだが、果たしてきれいに仕上がるだろうか。裏写りとか大丈夫かなあ。 「きれいに印刷が仕上がるかしら?ともかく索引なんてものすごく細かいから、ちゃんと仕上がらなくてはダメよ」 「大丈夫だと思います。しかし大冊ですから、本番にいく前に刷り見本をとりましょう」 「ああ、いいかも、時間が掛かってもいいからその線でいきましょう」 あらためてその用紙で束見本をとったところ、なんと8ミリは薄くなったのである。 「これならいいんじゃない。」とその束見本をご覧になった鷹羽先生も納得して下さった。 四六判の用紙を無駄どりすること、印刷見本を出すために時間をいただくこと、などを了解していただき仕事を進めることにしたのだった。 ということで、1000頁を超す大冊ゆえに、そんな難儀(?)があったことも鷹羽先生はすっかり忘れておられたのだった。 しかし、そういうこともすべてを含んで、本づくりという仕事は楽しい。 本を作る、ということはそのはらはらする過程にこそその醍醐味がある、ってわたしは思っている。 やめられないわよっ。 #
by fragie777
| 2017-06-28 19:14
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6月27日(火) 旧暦閏5月4日
ハンドグリップ。 おやつの時間に抜け出して、近くの島忠で買い求めたもの。 「ほら、買ってきたわよ。これで眠気を吹き飛ばそう」と言って、スタッフたちに見せたところ、 「ええ、何㎏のものですか?」とか聞いてくる。 「そんなのよくわからないけど、いろいろと並んでいたなかでこれが色がきれいだし、カッコもいいのでこれにした」と答えると 「フフッツ……これは高校生あたりが勘違いして買って、そのまま使わずに置いておく運命になる、そんなヤツですよ」と言う。 つまり、これはわたしたちが使うにはちょっとハードすぎるものらしい。 あとから(わたしはいつもそう、外見だけで判断してしまう…)このハンドグリップが載せられていた台紙をみると、 めちゃめちゃお兄さんが吠えている。 しかも40㎏と書かれ、名前が「HEROES」。 とんだハンドグリップを買ってきてしまったらしい。 しかし、わたしは使うつもり。 フッ、フッ、フ これで眠気を吹き飛ばすのさ。。。。。 新刊紹介をしたい。 著者の中村重雄(なかむら・しげお)さんは、昭和10年(1935)千葉県佐原市生まれ、現在は千葉市在住の俳人である。俳句の結社に所属するまえは、鉄道関係の仕事人として多忙な日々を送りながらも、新聞への投句など自由に作句を楽しんで来られた。仕事を退任されてしばらくしてよりの平成15年(2003)に「百鳥」に入会し、はじめて結社に所属することになる。「百鳥」を経て、平成17年(2005)「いには」(村上喜代子主宰)に創刊同人として参加、今日まで「いには」の主要同人として「いには」を支え俳句をつくりつづけて来られたのである。平成21年(2009)より「鉄道OB新聞俳壇選者」をされている。本句集は、平成4年(1992)から平成28年までの25年間の作品を収録した第一句集である。本句集には、結社に所属する前の時代からの作品も収録してある。序文を村上喜代子主宰が寄せている。抜粋して紹介したい。 中村氏の俳句は、俳壇の圏外で自由に楽しく句を作ってきた人らしく、句柄が大らかでこせこせしていないのが大きな魅力である。 一月の山泰然と世に立ちぬ 一月の山が泰然とある姿を「世に立ちぬ」とはなかなか言えない言葉である。社会の一線で活躍してこられた人の闊達な言葉遣いかと思う。 天地に動くものあり初鴉 天地という巨視的な把握はあまりにも大き過ぎてなかなか句になじみ難い言葉であるが、「初鴉」という卑俗ながら我々の生活に密着した具象を据えることで、天地という言葉が浮き上がっていない。 こういった大柄な句を特色とする作者であるが、細やかな観察眼や繊細な感性を思わせる句が随所にあることも見逃がしてはいけない。 白波のくだけるたびに千鳥吐く 九十九里浜の景であろうか、波と戯れるように飛ぶ千鳥が活写されている。波が砕けるすれすれで千鳥は舞い上がる。それを波が吐くと瞬間で捉えた目の確かさがある。 秋螢白一色の点字本 目の不自由な人が使う点字本には凹凸はあっても色はなかったのであろう。「白一色」」と受け止めたことに、そういった人へのあたたかい思いやりが感じられる。 時に機知の働いた句もある。むしろ作者が最も得手とするところかもしれない。機知や俳諧性も俳句に欠かせない滋味である。 朴の花遠き山へと雲流れ 句集名『朴』は、この句から付けられた。高々と白く高貴な花を咲かせる朴へ注がれた視線はさらにその上の雲に誘われ、雲の行く手の遠山へと向かう。気宇壮大で志の高い句である。「朴」一字という潔さもこの句集の特色をよく表わしていよう。朴は花のみならず、若葉、青葉、さらに落葉等、季節を問わず俳人の格好の句材となっている。一集を総括する題としてまことに相応しい。 村上喜代子主宰は、この度の中村重雄さんの句集『朴』の上梓を心から祝福されている。 本句集の担当は文己さん。 白蓮のそこに始まる夜明けかな 云ひ過ぎて箸であやまる冷奴たましひも脱ぎてしまひぬ花疲れ 花屑をつけて廻せし象の鼻 母の日の母の縮みて輝ける 鉢へ足す土竜のあげし春の土 買ひたての音の涼しき竹箒 福耳の淋しき人や桐の花 重力の授業となりしプールかな 臥す人を窓辺へ誘ふ良夜かな 明日の数残して今日の胡瓜もぐ 省略の俳句のごとき案山子かな わたしも本句集を拝読し、文己さんと好きな句がだぶった。 母の日の母の縮みて輝ける この「縮みて輝ける」に老母への切なくてぶっちぎりの母親賛歌である。自分を産みだした母の肉体そのものもまるごとに心服しているのだ。きっと娘だったらこうは言えないだろう。「縮みて輝く」とやや矛盾する言葉であるが母親であると思うと有無を言わせない。 福耳の淋しき人や桐の花 この句も一見ベクトルの異なる言葉をおくことによって、俳句に深度を加えている。福耳をもった人であるのに、何かの拍子にふっと淋しさを感じてしまった。福耳を持っているからと言って、その人が淋しくないなんてことあり得ないのだが、なぜか淋しさがいっそうに思われる。「桐の花」が咲いているからだろうか。「桐の花」の季語がゆるがない。 中学、高校時代に教科書の詩歌に深い感銘を受け、今でも当時の詩歌のほとんどが記憶に残っているが、自ら創作する気は無かった。 国鉄を退職して日本貨物鉄道㈱の関連会社に就職し、惚け防止のために頭を使う趣味も必要と俳句を選び、入門書等を買いこんで独学を始めたのが五十五歳の頃であった。 間もなく親会社の町田直会長が句会を始めるからと誘われて参加した。 会長は「ホトトギス」の同人で人格者でもあり、学ぶことが多々あったが、会長の体調不良で七年ほどで句会は解散となった。 俳句はいったん始めると止められない魔力があり、私もその中毒患者の一人となった。 新聞へ投句していろいろと実力を試していた。平成十五年に「百鳥」に入会し、大串章先生の御指導を賜っていたが、平成十七年四月に村上喜代子主宰が立ちあげた「いには」に創刊同人として参加、「百鳥」を退会した。 それから十二年の歳月が流れた。 同人会長としてはどのように貢献できたか、いささか忸怩たるものがあるが、村上主宰がいう「開かれた結社」にするべく努めてきた。 俳句は上達したかどうか自分では判らないものだが、結社創立十二年を経過し、干支も一巡したので『朴』を上梓することとした。 作品は「いには」発表の句を主体としているが、独学の頃の句も第一章「かなかな」に載せている。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「中学、高校時代に教科書の詩歌に深い感銘を受け、今でも当時の詩歌のほとんどが記憶に残っている」という経験がきっと今の中村重雄さんの俳句のコヤシとなっているのだと思う。この経験があったからこそ、自ずと詩歌の世界に導かれて行ったのだ。そう思う。 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 これまで「朴の花」という句集はいくつかあったが、「朴」一字はない。 「朴」という一字のタイトルなので、「朴の花」を装画としたことは良かったと思う。 タイトルは黒メタル箔で力強く。 用紙は、ツムギ風の手触りのあるものを使う。 見返しも同じ用紙。 表紙。 題字のみグリーン。 「朴」というタイトルが、大らかで力強い。 「句柄が大らかでこせこせしていない」と村上主宰の序文にあったように、その大らかさがある。 焚かれゐる落葉おのれの声を出す 影を持つほどに目高の育ちけり 心惹かれた句をあげた。著者は大らかな句づくりをする一方、序文でも書かれていたようにきわめて繊細なところに感覚を働かせる。 焼かれていく落葉にふっと声を聞きとめる。誰も聞きとめ得ないような声をたしかに聞いたのだ。 目高にだってそう。あわあわとした存在から命濃き影を持つまでに目の前の目高は成長した。育つことによっていっぱしの影を持ったのだ。 消滅していくものにも、生成していくものにも、身体の感覚を総動員してその存在の確かさに向き合う中村重雄さんである。 #
by fragie777
| 2017-06-27 19:56
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6月26日(月) 菖蒲華(あやめはなさく) 旧暦閏5月3日
ベルギー・アントワープのノートルダム教会の聖人たち。 その聖人たちの前で縄跳びをたのしむ女子たち。 死者の気配が濃い教会から抜け出たわたしの身体はすっかり冷え切ってしまっていた。 溌剌としたこの風景に触れ、ふたたび血流が身体のすみずみにまで行き渡るような思いがした。 今日はお昼をたっぷりと食べた。 すると午後が眠くてたまらない。 わたしは机を離れて、太極拳で準備体操としてやるところのスワイショウという腕を大きくふりながら腰をまわす運動をやってみた。 腕を放り投げるように回し、体重を左から右、右から左へと移動させながらゆったりと身体をまわす運動である。 これを仕事場でやるとなると玄関前のスペースしかない。 そこへ行って玄関ドアの前にたち、身体をまわすのである。 (誰かきたら、ちょっといやだな……)なんて思いながら。。。 そんなわけで60回ほどスワイショウをやって、席に戻った。 ゲラに向かう。 しかし、やがて眠くなる。 ちょっと前にテレビで、カフェインに頼らずに眠気を押さえるにはどうしたらよいかというテーマでいろいろと実験をしていたことを思い出した。その結果、冷たいタオルをうなじにあてがう、というのが一番効く、ということが分かったのである。 「冷えピタ、でも買ってこようかな」などと言っても、行くのも面倒くさいしなあ、なんて思いながら眠気と戦っていると、 製本屋さんの青木さんが束見本を持ってやってきた。 「もう眠くって困ってしまうのよね」と言うと、 「そういとき、僕はハンドグリップのようなもので握力を鍛えるんです。効果ありますよ」と言う。 握力と眠気。知らなかった。 「僕は車運転してますから、眠くなると握力を鍛えているんです」と青木さん。 そうか、それもいいかもしれない。 冷えピタとハンドグリップ。 わたしは、ふらんす堂の常備品として買い揃えておこう。と心に決めたのだった。 今週中にはきっとこの二つは、ふらんす堂にやって来ると思う、な。 今日はつくば市より、俳人の大西朋(おおにし・とも)さんが、ご夫君の大西氏と一緒にご来社くださった。 この度第一句集を上梓されることになり、今日はそのご相談に見えられたのだった。 大西朋さんは、俳誌「鷹」と「晨」の同人である。 第一句集は、鷹の小川軽舟主宰が選句をされており、序文をこれからいただくことになっている。 俳句を始められた経緯をうかがってみた。 名古屋におられたときに俳句をつくってみようと思い、たまたま入会したのが俳人の宇佐美魚目さんが指導される句会だった。 宇佐美魚目が何者かもわからずに、飛びこんだ句会だった。 はじめての句会が終わるとすぐに書店に行って宇佐美魚目の句集を買い求めたのだった。 家に帰って句集を読み出すやいなや衝撃を受けたのである。 それは「俳句」と自分がおもっていたものとは全然違う、もっともっと手強い言葉の世界があったのだ。 「それはもう驚きでした。とても手の届かないような、俳句ってこんなものかなって思っていたものが吹き飛ばされてしまったようなショックでした」と大西朋さん。 宇佐美魚目の下で俳句をはじめた朋さんだったが、ご夫君の転勤のため約半年ほどしてつくば市へと引っ越すことになる。 「ですから、宇佐美先生に指導をうけたのは、半年ぐらいなんです。ほとんど言葉もかわさず、つくった俳句をだまって見てもらう、ただそれだけの時間でした。」 しかし、最後の指導のときに、宇佐美魚目さんは大西朋さんにある言葉をかけたという。 その言葉はと、 ここで、紹介したいが紹介しない。 大西朋さんに承諾をいただいていないこともあるが、 朋さんにとってとても大事な言葉であり、いまの朋さんを支えてきた言葉であるので、ご自身が語るのならともかくわたしがたやすく紹介してはいけない、と思っている。 しかし、それはとてもさりげないひと言であるが、朋さんという俳句を志す人をちゃんと見据えた言葉だったのだ。 宇佐美魚目という俳人に出会えたことは、たった半年であっても、いまご自身が俳句をつくりつづけるための大切な時間だったのだ。 師と弟子が出会う、ということの不思議さを垣間見たような気がした。 大西朋さん。 人工知能などの研究者でいらっしゃるご夫君とつくば市で畑を耕しながら、5匹の猫と暮らしておられるという。 日々食べる野菜は自分たちの畑で作ったものしか食べないということ。 「トウモロコシとズッキーニは断然自分たちでつくった方が美味しいということがわかりました。トマトはむずかしい、季節のものしか食べられないので、夏は胡瓜ばっかり、冬は白菜ばっかりなんてこともあります」 畑仕事をするのは、最近はもっぱらご主人の方で、 「わたしは句会にばかり行ってしまってます」とにっこりされたのだった。 #
by fragie777
| 2017-06-26 19:32
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6月25日(日) 旧暦閏5月2日
こんなさまをしている野菜であるとは知らなかった。 昨日の朝でかける時に顔見知りの若者に会った。 「これから蛍見にいくんだよ」って言うと、 「へえー、大人の遊びですね」。 ふーん、 そう思うのか。。。。 またひとりアニメ映画作品をつくる監督を知った。 湯浅政明(ゆあさ・まさあき)。 今日はその湯浅監督のかなりの熱狂的ファンであるという人間に誘われて、 という映画を見に行った。 面白かった。 へえーって思った。 いままでみた(と言ってもそれほどたくさんのアニメは見ていない)どのアニメとも違うものがあり、奇想天外なストーリーでもそれに文句をつけさせないような圧倒的なストーリー展開と奔放と言っていいくらいのアニメーションの躍動感に満ちて、日本のアニメーションってすごいんだなあ、とびっくりしてしまった。 それに音楽がいい。 すこし前にかなり話題になったアニメ映画を見たのだが、わたしはこの映画については音楽がしっくり来なかった。きっとわたしの感性がそれについていけなかったのだと思うのだが、今回の「夜明け告げるルーのうた」は、こう、ぐっとくるものがあった。 いまさらであるが、音楽がいかに映像にとって大きな意味をもつか、ということをこの映画で思わされたのだった。 鉄腕アトムや鉄人28号で育ったyamaokaおばさんは、けっこうなカルチュアショックを受けております。 すごいもんよ。 日常にちょっと鬱屈している方におすすめのアニメ映画である。 #
by fragie777
| 2017-06-25 22:32
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6月25日(土) 旧暦閏5月1日
これから、蛍を見に行きます。 ここは石田郷子さんがくらす飯能・名栗の山雀亭。 蛍が現れる暗さになるのを友人たちとまっているところ。 その前にワインをご馳走になる。 そして今は、家に帰ってこのブログのつづきを書いている。
蛍はどうだったかって。 すばらしかった! いままで何度か名栗に来て蛍を見ているが、今回が一番たくさん飛んでいた。 どのくらいかって。 こんなもんよ。 あちゃ。。。。 写真に撮ったら真闇がうつるばかり。 ごめんなさい。 こんなんじゃ全然ないのよ。 でも、まんなかよりちょっと上の方にかすかに傷のような白いものがあるでしょ。 これ、蛍。 川の上を飛んでいるの橋の上から撮ったんだけど。 そう、そのゴミみたいな点。 あっちに飛び、こっちに飛び焦点をどこにしぼったらよいかわからないほど蛍の競演(?)だったのだけど、本当に残念。 昼間はちいさな山登りをした。 これは水木の花の一種で「熊野水木(くまのみずき)の花」と郷子さんに教えてもらった。 めずらしい花を見つけた。 またたびの花である。 わたしったら、「むささびの花」なんて覚えてしまって、あとで笑われた。 でもなんか似てない。 って、似てるわけないか。 むささびは動物だからね。 いまごろの季節になると、葉の一部が真っ白になって遠くからはまるで花が咲いてみえるようなまたたびの木である。 そして猫が大好きな。。。。 まぶしいほどの青葉。 これはモリアオガエルの卵。 山歩きの間中老鶯が鳴き、めずらしい花にも触れて気持ちのよい山歩きとなったのだった。 夕食をとったレストランの猫。 夕食は生ビールと郷子さんおすすめの「ステーキ丼」。 おいしゅうございました。 #
by fragie777
| 2017-06-24 18:53
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