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9月26日(火) 旧暦8月7日
歩いて出社。 歩くのはとても気持いい季節である。 白薔薇を咲かせている家があった。 薔薇を育てて咲かせるなんてわたしの人生にはないけど、こうやって他所の家の薔薇を眺めることができる人生は素晴らしい。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 クーターバインディング製本 180頁。 俳人・日原傳(ひはら・つたえ)の第4句集である。第3句集『此君』(2008年刊)では第32回俳人協会賞を受賞されている。平成20年(2008)から2017年までの作品を収録。日原傳さんは、昭和34年(1959)年山梨県生まれ、東大学生俳句会に入会し、小佐田哲男、有馬朗人、山口青邨の指導を受ける。現在は「天為」同人・編集顧問。大学で中国文学を教えておられる。漢詩も作られると伺っている。 句集名の「燕京」は北京の異称。平成二十三年の四月から一年間、交換研究員として北京大学構内の勺園五号楼という宿舎で暮らした。小さな子どもがいたため、旅には出ず、妻子とともに大学構内でひっそりと過ごした。その一年間の生活が、もっとも強く記憶に残っている。句集名を「燕京」とした所以である。第Ⅲ章はその北京滞在詠で構成した。 「あとがき」を紹介したが、「平成二十三年の四月から」とあるが、この年の3月に東北大震災があり、その直後の渡航となったのである。ちょうどこの同じ年に日原さんは、ホームページ連載の「素十の一句」をお願いしており、震災、渡航、留学の年と重なり大変な状況のなかで連載を続けていただいたのだった。そのような状況にもかかわらず、『素十の一句」は充実した内容で、素十を学ぶには格好の一書として人気がある。わたしも愛読者の一人である。 本句集『燕京』は、軸足のぶれない落ちついた詠みぶりと清涼のまなざしがつらぬく句集だ。(こういうまなざしにはなかなか出会えない) 好きな句はたくさんあって紹介しきれないほど。 いくつか紹介したい。 新しき鯉を入れたる雪解水 縄跳びやときどき見ゆる縄の色 地の果てに売る鮟鱇のうらおもて 秋燕沙漠に影を流しけり 狐火を語り講義の終りけり 鬼となるべく節分の帰路の星 そのかみの燕の都のすみれかな 夏燕湧くごとく又降るごとく 初蝶は黄なり法隆寺の方へ 蝌蚪の押す木片やがて廻りだす 雪解川小学校の灯りたる 花冷の手を差し出して別れけり ゆるやかに踊る山河のやさしさに すぐ泣く子すぐ笑ひだす福寿草 剪定の一人一人の脚立かな 鯉跳ねて祭の人を驚かす はんざきは手足幼きままに老ゆ 靴紐をはじめて結ぶ端午かな 花の山熊の剝製見てゆけと 学校のしづかに螢袋かな この助詞の「に」に立ち止まってしまう。この「に」が一句におおいなる時空を呼び込んでいる。静かな時にという時間をしめす「に」であり、「静かな場所にという「に」でもある。「学校」という堅牢な大きな建物と「螢袋」という小さな可憐な植物との対比も面白い。そして学校は人間をたくさん入れることのできる大きな器、螢袋もまた「袋」と記されるようにひっそりとなにかが入っているような気配をみせる。学校は遠景に小さくなっていき、螢袋の大きさが残る不思議な一句である。 暑きゆゑ少しおろかに暮しをり 細見綾子の句に「暑き故ものをきちんと並べをる」という句をがあるが、この日原さんの句にふれたとき多くの人はきっと細見綾子の句を思い出したのではないだろうか。この句は細見綾子の句とは反対の趣がある。きちんと並べるのではなく、「少しおろかに暮ら」すという。おろかに暮らすって具体的にどういうことなのか、それは人それぞれであるけれど、わたしが思うに作者の日原傳さんは日ごろはきっちりした生活をしておられる方なんだろうと思う。「おろか」は「疎か」の意味であるとすれば、いつもよりすこし大雑把に手抜きで暮らすという意味、「おろか」が「愚か」の意味であるとすれば、しかしおよそ学者さんである日原さんには考えられないがすこし痴呆的におちゃらけて暮らす(いったいどんな)という意味、いずれにしても「疎か」を語源とするらしいから、まあ、適当にやろうよっていうことかなあ。わたしなどは常におろかに暮らしているので、(日々夜寝るときに反省する。もっとどうにかならないかって)暑くても寒くても愚かさは変わらないが、やはりきちんとされている作者であるからこそ、「少しおろかに」が意味をもってくる。こういう風に言える人に憧れてしまうyamaokaである。 本句集の装丁は、和兎さん。 日原傳さんは装丁、造本、まったくのお任せしてくださった。 和兎さんと相談してクーターバインディング製本でいくことに決めた。 深緑が基調の色である。 タイトルはホットプレスによる押し。 裏から見るとこんなふう。 表紙は、深緑の用紙に文字は白インク。 見返しも同じ用紙。 扉。 文字は深緑。 クータ―バインディング製本はこうしてみると本当に美しい。 格を感じさせる清潔な一冊となった。 (こういう本がわたしは好き) 虫売の一夜の店をたたみけり 好きな一句である。虫の命もはかないが、虫売という商売もはかないものである。畳んでしまえば跡形も残らない。ともにはかない命運にあるもの同士のあわれさがのこる。そのあわれさも、虫の命の軽さのようにあわあわとしている。 虫といえば、わが家は目下草ボウボウなので、このところ虫の夜である。 虫の音に囲まれている。 今日も虫の家に帰るとするか。。。 #
by fragie777
| 2017-09-26 20:06
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9月25日(月) 旧暦8月6日
昨夜ふたたび「書原」に行って本の匂いのなかでしばらくをすごした。 大好きな匂い。。。 一般書のところで本を捜していると、あらまっ、北大路翼句集『時の瘡蓋』があるではないか。 ああ、置いていてくれたんだ。。。 わたしはすこし感激してしまった。 やっぱりいい本屋さんだ。 仙川から「書原」が消えてなくなってしまうのは、まるでこの世界から本屋というものがすべてなくなってしまうかのよう。 こんなに悲しい気持になるとは思ってもいなかった。 結局、金井美恵子の最新小説『カストロの尻』その他を購入して、「書原」の本買いのシメとした。 美しい真紅の本であることもえらく気に入ったのだった。 すこし前にこのブログで、戦後の文学者や思想家たちを世にだした編集者である松本昌次さんの話しを少ししたと思うが、あれからふたたび松本氏よりご本をいただいた。 松本氏への聞き語りというかたちで聞き手は上野明雄さんと鷲尾賢也さん。この鷲尾さんは歌人の小高賢さんである。残念ながら2014年の2月に急逝されてしまった。 この本『わたしの戦後出版史』(2008年(株)トランスビュー刊)のなかより興味ふかいものを少し紹介したい。 安東次男氏についてのエピソードである。 ーー安東次男さんと、未来社、松本さんとの取り合わせはやや異色な感じがしますが。 松本 そのころ、わたしは世田谷・豪徳寺のあたりに住んでいて、安東さんのお宅と比較的近かったので、妻なんかとよくブラリと遊びに行ったりしていました。あるときなど、先日まで棚に飾ってあった金目のものとおぼしき骨董品や、本棚にぎっしりと並んでいた洋書がゴッソリ消えちゃっているので、訳を聞くと、「いや、株で失敗してさ、みんな売り飛ばしちゃったんだよ」と、ケロリとしているんですね。(笑)。実に思い切りのいい人でした。また、たとえば年上の作家である野閒宏さんの前であろうと、わたしのような年若き一介の編集者であろうと、まったく平等な口のきき方をするんですよ。たしか剣道は何段かの腕前でした。「これから居合抜きを見せるからじっとしてろ。こわがってうっかり手をあげたりすると指が飛ぶぞ」なんて脅かされ(笑)、本当に真剣が頭のてっぺんすれすれで、一瞬風を切りましたね。頭の回転がたいへん早く鋭い方でした。東大では経済学部で、マルクス主義的立場に立っていて、『資本論』はフランス語で読むとよくわかるから教えてやるといわれたんですが、残念ながら実現せずじまいでした。 ーー評判の高かった『風狂始末ーー芭蕉連句新釈』(筑摩書房、1986.6)からは想像できない一面ですね。 松本 40年代後半から50年代にかけて、安東さんの詩人・評論家としての、さらにフランス文学の紹介者としての活躍には、目をみはるものがありましたね。『六月のみどりの夜わ』や『死者の書』など、いまは手元から失われてしまった著書も含めて愛読し、ずいぶん勇気づけられました。(略) ー―花田清輝と埴谷雄高と第一次戦後派の作家とは、かなり異質な出会いといっていいですね。 松本 ですから本造りもなかなか凝るんですよ。『駿河歌の周辺』の題字は安東さんの師・加藤楸邨にもらい、上製本で貼函、表紙は和紙張り、内外の関連図版もモノクロですが十六ページ二十一点、当時の未来社では安東さんのいいなりに贅を尽くしましたので、実は西谷さん(未来社社長、山岡注)に対して内心ヒヤヒヤものだったんです。幸い、「讀賣文学賞」を受賞し、本当にホッとしました。(笑) その勢いにのって、今度は『芸術の表情』を作ったんですが、これまたA5判上製・布張り貼函入り、口絵はゴッホ、ダリから須田国太郎、さらになんだかわからない焼き物(笑)などの、カラー写真十四ページ十五点、そしてシャガール七十点を収め、そのころでは高定価の千八百円でした。「日本の民話シリーズ」が三百八十円、A5判上製・貼函入りの『花田清輝著作集』でも九百五十円でしたからね。『芸術の表情』で忘れられないのは、口絵に収録した福田平八郎の有名な『雨』の写真の版を天地逆に刷っちゃったことです。だから雨が下から降ってるんですね。(笑)。本ができてから気がついたんですが、「まあ、いいさ」と安東さんはとくに咎めもせず、小さな訂正カードをはさんで済ませました。図版収録の許可なんて何ひとつ取ってないし、それで平気といういい時代でした。(笑)。その後、安東さんは芭蕉連句の評釈などで次第に大家となり、なんとなく足が遠のき、五年前でしたが、お亡くなりになったことも新聞で知り、遠く思いを馳せた次第です。 わたしは安東次男という詩人を思い浮かべながら、いい話しだなあと思いながら読んだのである。 安東次男のものはふらんす堂でもいくつか刊行させてもらい、わたしも何度か豪徳寺の家を訪ねた。 もう晩年近いころであるが。 白皙の鼻梁の通った風貌に(つまりはいい男ってこと)凜とした佇まいで、正面に正座をしておられたときは、それに正座をして向き合うわたしは、もうぶっ倒れそうだった。 しかし、松本氏とのやり取りを知ると、一面こんな磊落さと潔さがあり、まさにダンディズムの極北にあるような人だったのだと思った。 こういうカッコいい心意気をもった人間は、現代ではもう絶滅危惧種であるかもしれない。 凝りに凝った本をつくれた時代、それもたいへん羨ましい。 午後にお客さまがひとり見えられた。 小倉京佳さん。 第一句集の句稿をもってご来社くださったのである。 小倉さんは、「知音」に所属されている俳人である。 小倉京佳さん。 句集には代表の西村和子さんが序文を、行方克巳さんが帯文を寄せられる。 今日はいろいろな見本の本をご覧になられて、おおよそのイメージを決められてお帰りになられたのだった。 厚木市にお住まいということ。 「成城までバスで行かれるとよろしいですよ」とお教えし、 「成城のお屋敷街は楽しいですよ」とミーハーなyamaokaは余計なことをお教えしたのだった。 #
by fragie777
| 2017-09-25 19:24
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9月24日(日) 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ) 旧暦8月5日
今朝の新宿の空。 今朝の太極拳でのこと。 最後に立禅(りつぜん)をするのだが、そのとき 「足の裏が大地とつながっているように」と橋口澄子先生が言う。 「いいこと、皆さん、足の裏というのは、単なる足の裏側のことではありません。くるぶしから下全体を言います」と更に橋口先生。 (くるぶしから下全体か、、、、う~む、むずかしいぞ) 太極拳はやればやるほど、奥が深いのである。 先日このブログでも触れたが、仙川商店街にある本屋さん「書原」が今日で閉店になる。 ほんとうに残念である。 昨日と今日とわたしは「書原」に行って、しばらくの時間を過ごしかなり沢山の本を買い込んでしまった。 普通の本屋さんでは置いてないような本がいろいろとある。思想関係、宗教関係など、あるいは文庫本などなどそれは多彩である。こういう本屋さんはなかなかないのである。 ふらんす堂の本も詩歌の棚にすこし置いて貰っていたのである。 有難いことだった。 が、 閉店である。。。 今日買った本のうちの一冊に新潮社の「とんぼの本」シリーズのものがあった。 この「とんぼの本」シリーズは写真でや絵でみせる面白い企画本だったが、いまは揃えている書店がほとんどない。 これは、メッケモンである。 谷口慎也さんが代表をつとめる短詩型文学誌「連衆」(2017・9)で、小津夜景さんのことがとりあげられている。谷口慎也さんによる「ことの葉めぐり」という最初のページである。紹介したい。 まだ踏まぬ切手の国や種をまく 小津夜景 作者は1973年、北海道生まれ。第一句集『フラワーズ・カンフー』で今年「田中裕明賞」を、その前年には「攝津幸彦賞」(準賞)を受賞。突然ネット通信で俳句・評論を発表し始めてからわずか数年後のことである。結社誌が形成するギルド的な修練の〈場〉を持たず、まさにネットの中から一挙に登場した人。この鮮烈なデビューは多くの若者の共感を呼んでいるが、先ず何よりもそれは、この句集が俳句という単一の領域を超越しつつ、作者の文芸観・芸術観を柔軟に取り込みながら、なおかつそれが多様な方向性を持ちながら、まさに「俳句」として成立している処にある。 だが誰もが、いきなりこういう離れ業が出来るわけではない。かなりの読書家というかの女には、創作の前提としての「先行するテクスト」(pre-text)がある。いわばそれは文芸的・芸術的滋養というものであるが、またそれとの相関性によって成立する句集中の連作や群作は、まさに「舌頭に千転」すればするほど、俳句という定型文学がいかに音韻・音調の力に支えられているかがよくわかる。他に〈包帯をほどき焼け野のそらもやう〉〈月の矢をいだきてまゐる通信使〉〈啼くによき離宮あれかし鶴姉妹〉〈いつまでも屍体だりんと鳴く虫だ〉〈火の騒ぎありて華やぐオラトリオ〉〈夢殿やくらげの脚をくしけづる〉ー何処か攝津幸彦を思わせるが、小津の作品群には、文体の意味性が、まるで連歌のように、そっくりそのまま詩的な思惟性として明確に提示されているのだ。 おなじく「連衆」の書評欄で、金子敦句集『音符』が谷口慎也さんによって評されている。抜粋して紹介したい。 著者は現在「出航」所属。2012年~2016年までの作品を所収。俳句的なお付き合いもすでに十余年に及ぶが、その間私は、作品のみならず、その俳人としての態度を一度も疑ったことがない。要するに彼の言葉を前面的に受け入れられるのである。 句集三句目に〈初夢のどこでもドアを開きけり〉というゆかいな句があるが、敦さんはその〈ドア〉を日常のど真ん中で開けてくれる。そこは私たちが普段見落としていた場所であり、そこを開けられると断然世界が新鮮になるー〈ボールペンの先端は球鳥渡る〉〈本ひらくやに牡丹の崩れけり〉〈方眼紙にみづいろの罫小鳥来〉〈砲丸が地球にどんと着いて夏〉 (略) 誌面の都合でその特質をいちいち挙げるのは叶わないが、どこでもドアの新鮮さに、うっすらとした陰影が付き纏っているのも魅力である。〈屋上に小さき鳥居しぐれ来る〉〈ひとすぢの稾の突つ立つ夏帽子〉〈春惜しむ画鋲を深く刺し直し〉このうっすらとした陰影も、他の句に混じるとき、それは消せない刻印となってくる。ひとことで言えば、彼はある種の「清明な抒情体」であり、その陰影もまた美しい。 さっ、帰ろう。 もう一度、 「書原」に寄って別れを惜しむことにしようかなあ。 #
by fragie777
| 2017-09-24 19:03
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9月23日(土) 秋分の日 旧暦8月4日
今日は午前11時半より神奈川県新百合ヶ丘の「ホテルモリノ」において 「神蔵器名誉主宰を偲ぶ会」が行われ、伺う。 会場には花に囲まれた遺影が、その傍らには遺愛のものが飾られている。 既刊句集。左から2番目の『有今』は、わたしが牧羊社時代に担当したもの。なつかしい。 余談であるが、このシリーズは大変充実していて、ほかに橋本鶏治二句集『鷹の胸』、津田清子句集『縦走』、山田みづえ句集『手甲』などが刊行された。 「風土」を継承した南うみを主宰の弔辞を紹介したい。 「風土」の俳句理念として桂郎師の「てめえの面(ツラ)のある俳句をつくれ」がありますが、神蔵器先生はさらに「命二つ」を加えられました。わたしは桂郎師の言葉を背伸びせず、身の丈にあった言葉で俳句をつくることが個性に繋がると解してます。また、先生の「命二つ」の言葉は自分だけでなく、相手の命と真摯に向き合って得られる言葉を俳句に定着しなさい、と解しています。先生との個人的なことになりますが、「命二つ」を胆に命じたことがあります。今年の鍛錬会は上野でありますが、二〇年ほど前にも上野で行ったことがあります。わたしは、浜明史氏を通じて平成元年に先生に師事していますので、まだまだシンマイのころです。その頃は主宰や幹部も部屋は雑魚寝でした。こともあろうにわたしの部屋は器先生をはじめ「風土」の中核を担う方々と一緒でした。緊張して眠れませんでした。突然暗闇の中でばりばりと紙を開く音がします。目を凝らすと先生が闇の中で原稿用紙に何か書きつけているではないですか。俳句です。先生が俳句を作っているのです。先生の俳人魂に触れた思いがしました。さらに次の日の句会の時です。「鳥渡る空のはるかに麒麟の眼」をつくり提出しました。互選でつぎつぎ選に入るものですから、先生の秀逸か特選は間違いないと心躍らせていました。しかし、並選が終わってもわたしの句は出ません。いよいよ特選かと固唾を呑みましたが、とうとう最後まで読み上げられることはありませんでした。ボツです。悔しくて家に帰ってからなぜだろうと考えてみました。一週間ほどして、「はるかへ」だと気がつきました。「はるかに」では麒麟の目は空にあります。地上からの麒麟の目にするには「はるかへ」なのです。「鳥渡る空のはるかへ麒麟の眼」と直し、わたしは再度「風土誌」へ投句しました。先生は、その句を「行人抄」に採ってくれました。わたしは先生の無言の教えをやっと理解したのです。これは「てにをは」の助詞の問題だけでなく、「麒麟」という「命」とどれだけ向き合ったか、そういうことをわたしに示したものでした。このことが先生の「命二つ」の理解の糸口になりました。わたしは、作句の壁にぶつかった時、折にふれこれを思い起こし、作句の指針としています。この度神蔵先生から主宰を引き継ぎ、この俳句精神の重要さをひしと感じております。しかし、まだまだ未熟なわたしであります。器先生、これからも天上からご叱責ください。また「風土」に集まる方々を温かく見守って下さい。わたしたちは先生の俳句精神をそれぞれの胸に前に進んで行きます。最後に先生の魂がわたしたちを包み込んでいるような句を読んで先生を偲ぶ言葉を終わりたいと思います。 山一つあたためてゐる冬すみれ 神蔵 器 ありがとうございました。 落ちついたなごやかなとても良い「偲ぶ会」でした。 もう一度、師・神蔵器の志を胸に刻む、そんな思いが行き渡っている「偲ぶ会」であったと思います。 南うみを主宰をはじめ、「風土」の皆さま、今日は有り難うございました。 帰りは新百合ヶ丘かから成城まで電車で戻り、そこからすぐにバスにはのらず成城のお屋敷街を見ながら歩いて帰ることにする。秋の爽やかな一日である。 疲れたらバスに乗ろう、そんな風に決めてしばらく歩く。 お屋敷街が終わろうとするあたりにバス停がある。 そこからバスに乗ることに。 しばらく待っているとバスがやってきた。 (おお、ラッキー) 乗り込んでほっとしながらバスに揺られていると、あれれ、バスは途中で曲がるではないか、 そこんとこ曲がるところじゃないんだけど。。。 (あーあ、) わたしは間違えたバスに乗ってしまったのだ。 しかし、 である。 このバス、仙川の隣の駅のつつじヶ丘まで行くバスである。 いいわ、このまま乗ってつつじヶ丘まで行っちゃおう。ということで、 わたしは初めて見る景色を楽しみながら、秋の長閑な一日を回り道することになったのである。 #
by fragie777
| 2017-09-23 19:21
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9月22日(金) 旧暦8月3日
武蔵野のからたちの実。 ピンポン球くらいの大きさで、桃の肌のような感触。 嬉しいお知らせがひとつ。 中井保江句集『青の先』が、宇治市主催の第27回紫式部市民文化賞を受賞。 中井保江さま、ご受賞おめでとうございます。 本賞については、「ふらんす堂通信」で特集を組むつもりである。 18日付けの京都新聞の「詩歌の本棚」で彌榮浩樹さんが、三句集をとりあげて評しておられる。 太田よを子句集『飛翔』(編集工房ノア刊)、國弘正義句集『寒晴』(参の会刊)、後藤立夫句集『祇園囃子』(ふらんす堂刊)の三冊。 句集『祇園囃子』について紹介したい。 『祇園囃子』は後藤立夫の第三句集にして遺句集。平成十七年から二十八年までの作品を収録。 襟巻の狐の誰にでも似合ふ ミモザの黄てふはいきなり増えさうな 穀象のぞろぞろ証拠出るごとく 抱いてほしさうにも置かれある火桶 こう言われると全くその通り。何とも的を射た文言である。しかも、こうした軽やかな認識は、これらの句群によって初めて開陳されたものだ。〈季題の本質〉を射抜く表現が、納得を超えて〈眩暈(めまい)を感じさせる不思議〉をも現出させる。やわらかな自在なおかしみに、口元が緩む。 光り出すやうにこほろぎ鳴き始む 梅ケ香と言ふ輪郭のやうなもの 赤になり青になる音種袋 石鹸玉とは丸さうに見ゆるもの 視覚・聴覚・触覚…その自在な融合が、日常の〈俗〉を〈不思議〉に変える。 昼の虫夜が怖いのかも知れず 風吹いて噴水の横向きになる ばらばらにして売るものに鱈場蟹 見馴れない色の生れて独楽廻る 繋がりて時代祭の時代かな AはXだ、という定義。Yのような、という比喩・見立て。いわばその羅列なのだが、どれもどれもみずみずしい。魅力的な〈俳句の原点〉がずらりと並んでいる、そんな印象を強く受けた。何度も繙きたい刺戟的な句集だ。 昭和十八年生まれ。平成二十四年「諷詠」主宰。平成二十八年六月没。享年七十四歳。 ご本人の立夫氏が生きておられたら大変喜ばれた評であると思う。 さて、新刊句集を紹介したい。 四六判上製帯有り。 194頁 著者の日高玲(ひだか・れい)さんは、1951年東京生まれ、東京・世田谷区在住。1973年ごろより「東京義仲寺連句会」で連句に親しみ、1996年に東明雅主宰「猫蓑連句会」に入会しその後退会。2003年「海程」入会、2007年「海程新人賞」受賞、現在は「海程」同人。本句集は第1句集で、序句と序文を金子兜太主宰、跋文を安西篤氏が寄せている。 小鳥来て巨岩に一粒のことば 兜太 序句である。序文も著者の日高さんの希望によって兜太主宰の原稿をそのまま印刷したものを収録。 螢火や野生の相(そう)となりて死す 日高玲 夫君他界のときの作とおもうが、俳句の会でお目にかかって間もなく、連句の会の常連でもあった夫君が亡くなった。夫妻仲よく、連句と俳句に親しんでいたのである。そして、付合いの手法を一句の句作りにも活用して、独特な俳句の世界を築いてもいたのだ。眼が大きく明るい。 序文を抜粋したが、「付合いの手法を一句の句作りにも活用して、独特な俳句の世界を築いて」とあるように連句よりの出発ということが俳人としての有り様を大きく決定づけたのである。 「短篇集」とは面白い句集名だ。おもわず、これ句集?ってもう一度タイトルを見てしまうような、喚起力がある。この句集はすべて日高玲という著者のあきらかな編集意図に基づいて編まれたものである。跋を寄せた安西篤さんの文章を紹介したい。 日高玲については、かねがね「スケールの大きい知的形象力で勝負する本格派」と見ていた。今回、第一句集を上梓することになり、待望の作品集に出会えて、やはり期待を裏切るものではなかったことを、嬉しく思っている。(略) 全体は十章によって構成されているが、おおむね時系列を辿りつつも、必ずしも編年体というわけではなく、モチーフによって編み直している。さらに各章は、ほぼ七句編成となっていて、十章で三十五の短篇があり、全体は二百四十七句で構成されている。ここに『短篇集』という表題の所以がある。句集に新しい形式の工夫が凝らされているのだ。所与の方法に甘んじることなく、独自の形式を提起したともいえよう。こうした工夫は、日高の連句出身の経歴と無縁ではない。一篇七句の短篇によって、連句的手法の展開を図っているのだ。 日高によると、「連句では、自の句(私が主体の句)、他の句(第三者が主体の句)、場の句(景の句)を自在に操作して森羅万象を材にして一巻に仕立てます。戯作者がドラマを創作するのに似たところがあります。また、一人称と三人称が自在に交錯する小説のようでもあります」という。これは多くの作者が無意識のうちに実践していることかもしれないが、このように自覚的に方法意識として持っている著者は少ないのではないだろうか。 連句を意識した緻密な計らいのもとに作品が組み直されて一句一句が呼応しながら展開していく、きわめて知的な操作によって俳句が展開していくのである。安西篤さんは、「所与の方法に甘んじることなく、独自の形式を提起した」と語る。そして、7句ひとかたまりとなっている「短篇」をいくつかとりあげて鑑賞していく。ひとつだけ紹介してみたい。 よみ人しらず 春の夜の水音よみ人しらずかな 百千鳥円の中には井戸ありて 地虫出づ子規の頭蓋の影ぼうし 春蘭や乳の匂いの滲みだして 野遊びのむかしのひとを語らざる 春眠の海に沈みし鐘の声 かたくり咲く旧仮名遣いの暮し向き 冒頭の「春の夜の」が発句、「百千鳥」が脇句の位置にあって、「地虫出づ」は第三の転じとなる。もちろん連句ではないので、句はすべて五七五調で統一されている。この〈転じ〉方自体に思い切った飛躍がある。地虫に「子規の頭蓋の影ぼうし」を見つつ、「春蘭」「野遊び」と野外の場で受けて、六句目「春眠の海」へと向かう。そして最後に「旧仮名遣いの暮し向き」と総括する。しかも表題は「よみ人しらず」ととぼけて、連句でいうところの〈他の句〉(第三者主体の句)を演出する。こうした構成の味わいは、一句一句を取り出しては分からないものである。日高俳句は作品の構成によってその真価を発揮するものであることに気づいた。まことに金子兜太師もいうように、連句の「付合いの手法を一句の句作りにも活用して、独特な俳句の世界を築いてもいたのだ」。この辺りの呼吸は、連句経験のないものには十分には分からないかもしれない。 斬新な感覚と古典的な韻律によって映像を多彩に構成するには、連作七句の形式は不可欠のものだった。七句で一篇の短篇が生れるわけである。 なるほど、こういう風に読んでいくのか、と。連句の知識がないと読みこなせないものかもしれないが、本句集を読むことによって新しい俳句の読みを味わうことができるのではないか。安西氏の読みを手掛かりにして構造的に俳句を読んでいく面白さを見いだすのではないか。そして、安西氏は言う。 句集を編むに当って著者が作品を素材に、短篇のテーマを再構成したように思えてならない。それは一種の編集的想像力ではないだろうか。それは日高の資質といっていいものかもしれない。 とはいえその資質は、個々の作品の自立性を十分に保証するものでもある。 たしかに日高玲さんは、編集者的目線を持った方だ。たとえば、金子兜太さんの序文をこんな風におもいきって原稿そのままの形を収録してみせる、これはなかなか勇気がいる。しかし新鮮な試みである。句集を編むということを人任せにしないで、すべて自身の眼でとらえ直して作りあげていこうとする、そういう意味で本句集『短篇集』は装丁にはじまりすべてが日高玲さんの句集づくりの思いを実現したものとなった。 ここで担当の文己さんの好きな句のなかからいくつか紹介したい。 九条葱姉はそろりと雨戸引く 鳥類学者シャツに氷河の匂いして ががんぼとわが重心の在りどころ 鏡面に朝のカマキリ流離なる グライダー羽化す夏野の腕の中 かたつむり頭あずける終電車 十六夜や羽音のように妻帰る 絹のように猫のさ走る晩夏かな 水引草父の眠りを母が聞く お茶漬けの箸のさざ波帰燕かな 距離感のつかめぬ微笑草紅葉 舌に触れる月光のあり春の鹿 流氷や赤子の耳の影淡し よき前歯持ちて死にゆく白すみれ まんさく咲くひとを去らせて素となりぬ 二〇〇二年に連句の友人から、青山にあるツインビルで開講の金子兜太俳句教室にまだ席が空いているから来ないかと誘われて、好奇心から教室を覗いてみました。これが俳句との初めての出会いでしたが、当初は俳句に深く関わる気持ちはありませんでした。 閉まりかけのエレベーターにひょいと軽く乗ってきた人、見ると金子兜太先生その人でした。現在、九十七歳の先生が八十三歳のころです。野性味ある乾びた声で、素人が苦心惨憺して五七五に仕立てた凡句を、作者の内面をすっかり解き明かした上、「へい、そうでござんすか、はい、さいなら」と軽々と抹消してしまうのですが、教室には笑いが絶えないのでした。先生のユーモア精神の広やかさ、温かさのせいでしょうか、句評は厳しいのですが、内心、不思議と救われるのです。創作の恵みとでもいいますか、浄化作用が働くのです。 時に、佳句を鑑賞されるとき、最後に「この感覚、この感覚」と口の中で微かにつぶやいて、美酒を味わい尽くすように詩美を味わっておられます。そんなとき、先生の首から上は、この世の外にあるかのようです。 こうして連句から俳句の世界へと、思いもかけず、より深く導かれました。 句集を編むにあたり、漠然と眺めてきた懐かしい景や、鋭く展開する時代の諸相、その流れの中で出会った創作者の表情が不意に浮かび上がり、交錯します。 それぞれ異種の物語を語るように、短篇を編むように、おおむね七句を一篇にし、束ねて十章にまとめました。様々な映像が重なり、暗示し合い、共振して、複雑な表情が醸されればと願っております。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 著者の日高玲さんのこだわりを具体化したものとなった。 カバーはなく、表紙のみ。 表紙の緑のクロスはご本人が選んだもの。 この落ちついたグリーンは知的な雰囲気とよくあっている。 見返し。 扉。 装画は、ご子息の日高真樹夫さんによるもの。 角背。 金の花布。 濃緑の栞紐。 シンプルにして重厚感と格調のある『短篇集』である。 よき前歯持ちて死にゆく白すみれ 一句のみの鑑賞は邪道であるかもしれないが、わたしはこの一句にとらえられた。文己さんも好きな句にあげていたが、不思議な味わいのある句だ。人間の死かあるいは動物の死か、死がなんと晴れ晴れと詠まれていることか。「白すみれ」に驚いた。「よき前歯」の健康的物質感、「白すみれ」の可憐さと清浄さ。死のあっぱれなまでの非情さを「白すみれ」が浄化しているのだろうか。 「ふぐ刺しの震えのように君寄り来」っていう一句に思わず笑ってしまった。いったいどんな震え?!好きだな、この句。 #
by fragie777
| 2017-09-22 20:30
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