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11月25日(土) 旧暦10月8日
むささびを見に行っていまもどったところである。 いまはまだ仕事場、真夜中の仕事場である。 で、 むささびは、いったい見られたのだろうか。。。。 むささびが棲んでいるという飯能の下名栗諏訪神社。 この杉の木のひとつにむささびは棲んでいる。 「むささびを見せたい」という俳人の石田郷子さんに誘われてわたしたちはやってきた。 この時は夕暮れの四時半ころ、五時頃になるとむささびが空を飛び始めるという。 それまで、わたしたちはむささびに気配を感じられないように押し黙って待ちつづけるのだ。 むささびの巣。 辺りが暗くなりはじめた。 しんしんと冷えが足裏からつたわってくる。 それでもわたしたちは静かに待ちつづける。 五時が過ぎ、五時半がすぎあたりが真っ暗になりはじめたころ、穴の中がかすかにうごいた。 むささびが顔をのぞかせた。(らしい) というのは、見た人と見なかった人がいる。 わたしは何かがみえたけど顔と認識できなかった。 それでも穴から出てこない。 ときどき顔をだし、またひっこみ、また顔を出す。 誰もがしびれをきらしはじめたその時、 いっしゅん空を何かかがさっとよぎった。 「あっ、飛んだ!」 「うんうん、風呂敷みたいなものが…」 むささびか滑空したらしい。 「見られた」という声もする。 やはりわたしは気配のみ、しっかと見ることができなかった。 こうしてむささびを1時間以上も待ちのぞんだのだった。 むささびの飛ぶややさしき男の眼 堀口星眠 むささびが飛んだとき、一緒にいた男たちの眼がやさしかったかどうかは、定かではない。 名栗の里は冬紅葉がきれいだった。 いち日の旅いち日の冬紅葉 宇咲冬男 もう12時をまわってしまった。 今日はむささびの夢をみることにしよう。。。 #
by fragie777
| 2017-11-25 23:36
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11月24日(金) 旧暦10月7日
畑中に意味もなく置かれていたもの。 アングルも決めずにシャッターを押したのだが、なんだか絵画的な趣がある。 昨日は「現代俳句協会70周年」の祝賀会に向かうまでは家にいて、ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」をずっとみていた 。なにしろ237分もある映画である。見終えたあともなんどか気になっているところを見返したりしていたら、出かける時間になってしまった。 四頭立て馬車が走るシーンの生々しい迫力、ルートヴィヒ扮するヘルムート・バーガーの洋服の着こなし、特に長目のコートを着たときの身体の線の美しさとそのエレガントさ、(美しい…)とわたしはうっとりとため息をつく。きらびやかな贅をつくした映像はなんどもみても素晴らしい。女性を嫌ったルートヴィヒ王ゆえに制服姿の美しい男たちが多く登場するのだが、これまたおおいに素敵、と。そしてエリザベート皇女を演じたロミ-・シュナイダーがクールな美しさを湛えている。ロミ-・シュナイダーの映画はいくつか観ているが、この映画のロミ-・シュナイダーは優美な緊張感がすばらしい。 ロミ-・シュナイダーって言っても、いったいどれだけの人が知っているだろうか。 ほら、あのアラン・ドロンと結婚した女優よって言ったとしたって、アラン・ドロン?ってという時代になりつつある。 余談であるが、わたしの友人でロミ-・シュナイダーによく似ている人がいる。 ということで、わたしはとびきりゴージャスにして退廃的な官能美にゆさぶられた時間を堪能してから、お祝いの会に赴いたのだった。 ホントに余計なことだけど、ノンシュバンシュタイン城やらヘレンキームゼー城などなどの城を映像体験したあとだと帝国ホテルの雰囲気もなんだかたいへんもの足らない。ホテルマンの制服と身のこなし、ワインのつぎ方ひとつとっても、比べてしまう。 ほんとバカよね。対比する問題じゃないだろ。。。yamaoka 。 どうも現実も空想も夢も一緒になってしまうyamaokaである。 新聞記事などを紹介したい。 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、『季語別松尾隆信句集』より。 大くさめ二十世紀よさやうなら 松尾隆信 「くさめ」はクシャミ。「くっさめ」ともいう。大きなクシャミを一つして二十世紀に別れを告げる。思えば、寒々とした百年だったというのだろう。戦争、恐慌、核爆弾、ああそれに自分自身が生まれたことも。『季語別松尾隆信句集』から。 すこし前になるが、10月26日付けの愛媛新聞は、土肥あき子さんによって志磨泉句集『アンダンテ』より。 秋惜しむ麒麟は咀嚼繰り返し 志磨泉 キリンの体長はおよそ5メートル。高い枝先の葉を舌を使って器用に巻き取る。実は牛と同様四つの胃を持ち、一度胃に収めたものを口に戻る反芻動物であることはあまり知られていない。キリンだけに胃から口までの距離を思わずにはいられない。秋が去ってしまうことに浮き沈みする気持をキリンの首を上下する反芻に重ねているようで、叙情に傾きがちに秋惜しむ心をユニークに描いた。「知音」同人。 11月11日の信濃毎日は、おなじく土肥あき子さんによって折勝家鴨句集『ログインパスワード』より。 貝殻は砂になりけり冬あたたか 折勝家鴨 冬のはじめは穏やかに暖かな日が続く。打ち寄せられた貝殻は日にさらされ、波に洗われて砂浜の砂となる。中国では晩秋、海辺で騒ぐ雀の群れが蛤になる。「雀海中に入りて蛤となる」という言葉がある。にぎやかに空を飛び回っていた雀が蛤となり、さらに長い時をかけて砂となる。きっと雀時代を思い出すような、踏めば音の出る鳴き砂になるのではないかと思い至る冬の日である。「鷹」同人。 東京新聞の11月4日づけの川口晴美さんによる「誌の月評」で、「詩の地平に踏み出していく女性」のひとりとして、丸田麻保子詩集『あかるい時間に』が紹介されている。 丸田麻保子の第1詩集『あかるい時間に』(ふらんす堂)では、人が生まれる前の時間や死んだ後の時間までイメージされ、滲むようなやさしさで及んでいく言葉の夢に似た手触りが深く心に残る。詩の描き出す地平には限りがないのだとあらためて思った。 本詩集は、「現代詩手帖」11月号にて時里二郎さんによって「詩書月評」で取り上げられている。 丸田麻保子『あかるい時間に』(ふらんす堂)は第1詩集だ。丸田の言葉にはこちらの世界の影がない。詩に差し込んでいる光が、こちら側の世界のものではないからだ。生まれる前の世界ですでに生きてしまった人が、不意にこの世界に押し出されてきたような不思議な違和感を呼吸している。 丈高い草花をかきわけ 足くびを、ぬらしながら すすんだ。 波のような草、あかるい滴 緑の向こうの、川のながれ 水のなかを漂う雲に重なるようにして 懐かしい顔がとおり過ぎてゆく 若い祖母 子どものままのいとこ あの子のおかあさん 光が、 散っている (「水を運ぶ」) 考えてみたら、いや考えなくとも、 明日ってお休みじゃん。 嬉しいな。。。 明日はうまくしたら「ムササビ」が見られるかも。。。。。。 じゃ。
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by fragie777
| 2017-11-24 20:19
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11月23日(木) 虹蔵不見(にじかくれてみえず) 勤労感謝の日 旧暦10月6日
今日は午後6時より帝国ホテルにて、「現代俳句協会70周年」のお祝い会があり、スタッフのPさんとともに出席する。 お祝いの会の前には、「俳句の未来・季語の未来」というテーマで宇多喜代子氏による講演とシンポジウムがあったようなのだが、失念をしておりそれは聞き逃してしまった。いずれ活字にまとめられるということなので、それを待ちたいと思う。 お祝いの会は、現代俳句協会の枠をこえて多くの来賓がづどうまことに華やかなものだった。 現代俳句協会は、1947年9月に、石田波郷、神田秀夫、西東三鬼が中心となって結成され、代表は石田波郷。創刊時の会員は38名、現在は6000名以上の会員数である。 本日は来賓をふくめて沢山の方々がつどって70周年をお祝いしたのだった。 ご挨拶をする宮坂静生会長。 昭和から平成にかけての戦後には、戦災、戦没者、抑留者、原水爆、さらに阪神淡路大震災、3・11、引き続くフクシマの原発災害という極めて悲惨な体験を重ねる中で、常に戦争を拒否し、「平和」を希求してきました。これこそ戦後俳人の一貫した生き方でした。俳句のユネスコ無形文化遺産登録を目指しているときだけに、初代欧州理事会議長へルマン・ファン=ロンバイ氏のいわれるようにデジタル世界の激昂に振り回されることなく、自然との調和の中に心の平和を願う俳句の存在がより貴重なものになっております。 最後に、私が常に心に秘めている、少し飛躍した短い詩を朗読し、式辞の〆にします。 大漁 金子みすゞ 朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ 浜はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう この鰮の哀しみを大事に受けとめたいと思います。 式辞の最後の部分のみを紹介した。 今日は金子兜太氏が元気なお姿をみせられた。 特別功労者のお一人として表彰された。 みなさんが兜太先生のところに行っては握手をもとめ、先生はおひとりおひとりににこやかに応えられていた。 「兜太先生、長生きをしてください」と申しあげると、 「うん、オレはするよ」って力強く答えられたのだった。 お父様の俳人・金子伊昔紅が作詞された秩父音頭を声を高らかに歌って会場を沸かせられた。 実はわたしも秩父出身で、この秩父音頭は小学校の時から踊ってきたもの。 だから一緒に歌えるくらいよく知っている。(わたしは絶対歌わないけど……音痴だし、いろいろと) でも、 兜太先生の歌声はなつかしくなかなか感無量だった。 今日はいろいろな方にお目にかかったのだが、久しぶりに夏石番矢さんにお目にかかった。 夏石さんはやっぱり面白く、その頭脳に内包している世界感の一端にふれるというか、わたしの旧姓を覚えていてくださって(その記憶力もすごい)、そこから説き起こされる話は奇想天外にも思える夢のある飛躍で、しかし彼が語るとその知識の厚い層から掘り起こされるものゆえ説得力があって、ほんの5分くらいの会話だったけれど、わたしは思わず「夏石さん、面白いですねえ」と叫んでしまった。その話はもう少し聞きたいところだった。(なにしろわたしのルーツにかかわることなので……) ああ、もう12時をまわってしまった。 では、おやすみなさいませ。 #
by fragie777
| 2017-11-23 00:06
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11月22日(水) 小雪(しょうせつ) 旧暦10月5日
水漬き落葉。 というような言い方があるのだろうか。 小雪とは、まだ本格的な寒さには至らず、ちょっとした雪の意としての「小雪」であるということだ。 さっそくに新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 202頁 著者の同前悠久子(どうまえ・ゆくこ)さんは、1936年愛媛県八幡市生まれ、現在愛知県岡崎市在住。1979年の「琅玕」「狩」入会を経てより、1997年にホームページを開設しそこに俳句と短文の掲載をはじめる。「狩」退会後2006年「ににん」に入会し、現在「ににん」に所属。本句集は1979年から2017年までの作品を収録した第1句集となる。「序に代えて」を岩淵喜代子代表が寄せている。 毛糸編む膝一面の海の色 秋の虹見たくて芝を踏む素足 あぢさゐの疲れわたしの疲れかな 春愁を洗ひ流すと米を研ぐ 春闘の句を詠みし兄思ひをり カーテンの揺れはトレモロ冬館 わたくしに何を成せとふ残暑なほ 悠久子さんが「ににん」に参加するようになったのは、略歴によれば二〇〇六年、清水哲男さんの「増殖する俳句歳時記」の祝賀会の頃だった。初めての「ににん」への投稿を拝見したとき、日常の起伏をすんなり十七文字に託す伸びやかさがいいな、と思った記憶がある。 五万石踊りに手足あふれけり この一句は、悠久子さんの代表句になることだろう。それのみならず、踊りの句としての風格もこれまでの幾多の句と比較して秀逸である。五万石踊りとは、三河国岡崎藩を称えた踊りである。五万石につづく〈手足あふれけり〉は踊りの豪勢さを醸し出した。 これからも次の句集を作ることを目標にしながら、俳句を楽しんでいただきたいと思っている。 「序に代えて」より紹介した。 本句集は、著者の同前悠久子さんのこだわりが各所に活かされている。五つの章に分かれているのだが、各章の扉は、同前さんの写真とそこに綴られた俳句で飾られている。 五葉の写真はどれもお気に入りのものである。 いくつかを紹介したい。 写真の解像度があまり高くなかったので、仕上がりを心配したのだが予想以上に鮮明にしあがって本句集の素敵なアクセントになっている。これらの写真は、ご自身のホームページ上で紹介しているものである。 「ににん」に入れて頂いたのは、俳句を始めて三十年が過ぎる頃だった。実は「ににん」に入る前の十年間の句はこの句集には入れていない。その間、私は結社に属しないでホームページを持ち、そこへ自由に俳句を書き、それにコメントを添えることを心から楽しんでいたのだ。 楽しみながらあっという間に十年が過ぎていた。ネット句会に入ったりもしたし、お仲間も多くなっていたけれど、このままでいいのかしら、そんな思いが生じた頃に「ににん」を知り、入会をお願いし、以前とは少し違う態度で投句させて頂いたと思っている。姿勢が崩れないようにご指導頂けたと感謝している。 「あとがき」の言葉である。 同前悠久子さんは、音楽や写真や察するところ豊かな趣味をたくさんお持ちのようである。あくせくなさらずに人生を楽しんでおられるそんなゆったりとした気配が作品から感じられる。 本句集の担当は文己さん。 犬の仔のかくれてしまふ草の花 ふるさともおんなじ二人蜜柑むく捩花の捩れる様の素直なる 極月の三角形の麵麭まろき麵麭 含羞草撫でて育てる幼き子 繭玉や少女の夢を揺らしつつ 今日もまた沙羅のつぼみを確かめた 万札を吐き出す初夏のATM 海の日に船出をすると決めてをり 星涼し母の微笑み想ふとき 文己さんの好きな句を紹介した。 新婚の貧しさ眩し冬の湖 これはわたしの好きな句。兼題「貧」でつくられた一句とある。「眩し」という言葉がなかったら寒々しい景となっていたかもしれない。「眩し」で俄然生気がみなぎった。「冬の湖」で貧しさがさらにかがやく。 石菖や数寄屋門仏蘭西料理店 季語は「石菖」。別名いしあやめ。地味な渋い植物だ。数寄屋門造りのフランス料理店に植えられていたのか、店主の粋なこだわりがつたわってくるような一句だ。「や」以外はすべて漢字表記、しかも石菖という小さな植物が、中七下五の大きな景と緊張関係を保っている。「石菖」という字体の堅さも存在感がある。 今、私は、振り返る、ということに素直になっているようである。 ここまで来て句集を作るようになり、どこか戸惑いながら準備に入った。ある形が見えて来たら、何十年も前の自分がすぐそこに居るようでうれしさを覚えている。自分だけではなく家族や近しい人々とも、風景や事物とも会えるのである。やはり作りつづけてよかった。(略) 自身の句集を出すことはあまり考えなかったけれど、今こうして「あとがき」を書きながら、機会に恵まれたことを心から嬉しく思っている。「ににん」では兼題句を提出することになっているが、本句集では、一連の兼題句の中での並びはそのままとして掲載した。 「あとがき」を再び紹介した。 著者の同前さんは担当の文己さんに何度もお電話をくださって、句集をつくって良かったとおっしゃっておられた。 装釘は君嶋真理子さん。 同前さんのご希望を徹底的にかたちにしたものとなった。 鮮やかなブルーグリーンと桜を思わせるピンク。 字体にもこだわられた。 タイトルのフォントもふらんす堂では始めて使うものだ。 見返しは桜色。 扉は碧青。 緑青の屋根に枝垂れの桜映ゆ 句集名となった一句である。 この一句をイメージ化したものが本句集の装釘となった。 同前悠久子さんは、とても満足してくださったことが嬉しい。 明るさや枇杷の花咲く気配して 枇杷の花ってこんな感じだ。気配で気づかせる花である。かなり地味な花なので、行き過ぎてしまいそうになるのだが、「あっ、咲いてる」って思わずふり返るとやっぱりちゃんと咲いている。そんな地味などちらかというと暗さを感じさせるような花だが、この「明るさや」という措辞がすごくいい。枇杷の開花をやさしくいざなうようで、きっと同前さんは、枇杷の花がお好きなんだろうって思った。 回覧版拭いて手渡す時雨かな 岩田由美 回覧板を隣りへ持ってゆく間にしぐれた。これぞ、まさに時雨だ。句集『雲なつかし』(ふらんす堂)から。 先日、京都・岩倉の妙満寺で句会をしたおり、会が終わって外へ出ると敷石がぬれ、月光に光っていた。時雨だった。ついさっき、さっと時雨が走ったのであった。 葱畑人が居らねば歌ふなり 岩田由美 句集『雲なつかし』(ふらんす堂)から引いた。青い葱畑に沿った道を通る時、人がいなかったら鼻歌が出てくるのだろう。この気分、分かるなあ。私はかつて京都の九条葱の道をよく歩いたが、やはり歌いたくなった。もしかしたら、葱たちも人のいないときには歌っているのかも。葱を買ってすき焼きでもしたい気分だ。 わたしは葱が大好き。野菜のなかで一番好きかもしれない。 今日の夕食は鍋にするつもり。 葱は冷蔵庫にたんとある。 冷蔵庫から出して、薄皮を剥いて、洗って俎の上にのせる。 そのとき、 きっとわたしも歌を歌うだろう。 何を歌うかって、それは内緒。 すごい音痴なんだもん。 #
by fragie777
| 2017-11-22 19:56
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11月21日(火) 旧暦10月4日
侘助。 これはわが家の狭庭に咲いたもの。 侘助が咲くころになると空気が凜と引き締まってくる。 この花が冷たい空気を呼び寄せているのではないかって思うときがある。 玄関脇に咲いているので、出かけるときにきっと目にする。 わたしはガサツな自分を恥じいりながらこの侘助の傍らを通りすぎるのだ。 俳誌「狩」12月号が届く。 すこしドキドキしながら頁をひらくと、「お知らせ」とあり、以下のようなことが記されていた。 「狩」は来年十月に創刊四十周年を迎えます。それに際し、私の年齢と健康状態を考え、平成三十年十二月号をもって「狩」を終刊することを決意いたしました。 創刊以来、作品本位を貫き、結社としての大きな成果を挙げられましたことは、詩友の皆さんのたゆまぬ努力の結果にほかなりません。結社内外の多くの方々のお力添えに深く感謝をいたします。 終刊後は後継誌として、片山由美子副主宰が「香雨」を創刊します。私は名誉主宰として、作品の発表・句会の指導を体力の許す限り続ける所存です。 四十周年記念大会のほか、来年の行事予定につきましては別途発表します。 平成二十九年十二月 鷹羽狩行 きっと多くの方がこのことを今日お知りなったことだろうと思う。 「新時代へゆとりをもってバトンタッチをしたいと思いました」と昨日いただいたお電話で鷹羽狩行先生はおっしゃっていた。 これまでのご縁を大事に思ってくださって、昨夕にまずお電話でお知らせをいただいたのである。 伺ったときはたいへんショックであったが、鷹羽先生らしい爽やかな決断であるとおもった。 さらに伺えば、来年は「狩」創刊40周年のみならず、米寿をむかえられまたダイヤモンド婚の年でもあるという、さまざまな記念の年を経ての「狩」の終刊である。 力ある素晴らしい後継者を育てられたということが、この度のすみやかな決断をうながすものとなったのだとも思った。 さきほどお電話で深見けん二先生とお話をしていて、このことが話題になった。 「驚きましたねえ」という言葉のあとに、 「いやあ、鷹羽さん、カッコいいなあ……」って深見先生。 後継者をいかに育てていくか、 結社をいかに引き継いでいくか、 あるいは、結社をどう終わらせるか、 どれもたいへんなことだ。 今日校了にした宇多喜代子著「この世佳し-桂信子の100句」は、読みやすくて桂信子の傍らに常にいた宇多喜代子氏でなくては書けない、読みごたえのあるものだ。その本の末尾はこのように書かれている。 昨夜(よべ)よりのわが影いづこ冬の朝(H16) 冬真昼わが影不意に生れたり 主宰誌「草苑」最後の号(二月号)の最後の二句、辞世の句である。自らの影を探したり見つけたりしている。「わが影」を見つけたところで終わってよかった、刷り上がった頁を見てそう思った。 平成十六年十二月九日の早朝に自室で倒れ、駆け付けた朝八時にはかすかに頷く力があった。それから五分もすると反応がなくなった。意識のないまま病院で息を引き取った。十二月十六日十時十分に永眠。その死は、死去、死没、逝去、他界、どれともちがう。永眠がもっともふさわしいと思えるものであった。 桂信子が主宰をする「草苑」はこの号の四ヶ月後に出た「追悼号」をもって終刊とした。 桂信子の主宰する「草苑」は「桂信子の草苑」であって、「草苑の桂信子」ではない、桂信子に代る人はいない。桂信子を師と仰いだ「草苑子」がこれを理解しての終刊であった。 本書は、桂信子の忌日12月12日を刊行予定とし発売される予定。 新書版スタイルのハンディなもので、定価1400円+税 本日校了としたが、何度読んでも一人の女性の厳しい生きざまに触れて胸に迫るものがある。 校正者のひとりであるAさんは、「思わず涙がこぼれてしまった」ということ。 それもわかる。 この本を読んで、桂信子というすばらしい俳人を胸に棲まわせていただきたい、と思っている。 #
by fragie777
| 2017-11-21 18:35
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