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1月29日(水) 旧暦1月1日
武蔵野の春を待つ木々。 鳥たちも春を待つ。 この容は、きっと椋鳥。 今日は旧暦の1月1日。 中国では、春節。 今朝、俳人の董振華さんがふらんす堂に立ち寄ってくださった。 手作りの餃子とともに。 「これから高尾山に登るんです」ということで早々にお帰りになった。 あいにくわたしはお目にかかれず、スタッフのPさんが対応。 餃子はお昼にフライパンで焼いて食べたのだけれど、相変わらず美味しかった。 董振華さま。 ご馳走さまでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今日の毎日新聞の坪内稔典さんの「季語刻々」は、昨日につづき『綾部仁喜全句集』より。 春を待つひよどりの見る方を見て 綾部仁喜 「ヒヨドリと心を一つにしているこの句。好きだなあ」と坪内さん。わたしもそう思う。 坪内さんの家の庭のヤマボウシにヒヨドリが巣をつくったのであるが、せんていであらわになって、卵はかえらなかったということ。 掲句、ホントいい句である。 いままさにそんな気持ちの日々だ。 朝あるいて出社するときは、必ずといってよいほど、鵯に遭う。 元気に鳴きながら、大空をスイースイーと弾みをつけて泳ぐように飛ぶ。 飛び方ですぐわかっちゃう。 冬空でいちばん元気なのがこのひよどりである。 低空飛行もあり、鳴き声も甲高くするどい。 畠のものを食べたりして悪いこともするようだが、顔はやんちゃ坊主でかわいい。 身体は地味だけれど。 鵯の森空青ければ空ひびき 原田 喬 鵯。 #
by fragie777
| 2025-01-29 18:43
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1月28日(火) 旧暦12月27日
四十雀。 今日は出かける用事があって、机にむかう時間がすくなかった。 こうして机にむかってキイボードを打つことが、ちょっと久しぶりな感じ。 「これまで「短歌日記」は見なかったけれど、今年の高橋睦郎さんのはみてますという俳人の方や、小津夜景さんの「俳句日記」が面白い、「必ず見ます」という方がいたりして、わたしたちも嬉しく思っている。 小津夜景さんの散文は上質なエッセイであり言葉の表現者であることをつねにわたしたちに気づかせるものである。俳句との間も絶妙である。 高橋睦郎さんの「短歌日記」も短歌の枠を超えてわたしたちに文芸とはなにかの問いをもって迫ってくる。 「なかなか大変です」と小津夜景さんが、お原稿をくださるときにおっしゃったというが、これだけのものを日々くださるのは大変であると思う。 「ご自身をたのしませながら遊びもとりいれて楽しくときには力を抜いてやってください」とお願いしたのだった。 また、昨年の連載の山口昭男さんの「俳句日記」、大口玲子さんの「短歌日記」も鋭意編集中である。 そう遅くならないうちに1冊にさせていただく予定である。 一冊の書物になると、web連載中とはまた違った味わいが生まれる。 乞うご期待。 #
by fragie777
| 2025-01-28 19:31
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1月27日(月) 旧暦12月28日
深大寺の無患子(むくろじ)の実。 この色の渋さがいい。 本堂の前に大きな無患子の木がある。 昨年この木に梟の子がとまっていた。 昨日の日付の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、中戸川由実句集『プリズムⅡ』より。 樹木医の大きな鞄日脚伸ぶ 中戸川由実 「一般的な国語事典には『日脚』はあるが、『日脚伸ぶ』はない。『伸ぶ』が文語なので現代語の国語事典にはないのか」と坪内さん。 「樹木医」というのも聞き慣れない言葉であるが、深大寺のまわりの林などを歩いていると、治療中(?)の樹木に出くわすこともある。「樹木医」と聞くと、聴診器を木肌にあてている白衣の人を想像してしまうけど、実際はちがうんだろうなあ。大きな鞄をもっているんだ、ということをこの一句で知る。 おなじく毎日新聞の坪内稔典さんによる今日の「季語刻々」は、『綾部仁喜全句集』より。 こころまづ動きて日脚伸びにけり 綾部仁喜 坪内さん、この句でも「日脚伸ぶ」の文語表記に拘っておられる。「日脚伸びる」に変えてもいいのではないか。と記し、綾部仁喜のこの一句を現代語に変えられた。「こころまず動き日脚も伸びてきた」と。う~む。どうだろうか。。 綾部先生、これを知ったらびっくされるだろうなあ、石田波郷の韻文精神を命とされた方だから。 『自句自解ベスト100 西村和子』の再版が出来上がる。 著者である西村和子さんのご要望もあってこの度再版をした。 電子書籍でも売られているのだが、やはり初心者の人にすすめるのに紙の本がよろしいということで。 初心者の方には、人気のシリーズである。 一句のみ紹介してみたい。 寒禽の取り付く小枝あやまたず 真冬の京都植物園。見るべき花もない季節なので人影はまばら。曇天の梢を眺めていると、四、五羽の雀が狙い定めたかのように、吸い着けられたように、ぱぱぱっと一つの枝に止まった。一分の狂いも揺れもない敏速な動きにびっくりした。「こうした句、自然に厳しい目をむけている花鳥諷詠派でないと理解できないかも知れない」と先生の評。少しの理解者を得れば救われる。 (『かりそめならず』平成二年) ここで記されている「先生」は、俳人・清崎敏郎のこと。 初学時代より、師・清崎敏郎のみをみつめて一途に俳句をつくって来られた西村和子さんである。 「少しの理解者を得れば救われる」の言葉は重い。 今日はお客さまがお二人いらっしゃった。 田口風子(ふうこ)さんと田口茉於さんである。 田口風子さんは、茉於さんのお母さまである。 俳句結社「若竹」(加古宗也主宰)の副主宰であり、ご自身でも「風のサロン」というご指導の場をおもちである。 今日は第三句集の句稿をご持参くださった。 第二句集『朱泥の笛』を上梓されたのが、2007年であるので、すでに17年以上が経っている。 つい最近のことのようであるが、もうそんなに時間が経ってしまったとは。 昨年お目にかかったとき、わたしが、「次の句集をご上梓なさってみては」と申し上げたことが、肩をおすかたちになったということである。 風子さんも句集をそろそろと思っていた矢先のことだったのである。 (思い切って申し上げてみて良かった)とわたしはそのお話をうかがって思ったのだった。 茉於さんは、すこし前といっても2022年に第二句集『付箋』を刊行された俳人である。 出版関係におつとめの茉於さんなので、今日はお母さまをエスコートしてこられた。 担当は文己さん。 たくさんのご本をご覧になって、二つの造本のものをお選びになった。 どちらかにすこし時間をかけてお決めになられるご様子である。 風子さんの傍らで終始ニコニコとして適宜アドバイスをされる茉於さんである。 一ヶ月に一度はあってともに俳句をつくられるという。 田口風子さん(右)と茉於さん。 今回の句集のタイトルは「雀色どき」。 素敵な句集名である。 思うに、前句集の「朱泥の笛」といい、今回「雀色どき」といい、色を感じさせるタイトルである。 しかも深い味わいのある色を呼び起こす。 #
by fragie777
| 2025-01-27 19:07
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1月26日(日) 旧暦12月27日
寒晴れの一日。 今日は、埼玉県東所沢にある角川武蔵野ミユージアムにて、午後1時半より、角川文化振興財団主催の「角川短歌賞、角川俳句賞」の授賞式があり、スタッフのPさんとともにうかがう。 休日ということで、このミュージアムにはたくさんの人がやって来ていた。 その一角で今日の授賞式は行われる。 スクリーンに受賞者や選者が映し出される。 角川短歌賞の選者は左から、松平盟子、中川佐和子、坂井修一、薮内亮輔の各氏。 角川短歌賞を受賞された平井俊さん。 1990年生れ、2015年より「八雁」所属、阿木津英に師事。 家系図に載ることのなき人の待つ間借りの部屋をイエとわが呼ぶ 流木のように互いを添わせたり産めないからだと産めないからだ 燃えつきる精子のごとく降る雪を高架舗道(ペデストリアンデッキ)に見上ぐ 角川俳句賞の選者は、左から仁平勝、対馬康子、小澤實、岸本尚毅の各氏。 角川俳句賞を受賞された若杉朋哉さん。 1975年生れ。無所属。 どこからが梅林といふわけでなし 裂くる音なくて茸の裂けにけり 洟をかみながら怒つてゐる子かな 受賞者の平井さんの短歌についてかたる、選者である松平盟子さん。 (抜粋で紹介したい) 「激論の果の授賞であったと思います。平井さんの短歌は、口語俳句の多い昨今、韻律が美しい。破綻がなく説得力のある韻律の力を持っている歌人であり、美しい磁場をつくることができる歌人であると思います」 受賞された平井俊さんのご挨拶。(抜粋です) 「短歌は文学であるということを大切にしたいと思います。そこに人間とは何か、人間が住む社会や世界とは何か、そのような大きな問いが必ず根底にあるべきだと考えています。わたし個人の痛みを作品に籠めたはずですが、それが別の人の痛みと共鳴するのではないか、ということを受賞してみてつよく感じた次第です。」 角川俳句賞については、選考委員のおひとりである仁平勝さんが評した。抜粋で紹介します。 「若杉さんは、五七五のリズムの使い方がうまい。俳句の作り方としては、二句一章(二物衝撃)と一物仕立て(季語そのものをよむ)の二つの作り方があるわけですが、初心者などは二句一章のほうが作りやすいんですね。しかし、若杉さんの句はほとんどが一物仕立てであるんです。」と語り、若杉さんの作品の数句をあげて、その優れた点を具体的に検証されたのだった。 角川俳句賞を受賞された若杉朋哉さん。 若杉朋哉さんは、昨年の暮に亡くなった俳人の後閑達雄さんのことに触れて、ともに角川俳句賞をめざしてがんばってきたその交流について語られたのだった。以前「俳句」誌上で、後閑達雄さんの句「畳見て畳拭きをり盆用意」という句をみて、後閑さんに連絡をとったのが交流のはじまりであるということ。後閑さんが亡くなられたことを今年になって知って大変ショックを受けられていることなどを語られたのだった。この度の受賞も心から喜んでくれた後閑さんだったという。 「いまは角川俳句賞の重みを感じています。これからも自分がいいと思う俳句を作っていきたいと思っております」と。 受賞者、選者、主催者の方たちと記念撮影。 平井俊さま、若杉朋哉さま、 ご受賞おめでとうございます。 こころからお祝いを申し上げます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() お二人ともこの賞をめざし、励んでこられたのだと思います。 喜びもひとしおのことと存じます。 さらに、さらに頑張ってくださいませ。 こ若杉さんのご挨拶によって、会場ではあらためて後閑達雄さんが亡くなったということを知った方もいて、ショックを受けられている俳人の方も少なからずおられた。 選者である岸本尚毅さんは後閑さんのことはその作品もふくめてよくご存じで、もうすこし詳しく知りたいおっしゃられたので、わかる範囲でお伝えしたのだった。後閑さんは、第1回田中裕明賞にも句集『卵』で応募され岸本尚毅さんはその選者でもあられた。「今回の句集『カーネーション』もいい句集でした」と岸本さん。後閑さん、聞こえました? あまり評価されなかったって落ち込んでおられましたよね。 今日の角川俳句賞の授賞式に、後閑達雄さんのことがこのように話題になることに、わたしは不思議な気持ちをもちつつ、やはり愛される方だったのだと思ったのだった。 後閑達雄さんは、お兄さまの茂雄氏のお取り計らいで、ご葬儀が25日にご親族でいとなまれました。 病名は、糖尿病ケトアシドーシス、25日の午後8時29分に亡くなられました。 享年55歳。 あらためてお伝えをいたします。 #
by fragie777
| 2025-01-26 20:38
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1月25日(土) 水沢復堅(さわみずこおりつめる) 旧暦12月26日
蠟梅。 駒場公園にて。 俳人協会賞が発表となった。 以下の通りです。 第64回俳人協会賞 石田郷子句集『万の枝』(ふらんす堂) 谷口智行句集『海山』(邑書林) 第48回俳人協会新人賞 浅川芳直句集『夜景の奥』(東京四季出版) 桐山太志句集『耳梨』(ふらんす堂) 第39回俳人協会評論賞 小川軽舟著『名句水先案内』(角川文化振興財団) 村上喜代子著『大野林火論』(コールサック社) 第39回俳人協会評論新人賞 中本真人著『新潟医科大学の俳人教授たち』(ブックレット新潟大学82) ご受賞された皆さま おめでとうございます。 こころよりお祝いをもうしあげます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 目下、日本近代文学館で開催されている「三島由紀夫展」に行く。 井の頭線の駒場東大前でおりてすぐの「日本近代文学館」であるが、わたしは今回はじめて足を踏み入れたのだった。 駒場公園内に建てられており、「旧前田家本邸(重要文化財)」が隣接してある。 今回の「三島由紀夫展」は、三つの「マニア」による三島由紀夫の世界を展開している。 「ミシマニア(三島愛)」、「ビブリオマニア(書物愛)」、「ヤポノマニア(日本愛)」の「マニア」である。 それぞれにこのような説明がある。 「三島愛」マニアとは愛すること。「文」を愛し「武」を愛した三島は、「人」を愛する一人の人間でもありました。書簡、署名入り献本、名刺や絵葉書に書かれたメッセージの数々は、三島をめぐる人間関係の環を物語ります。 ミシマアイとは、そんな三島由紀夫を愛し、三島を想って新たな存在を生み出す私たち自身のこと。ミシマニアによって、三島の魂は時空を超えて輝き続けるのです。 「書物愛」ビブリオマニアとは書物を愛すること。三島由紀夫は生涯にわたって、自分自身の美しい本造りにも心血を注ぎました。装幀、挿画、本の重さ、手触りも、作品の芸術的完成とともに、大切な本の命なのです。 理想の造本は一人ではできません。三島は出版人や画家たちと篤い信頼関係を結び、時には進んで自ら写真の被写体ともなって、マルチ編集者として奔走しました。 「日本愛」1970年11月12日から17日までの6日間、三島由紀夫は池袋の東部百貨店で自身の展覧会をしました。会場は、「書物」「舞台」「肉体」「行動」の四つの河に分かれ、すべてが、「豊饒の海」は流れ入るように構成されました。 11月25日、三島や市ヶ谷の陸上自衛隊バルコニーで演説した後、総監室で自決します。それは三島由紀夫という存在全体の表現であり、ヤポノマニアの実践でもありました。 ちょっと驚いたのは、「書物愛」のコーナーで、わたしがかつて勤めていた出版社牧羊社刊行の三島の豪華本がいろいろと展示されていたことだ。その本は、勤め先の牧羊社の川島壽美子社長から見せて貰ったものもあり、また、三島が揮毫した「牧羊社」の字も展示されていてそれなども見せてもらっていたものである。三島由紀夫は達筆である。川島壽美子社長は、三島由紀夫や川端康成とも親しく、また、川島壽美子社長の夫君の川島勝氏は、講談社の「群像」の編集長でもあった。多くの作家を世にだした名編集者である。その川島勝氏と三島由紀夫との書簡のやりとりなども展示されていて、わたしにとってはおもいもかけず存じあげている方々をなつかしむことともなった。 美しい本をながめながら、やはり美しい本をつくっていきたいと改めておもったのだった。 「豊饒の海」シリーズもならべられていて、かつて購入した本であり、(多分高校生)それをどこかに逸してしまったことが悔やまれてなならい。 三島の自決については、大学の食堂で友人たちと食事をおえた時に聞いた。 今日の展示に、三島の「檄文」が貼られていた。 いろいろと複雑な想いがあるが、いまばそのことには触れたくない。。。 三島由紀夫はたいへん筆まめであった。 三島由紀夫展をみてより、お隣の「旧前田本邸」を見学することに。 →「旧前田家本邸」 素晴らしい洋館の部屋をめぐりながら、三島由紀夫の『春の雪』の舞台となった侯爵邸のことなどを思い起こし、 「松枝清顕の住んでたところもこんな風だったのかしら」なんておしゃべりをしながら屋敷めぐりをするのは楽しかった。 #
by fragie777
| 2025-01-25 20:45
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