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10月21日(日) 十三夜 旧暦9月9日
今日の新宿。 昨日に引きつづいてよいお天気の一日となった。 午前中は太極拳に行く。 太極拳が終わったときのこと。 お仲間のマダムの胸のすてきなペンダントが話題となった。 それがこれ。 ガラスの小さな壺のようなものを革の紐で首からぶら下げておられる。 よくみると細やかな絵が描かれているのだが、どうやらその絵はこの壺の外側ではなくて、内側に描かれているものらしい。 「素敵なペンダントですねえ」 「どこで買われたのですか」 「蓋がとれるのですか。」 などなど質問攻めである。 「中国のお土産でいただいたものなのよ。それを自分で革の紐でこうやってペンダントにしたのよ」 ということ。 するとすぐに、わたしたちの中国語の先生でもある友人のYさんは、インターネットで検索をしてこの小さな壺がいかなるものであるかをわたしたちに教えてくれた。 「鼻烟壺」(biyanhu) と記し、「かぎたばこを入れる小瓶」とのことである。 なんとも美しい小瓶である。 いろいろと検索をするとガレのものなどもある。 Yさんに伺うと中国では清の時代に流行したものらしい。 いま、インターネットで検索をしたところ、さまざまな意匠を凝らしたものがあり驚くばかりである。 Nさんの首にかけられたこのペンダントは世界でたったひとつのものかもしれない。 午後は、「ふらんす堂通信」を校了にすべく読む。 特集は、折勝家鴨さんの句集『ログインパスワード』が第14回日本詩歌句随筆評論大賞の俳句部門努力賞を受賞されたその特集である。面白かったのは、折勝さんの「俳句について思うこと」である。 折勝さんは、前回の「ふらんす堂通信」の小野あらたさんの「田中裕明賞受賞」についての受賞のことばの文章を引き受けて、「その次に待ち受けているさまざまなこと」を書いておられるのだ。「但し若くはない層にむけて」とある。これが小野あらたさんと同じように実践的作句論としてたいへん面白いのである。 小野あらたさんの文章に「すごいわあ」と思った方々、いやはや小野さんの提案はすでに実践し、さらにその先をどう頑張るか、奮戦していいるすでに「若くない層」(折勝さん、ごめんなさい。)がいるのである。 読んでおおいに参考にしていただきたい。 髙柳克弘さんの「現代俳句ノート」は、西東三鬼である。 三鬼の小説などを踏まえながら、彼の俳句を読み解いていくのだが、これがたいへん面白いのだ。 三鬼の小説について知ることはあまりないので興味ふかいし、俳句が立体的に立ち上がってくる。 今日の朝日新聞の「風信」に四ッ谷龍著『田中裕明の思い出』が紹介されている。 角川俳句賞を最年少で受賞し、45歳で早世した俳人の「斬新な革新を手がける探求者の姿」を追想する。 この本については、目下の「ふらんす堂通信」の「voix et bois 声の森」で、 『田中裕明の思い出』夢中になって読んでいます。私のなかで今年のナンバー1の本だと思います。 というお便りをF・Tさんからいただいている。 どうしても美味しい珈琲とモンブランを味わいたく、新宿であたらしいお店をみつけて入ってみた。 珈琲がとても美味しかった。(カップも素敵でしょ) どうやらここのお店はカップが一つ一つ違うものであるようだ。 余談であるが、わたしは珈琲は日頃それほど飲まない。飲むと眠れなくなってしまうから飲みたくても我慢することが多い。 珈琲はけっこう好きである。 で、最近わかったのだが、好きな味は、酸味より苦味のある珈琲が好きであるということ、この店の珈琲はわたしの好みにばっちりだった。 どこかって。 教えない。 知った人間にあわず、ひとりでゆっくりと本など読んで楽しみたいから。 もしわたしの姿を見つけたとしても知らんぷりしてくださいな。 #
by fragie777
| 2018-10-21 17:55
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10月20日(土) 旧暦9月12日
秋晴れの一日となった。 武蔵野の稲扱き風景に出会う。 今日は友人たちと飲んでいま戻ったところである。 紹興酒のロックを3,4杯飲んでちょっといい気持ち。 餃子をたらふく食べ、ほかに青菜炒め、野菜炒め、鶏の唐揚げのような(名前を忘れた)もの、麻婆豆腐、餡かけ焼きそば、杏仁豆腐のようなデザートを食べ、それにお酒をたして、一人1400円ちょっと。(特別やすくしてもらったわけではない。全員おんなじ) 非常にやすいと思いません? 美味しかったし、楽しかった。。。。 そのあとはこうして仕事場でブログを書いている。 山梨日日新聞の10月18日(木)に、三森鉄治句集『山稜』が紹介されている。 「故三森鉄治さん(甲州)の遺句集刊行」「俳人としての目 最後まで」というタイトルである。 2015年に56歳で急逝した甲州市の俳人三森鉄治さんの遺句集となる第6句集「山稜」(ふらんす堂)が刊行された。山梨の風土を詠み続け、作風は奔放自在ながらも重厚さを併せ持つ。遺句集は、第5句集「栖雲」以降に発表された590句をはじめ、生前刊行した全ての句集に季語別に並べているほか、年譜や初句索引を収載。三森さんの歩みと思いが詰まった一冊となった。 生前、三森さんが最後の入院前に「新句集草稿」と名付けて保存していたデータを基に、入院後に発表した作品などを追加。三森さんが自ら予定し準備していたものが最後の句集となった。実際の編集は、三森さんと句会を通し親交の深かった俳人舘野豊さん(横浜市)が務め、三森さんの俳人としての思いを受け継いだ。 1959年生まれ。俳誌「雲母」「白露」「郭公」などで作品を発表したほか、結社の枠を超えて句会を発足するなど多くの俳人と交流した。 奔流の果ての高嶺に冬日落つ 天守なき石垣天へ反りて夏 網戸なき病室へ夜が来てゐたり (いずれも「山稜」) 「郭公」主宰の井上康明さん(甲府市)によると、「山稜」はそれ以前の句集と異なり、落ち着いたリズムと風景を捉える確かな目で詠まれているのが特徴。「天守なき石垣」「網戸なき病室」など存在していない事象に着目、句の題材とし、「ものの手触りをつかみながら客観視して詠んでいる」と話す。 印象的なのが「対象から距離を置き、冷ややかとも感じられる視点」(井上さん)。闘病の中で詠まれた句のうち特に〈網戸なき-〉は、自分を見つめる「もう一人の自分」が存在し、作家としての視点を最後まで保っていたことが伝わってくる。 さはさはと夢の淵まで青すすき (「幻象論」1985年) 煮凝や月夜のどこも葡萄棚 (「天目」 1991年) 視点や想念が飛躍し、さまざまな情景や遠近感を思わせる句、定型から離れた意欲的な句など、あふれる才能を奔放に使い創作に情熱を注いだ。「生きていれば甲斐の風土に根ざした俳句を詠んだに違いない」(井上さん)。真っすぐに山梨を見つめ、数多くの句を残した俳人だった。 昨日19日の毎日新聞の坪内敏典さんによる「季語刻々」は、飯田晴句集『ゆめの変り目』より。 空見んと露ふみしだくことをして 露のおりている草を荒々しく踏み、空の見える場所へ出たという句。句集「ゆめの変り目」(ふらんす堂)にあるこの句から、私は次の与謝野晶子の歌を連想した。「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」(「みだれ髪」)。では、千葉県八千代市の晴さんの句集からもう一句を。「屋上は大きなひかり空澄めり」 ブログを書いていたら大分酔いもさめてきた。 本屋さんに寄ってから帰るつもり。 (わたしのそばに来てはダメだよ。ニンニク臭いかも。。。) #
by fragie777
| 2018-10-20 20:39
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10月19日(金) 旧暦9月11日
溝蕎麦。 今日は一日中「ふらんす堂通信」のゲラを読む。 この158号で終わる連載が二つ、そして石田郷子選の雑詠集「なづな集」も今回が最後となる。 次号からは髙田正子選「花実集」となる。 石田郷子さんには長い間心を尽くして「なずな集」にとり組んでいただいた。 連載は詩人の杉本徹さんの連載「十七時の光にふれて」は45回目をもって最終回となった。 現代詩を書く詩人がとり組んだ俳句批評だった。 言語表現をするものとして俳句をどう読むか、俳人の読みとはことなる世界へと導きだされて新しい光が当てられる、その読みは新鮮だった。 最終回の今回は、杉本徹さんが敬愛する俳人へのオマージュとして詩を寄せている。 その俳人とは誰か。 「通信」を読んでいただきたい。 関悦史さんの連載は「BLな俳句」、こちらは23回をもって終わる。 「BLって、何?」という読者もおられて戸惑われた方もおられるかもしれないが、「BL=ボーイズラブ」はいまや、一大ジャンルとしてその地位を獲得したといっても過言ではない。 老若男女を問わず、性別を超えこころゆさぶるものとして世界を席巻しつつあるのである。 そのBLに関さんは、俳句の読みと自身の作品をもって果敢に挑戦してくださった。 三人の方々に心からの感謝を申し上げたい。 ありがとうございました。 新刊紹介をしたい。 俳人・日下野由季(ひがの・ゆき)さんの句集『祈りの天』(2007)に次ぐ第2句集である。 「あとがき」によると、 十代から二十代の句を収めた第一句集から約十年。ここに私の三十代の句を収めました。三十代の十年間は、ひとりの女性として、これかの人生をどう生きていきたいのかと自らに問い、思い悩む葛藤の日々であったように思います。たくさん迷い、考え、決断し、前を向きながら一歩一歩進んできたその道のりが、この一冊になりました。 そして、三十代の終りに生涯の伴侶と出会い、小さないのちを授かりました。私のゆく先は、この出会いを育むところから、また新たに始まっていきます。 とあり、30代を記念する一冊である。 栞は大木あまりさんが寄せている。「永遠なる木椅子」と題する文章は俳人の先輩としてのあたたかな眼差しに満ちたものである。たくさんの句を引用しながら、著者の美質に触れているが、ここでは大木あまりさんならではの箇所を紹介したい。 ひとつ足す窓辺の木椅子水温む 「ひとつ足す」のフレーズは、木椅子が二つになったことを意味し、結婚して幸せな日々を送る作者の充実感が読み取れる。が、それだけではない。深読みかもしれないが、実生活の出発点となった木椅子。永遠にゴールの見えない俳句という木椅子。この二つを両立させようとする作者の覚悟が伝わってくる寓意的な句である。家庭と俳句を両立させるのは大変かもしれないが、永遠という、遥かなる言葉に支えられ俳句を続けてきた由季さんなら出来る。現実と創造の世界を往き来して理想の俳句を目指してほしい。 表現者として生きることのしんどさをよくわかっている大木あまりさんだ。自身と同じ道をあゆもうとしている日下野由季さんに心からのエールを送っている。 あらたなる風てのひら空蟬に 径ゆづるとき秋草に濡れにけり 観音のうしろにまはる冬の蠅 またひとつ星の見えくる湯ざめかな 寒禽の思ひ切るときかがやけり ほんたうのこと見えてくる蝌蚪の水 曲屋の繭より暗く灯して 夏雲や十円で買ふ「悪の華」 これ以上愛せぬ水を打つてをり 哀しみのかたちに猫を抱く夜長 夏の蝶何を振り切る翅ならん 改札の残る暑さに別れけり 波音に波あらはるる野水仙 まだ見つめられたくて鴨残りけり この句、栞で大木あまりさんは、「北地へ帰らない理由が、「まだ見つめられたくて」とは、何といじらしい鴨だろう。哀れなイメージで詠まれがちだった「残り鴨」を払拭するように、由季さんは明るくてフレンドリーな鴨を詠む。親愛の情をこめて、懸命に生きる鴨にエールを送っているのだ。」と書き、「私の愛誦句となった」と記している。わたしはこの句に、ふっと日下野由季さん自身を思った。「まだ見つめられたくて」と鴨の心情として表現しているが、本当は自身のことなのではないか。「まだ見つめられたくて」という女性のせつせつとした心情を鴨に託して詠んでいるように思えるのだ。だから「寒禽の思ひ切るときかがやけり」も又、彼女自身の「寒禽」へ託する心情である。その心情が瑞々しく、その若さが眩しい。日下野由季さん自身も新しく輝くためになにかを思い切ったのかもしれない。 冬薔薇のもつとも深き色を剪る 心惹かれる一句である。五月の薔薇でなく、秋薔薇でもなく、冬薔薇にこころをとめた作者がいる。枯れ色が支配する世界に毅然として咲いている薔薇だ。その薔薇の「もつとも深き色」を剪るのだという。冬薔薇のなかに深き色を見いだせるかどうか、それはひとえにその人間の心ばえにかかっている。冬薔薇の命に触れようとしている作者のこころ静けさが見えてくる一句である。 露けさの一つ枕に銀貨置く 野水仙一輪に風あたらしく お降りの箱根の山を越えにけり 羽打つて遅日の水のひびきかな 遠雷や日記に書かぬ今日のこと 鬼胡桃絵本の森へころがりぬ 拭きあげし鏡に寒の明けにけり 百千鳥一生のいまどのあたり 一秒で来たる返信秋澄めり 本句集の担当はyamaokaであるが、由季さんとはラインでやりとりをすることが多かった。子育て真っ最中の由季さんである。パソコンメールよりもラインは便利である。赤ちゃんを抱っこしながらだって、携帯を横においておけばラインでイッパツで返事ができる。わたしもすぐに返事をもらえて助かった。まさにラインは「一秒で来たる返信」である。そういう時代になったのである。この句「秋澄めり」が、俗臭を消している。一秒で来た返信、きっとよき訪れだったのだろう、と思った。 十七音しかない俳句という詩型の潔さが、私は好きです。何を詠んでも、語り過ぎなくていい。そこに救われる思いがします。季節の言葉を通して「今」と向き合えるところも、俳句を愛する由縁です。 「あとがき」の言葉である。 本句集の装幀は和兎さん。 「馥郁」をどう表現すればよいか。。 若草色の一冊となった。 タイトルは金箔も考えたが、パール箔で。 表紙。 扉。 馥郁と春の鴎となりにけり 実りある三十代の句集『馥郁』のどのページをめくっても、透明な句に出会うことができる。作者の俳句への情熱が伝わってくる。 大木あまりさんは、栞の文章をこう結んでいる。 そして、 身のうちに心音ふたつ冬木の芽 新しい命の誕生を予感させるかたちで『馥郁』は終わっている。 日下野由季さんは、目下俳句に、子育てに、奮戦中である。 「永遠の木椅子」に向かってどうぞ頑張ってくださいませ。 #
by fragie777
| 2018-10-19 19:57
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10月18日(木) 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり) 旧暦9月10日
秋の蝶。 「ふらんす堂通信」61号の編集真っ只中である。 来週早々には校了。 今回のコラムは、「100万円をもらったら」というもの。 それであれこれ考えたのね。 「ラスベガスのカジノに行こうか、100万円をにぎりしめて」と云ったら、 「ダメダメ、往復の飛行機代で終わっちゃいますよ」 「そりゃ、そうね。」 「韓国のカジノで遊ぶのがちょうどっていうとこじゃありません?」 「そっか、韓国ね、一度遊んだことがあるな。。。」 でも、もう少しおおきく飛躍したい。 100万円をただでもらったのだからね。 「皇帝ペンギンに逢いに南極へ行くっていうのはどう?」 「それも無理、南極への旅行はもっともっとかかりますよ」 ということで、100万円の使い道はなかなか難しい。 いっぺんに使わなくってもいいじゃないかって、 それで一日5万円ずつ20日間かけて使うっていうのも考えた。 すると、一日目の5万円を何に使おうかって、悩んでしまうのである。 100万円をどう使うか、案外むずかしい。 で、 何につかうか。 一番現実的なやつを「通信」に書きました。 「ふらんす堂通信158号」を是非に読んでくださいませ。 このブログを読んでくださっている皆さまだったら、どう使います。 (そっと教えてくださいな) 新刊紹介をします。 四六判函入りハードカバー装 234頁 俳人・角川春樹の最新句集である。 本句集の刊行への思いを角川春樹氏は、「あとがき」でこのように書いている。 平成三十年は、角川源義(げんよし)生誕百年、俳誌「河」の創刊から六十年を迎える節目の年である。この記念すべき機会に角川源義を偲ぶ句集を上梓しようという考えが、二年前から湧き上がっていた。だが句集名がどうも思いつかず、迷い続けていた。私が付ける句集名は、全てテーマに寄り添って来た。今回のテーマは父・源義への追悼である。 平成二十八年十月二十五日に行われた「河」の秋季吟行句会で、小林政秋の次の句を特選に採った。 泰山木は寂しい木なり源義(げんぎ)の日 小林政秋 ジュリアン・ジェインズの名著『神々の沈黙』によれば、神々の声は右脳に囁きかけ、人間の左脳が神々の声を言語化する、と言う。 「河」の句会の席上で、その時、まさに右脳で神の囁きを聴いたのである。 源義の忌日は、「源義(げんよし)忌」「源義(げんぎ)の忌」或いは「秋燕(しゅうえん)忌」と詠(よ)まれて来たが、「源義の日」を用いた作品は、小林政秋の右の句まで存在しなかった。 私の第二句集『信長の首』は、源義の処女句集『ロダンの首』に因(ちな)んで書名とした。読売文学賞を受賞した源義の遺句集『西行の日』を念頭に置けば、私の最新句集名を『源義の日』と名付けることが一番相応(ふさ)わしい。 父・源義の生誕百年、「河」創刊六十年の年に父を偲ぶ句集を「源義の日」として刊行されたのである。 また本句集の刊行について、春樹氏にはもう一つの思いがあった。「あとがき」を読んでみよう。 今回の句集のもう一つの旋律は、平成二十九年五月十二日に逝去した盟友・武富義夫への挽歌である。 神保町の喫茶「ラドリオ」で初めて人を介して出会ってから、五十年の長きに亘(わた)って彼との交友が嵩をなして来た。 私は二年五か月と三日間、八王子医療刑務所と静岡刑務所に収監されていた。武富義夫は、その静岡刑務所にも友人の河村季里を伴って面会に来てくれた。その間、私を支えたのが読書と俳句の創作である。そして、私が獄中で自得したのは、人生で一番美しいもの、それは友情ということであった。二十四年前に千葉拘置所を仮出所した後に、誰よりも前に会いに行ったのが辺見じゅんと武富義夫である。 武富義夫は海外著作権のエージェントである日本ユニ・エージェンシーの会長であり、翻訳家でもあったが、何よりも教養が人生と響き合う稀有(けう)の人物だった。 本句集は、源義へ父恋いと、友・竹富義夫への思いを奏でたものであり、また氏の心に去来する今は亡き大切な人々への挽歌でもある。 本句集はPさんの担当である。 この句集をつくるためにPさんは何度か春樹氏のもとを訪れた。 Pさんがあげた句は、 たましひのこゑをかたちに健吉忌 蝉声や誰も座らぬ解夏の椅子 てつちりや父につながる無頼の血 此の道や花西行の父があり ゲラ刷りに雨の匂ひや巴里祭 埋み火や離れゆくものを人と呼ぶ 父の日やひとりひとりに夕餉の灯 Pさんは言う。 「春樹先生の目の前にはいつも椅子がひとつあり、その椅子に友人が座り、話をし、話をきき、語らうことが最上の時間である。 しかし、みな鬼籍に入られ、その椅子に魂を呼んで、今度は心と俳句で対話をしているのだと思う。 だから『椅子』という単語がよく出てくるのだと思う。」 なるほど。。そうなのか、 本句集はその死者との対話の句集であるかもしれない。 淋しさがつらぬいている。 ほかに、 青梅雨や静かに昏るる父の書架 海鳴りの遠き木椅子や小鳥来る (辺見じゅん死して五年) 灯の入りていのちふたつの雨月かな (源義死して四十二年、照子死して十二年) 蕗(ふき)味噌(みそ)やあどけなかりし母の酔ひ ゴールデンウィーク渡辺印刷雨の中 (かつて角川書店の本の制作「出版部」に所属) 遠雷やあるべき場所が此処にある (編集者として五十一年、「河」を継承して三十九年) 生きるとは生き残ること水の秋 埋み火や離(か)れゆくものを人と呼ぶ (平成二十九年五月十二日、武富義夫死す) 冬花火俺は今でも此処にゐる 遅き日の文づくえに置く君の骨 (遺族より武富義夫の骨を分けて貰う) 初春の父の一樹に父のこゑ 自分史をめくれば昭和の蛭泳ぐ 蟻地獄どんどんひとりになつてゆく 春樹氏の心底からの叫びであると思った。父の句「蟻地獄雲のゆききの絶間なき 源義」を前書きにしておかれた一句である。父の句には、どこか心のゆとりを感じさせるが、この一句は容赦ない孤独感である。カッコつけてなどいられない淋しさ。孤独や寂寥を詠んだ句が圧倒的に多い本句集であるがどこか甘美さをまとっているものが多いようにわたしには思えるのだが、これはもう切羽つまった気持ちを吐き出しものだ。好きな一句である。 父の日や本のエンドロールに父がゐた 「『本のエンドロール』とは、奥付のこと」という前書きがある。「エンドロール」とは、広辞苑によると「映画やテレビドラマなどの終わりに、出演者やスタッフを紹介する字幕」とある、つまり、本における奥付のようなもの、と角川春樹氏は意味づけた。映画もたくさん作られた氏であるが、氏はご自身は出版人であり編集者であるという矜持をずっと持ってきた方である。それを本句集においてわたしはあらためて知った。「遠雷やあるべき場所が此処にある」の此処とはまさに編集者として働く場所なのである。それは父・源義から受け継いできたものであり、つねに仕事人としての父を意識してきたことなのだと思う。ふっと手にとった一冊、その奥付に父の名前を見つけた。そこで父に出会い父のことを思う。息子としての素直な思いを詠んだ一句である。 昭和六十二年「河」十月号に、飯田龍太氏は「生死のことなど」という題で、末尾に次の一文を源義に寄せている。 学究のことを別にするなら、実業のことは安んじて後進にゆだね切った氏の晩年は、文字通り俳句一筋。しかもその極をきわめた。とすると、年齢の多寡(たか)にかかわりなく、源義氏は、存分におのれの人生を生き抜い たひとと思いたい。 私も源義は、存分に人生を生き抜いたひとだと思う。 ふたたび「あとがき」より。 本句集は函入りの句集である。 装幀は、丸亀敏邦氏。 角川春樹氏の装幀をすでに手掛けている装幀家である。 函。 面白い発想だ。 表紙。 おかれた文字と桜の花びらはすべて泊押しである。 この字は丸亀氏の手によるもの。 見返し。 帽子がさかさに置かれている。 扉。 花布とスピンは青。 きれいな青である。 本文はすべて一句立て。 遠雷やあるべき場所が此処にある 角川春樹 私が生きていく場所は、いま私が居る此処しかないという確信だった。 小説も音楽も映画も詩歌も、生活必需品などではない。だが生活必需品ではないところから文化が生まれてくる。そして、いつの時代も不良が文化の担(にな)い手だった。 詩歌とは大きな遊び冬オリオン 角川春樹 角川源義生誕百年、そして「河」創立六十周年を迎えられ、 角川春樹氏の更なるご健吟をお祈り申しあげたい。 #
by fragie777
| 2018-10-18 19:57
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10月17日(水) 旧暦9月8日
久しぶりに歩いて出社。 豆柿というのかしら、とても小粒である。 色づいていても鳥の姿もないということは渋柿なのかなあ。。。 柿は見た目ではほんとうにわからない。 10月8日付けの山梨日日新聞の関悦史さんの時評「俳句はいま」を紹介したい。タイトルは「つねならぬ清冽な生気」 対中いずみの第3句集「水瓶」(ふらんす堂)は、題名どおり、水の気配の濃い句が少なくない。しかし、それは、雨や川そのものに興味があるというよりは、異なる素材同士がかたちづくる距離や空間が、つねならぬ清冽な生気を帯びるために、水を必要としていることによるものである。 〈浅春の岸辺は龍の匂ひせる〉〈着信の青き光やみづすまし〉〈母と子としづかな食事金魚玉〉などがその好例。「龍の匂ひ」のような句も、きれいな空想を描くことではなく、「岸辺」が帯びる生気と詩情に主眼がある。その詩情は、離れたもの同士でなければ成しえない交歓によってもたらされる。〈ぢつと待つ猫に穴子の放らるる〉〈聖歌隊ロビーに散りて嬉しさう〉〈鳥のほか川しづかなる裕明忌〉 「美しい花のような」裕明本人のキャラクターと、〈マクベスの魔女は三人龍の玉〉で見せるマの押韻のような、瞬発的といえる音韻組織力に富む句作の間の不可分の結びつきがうかがわれ、裕明の特異性が浮かび上がる。方法を抽出してまねできるものではない。 池田瑠那第1句集「金輪際」(ふらんす堂)は小澤實門下らしく、視線が細部に執着するが〈焼けるもの塩のまばゆき大書かな〉の魚の省略、〈竜宮城洗つて金魚鉢に戻す〉の急転換もポエジーに浅さがない。明確さへの意志が、句と世界に肉感をもたらしている。 夫の事故を扱った一連に〈患者IDタグも遺品や青葉寒〉があり、池田の句と生の一貫性を強く感じさせる。 「俳句αあるふぁ」秋号が、この30年を総括する特集「平成の暮れに」を組んでいる。だが、宮坂静生、長谷川櫂、対馬康子の鼎談が、平成も終わろうとする今、またしてもベテラン俳人がネットに対して否定的な目を向けるという、十年一日の俳壇的儀式の繰り返しに陥ってしまっている。長谷川が大衆迎合を批判しているが、この種の座談会自体が高齢者に向けた大衆迎合にほかならない。 なお、「ネット俳句」なるカテゴリは存在しない。「結社誌俳句」とか「句集俳句」といったものが存在しないのと同断である。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、内山花葉句集『沸点』より。 りんごむくうさぎの耳をたててむく 内山花葉 いいなあ、このリンゴむき。きっと子どもがわくわくしながら母の手元を見つめているだろう。句集「沸点」(ふらんす堂)から引いた。作者は茨城県つくば市に住む。江戸時代の歳時記ではリンゴは夏、中国から渡来したものを指した。明治になって西洋リンゴが導入され、秋の季語になった。リンゴむき、私も子ども時代から得意だ。 わたしの今日のお昼のデザートは家からもってきたリンゴ4分の1個。 残念ながら兎の耳はたててない。 へたくそなのよ。耳をたてるのが。 でも、赤い皮をちょっと残して剥く。 そこに渋みがあって皮も味わう。(友人に教えてもらった) これからリンゴがもっともっと美味しくなる季節がやってくる。 「豈」61号が届く。 特集は「俳壇の新人賞」 で、「田中裕明賞」についてyamaokaも書きました。 5月頃だったかしら大井恒行さんからご依頼をいただいて、最初は「へっ?わたしが書くんでいいのかしらん」と思ったのだけど、主催者としての視点からということなのかな、と判断して慎んでお受けしたのだった。 今日「豈」をいただいてみるとそうでもなくて、選者の方々が書いておられるのもずいぶんとあって、(あらら)って思ったのだけど、もう書いてしまったからいいわって今は思っている。 この「田中裕明賞」は、亡くなられた俳人・綾部仁喜氏の(ちょっとイヤと言わせないような)おすすめがあってのこと、そういう設立過程は書いておきたいと思ったのだ。 「豈」にはそこまでは書かなかったのだけど、綾部先生から渡されたメモのひとつには「若い俳人を育てること」という言葉がまずあったのだった。 この「豈」61号によって、俳壇において若手俳人のためのたくさんの賞があることをあらためて知るところとなります。 興味のある方は、「豈」61号を是非お読みください。 #
by fragie777
| 2018-10-17 19:06
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