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4月8日(火) 旧暦3月11日
今日は虚子忌。 別名、椿寿忌である。 ということで、 椿いろいろ。 今日は深見けん二篇高浜虚子精選句集『遠山』ふらんす堂文庫より。 椿の句を数句。 小説に書く女より椿艶 高浜虚子 ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 〃 風椿立ち直りつゝ花落とす 〃 落椿美し平家物語 〃 咲き満ちてこれより椿汚けれ 〃 昭和二十五年、目まいを感じてから、永年毎月行って来た「ホトトギス」雑詠選を長男年尾に譲り、その後は、次女星野立子主宰の「玉藻」に力を入れた。又昭和二十三年以来の朝日新聞の選に加え、小俳話を昭和三十年四月から隔週のせた。昭和三十四年(一九五九)三月三十日まで句会に出席、四月一日に倒れ八日に亡くなっている。八十五歳のまさに生涯現役であった。(深見けん二『遠山』解説より) そして、 椿寿忌やわが青春の稽古会 深見けん二 「はい、これ読んでおいてください。」ってドサッと机に置かれた。 「ああ、はい。。。」とわたしは答えた。 「ふらんす堂通信184号」のゲラである。 「コラム」があとからやってきた。 今回のテーマは、 「子どもの頃大事にしていたもの」。 スタッフの幼少時代を知ることができて楽しい。 これからまず眼をとおすか。。。 地上を真っ赤にそめた落椿。 #
by fragie777
| 2025-04-08 18:22
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4月7日(月) 旧暦3月10日
透きとおるような花びらをもったつつじ。 神代植物園にて。 うすクリームがやさしい。 背景にとけこむように、咲いている。 つつじとしてはとても地味。 こんな感じ。 「ヒカゲツツジ(日陰躑躅)」というんですって。 関東以西の本州、四国及び九州に分布する日本固有のツツジ。低山の山間にある岩場や水辺に自生し、数あるツツジ類の中でも唯一黄色い花を咲かせる。 ということである。 たしかに日の差さないところに咲いていた。 白ではなく、黄色に咲く唯一のつつじであるといういこと。 神代植物園にいくとその度にあたらしい植物に出会う。 それがとても楽しみ。 今日のふらんす堂でのこと。 「ねえ、ねえ、蒲+魚でなんと読むかわかる?」 わたしはにわかに知ったことをスタッフたちに聞いてみた。 「ええ? 魚の名前ですかあ?」とか聞いてくるスタッフも。 「ううん、どうかな」 スタッフたちはそれぞれ考えて、口々に魚の名前をいった。 「うふふ、蒲魚って書いてさ……」と、わたしは正解を口にしたんだけど、ご存じですか? これは一度覚えれば、きっと忘れないとおもうけど、。 答えは、「かまとと」。 「へえー!!」ってスタッフ一同。 理由は辞書なりをひいてみてくださいな。 わたしは、かつて一度教えられたような気がするけど、きれいさっぱり忘れていた。 だから、新鮮におどろいたのだった。 中日新聞の「中部の文芸」で、加藤かな文さんによって、竹岡佐緒理句集『帰る場所』が紹介された。 抜粋して紹介したい。タイトルは「季語に対する『絶対音感』」 冬の蜂死んで授業の再開す 初雪や脱いで溢れる脱衣籠 赤とんぼ明日が楽な日だといい 出合いにはタイミングというものもあろう。俳句に親しんだ若者すべてが俳句を継続するわけではない。それでも、場に応じて最適の季語を選び出す、季語に対する絶対音感のようなものは、若いときの習練を通してしか身につかないのではないか。〈初雪〉や〈赤とんぼ〉の句を見るとその思いが深くなる。 冊子「日中文化交流」に、伊藤一彦著『若山牧水の百首』が紹介された。 こちらも抜粋にて紹介したい。 (略)「旅と酒の歌人」ともいわれるが、牧水には自然から生まれ出た人間が自己を生きるとは如何なることかという問いが生涯身と心から離れず、それを問い続ける日々の伴侶として旅と酒と歌、そして家族があった。本書では、言葉、文体、韻律のほか詠まれた背景や由縁を解説し各首を鑑賞してゆく。死の四カ月前の歌「妻が眼を盗みて飲める酒なれば惶て飲み噎せ鼻ゆこぼしつ」では、死が迫るも少しも暗さがない牧水の近代歌人としてのユニークさも指摘する。また、牧水には十五の歌集があるが、結びの一首「降ればかく曇ればひそみ晴れて照るかの太陽をこころとはせよ」は、未収録であり、その意味で本書の刊行の意義は大きい。(略) 牧水生誕百四十周年の本年、効率や速さはまりが求められる時流をよそに、牧水の世界を味わってみたい。 深大寺の石垣の落椿。 #
by fragie777
| 2025-04-07 18:54
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4月6日(日) 旧暦3月9日
仙川のヒドリガモのつがい。 「あらまだ帰らないの?」って声をかけたのがほぼ一週間ほどまえ。 あるいはもう帰ってしまったかもしれない。 このマガモも。 水もどうにかもどった仙川。 よかった! 今朝、あたらしい部屋でめざめた。 ひさしぶりにバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを聴いた。 ここんとこ、引越し騒ぎで音を聞くということがあまりなかったのだ。 あたらしい空間で聴くバッハは新鮮だった。 部屋がコンパクトで密封性があるのか、音がよく響く。 ああ、好きだな。。。 気持ちをいれかえて、わたしは段ボールの山に向かった。 今日は桜の句より二句。 まずは、渡辺誠一郎著『佐藤鬼房の百句』より。 殺められたし空谷の桜どき 佐藤鬼房 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」とは梶井基次郎の言葉。梶井は、あまりにも美しい満開の桜が放つ、死臭あるいは、異界臭を嗅ぎ取ったからに違いない。 この句の桜は、人が決して踏み込まない谷中にある。森閑とした深い谷に、人に見られることなく花を付ける桜。鬼房は、桜と己自身が一つになって、死を夢見るのだ。死を得て桜は、誰に見られることなく、一層美しく咲き誇るのだろう。美しく生きることを願ったゆえに、鬼房が希求した理想の境地でもあった。(『枯峠』平成十年) そして、小川軽舟著『藤田湘子の百句』より。 しだれつゝこの世の花と咲きにけり 藤田湘子 雲居から咲きあふれたようなみごとな枝垂桜の姿が目に浮かぶ。老いさらばえた幹に夢見るような白さの花がはらはらと散りこぼれる。この世の花と言いながら、この桜にはかの世の香りがする。若いうちに詠んではこの句は嘘になる。 この句の二十三年後の四月十六日、すなわち湘子がこの世を去った翌日、私は一人で平安神宮の枝垂桜を眺めに行った。夕日に浮かぶ花を仰ぎながら頭の中でこの句を唱えた。この句は湘子の雄心そのものだとそのときしきりに思われた。(『一個』) #
by fragie777
| 2025-04-06 22:35
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4月5日(土) 玄鳥至(げんちょういたる) 旧暦3月8日
どうにか引っ越すことができた。 築何十年という中古マンションをリフォームして入居したのだが、まだリフォームが不完全なところに住み始めることになった。 写真は、新居にやってきたモモンガの「アン」。 引越しでもうヨレヨレである。 助っ人さんたちがいなかったら、引っ越すことは不可能だった。 引越しをうながされ決断して、ちょうど一年目で引越しが完了した。 怒涛のような一年だった。 とも思えるし、案外のんきだったかもしれない。 仕事場にはぐっと近くなって、もう車をおそるおそる運転して仕事場にいくことからは解放された。 仕事、頑張りますわね。。。 落ち着くまではまだ時間がかかりそうであるが、効率のよい暮らし向きにはなりそうである。 ブログを書くのもやっとという感じなので、今日はもう失礼をいたしますね。 今日生きて花の洗礼双肩に 古賀まり子 夜桜。 買い物がえりに。 #
by fragie777
| 2025-04-05 21:41
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4月4日(金) 清明 旧暦3月7日
今朝、間借りをしている部屋のまどから初燕をみた。 「おお! ツバメ!」と、しばらくその飛翔に見とれた。 今朝の、仙川駅前の桜。 老木である。 しかもここ数年の暑さにやられて息もたえだえな様子。 あちこち、支えられながらかろうじてその命脈をたもっている。 となりに若木の桜があるが、老木の桜の風姿のあじわいには若木はとてもかなわない。 と、わたしは思う。 歳月をやどした木の凄みは、桜ならではと思うのだ。 しかし、花は、 清らかでうつくしい。 よどみがすこしもなく、透きとおるよう。 新聞記事を紹介したい。 抜粋となるが紹介したい。 中村和弘句集『荊棘」(ふらんす堂)は題の通り、この世の悪、苦しみを直視する。42年生まれのベテランの句集で、苦吟の結晶ともでもいうべき佳句がならぶ。〈朧夜の花瓶の水に死臭あり〉〈春月に浮び上がりし虚(みなし)蟹〉〈大き泡吐きて鯰の萎みけり〉。生命の力強さをうだい上げるのではなく、萎(しぼ)んでしまう生々しさをリアルに捉えた。非情に徹して、かえって作者の思いの深さが印象に残る。 藤本美和子篇『綾部仁喜全句集』(ふらんす堂)は2015年に亡くなった綾部仁喜の仕事を一望できる一冊。04年に病気で声を失った綾部。(略)〈曼珠沙華水中は水透きとほり〉〈声失せて言葉かがやく白露かな〉〈年つまる南天の実の残り数〉俳句という器は何でも入れるが、究極のテーマは命につながってゆく。 ほかに、青木ともじ句集『みなみのうお座』(東京四季出版刊)について、1994年生まれの若い俳人の第1句集。〈その闇がみなみのうお座だと彼が〉〈決別の手紙やがては紙魚のもの〉。 「俳壇」4月号の鶴岡加苗さんによる「本の庭」では、中戸川由実句集『プリズムⅡ』と、『綾部仁喜全句集』が取り上げられている。 抜粋にて紹介したい。 中戸川由実句集『プリズムⅡ』 第一句集のタイトルも「プリズム」であった。著者はこの言葉にひとしおの愛着があるのだろう。プリズムは光を分散、屈折、全反射させるために用いる透明な多面体のこと。ページを開くと、林立する作品の闇を光が反射していくような感覚を味わう。 巻頭句〈初夏や船のポストに投函す〉に期待が膨らむ。(略)作者の人物像に目を向けると、娘を持つ母であり、孫の誕生・成長を見守る祖母である。〈嫁ぐ子の片道切符鳥雲に〉〈胎の子に名のついてをり春隣〉〈夜の新樹ひとりふたりと子を帰す〉(略)〈父母の遺影をならべ去年今年〉など、(略)ライフステージの変化を受容しながら作句する姿がしなやかであった。「方円」を経て、「残心」代表。 「綾部仁喜全句集』 (略)『沈黙』以後、補遺として「鶴」投句時代の句も収めた、資料的にも価値の高い一冊。詳細な年譜も作品理解を助ける。二〇一四年に「泉」を継承した藤本美和子主宰が中心となって刊行が実現した。綾部仁喜は、二〇〇四年に肺気腫による気管切開のため声を失ったが、病床から作品を発表、結社主宰として選句も続けた。(略) 〈いつの世も弟子遺さるる涅槃変〉(略)〈紅梅のその先の紅濃かりけり〉(略)〈立雛のまぬかれがたく立ちにけり〉(略)〈雪吊の中にも雪の降りにけり〉引き絞られた十七音に切れ字が響く。『沈黙』の〈三月の咽切つて雲軽くせり〉〈声なくて唇うごく暮春かな〉といった作品の静謐さ温かさには、こちらが励まされる思いを抱いた。 スタッフのMさんが、いま「お先に失礼します」と帰っていったのだが、 「yamaokaさん、パソコン、今日の4時どうでした」って、聞かれた。 「あら、大丈夫だった! 気づかなかったけど、、」ということで、わがパソコンは、4時2分の怪からは解放されたみたいである。 いつもパソコンの抵抗によって、午後4時2分に気づいたのであるが、今日はなんでもなくとおりすぎってしまった。 気づけばすこしさみしい。。 こちらは目の前の桐朋学園の桜である。 夕暮れの桜。 #
by fragie777
| 2025-04-04 18:29
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