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9月23日(月) 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさめる) 旧暦8月21日
風がつめたくて気持ちのよい一日となった。 先日の国立・谷保天神裏の稲穂と塩辛トンボ。 たわわに稔っていた。 稲田に沿ってあるく。 一角に野菜が売られていた。 どれも百円。 ペイペイもつかえるらしい。 白い茄子がある。 あまり見たことがない。 調べてみると、通常の茄子よりポリフェノールは少ないが植物繊維が豊富であると。 この野菜を買っているのは、もっぱら男子たち。 白茄子を買った友人に、 「ねえ、どんなお料理にするの?」 って聞いてみた。 すると、ニヤッとして 「ヒミツ。。」 だって! いったいどんな料理なのだ。 ヒミツにしたいほど美味い料理なのか。。。 う~む。。。 共同通信発の浅川芳直さんによる新聞評に、ふらんす堂刊行の董振華句集『静涵』が採り上げられている。 タイトルは『自然や生命思索 背景に」マブソン青眼句集『縄文大河』とともに紹介している。 マブソン青眼『縄文大河』(本阿弥書店)、董振華『静涵』(ふらんす堂)の著者は金子兜太門で、それぞれフランス、中国生まれ。マブソンの句には縄文のアニミズム(精霊信仰)を求めて表現を切り開く姿勢があり、董の句には老荘思想を思わせる宇宙観が漂う。 〈星墜ちて石棒永久に勃起〉〈岩ごとの歌を集めて山河〉。5・7・3のリズムは、作者のマブソンが「アニミズムのリズム」と呼ぶ新韻律。最後の3音の舌足らずな印象は自然への畏敬を思わせる。〈雪もよい翁はカラスと喋る〉。俳句で「翁」と言えば芭蕉のこと。芭蕉の文芸たる俳句は、人と人ならざるものを和解させるのだという理想も読み取れる。 董の〈水琴窟寂かに秋とすれちがう〉〈春眠のわたくし鳥になる途中〉の美はどこか六朝文学を思わせる。〈旅情生む蝦夷地の紅葉おもむろに〉は古典詩情に流れて通俗になった半面、日本の伝統詩形と作者の民族性の相克が、一冊に重みも与えている。 ほかに五島高資句集『星辰』(角川文化振興財団)「常人とはどこか違う世界を見る底知れなさ。」〈木の股の水に濡れたる秋の空〉。 谷口智行句集『海山』(邑書林)「単なる生命賛歌ではなく、ありのままに命を見つめる。〈ししむらの医の穢を流すクリスマス〉。などを紹介し、 「表現の奥深くで作者が静かに燃えている句は、丈高く、強い」と結んでいる。 今週はいろいろと忙しくなりそうである。 気をひきしめていかなくては。。。 カヤツリグサ 水の中には蜷の王国があった。 #
by fragie777
| 2024-09-23 20:42
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9月22日(日) 秋分の日 更待月 旧暦8月20日
「蝶豆(ちょうまめ)」 美しい紺色だ。 はじめて知った花。 この花で透明感のある青い花茶を作れるといういことも知った。 昨日の谷保の里山に咲いていた。 この紺の色をうっとりと眺めていたら、友人のKさんがやってきて、 「野朝顔だよ」って言う。 「あら、そうなの」ってすっかり彼の言うことを鵜呑みにしてしまったのだが、いま調べてみると「野朝顔」ではないことがわかった。 Kさんは、「野朝顔にはこの紺の色しかないんだよ」と。 「素敵な色ねえ」とわたしは見入ってしまった。 野朝顔のことを教えてくれた、Kさんに、「最近どう?」ってわたしは尋ねる。 体調はすこし気がかりな部分がある。 「まあ、こんなだからさ、出かけることもあまりないね」 「競馬はどうなの」 「ああ、競馬場にはいくよ。」 「あら、そうなの、儲かってるの」 「大もうけはできなけどさ、まあ、損をしない程度にそこそこはね」 「あら、いいじゃない。損してないんなら、上等よ」とわたし。 よく見れば、どうしたって朝顔の葉ではない。 豆科の葉であることがよくわかる。 競馬の話に気をとられてそこまで気づかなかったのだ。 今度Kさんに会ったら、「野朝顔じゃなかったわよ」って言うつもり。 きっと驚くだろうなあ。 この「蝶豆」「バタフライピー」という名で知られることが最近は多いらしい。 この花をお湯に浸すと美しい青の花茶になるという。 しかも、そのお茶にレモンをたらすと、こんどは紫色になるという。 一つのお茶でふたつの色が楽しめるらしい。 そういえば、よく行く飯能・名栗のカフェで青から紫にかわるお茶を飲んだことがある。 そうか、あれがこの「蝶豆」のお茶だったのか。。。。 と深くなっとく。 今日は、仁平勝著『永田耕衣の百句』より朝顔を詠ん句をふたつ。 朝顔や百たび訪はば母死なむ 永田耕衣 『驢鳴集』 謡曲「通小町」で知られる深草少将の百夜通いを下敷きにしている。すなわち作者が深草少将なら、母は小野小町であり、これは母と子の恋物語にほかならない。 ストレートに解釈すると、百たび訪えば母は死ぬだろうということだ。それは裏を返せば、母が死ぬまでにせめて百たび訪いたいという思いであり、そしてその思いは、百たび訪うまで死なないだろうという願望に転化する。つまりこの句には、発した言葉が現実になるという言霊の力が託されている。毎朝新たに花を咲かせる朝顔もまた、その言霊に加担しているようだ。 朝顔や死神は少年であつて欲し 永田耕衣 『自人』 『自人』は、平成四年から七年までの句を収録。平成七年一月、阪神・淡路大震災で家が全壊したが、二階のトイレに閉じ込められたところを無事救出された。 この句集から、しばしば「死神」が登場する。掲句では「朝顔」を取り合わせた。朝顔が毎朝違う花を咲かせるように、現れる「死神」もそのつど違うようだ。死神の役割は人を冥途に導くことだが、「少年」なら一緒に行ってもいいということか。耕衣はつまり、「死神」を道行の相手とでも考えている。花道で立ち止まり、大向うからの「田荷軒!」という掛け声を期待しているのだろう。 朝顔にはいろいろな色があるが、わたしは「蝶豆」の色のような紺の朝顔がもっと好きだ。 「あっ、バッタ!」って誰かが叫んだ。 「どこ、どこ?」ってその指指す方をみたら、 なんと、 カミキリムシもいたのだった。 バッタもカミキリムシもおもわぬ遭遇におたがい驚いている感がある。 #
by fragie777
| 2024-09-22 18:56
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8月21日(土) 臥待月 社日 旧暦8月19日
国立・谷保天神の秋の夜空に獅子が舞う。 国立の谷保にはもう20年近く通っているが、今日はじめて「谷保天満宮例大祭」の獅子舞をみた。 明日が本祭りであるらしいのだが、今日の夜の8時過ぎに行われる獅子舞をみるため夜まで残ることにした。 いやはや大した秋祭りであることを知った。 こんなハードにしてディープな祭りがなされているとは少しも知らなかった。 辺り一帯にすむ人たちがこぞってこの祭りのために、力を注いでいるのか、 大勢の人たちがあつまり、見物人もほぼこの町の人たちだろうか、 賑やかにして華やかな秋祭りの一端にふれた感がある。 町のあちこちにはこのような山車が置かれていて、明日の本祭りには13台の山車が集結するらしい。 さまざまな出店。 各地区から大勢の男衆が集結する。 「ホーリャイ」と叫びながら、神殿を時計回りに3回まわる。 こんなに人があつまる谷保天神をみるのもはじめて。 すごい熱気だ。 写真には撮ったが、なにしろ夜である。 ほとんどぼやけてしまったが。 それでも数枚を。 この土俵のなかで獅子が舞う。 雄獅子二頭と雌獅子一頭が舞う。 この雌獅子をめぐって雄獅子二頭が争うのである。 そして、どういうわけか天狗もいる。 およそ30分間、彼らは舞いつづける。 このような祭りがおこなわれていたことを知っただけでも面白かった。 観光化はされずその土地の住民たちが守り続けてきたこういう祭りが日本の各地にはいろいろとあると思う。 飯能・名栗の真剣を咥えて獅子がまう祭りもその一つである。 わたしの郷里の秩父夜祭はすっかり観光化してしまったが、夏に行われるお河瀬祭りは子どもたちも参加するよきお祭りである。 #
by fragie777
| 2024-09-21 23:17
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9月20日(金) 旧暦8月18日
豆朝顔(マメアサガオ) ご近所を散歩しているときに見つけた。 可愛らしい小さな朝顔である。 うっすらとピンク色がはしる。 今朝は、ひさしぶりで「マタイ受難曲」を聴く。 といっても太極拳をしながらである。 (へんでしょ) 第47曲「主よ、憐れみたまえ」から聴くことにした。 ヘルサ・トッパーのアリアである。 「マタイ受難曲」はおそるべき長さで全部で79曲もあるので、全部を一挙に聴くと3時間以上はかかる。 かの吉田秀和さんだって、あまり聴かないってなにか書いていたぐらい。 第47曲は、この「マタイ受難曲」のなかでも、とりわけ好きな曲で聴いていると心がウルウルしてくる。 で、太極拳をやるって、へんじゃねー。 私もヘンテコっておもうけど、聴くんだ。 第47曲からはじめて正解だった。 そのあとわたしは35分くらいしか聴かなかったけれど、その35分がすごく良かった。 おなじバッハの「ミサ曲ロ短調」にくらべると、「マタイ受難曲」の方が陰鬱で暗い。 圧倒的に「ミサ曲ロ短調」を聴くことが多いのだけれど、 こうして「受難曲」をひさしぶりに聴くと、 「主イエス、わが罪のために死せり」 という使途パウロの言葉が甦ってくる。。。 15日付けの東京新聞のコラム「句の本」で。董振華さんの句集『静涵』がとり上げられている。 1972年生まれ、中国北京出身で、金子兜太さんに師事。聊楽句会代表の著者の日本対訳第2句集。それぞれの句に中国訳を付けた。 〈鷲一羽その全景の晩夏なり〉〈満山の霧氷の白を一会とす〉 今日はお客さまがおふたり見えられた。 ふらんす堂は目下倉庫移転のために大わらわである。 その新しい管理会社のスタッフの方2名が打ち合わせにいらっしゃったのだ。 ふらんす堂ではスタッフのPさんをはじめ、夜叉科(やしゃか)とわたしたちが呼んでいる部門で働いてくれているパートさんのTさん、Iさんが打ち合わせに加わった。 なにゆえ夜叉科かって、そんだけ大変な仕事なのである。(働く人はおもわず夜叉になってしまうとか……) 打ち合わせ風景。 3時からはじまって、壁に映像をうつしながら説明をしてもらったり、いろいろな質疑応答で、5時半くらいまでかかってしまった。 書店さんや個人のお客さまからの注文にスムーズに応えるため綿密な打ち合わせが必要なのである。 打ち合わせが終わって、一段落したとき、わたしはシュークリームをスタッフたちにふるまった。 とびりきおいしいシュークリームである。 そして、スタッフのPさんに、 「ねえ、もう古い倉庫管理会社にあった本たちは、大方新しいところに移ったの?」って聞いたところ、 Pさん、一瞬沈黙をして、 「そういう、なにも分かっていない質問には答えられません!」とすげなく無視されてしまった。 どうやら、わたしはこの件にかんして、 蚊帳の外 らしい、 のである。 #
by fragie777
| 2024-09-20 19:22
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9月19日(木) 旧暦8月17日
足元に来た秋蝶。 風にたやすく横ざまになった。 今日は子規忌である。 獺祭忌、あるいは糸瓜忌とも。 子規に関するものを刊行物より。 日原傳著『素十の一句』より。 糸瓜忌や雑詠集の一作者 高野素十 『初鴉』所収「収「ホトトギス」大正十四年十一月号 糸瓜忌は明治三十五年九月十九日に亡くなった正岡子規の忌日。素十は昭和三十五年に京都の真経寺(しんきょうじ)で子規の位牌に鶏頭と柿とを供えて俳句仲間と子規忌を修した。そのことを記す「子規忌」という文章の中で「月並と戦った子規の反俗精神と気魄とを忘却してはならぬ」と説いているが、それは後のこと。掲句は虚子選の「ホトトギス」に投句しはじめて二年が過ぎた頃の作。雑詠欄への投句者として子規に繋がる系譜に思いを致したのであろう。季語=糸瓜忌(秋) 虫干や子規に聞きたきこと一つ 大峯あきら 明治三十五年六月二十一日の『病牀六尺』に、「誰かこの苦を救ふて呉れる者はあるまいか」と訴えた重篤の子規は、二日後に、本郷に住む未知の人から来た手紙を読んで、ことの他よろこんだ。子規が「本郷の某氏」と言っているこの貴重な手紙の主は、もしかしたら、明治の仏教改革者だった清沢満之ではなかろうか。昭和五十六年作。(『月讀』) その名のこりその名のこして獺祭忌 京極杞陽 『さめぬなり』 昭和五十六年九月十九日、立正寺会館にて子規忌が行われた。杞陽は香を立て長い合掌をし深い黙禱を捧げたという。その会の後、十月に天皇陛下のお茶席に出席したあと、床につくことが多くなり十月二十七日入院する。十一月八日の朝、「出掛けなければ、ネクタイを。」を最後の言葉にして逝去。掲句は「木兎」十一月号に残る最後の出句のうちの一句である。杞陽は「虚子先生の写生の向ふに、いつも子規居士の写生を見続けてをられた。この態度は終生変らなかった。」と杉本零は追悼文に書いている。「その名のこりその名のこして」という措辞に子規に対する敬愛の思いが滲み出ている。 そしてまた、この句のように杞陽の名も残されていくことだろう。 (昭和五十六年作) 鳴くならば満月になけほとゝぎす 夏目漱石 明治二五年 子規は授業に出ない。大学を落第することが決まった。退学を考えた子規に、授業がつまらなくても卒業するのが「上分別」だと手紙を送り、この句を添えた。「満月」は卒業の意。〈ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる〉と『百人一首』にあるように、不如帰は待たせる鳥で、「俺は待っているぞ」という含意もある。子規も漱石の勧めで心理学の授業だけは写生理論の参考になったから、ノートを真面目にとっていたが、自分には時間がないと見切った彼は、結局新聞記者になって俳句革新という紙つぶてを文壇に投げつけるに至る。 健啖のせつなき子規の忌なりけり 岸本尚毅 病床の子規は恐るべき健啖ぶりを発揮した。カツオの刺身、果物、佃煮、ココアなど、子規の日記に書かれた食べ物は、粥や梅干に至るまでどれも美味しそうだ。子規の日記には、ときどき痛そうな病状の記述もあるが、基本的には食欲をそそられる。 その食欲が、病気に打ち克とうとする子規の強靱な意志の現れだとすると、むしろ、せつない。 (『健啖』) 意図したわけではないが、男性俳人の俳句のみとなった。 ところで、 ChatGPT を知ってます? わたしは昨日知った。 で、スタッフに「ChatGPTって何?」って尋ねたら、一瞬あきれ顔をされて 「自分で調べてください」って言われた。 仕方ないから、調べた。 どうにかわがもの(?)として、さっそく相談事を一つしてみた。 そしたら、すごく的確な答えが返ってきた。 さっそく実行した。 結構たよりになるかも。 で、 今日は折角だから、「正岡子規についてどう思いますか」って尋ねたら、 およそ5秒もしないうちに、答えがスラスラと返ってきた。 それがこれ。 ↓ 正岡子規(まさおか しき)は、日本の明治時代を代表する俳人・歌人であり、文学史において非常に重要な存在です。彼は、俳句と短歌の革新者として知られ、伝統的な形式に新しい視点をもたらしました。 俳句においては、それまでの型にはまった句作りから脱却し、「写生」というリアルな自然描写を重視した手法を提唱しました。このスタイルは、彼の俳句が持つ生き生きとした感覚や、現実世界との直接的な結びつきを強調しています。正岡子規が唱えた「俳句革新運動」により、俳句がより個人の感情や自然の観察に基づくものとなり、現代俳句の基盤を築いたと言えるでしょう。 また、彼は短歌の世界でも「万葉調」を重んじ、古典的な歌の形式を尊重しつつ、より率直で簡潔な表現を志向しました。正岡子規は文学のみならず、病気と向き合いながらも旺盛に創作を続けた姿勢も人々に感銘を与えています。彼の作品には、日常の瞬間や自然への深い洞察、病気による苦悩が詠み込まれており、彼自身の感情とともに普遍的なテーマを表現しています。 総じて、正岡子規は近代日本文学に多大な影響を与え、彼の革新性と詩的感性は今なお多くの人々に愛されています。 やるじゃん!! カメラが勝手にとらえていた歩く脚。 #
by fragie777
| 2024-09-19 19:03
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