カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
2月4日(木) 東風凍解(はるかぜこおりをとく) 旧暦12月23日
明るい日差しのなかで日向ぼっこをしている鴨たち。 いつもいそがしく動き回っているコガモもゆっくりとしている。 秋にやってきたこの鴨たちもやがて帰ってしまうかと思うと、とても寂しい。 人間関係が稀薄になった分、わたしのありあまる愛情(?!)は、人間以外の生きものにむかっていく。 彼らには知らぬ存ぜぬのことだろうけど。。。。 あら、かわいい、とか、まあ、綺麗とか、畢竟それほど高尚の愛情ではなくて、お安い愛情なのかもしれないけどなあ。 まっ、いいか。。 すすめている西宮舞さんの句集の箔押し見本があがってきた。 とりだしたところそのあざやかな華やかな色にふらんす堂室内がいっしゅん明るくなったほど。 こんなブルーのクロスを使うことなんてなかなかできない。 装幀のなかでうまくマッチしないと無理である。 当初は、鮮やかなグリーンだった。 西宮舞さんは、グリーンよりブルーをご希望されたのだった。 そこで提案したのがこの色。 もう一色もう少し落ち着いた色を提案したのだが、西宮さんはこちらを選ばれたのだった。 もとより使ってみたかったクロスである。 イタリアの明るい海の色を思わせるようでもあり、なんと呼んだらいいだろうか。 いま色見本帳で一番近い色をさがしてみた。 日本の伝統色で近い色は紺碧(こんぺき)と名付けられた色か、フランスの伝統色をさがす、もっと近い色があった。 ACIDE-BLUE 直訳すれば酸性のブルーとなるが、「言い換えれば果物の酸味。ブルー・アシードは緑がかったブルー」とある。果物を感じさせるブルーというのも面白い。 あるいはこのブルー、わたしにはどこか馴染みがある。 そうか、沖縄紅型などに使われている青にも近い。 家が呉服屋なので、いつのまにかそういう色が刷り込まれていて懐かしさを呼び起こすのかもしれない。 ともかく、ああ、なんていい色!と、すごく幸せな気持ちになったのだった。 さっそく西宮さんに写真をメールしたところ、 「とても素敵です!」というお返事。 この鮮やかな青をまとった句集がまもなく出来上がってくる。 カバーもはんなりと美しいものとなった。 句集名は「鼓動」。 第5句集となる。 楽しみにしていただきたい。 俳人協会より「俳句文学館」報がとどく。(2月5日号) 「この一冊」という欄に、鈴木久美子さんによって伊藤敬子著『鈴木花蓑の百句』が紹介されている。 「俳句における写生の大切さを問う一書である」と。 昨年著者の伊藤敬子氏は急逝をされたが、本著はその数ヶ月まえに伊藤氏によって一挙に書きあげられたものである。 原稿用紙がドサッと送られてきたときは、ちょっと唖然としてしまったのだが、もとより「花蓑の百句」は刊行したかったもの、その情熱にひっぱられようにしての刊行となった。 「花蓑研究」で俳人として出発した伊藤敬子のすざまじいまでの情念が書かせたものか。 あらためて伊藤敬子氏の生前のご尽力に御礼を申し上げたいと思う。 花蓑の句を知るためのテキストとしては最良のものである。 大いなる春日の翼垂れてあり 鈴木花蓑 翅立てゝ鴎ののりし春の浪 〃 流し雛堰落つるとき立ちにけり 〃 #
by fragie777
| 2021-02-04 18:49
|
Comments(0)
2月3日(水) 立春・初午 旧暦12月22日
立春である。 写真は桂の木。 「ふらんす堂通信167号」の編集後記にスタッフの緑さんが、「林檎のコンポート」をつくったことを簡潔に書いている。それを見たパートのIさんが、「林檎はどのくらいに切るのですか。水はどのくらい?」などなど詳しく聞いている。そばにいたPさんも興味を持ったらしく話に加わっている。 そもそも「林檎のコンポート」(このコンポートっておしゃれな名前だけれど、つまりは砂糖煮のことである。)を緑さんが造るようになったその契機は、林檎の皮を剥いて食べるのが面倒なので、えいっ、コンポートにしちまえ、っていうことらしい。林檎の皮をむくことがぜんぜん面倒ではないyamaokaには、かえってコンポートにする方が面倒なような気がするのだけれど、緑さんにとってはいっぺんに皮を剥いて、煮てしまったほうがラクチンなようなのだ。スタッフのPさんも、林檎の皮を剥くのが面倒くさい、と言う。 訳わかんないよ、林檎の皮なんて簡単に剥けるじゃん、わたしは林檎の季節には毎朝ヨーグルトに入れて食べるので皮を剥いている。10秒もかからないで剥けるよ。と言いたいところだが、人間はそれぞれ面倒臭いって思う部分が同じではないし、違うところが面白いので、つまりはフーンて聞いている。 ああ、林檎のコンポート、食べたいな、でも作ってまで食べようとまではおもわないyamaokaである。 あなたは、どっち。 林檎の皮をむくのが面倒臭い派?、それともぜんぜんヘイチャラ派? 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 178頁 二句組 著者の水岩瞳(みずいわ・ひとみ)さんの第1句集『薔薇模様』(2014年刊)につぐ第2句集である。水岩瞳さんは、名古屋市生まれ、名古屋市在住、現在は「古志」同人、現代俳句協会会員、中部日本俳句作家会会員、短歌結社「塔」所属、中部ペンクラブ会員、2004年には、小説『あの夏のニセコから』を刊行、2014年には古志俳論賞を受賞されている。 本句集は2014年から2020年夏までの作品を収録。句集名の「幾何学模様」は、〈エプロンの幾何学模様レモン切る〉に拠る。 「あとがき」で、俳句に対するご自身の思いを率直に書かれているので、すこし紹介したい。 『幾何学模様』は、私の第二句集です。二〇一四年から二〇二〇年夏までの句を収めました。第一句集『薔薇模様』のラストの句、「混沌はわたしの証し春の泥」の立ち位置から再出発した私には、「俳句とは何か」という問いが今も常にあります。小説を書いていた時、小説とは何かという問いはありませんでした。三年前から始めた短歌も、短歌とは何かという問いはありません。小説は勿論、短歌も紆余曲折を経て、今では何でもありになりました。何でもありとは、表現の多様性であり、表現の多様性があってこそ、文学です。 でも、俳句は、紆余曲折しながらも、どうもまだ何でもありではないようです。だから、「俳句とは何か」「俳句は文学なのか」という問いが付きまといます。俳諧は、もっと自由なものではなかったのか。今の私には、芭蕉が言い残した「俳諧いまだ俵口をとかず」(『三冊子』)が一番心に届きます。芭蕉ほど作風を変えた人はいません。作風の変遷を繰り返しながら、俳風を打ち立て、不易流行を宣布し、最後は軽みについて力説した芭蕉です。しかし、晩年の俳風が芭蕉の考える究極の作風というわけではない。そう誤解されることを恐れて、「俳諧いまだ俵口をとかず」と言い残しました。この言葉は、俳諧の可能性は無限にあると、芭蕉が固く信じていたということではないでしょうか。 明治以降は、自由律、客観写生、新興俳句、人間探求派、社会性俳句、前衛俳句などが登場し、俳句表現の革新の歴史があります。私は個々の俳句に感動しながら、しかし本に「俳句はこういうものだ」と書いてあると、「本当にそうなのだろうか」と、思ってしまうのです。だから、今も俳句がよくわかりません。 「俳句とは何か」という問をしつづけながら、俳句を作っておられる水岩瞳さんである。 海底に六色クレヨン三月忌 マフラーを巻いて世間に紛れ込む やはらかきひとのこころやふきのたう 京嫌ひなれど今年も鉾祭 色変へぬ松にも変はりたき心 みちのくの魂が宿りし氷柱かな いつまでもどこかが少女野紺菊 雨の日の日記一行辛夷咲く 風死せり絵筆の声を今に聴く 無常とは慈しむこと蕗のたう 八月の金魚ラヂオを聴いてゐた 新涼の畳よろこぶ猫の足 今日もまたふくら雀の好きな枝 禍や会つておかねばならぬ朱夏 担当の文己さんの好きな句である。 マフラーを巻いて世間に紛れ込む この句はわたしも好きな一句である。この句は校正のみおさんも好きな一句であるということ。ふらんす堂では人気の一句だ。マフラーってそれはもういろんな種類のものがあるし、わたしも20本くらいもっいるけど、言ってみればやや長めの長方形を主体としたシンプルなかたちの首にまくものだ。首が寒いと心許ないものであるけれど、こうぐるぐると巻き付けると暖かいし自分を守ってくれるものともなる。それは物理的もそうだけど、心理的にもマフラーがあるのとないのでは俄然ちがう。向こうから会いたくないヤツがやってきたらマフラーに顔をうずめてやり過ごす。マフラーは頼りになるグッズである。この句「世間」がいい。「世の中」でもなく、「この世」でもなく「世界」でもない。「世間」を広辞苑でひくと、仏教語で「有情の生活する境界」とあって、つまり「世間」って人間のややうっとおしいさまざまな意識(目線)が横行している、そんな境界である、そこに「紛れ込む」にはマフラーを巻いていくのが一番。意識的でくったくのある女性像がみえてくる。 いつまでもどこかが少女野紺菊 この句も印をつけた一句。「野紺菊」がいい。野菊を代表する菊であり、野山に生える親しみやすい菊だ。「紺」という字があることによって、女学生に制服の色を連想させ、また、成熟にはいたらない固い色を思わせる、嬌態の色からはほど遠いものだ。固さをのこした少女のイメージである。「いつまでもどこかが少女」という措辞は、成人した女性の多くが誰もが感じることなのかしら、わたしはあえて尋ねたことはないのだけれど、どうなんだろう。ただ、この作者はそれを肯定的にも否定的にもとらえているわけではなく、ふっと感慨のように野紺菊の前に立ったときに思ったのだろう。いや、あるいは成熟しきれない、大人になりきれない自分をややもてあましている、そんな思いがあったのかもしれない。わたしのように「少女を自分のなかに飼っているのよ」なんて豪語している人間は、案外少女らしさのうぶな心をどっかにやってしまっている可能性があるけれど、この作者には少女の純な心があって、時にそのことによってかなしい思いをすることもあるかもしれない。だから野紺菊は作者を惹きつけるのだ。 鶏頭と並んで立つて意見言ふ これはわたしの好きな句。笑ってしまった。誰かにもの申しているのである。その場の空気は、なごやかではない。かなり緊迫しているのかもしれない。しかし、意見を言っている本人は大まじめであるのだけれど、そばに控えているのが鶏頭である。まるで自分の仲間であるかのようにその鶏頭と並び立ち、意見を言っている自分を描いているのだ。鶏頭だから仲間に引き入れてみたくなるのもわかる。確かに鶏頭の丈ってほぼ人間の身長と競っているし、その立っている存在感もいっぱしのものがある。草花というよりも、なにかもっと別の生きもののように思えてくる。鶏頭をこんな風に詠むなんて、この句、やっぱり面白い、好きだわ。 葉牡丹の渦がゆるんできて夫婦 これは校正者の幸香さんの好きな一句。「ご夫婦で散歩中に見かける 景を想像しました。この葉牡丹が長年連れ添った良い間柄を象徴しているようで もあります。」と幸香さん。わたしも○をつけたのだが、幸香さんの鑑賞どおり、「ゆるんできて」というところに、熟年夫婦の関係がうまく詠まれているなあって思ったのだが、若い幸香さんがこの句を選ぶとは、恐れ入りました。 ほかに、〈京に飽く京のお人と無月かな〉の句も面白いと思った。「京に飽く」と句集の見出しにもなっていて、「京(都)に飽く」なんていうことがあるのだろうか。とおもったのだが、「京のお人」ってあって、ああ、なるほどと納得。「京のお人」っていうことばもはんなりと京らしい。しかも「無月」がなんとも心憎い。京都に飽き飽きしているお人には、「無月」こそ、意味深い、などと関東女のはんなりしていない雑駁なyamaokaは思うのです。 本句集の装幀は、君嶋真理子さん。 水岩瞳さんのこだわりをうまくデザイン化した。 グリーンがテーマカラーか。 カバーをはずしたところ。 扉。 桜蕊降るアンチテーゼの嵩ほど 俳句を始めて十四年、まだ俳句がよくわからないという私の疑問に、池田澄子先生は、「私もわかりません。わからないから、俳句をしているのです。」と、答えてくださいました。わからないから、俳句をしている。この御言葉に、私は大いに納得し、大いに励まされました。(「あとがき」より) 句集を上梓された水岩瞳さんから担当の文己さんへメールををいただいた。 お好きな句を14句もお知らせいただき、有難うございました。 私は、第一句集の時と同じように、第二句集も、読んでくださった方の選をまとめたいと思っています。 最初の読者であり、最初の選のお知らせが。横尾さんでした。 ちなみに第一句集『薔薇模様』の読者の選ベスト3は、次の句でした。 どろどろのマグマの上のかたき冬 円かなる月の単純愛すかな 混沌はわたしの証し春の泥 水岩瞳さま この3句、わたしよく覚えています。 この度の句集『幾何学模様』のベスト3は、何という句になるのでしょう。 結果が出ましたら、是非におしえてくださいませ。 前句集につづき、ご縁をいただきましたこと、感謝申し上げます。 #
by fragie777
| 2021-02-03 19:51
|
Comments(1)
2月2日(火) 節分 旧暦12月21日
春間近。 水に映ったわが影。 3㎏痩せたのだけれど、とてもそんな風にはみえやしない。 ある方とメールのやりとりをしていて、なんて書いたかと自分のメールを読み直したところ、 「おはようございます」と書いたつもりが、 「おひょうございます」となっていたことに気づいた。 恥ずかしい……。 しかし、これは読み直して気づいたからよいが、わたしはこんな間違いをほかにたくさんしているはず。そう思ったら一挙に恥ずかしさが倍増した。 書いたメールなんて読み直すもんじゃない、わね。。。 (って、そこにいくか! どうも反省する所がちがうような気がする。。。) 実はメールを書いた相手の方が、想像していたよりもはるかにあわてんぼうで、(あらまあ、慌てん坊さん)なんて思いながらメールを書いていたのだが、人のこと言えやしない、というわけである。 わたしは、奥坂まやさんが組長の「おっちょこ組」のメンバーであるが、このお方も「おっちょこ組」に紹介したいと思った次第。 「ふらんす堂通信167号」が出来上がってきた。 友の会の皆さまへの発送は、4日となりますので、お手元に届くのは今週末から来週にかけてになると思います。 すこし遅れてしまいました。 ![]() よろしくお願いいたします。 神野紗希さんが、日経新聞に4回にわたって「いま読む新興俳句」と題して新興俳句について連載をされていた。 1月27日の夕刊がその最終回である。 2018年に刊行した『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』も好評のうちに再版をし、いまでは品切れとなってしまった。 目下、電子書籍にて再版すべく製作中である。 紙の本では、それぞれの俳人の百句抄が、頁数の関係により活字が小さくてそれがすこし残念であったけれど、電子書籍の場合、活字を大きくして読むことができる。 また検索に秀でているので、資料として持っておかれるのもよいと思う。 2月中の刊行をめざしております! 今日は節分である。 冬の最後の一日、そして明日からは春。 雨に来て節分の人となり歩む 井上白文地 節分の豆十粒ほどまいたりけり 嶋田青峰 #
by fragie777
| 2021-02-02 18:42
|
Comments(0)
2月1日(月) 旧暦12月20日
春近し。 この日の鴨たちはみな元気だった。 仙川をいったりきたり、忙しそうだった。 春近しらららとうごく鳥の舌 津川絵理子 2月となった。 首を右から左にふったら2月が終わっていた、 そんなあっという間に終わってしまう2月である。 一年に一度胃の定期健診をしている。 今日はその日。 胃カメラをのむのであるが、わたしはとても苦手なので、いつも眠っているうちにやっちまってもらうことにしている。 車でいけばその病院は10数分で行けるのだが、電車をつかって駅からあるくとなると30分はかかる。 しかし、薬をつかうので車ではいけない。 何度も行ったことがある病院ではないので、iPhoneマップに頼ることにした。 駅について、その病院を検索して経路をたどる。 すると道順をおしえてくれる。 使っている人も多いと思うので、知っていると思うけど、たいへん便利である。 が、 今日は、ちょっと様子がおかしい。 ずいぶん遠回りをさせるみたいだ。 こんな風に行くの!って思ったが、まっ、いいか、って 信じてずんずん歩いていく。 まだまだ先だ、曲がるのは。 でも、ここで曲がった方が明らかにいいのな、って思わせる道がいくつかある。 どうしようか、まがろうかなあ、 わたしの感を信じるか、iPhoneを信じるか、、、 で、 iPhoneを信じることにした。(わたしってあてにならない人間だからね) ふたたび、迷う。こっちに行った方が近いよなあ。 所要時間もはじめに想定していたよりもかかる。 まあ、朝の良い運動ということで割り切ることにしたのだが、、 ひたすら歩く。10分くらいでつくって聞いていたのだが、20分余かかってる。 やっと着いた。 ヤレヤレである。 で、 iPhoneを落ち着いてみたところ、 あらら、いやだ、 徒歩で検索しないで、車のコースで検索していたのだった。 王道を遠回りさせられた訳だわ。。。 勘違いや、無駄の多いわたしの愛すべき人生である。 ブラボー。。。 ![]() ところで胃カメラの結果は、 「yamaokaさん、胃がどんどん若返ってますね!とてもきれいです」 ですって。 お昼は、わたしの若返った胃へのご褒美に美味い「カツサンド」を食べさせてやった。 帰りの道で会った日向ぼっこをしていた猫。 帰りはスイスイって楽勝だった。 ついでにいままでの飲んだことのない炭酸飲料をセブンイレブンで買ってみた。 ゼロカロリーって書いてあった。 しかし、すこぶる甘かった。。 #
by fragie777
| 2021-02-01 18:57
|
Comments(0)
1月31日(日) 旧暦12月19日
春近し。 昨日、仙川沿いを歩いて日差しのまぶしさにつくづくと、春が近いことを実感したのだった。 いま一月の暦をとりさって2月の暦にした。 立春まであと数日であることをいまさらながら確認。 フランス文学者でプルーストの研究者であり翻訳者でもある友人の高遠弘美さんから面白い本をおくってもらった。 ファニー・ピション著 高遠弘美訳 『プルーストへの扉』 白水社刊 定価2100円+税 タイトルで一目瞭然なように「プルースト入門」である。 プルーストは読書好きな人であるならば、一度は読んでみたいとおもう作家ではないだろうか。 その代表作『失われた時を求めて』はその甘美な匂いのするタイトルに引かれて、頁を繰ってみることはしても、大方挫折してしまう。 「難解」などさまざまな理由が考えられるが、なかなか一筋縄ではいかない小説である。 本著は、そんな読者を始め、これからプルーストを読んでみようという人にまことに格好な入門書である。 『失われた時を求めて』について、著者・ファニー・ピションはこう書き始める。 「プルースト早わかり」「本著の原題 Pruost en un clin d'oeil! の直訳)などと言えば、それはあり得ない企てのように見えます。『失われた時を求めて』は三千ページからなり、五百人の登場人物がいる、文学史上最長の小説のひとつだからです。作者は自分の作品を大聖堂に喩えています。圧倒さるほど大きいのに、細部を見ると、この上なく精緻な彫刻が施されている建築物と言えばいいでしょうか。作品の長大さと微細さはどちらも『失われた時を求めて』の特徴ですが、ある種の読者はそのせいで読む気をなくしたり、さらにはプルーストは読みにくいと言ったりするのです。 ささやかながら本書の目的はそうした先入観を払拭することにあります。本書が目指したのは、作者がどういう人間だったかを説明し、作品のさまざまなテーマを駆け足でめぐり、厳選したたくさんの引用をちりばめ、基本的な主要登場人物を紹介することでした。ひとことで言えば、『失われた時を求めて』を読んでみたいと思っていただくこと、それに尽きます。自分の人生を変えた本として挙げられるものはごくわずかですが、『失われた時を求めて』はまさにそうした本に属しています。(略) 本著は大きく三つにわかれ、第1は「マルセル・プルーストとはどういう人間だったのでしょう」、これはわたしはとても興味深く読んだ。第2は「なぜプルーストを読むのでしょうか」。これについて12の項目があげられているのだが、この切り口が面白い。たとえば、「人は誰でもいくらかはスノッブだから」とか「『幸せな愛などない』から」、「プルーストは異端でありLGBTだから」「どんな大人のなかにも子どもは存在し続けるものだから」などなど、わたしの興味のあるものからあげてみたのだけれど、ふふ-ーんって思って読んでみたくなるでしょう。そして第3は、「そうプルーストは読めない作家ではありません」ということで、「プルーストの書き方を理解する」とある。これはプルースト理解の一番の手引となるものだと思う。なにゆえ難解に思えるのか、それについての説明、プルーストの想像力にわたしたちの脳も鍛えられるかもしれない、とふと思う。また、『失われた時を求めて」には、500人もの登場人物がいるっていうことは、それを読みすすむことで一つの人生を人間観察もふくめてたっぷりと経験するようなものでもあるのではないかしら。 本著についていえば、まずこれを初めから終わりまで読み通すのでもいいけれど、『失われた時を求めて』を読みながらその傍らにおいて、手引き書として読む。そういうものであってもいいとわたしは思った。 巻末には、この著書に登場する固有名詞索引、プルースト関連年表(写真あり)、文献目録、が付されている。 訳者の高遠弘美さんの巻末の「あとがき」を抜粋して紹介したい。 ここ数年、私が気になって仕方のないことがあります。それは『失われた時を求めて』で「挫折」するかどうかを気にする方が少なくないということです。 さまざまな機会に申し上げていることですが、本には読むにふさわしい時があります。『失われた時を求めて』をいま読めなくても、あるいは生涯縁がなくても構わない、ただし出合うことができればこれほど豊かな読書の時間は滅多にないと思うのです。その代わり、全篇読んだかどうかを他人と競う必要もありません。読書とはきわめて個人的な経験であり、誰かと競って勝ち負けを争うような行為ではないからです。 ピジョンの本はどうして『失われた時を求めて』を読み続けるのかという問いにつねに立ち返り、訳者のひとりである私にさえ励ましを与えてくれます。これだけ薄い本なのに豊潤な印象を与えるのは、なぜプルーストを読むのかという問いに真摯に、ときにはユーモアもまじえて答えようとしているからです。 本書によって、マルセル・プルーストはわたしたちにぐっと親しい人間となり、『失われた時を求めて』を読んでみようかとAmazonを検索した人が、あるいは書店へと足を向けた人が確実にいるだろうなってわたしは思ったのである。 『失われた時を求めて』の輪郭がいきいきと立体的に立ち上がってくる、そんな一冊である。 表紙カバーの色合いもわたし好み。。。 かつて二度ほど訪ねたパリ・オルセー美術館。 その度にマルセル・プルーストの肖像画の前に立った。 ふたたび見ることができる日がやってくるのだろうか。。。。 #
by fragie777
| 2021-01-31 19:50
|
Comments(4)
1月30日(土) 雞始乳(にわとりはじめてとやにつく) 旧暦12月18日
この第七十二候の雞始乳(にわとりはじめてとやにつく)の意味は、春の到来を感じた鶏が、卵を生み始める時期であるということ。 今日はそんな春を予感させるような明るい日差しの一日だった。 風は冷たかったけれど。 ![]() 真青なる空で一日がはじまった。 仙川沿いを散歩する。 鳥たちが元気だ。 鳥って不思議だ。 人間が鳥を意識しないで側を通り過ぎても逃げないのだが、意識を鳥に向けると逃げてしまう。 人間の視線に反応するのか、それとも人間の意識に反応するのか。 今日のわたしの感触は、視線よりも意識ではないかって思った。 草むらから小さな鳥が飛び出した。 雀?って思ったけれど、カメラで撮ってみたところ、 これはアオジである。(すこし前に本井英氏におしえて貰った鳥) 目のところが黒いのはオス。 近くにいたのが鶫。 少し前に仙川沿いでもみたが、今日はこの鶫をほかの場所でもみた。 このへんにはたくさんいるのかもしれない。 ヒヨドリ。 頭がくしゃくしゃでいたすらっこみたいで可愛い。 声はなんともうるさいけれど、、、、 椋鳥。 たくさんのムクドリがあっちこっちにいた。 集団行動をする鳥だ。 こちらも集団行動だ。 群がっている雀。 とても元気な寒雀たち。 そのうちの一羽。 雀は人の視線に一番敏感かもしれない。 身近な鳥であるけれど、 近づくことは難しい。 今日の翡翠。 これはセミコちゃん。(セミオくんにも会ったのであるがあっという間に飛び去った) 行く手に氷がはっていた。 溶けないところを見るとやはり寒いのだ。 なかなか美しい模様である。 わたしは何度も踏みしめてその音をたのしむ。 氷に一期一会というのもおかしいけれど、こうして氷を踏む音を聞くのはいったい何年ぶりかしら。 小さな頃は踏んでその音をたのしんだけれど、これから先いつこんな風に氷に出遭って、踏みしめることができるかしら。 なんて思って子どものように何度も何度も踏んだのだった。 京都新聞に神野紗希さんが、「俳句は、いま」と題して時評を書かれている。ふらんす堂刊行の書籍にも触れているので抜粋して紹介したい。 タイトルは「何をどう『見る』か」 対中いずみは、新著『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 対中いずみ』(ふらんす堂)で、自作の解説を通し、「見る」が言葉へ錬成される秘密の創作過程を言語化する。 「小一時間ほど坐っていると向こうからいろんなものがやってくる。虻が来て、蝶が来る。(略)そこにある石ころや落葉が、ぐっと迫り上がって見えてくる」とは、〈この道は虻とおほる道秋蝶も〉の自解。目の位置を定めることで、虻や秋蝶の見え方が変わる。距離がぐっと近くなる。(略) 津川絵理子の第3句集『夜の水平線』(ふらんす堂)は、計らいを感じさせない意外な季語のあっせんにより、雑味のないリアリティーを立ち上げる。〈生きのよき魚つめたし花蘇芳〉〈聞香のひとりは僧や初氷〉〈香水や土星にうすき氷の輪〉(略) 彼女には世界がどう見えるのか。人間の認識の不思議を思う。 ほかに、坊城俊樹第5句集『壱』(朔出版)をとりあげている。そして、 何をどう「見る」か。表現はそこから始まっている。 と。 (一眼レフが欲しいな……)←心の声。 #
by fragie777
| 2021-01-30 21:23
|
Comments(0)
1月29日(金) 旧暦12月17日
仙川はいろいろな表情があるが、ここは冬青草にふちどられた一角。 この少し先に甲州街道がある。 左手には白百合女子大学がある。 よく見ると鴨たちが岸辺にいてのんびりとしている。 ヒドリガモたち。 水をじいっとみていた一羽が ダイビングして飛び込む。 気持ちよさそうに泳いで、ほかの鴨たちを誘っているかのよう。 このすぐ先に鶫がいたのだった。 「森田峠全句集」を校了とする。 俳人・森田峠(1924年- 2013年)の既刊句集を中心に補遺を加えて、全句集とした一冊である。 ご子息で「かつらぎ」主宰の森田純一郎氏が編者である。 栞は、深見けん二、宇多喜代子、片山由美子、三村純也、岸本尚毅の各氏が寄せている。 2月中には刊行の予定である。 冬空やキリンは青き草くはへ 森田 峠 君嶋真理子さんの装幀。 装画のキリンが、なんとも清新である。 1月23日(土)の東京新聞夕刊にの俳句月評「俳句のまなざし」に外山一機さんが、津川絵理子句集『夜の水平線』について評している。 抜粋して紹介したい。タイトルは「子どもが手を離す時」。 津川絵理子が第三句集『夜の水平線』(ふらんす堂)を上梓した。(略) 同書には、〈子を先に歩かせてゐる夕涼み」もある。子どもの手をふいに離す。この間まで繋がずにはいられなかったはずなのに-。でもこんなとき僕らは、それこそ「手を離れる」という言葉そのままに、子離れの安らぎを覚えもする。 けれども本当は、離れていく手を寂しく見つめるときだってある。そうして、ひそかに怯えている自分に気づくときだってある。(略) 津川には〈母の日や砂洲を消す波いちまいづづ〉もある。子どもが「壊さないように気をつけながら手を離」した世界は、やがて静かに消えていく。しかし、世界を消していくその波は、決して冷酷さを帯びてはいない。むしろ優しい愛撫のようにさえ見えるのは、その波がかつて母と手を繋いでいた子の手そのものだからではなかったか。この句が母の寂しさや怯えを描きつつ、しかし不思議と悲しくないのも、そのためではなかったか。 ほかに 「手にならぬ足に着目した松尾芭蕉論を紹介したい」とフランスの作家クリスチャン・ドゥメの『三つの庵 ソロー、パティニール、芭蕉』(小川美登里ら訳、幻戯書房)を紹介している。 俳句総合誌「俳句」(KADOKAWA)2月号では、西村麒麟さんが「現代俳句時評」で、南うみを句集『凡海(おおしあま)』をとりあげている。「豊かな暮らしを感じさせてくれる句集」と。ほかに九九歳になられた竹村翠苑さんの新句集『豊かな人生』(朔出版)をとりあげて、竹村さんの第一句集『摘果』についても触れている。 俳句総合誌「俳句四季」(四季出版)2月号の座談会(斎藤愼爾、津髙里永子、堀田季何、司会・筑紫磐井の各氏)による「最近の名句集を探る」では、篠崎央子句集『火の貌』がとりあげられている。「篠崎さんは私と同い年ですが、同世代できちんとした詠み方ができる方の句集が推薦出来て嬉しいですね。この一年で出た若手の句集のなかでもこの『火の貌』はとてもいい出来ではないかと思って推しました」と堀田季何さん。 おなじ「俳句四季」の二ノ宮一雄氏による「一望百里」では、木村裕一句集『柊』がとりあげられている。「作者のいのちの籠もった作品」と。 今日は歯の定期健診。 時間をまちがえてしまい、駐車場について仕事場に向かおうという時に電話をもらった。 「yamaokaさん、11時のお約束ですが。。。」 「あれえ、そうでしたっけ。3時だと思ってました。」 もう11時は過ぎている。 「どうしましょう」 「これから行きます。」 「どのくらいで来られます?」 「一分で!」 「お待ちしてます!」 ということで、駐車場から一分のところにあるA歯科へ向かったのだった。 葉の磨き方はたいへんよろしい、ということでハナマル ![]() 約束の時間を間違えたのはこれで三度目。しかし、いつも間に合うのが不思議。 わたしの人徳か。。。 いや みな親切なのである。 今日も言われた。 「どうしましょうか。これから一日前にお電話しましょうか」って。 なんと答えたとおもいます? 「いや、大丈夫!」 って。 この根拠のない自信どこから来るのだろうか。 自分でもよくわからん。 #
by fragie777
| 2021-01-29 18:19
|
Comments(0)
1月28日(木) 旧暦12月15日
午後になって雨が雪に変わった。 ふらんす堂のドアを開けたところ。 (こりゃつもりそうもないな……)とおもっていたらみるみるうちに霙になって、そしていまや雨である。 ホッとすると同時に、すこし物足りない気分。 昨日仙川沿いを歩いていたら、こんな雪だるまが…… 雪を待っている子どももいるんだろうなあ。。。 さて、数日まえにこのブログで「どんな木が好きですか」と尋ねたところ、 詩人の桂川幾郎さんがコメントをくださった。 ご本人の了解を得て、ちょっとそのコメントを紹介したい。 桂川幾郎さんは、2019年にふらんす堂より詩集『偶然という名の現在なの』を上梓されている。 「桂の木」が好きなんですって。 お久しぶりです。 いつも時々、「ふらんす堂編集日記」を覗いています。 見出しで「どんな樹木が好きですか」と問いかけられていたので、応答させていただきます。 私は、「桂」の木が好きです。 私が最後に勤務した学校は、「白線流し」で知られている高山市の斐太高校です。校庭に20メートルを超える桂の木があり、黄葉が美しく、甘い香りまで放ってくれていました。(香りの成分はマルトールというアルコールです) 私の姓に「桂」が含まれていることもあり、自宅の庭に桂の木を植えました。里山にも桂の木を植えました。自宅の庭の桂の木は3メートルほどの高さにまで生長して、春には若葉が目を楽しませてくれ、秋には黄に色づいた葉に花を近づけて甘い香りに酔っています。 ご自身の庭に「桂の木」を植えてしまうほど、桂の木がお好きだということである。 そしてお名前に「桂」が入っているということもあって。 わたしはお庭の桂の木を拝見したく写真を送ってくださいとお願いしたところ、送って下さったのがこれ。 秋の黄葉のときのものとのこと。 桂の木である。 やはり株立ちか。。 ええっ、ここがお庭なの。 まるで山の中に迷い込んだかのよう。 ほかにもいくつか写真を送ってくださったのだが、これは今朝咲いているまんさくの花ということ。 まんさくは早春の花である。 「まづさく」から「まんさく」と、桂川さんのメールにあった。 家の庭にまんさくの花がさいているとは羨ましい。 妻がお茶をやっていますので、我が家の庭は、「庭」というよりは、雑木林と野草園です。 ということ。 庭が雑木林だなんてますます羨ましい。 こう言っちゃなんだけれど、わたしの家の庭も雑木林って思っている。 歩いて5歩の、、ね。。。。 ![]() 桂川幾郎さま 有り難うございました。 桂の木、大切にしてくださいませ。 わたしは仙川沿いの雑木林をわが庭と思い、せっせと通うことにいたしましょう。。。。 #
by fragie777
| 2021-01-28 18:45
|
Comments(0)
1月27日(水) 旧暦12月15日
このところ気持ちがあせり気味である。 しかも、すこしのことに興奮しがち。 業者さんと電話をしていてややけんか腰しになっている自分に気づいた。 どうも、いかんわ。 と、 いうことで、今日はあえて歩いて出社をすることにした。 もちろん、仙川沿いを歩く。 久しぶりに水鳥たちを見ることもできる。 今日はあたたかく歩いていると風が気持ちのよいほどだ。 仙川の水鳥たちもたいへん愉しそうで元気だった。 ああ、やっぱり来て良かった。 いつの間にかわたしの気持ちもゆったりとしてきたのだった。 その仙川の叢を飛ぶというより走っている鳥がいた。 一瞬止まったところを写真にとる。 鶫(つぐみ)!? きっとそう。。。 鳩よりすこし小ぶり。 食べると美味しい鶫だそうだ。 鶫飛び木の葉のやうにさびしきか 細見綾子 城の崖飛ばずに鶫駈け登る 茨木和生 焼鶫仰天の目を瞠りたる 橋本鶏二 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯なし 64頁 佐々木富久子(ささき・ふくこ)さんの回顧録である。 佐々木富久子さんは、1931年東京の日本橋に生まれた。裕福な家庭に育ち幸せな少女時代を過ごしていたが、14歳の時に東京大空襲のB29による爆撃に遭い、家は焼かれ命からがら家族共々に長野の親戚の家に疎開されたという経験をお持ちである。その少女時代のことを中心に思い出すままにまとめられたのがこの度のエッセイである。 目次はおおきく四つにわかれている。 私の立雛物語 「昭和二十年三月十日」 思ひ出は遠くになりて思ふもの 疎開地を詠んだ句(『流れ星』より) エッセイの量はおおくはなく、大きな活字で組まれ、たいへん読みやすい。 少女時代というかなり昔の限られた時間のエッセイであるのだが、その記憶は細部にわたるまで鮮明でたいへん生き生きしている。過酷な戦争体験について語られているのだが、佐々木富久子さんという人間の持ち前の向日性によって悲惨さを描きながらも、穏やかなゆとりがあって読者の心を硬直させないのがいい。それは不思議なくらいである。幸せに育ったその思い出が佐々木富久子さんをはぐくみ、どんなにたいへんな現実に直面してもおおらかな明るさで救われている。そんなことを思わせる好エッセイ集である。 カバー表紙の立雛の装画は、著者の思い出のもの。 「私の立雛物語」の項は、長くないのでここに紹介しようと思う。 昭和の戦前のよき時代の東京人の生活風景にふれ、また文章から作者のたたずまいが彷彿とされるものである。 私が七歳の頃でした。近くの質屋の次男で、水谷春夫さんと仰る方が居ました。 その頃米問屋の若旦那・奥村土牛さん、俳人の酒井三良さん、木津柳芽さんは父の親友で、よく私の実家にもお見えになりました。父は美術好きの書家で、美大生の春夫さんの学費の援助をしたり何かと相談にのって居ました。春夫さんは卒業制作の際、金地の色紙に見事な美しい立雛をお描きになり、父に御礼の品として下さいました。 私がその絵の、とても華やかで美しく気品ある立雛様に見とれて居ますと、春夫さんをお兄様のように慕って居りました私のために、「これは富久子の立雛にする」と父からの嬉しい言葉。家には段飾りの素晴しいお雛様がありましたが、毎年私は玄関の床の間に私の立雛様を桃の花と、私の好きな品とを飾って喜んで居ました。 時は移り、戦争がはげしくなり、のんびりとお雛様を飾るどころではなくなって、三月十日の東京大空襲で家もろともすべて焼失して終いました。 戦後になり姉の小学校一年から六年までの受持ちだった師範出の若く美しい竹村先生に私はとても可愛がっていただきました。先生はその後結婚なさり茶道の先生になられたので、早速入門、弟子になりました。 ある三月に私の立雛の絵が先生の茶室に飾られて居るのを見て、嬉しいやら驚くやら。なぜこの絵があるのですかと先生にお聞きすると、私の三歳年上の姉が希望校の日本橋高女に合格した際、父は大喜びで、受持ちの竹村先生に、家にある絵でお好きな絵を御礼として差し上げると申しますと、この立雛と仰られ、先生の本郷の家にお嫁入りすることになったそうです。そして本郷は戦災には遭わず、三月には必ず飾ってとても大事にされて居らっしゃると伺って、私の立雛様とは申せませんでした。 それから何年か経ちチャンスが来ました。先生がお茶会で弟子の中から初めて、家元土肥宗宏先生の茶会で正客を務める様にとお話があり、それを私に任命されました。「とても出来ません」と辞退しましたが、先生は御褒美に希望の物を、と仰られたので、「立雛様をお願い致します」と申し上げると、「家元が及第点をお付け下されば」とのこと。茶会の日は丁度三月三日。後に家元からは、「とても自然で格調高く貴女の感性の豊かさでよい正客でした」とのお言葉をいただき、ほっとするやら嬉しいやらでした。 この様にして大好きな立雛様は私の許にもどりました。私は米寿となりましたが、立雛の金紙色紙は輝き続け、美しいお姿は年を取らず羨ましいかぎりです。 水谷春夫さんはその後学校の美術の先生となられ、今は消息はわかりませんが、よき思い出は今でも輝いて居て幸せです。 「立雛」の画をめぐってのエピソードである。 本著には、たくさんのモノクロの口絵が挿入されている。 それはやはり少女時代のもので、幸せで豊かな暮らしぶりが分かるというもの。 これはその一部であるが、まさに昭和の懐かしい風景である。 わたしなどもこの空気感はなんとなく分かる。 佐々木富久子さんは、2017年に小社より佐々木巴里という俳号で、句集『流星』を上梓されている。 今回のエッセイ集もそのご縁によって刊行されたものである。 本著の最後には、句集『流星』より「疎開地を詠んだ」18句を抄出し、収録しておられる。 何句か紹介したい。 人生の出逢ひのいくつ福寿草 生きぬきて二十世紀よ去年今年 三姉妹昔にかへり野に遊ぶ 村中がげんげかつての疎開先 若鮎の岩にすり寄る天龍川 今年一月十日で卒寿になりますので、記念にと思い書きました。 夫春雄が逝きましてより二十年、病気も怪我もせず日々を過ごせましたのも、皆様に守られて居るからと実感する日々です。人生の卒業はいつの事やら……。でもその日まで楽しい思い出を糧にこれからもよろしくお願い致します。 「あとがき」を紹介。 担当のPさんは、本著の製作のために大田区にある佐々木富久子さんのお住まいを何度もお訪ねしたのだった。その度にいろいろなお話を伺って豊かで愉しいひとときを味わったということである。 装幀は和兎さん。 私(わたくし)とともに立離年かさね 富久子 『思ひ出は遠くにありて思ふもの*昭和』は皆さまからお電話やお手紙をたくさ い頂いて嬉しい事です。 太田かほり様から頂いたお手紙が今の私の気持ちをよく表していましたので、書 き記します。 と佐々木富久子さんは、Pさんにお手紙をくださった。そして、俳人の太田かほりさんからお手紙を太田さんのご了承を得て、披露してくださった。 以下、太田かほりさまのお手紙である。紹介します。 「第一章 私の立雛物語」このエピソード故にこの一冊を思い立たれたようなす てきなお話です。お雛様とは真反対の東京大空襲とはさんでの再が一つの山場。 お茶会でのお正客のお手柄がもう一つの山場。ふしぎな縁の糸が美しく魅了され てます。その絵が御本を飾ることになり、もう一つのドラマが加わりましたね。 「第二章 昭和二十年三月十日」テレビドラマや映画はじめ資料や歴史などでは 伝えていますが、肉声で語られる真実は息を呑む迫力で、読んでいると映像を 追っているような感がいたしました。まだまだお小さい富久子様がご家族と手に 手を取り逃げまどわれる。しかしながらどうしてでしょうか。その場面を描いて も私が存じ上げる富久子様の雅びな立ち居振る舞いが少しも損なわれません。こ の印象がとても強く富久子様の人生は徹頭徹尾お上品なるのだと思ったこと。「第三章 疎開」につきましても悲惨さがなくその時代の別の面を拝見する思い でした。 一息に目を通しました。以前出版された『わたしを選んでくれてありがとう』に もそのような記憶がありますが、文学を読んでいるというよりも優しい語り口で 想い出をお訊きしているような印象でした。意図的でもなく、おそらく作者のお 持ちのいろいろなものがそのまま一冊になった漢字がいたします。きっと「下書 きもされず」と仰ることでしょう。まれな才能が文学におありになるのですね。 本当にこのような非常時に久々の晴れ晴れとする御本でした。 卒寿お見事にお示しになられ重々お祝い申し上げます。」 「太田様からこのお手紙をいただき、私の心が本当におわかりいただけた事がなに より嬉しく思います。」と佐々木富久子さん。 お写真も送ってくださった。 キャプションは、 NHKの俳句の海外旅行・ポルトガルの古城にて 平成14年 鷹羽狩行先生と。 佐々木富久子さんは、俳誌「狩」でも俳句を学ばれていたのだった。 佐々木富久子さま 卒寿をお迎えになられ、おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今日のセミコちゃん。 #
by fragie777
| 2021-01-27 18:52
|
Comments(0)
12月26日(火) 旧暦12月14日
すぐ近くの島忠ではもう紫陽花が売られていた。 春を通り越して紫陽花。。。とは。 美しく並べられた花々。 銀行で順番待ちをしていた。 わたしの手には40番とかかれた紙。 さっき39番だったからもうすぐだな。。。。 と待っていると、「41番のお客さまあ」って呼んでいる。 (なんだよ、先を越すわけ)ってちょっと憮然としたが、まあ、順番が前後するってこともあるわと気長に待つことにした。 iPhoneを覗いて待っていると、また、大きな声で「41番のお客さまあ」って呼んでいる。 (あらら、どっかにいっちゃったのかしら) わたしはさっきから待っているんだけど、、、 で、わたしは自分の「40」と書いた白い紙を頭上にかかげて、ちょっと抗議をするように「待ってるんですけど!」って口の形で知らせた。 すると、係の人が飛んで来て、 「お客さま、それは他の銀行の順番カードです! お客さまのは先ほどお渡しした黄色のカードなんですが」と言う。 「へっ、」とわたしは驚き、自分の膝の上に積み重なっているものを取り除いた。 すると下から出てきたわ。 「41番」と書かれた黄色の用紙が。 「あらいやだあ。これだったのね」と言ってわたしは悪びれもせず黄色の用紙をひらひらさせながら受付カウンターへと急いだのだった。 思うに、高齢化社会において、こういうとんまな客ってわたしのみならず、結構いるんじゃないだろうか。 銀行員さんもたいへんである。 お察しする次第である。 今日も午後はずっと読み合わせ。 頁の前半の部分は、文己さん。それはやり遂げた。 後半はPさん。がんばったがあと3分の2程残っている。 Pさんも自分の仕事があって忙しい合間に対応してもらっている。 今日のところはおおかたおわり(ああ、まだ勝利するには頑張らねば……)と思っていると、 緑さんが、明日は助っ人でやってくれるという。 大助かりである。 わたしは声を出しつづけで疲れてしまった。。。 プロポリスのど飴をなめたり、ガムを噛んで眠気とたたかったり。 頑張ってます。。 ちょっと疲れてしまったので、新刊紹介をしようと思ったが、明日にします。 (最近、こういう風に書くことが多いかもしれないな。。。) お正月のために活けた千両の実がいまだどれも健全(?)でこぼれもしないで、楽しませてくれている。 わたしは基本お正月にしか花を飾らないので、こうして彩りのあるものがあっちこっちにあるのは悪くない。 みる度に(あら、きれい)って感動している。 この感動も一年のうちいまだけですけどね。。。 #
by fragie777
| 2021-01-26 18:41
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||