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3月27日
天気予報では曇りと聞いていたのであるが、予報に反して良いお天気になった。良かった!というのは、今日はシーツやらなにやらヨーロッパの洗濯女のごとく両手にかかえきれないほどの洗濯をしてそれをベランダじゅうに干してきたのである。雨よ、降るな!と念じながら。 今日のふらんす堂は、代送がふたつ。『一葦合同句集』、丸山分水氏句集『國上』と合わせて1200冊くらいの代送があり、朝から川口、加藤泰子を中心に代送に始まり代送に終わった一日となる。午前中のみの助っ人の水野晶、松田聡子が帰ったあとは中井愛も手伝って郵便局さんに二度も集荷に来てもらい、おおわらわの一日。お疲れさまでした。 私は、八王子山王病院へ、綾部仁喜氏を見舞う。いつものように八王子駅で待ち合わせをして藤本美和子さんに車で運んで貰う。綾部仁喜氏は昨年伺ったときよりも顔色もよくお元気そうなのでまず安心した。私たちを迎えるためにベッドより立ち上がった時に人工呼吸器と氏をつなぐホース(?)が外れた。ピーピーと呼吸器が鳴る。私はドキドキしながら見守る。氏は悠然としてそのホースを白い指先でご自身の喉に差し込まれた。まるで外れたボタンをかけるようにごく自然に。その様子は、氏と氏のそばに寄り添っている呼吸器とのあいだは誰も邪魔をすることができないほどの緊密な信頼関係で結ばれているかのようだった。2時間くらいだったろうか、沢山話したり笑ったりした。私の手には、声を発することのできない綾部氏の書かれたメモが何枚も残った。そのメモから「俳句はハレのものじゃない、ケのもの」「昔、言われてその後忘れられた、臍の緒のつながっている俳句、これが大切」。信頼する人工呼吸器について「ぼくが生きているのでなく機械が生かしている。ところで機械に意志はあるのかしら」。病院を辞するころには、すこし日が昃りはじめていた。藤本美和子さん、今日も有難うございました。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-27 19:45
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3月26日
今日は横浜で、俳誌「百磴」(雨宮きぬよ主宰)の十周年をお祝いする会があり、出席する。ふらんす堂ではこの記念の会のために会員の皆さまの合同句集をつくらせていただいたのである。場所はホテルニューグランド、横浜港を目の前にした伝統あるホテルである。なにしろ祝会が行われる部屋の名前が「ペリー来航の間」(ウーン素晴しい!)。5周年にうかがった時もこの部屋だったのであるが、おおきな絵が飾られており、その絵には刀をさして帽子をかぶった侍たちがこちら側にずらっといて、その先には横浜の港がひらけ、ペリー提督が乗ったアメリカの船がまさに港にむかって進んできているという絵なのである。歴史的瞬間の場面である。この格式のあるホテルで晴れやかに十周年のお祝いの会は行われた。この度の合同句集を直接に担当された木野泰男・なほみご夫妻にお目にかかって御礼を申し上げることも出来た。 わたしは横浜という街が好きだ。電車をおり横浜の駅についた時から横浜は始まっている。異国情緒がたっぷりあり、頬をなでて行く風さえも「横浜にようこそ」と歓迎してくているようだ。歩道にもこんなふうに可愛らしいタイルがはめ込まれていて立ち止まってつくづくと眺めてしまう。山国育ちのためか、海を目の前にすると日本という地表の端にいて、日本ではないものにつながっていく、境界がありその境界をガリバーのようにひと足で越えられるような幻想にとらえられて、とても魅力的だ。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-26 21:17
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3月25日
春爛漫の一日となる。今日は二つの会があり、中井愛と手分けをして行くことになる。中井は、現代俳句協会による新春懇親会が上野不忍池畔の「東天紅」でありそちらに赴く。一方わたしはここ数年不義理をしてしまっている風信子忌の会へ。風信子忌とは「ヒアシンス忌」と言い、詩人立原道造をしのぶ会のことである。立原道造記念館の館長さんである宮本則子氏が中心となって毎年行われるものであり、こちらも上野近くの谷中の多賓院でのお墓参りからはじまってホテル鴎外荘(鴎外旧居)での講演会、朗読、そして懇親会とつづく会である。館長の宮本則子さんは立原道造のために仕事のかたわらそのすべてをささげて来た方である。わたしは、中村真一郎氏を通して存じあげたのであるが、道造記念館創立のために渾身の努力をされてみごとにその思いを果たされたのである。今日は、故中村真一郎夫人の佐岐えりぬさんによる朗読と思潮社社主の小田久郎氏による講演「戦後史と立原道造」というものであった。わたしは講演をとちゅうから拝聴することになったのであるが、戦後詩人の中村稔や鮎川信夫の詩と立原の詩とを比較、考察したものであり、なかなか面白かった。立原道造記念館は本郷の東大に面したところに可憐に建っているのであるが、建築家としても才能のあった立原のほかの面での多才ぶりを知ることが出来て面白い。なかでも立原が友人にあてたハガキが絵もすばらしくわたしはとくに好き。24歳で亡くなったということが信じられないくらい沢山のものを残しているのには驚く。懇親会で読売新聞・文化部の小屋敷晶子さんに会う。軽井沢高原文庫の大藤敏行氏にもお目にかかる。ひさしぶりである。 ところでなぜ、風信子(ヒアシンス)忌というのか、大藤さんによると、それは立原が生前自費出版した詩集二冊の版元を「風信子叢書刊行所」としたところからの由来らしい。その自費出版の詩集は100冊ちょっとでほとんどが知人に配られたものであるという。第一詩集は楽譜の大きさであり、装丁も楽譜のようである。第二詩集ともとても素晴しいもので、すべて立原がデザインしたという。このへんのセンスの良さも素晴しい。この詩集も記念館に行けばきっと見られると思う。ヒヤシンス忌なんて、立原道造らしくなんと可憐な忌日でしょう。森鴎外の旧居では、若者の団体が旺盛な食欲を見せて昼食を食べていた。その旧居の庭には、池には鯉がゆったりと泳ぎ、馬酔木の花や龍の玉がみごとであった。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-25 19:37
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3月24日
今日は支払日。印刷屋さん、製本屋さん、紙屋さんなどなど本をつくるためにお世話になっているところへの支払の日なのである。通常は25日。月3回ある支払日のうちの一番大きくお金が動くのが今日。そしてわたしもちょっぴり気合いの入る日なのだ。朝10時のミーティングを済ませた後、銀行から銀行へ、そうして郵便局へ2度ばかりと、狭くてにぎやかな仙川商店街を行ったりきたりと大変忙しい。気持ちがせいてしまうからか気がつくと少し前のめりとなってせかせかとしてスターバックスの前を歩いていた。信号をわたった空き地に思う存分に光をあびてたんぽぽが咲いている。ぺんぺん草もある。それを見たとたんふっと気持ちがほぐれて「なんだ、こんなところに咲いて、可愛いね」などと立ち止まってしまう。こういうのって、なんだか嬉しい。たんぽぽの側からすれば、とりたてるほどのことでもないわけだから、「いちいちうざいよ」ということになるんでしょうけどね、きっと。 角川書店より綜合誌「俳句」4月号が届く。何よりも真っ先にページを開いたのが「俳壇ニュース」。2月号のヤマトに引続き今度は愛猫日向子が登場しているのです。 「わーい、やっぱり美猫だあ」と目をうるませる。すこぶる美人猫なのであるけれど写真はその美しさが十全に発揮されていないところが残念であるが(腕がいまいちなの)それでも日向子のたおやかな感じはよく出ているではありませんか。ウーン、上品だ……。イタリアの海のような鮮やかな碧い目をみんなにみせてあげたいな。 夕方、新宿へ用があり赴く。4時ごろ仙川駅を出て、帰ってきたのが6時ごろ、4時にはまだ蕾のかたかった駅の桜が6時に改札を出るころには花開いているのには驚く。 あと数日後に、この桜の下で野外音楽祭がはじまるのだ。 ![]() #
by fragie777
| 2006-03-24 20:34
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3月23日
今日はふらんす堂の歓送迎会。卒業して行くのは澤田ゆう。大学2年生のときから川口を組長とする夜叉課組のメンバーとして代送、搬入、品出し等の仕事を手伝って貰ってきた。いよいよ今日を最後に新しい仕事に就くためにふらんす堂を卒業していく。澤田さん、いままでご苦労さま。あなたの素直さは天下一品でした。そして新しく迎えたのは斎藤裕子さん。すでに川口組長、加藤副組長のもとで頑張って仕事をして貰っている。伝え聞くところによると、もうひとつの顔は少女漫画家であるらしい。中井愛は、タバコ仲間ができたと喜んでいる。 今日は君嶋真理子さんも加わって、(お酒をのむときは必ず声をかけることになっている)、総勢12人の楽しい飲み会となった。場所は、中井愛が一生懸命探して、仕事場のすぐ近くの「二重丸」というところ。一人暮らしをはじめた渡邊真紀に、一人暮らしの長かった君嶋さんがアドバイス。一人暮らしの良かったところは?「うーん、そうねえ、自由でよかったかなあ、好きな時に飲めたし、朝寝坊もできたし‥」じゃ、結婚してよかったのは、「それはやっぱり二人で中野近辺の飲み屋をほとんど制覇したことかな。それと、このお酒おいしいね、そうだねって会話が出来るし」「一人の時は夕飯をすましてバーに飲みに行ったけど、今は二人でそのままいけるしね」 き、きみしまさん、け、結局お酒ですか? もうあたなには脱帽です。今日は飲み足りたのでしょうか? いまごろ中野駅近くで、ダンナと飲んでいるんだろうなあ。 ところで、澤田さんは今日の最後の仕事を追えて、加藤泰子にふらんす堂で最後のタロットをきってもらっていた。加藤泰子は実はミッチェル泰子(自称)という名前を持つ占い師(!?)でもある。大学を卒業するときにプロの占い師になろうと思ったほどで、本格的な占いをする。ふらんす堂の何人かのスタッフも、サーティン・ワンのアイスクリーム一つで占ってもらっているようだ。そんなふうに関わりあいながらみなで仕事をしてきたわけだが、澤田ゆうは新しい社会に向かっていく。身体を大切に頑張ってほしい。そしていつかまた会いましょう。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-24 00:16
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