ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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桂 信子忌

12月16日(土)
 桂 信子忌_f0071480_20494378.jpg
 写真は国立谷保・城山公園の見事な紅葉。雑木林のなかでひときわの色。
 今日は桂信子忌。2年前の2004年の今日亡くなったのである。
 冬晴れの野歩きをしていると、冬青草のみずみずしい色がこころを元気づけてくれる。あたりがすべて枯一色となりつつあるそのなかで、命のちからをみせてくれるすがすがしさがある。桂さんの最後の句集『草影』の集名句ともなった作品「冬麗や草に一本づつの影」は大好きな作品である。俳句綜合誌「俳句」(だったと思う)に掲載されたときから、こころ引かれて、桂信子氏にお手紙かファックスでこの作品が特に好きです、とお伝えしたようにおもう。そうして最後となった句集の原稿をいただいた時に、この作品が収録され、しかも句集名が「草影」であることを知り、ああ桂先生もこの作品がお好きなのだなあととても嬉しく思ったのだった。その辺にはえている草にも1本ずつ影があるということ、そんなある意味であたりまえのことを、「冬麗」といううつくしい季語をおいて、草一本一本にこころをとめ、かつその命をいつくしむ、桂信子という俳人の生きる姿勢そのものでもあるようにわたしには思えたのだった。
 桂信子氏の訃報を知って、わたしは病院に入院している田中裕明さんに「淋しいですね。俳壇がどんどん小さくなります」とメールをしたのだった。すると田中さんからすぐにメールで「たしかに山岡さんの言うように、鈴木六林男、桂信子を失って俳壇がどんどん小さくなりますね」と返事をいただいたのだった。桂さんの逝去をことのほか惜しまれていた田中さんが、その10数日後に亡くなろうとは、いったい誰が想像できただろうか。
 12月という月がやってくると多くの思いがあふれてきて切なくなる。
# by fragie777 | 2006-12-16 21:31 | Comments(0)

詩人の装丁。

12月15日(金)
 詩人の装丁。_f0071480_1816893.jpg
 写真は「カメレオン」という薔薇。実は昨日の誕生日のお祝いにいただいたもの。わたしの誕生日にはいつもこうして何十本もの薔薇が届くことになっていますの、オーホホホホッ。すんごいでしょう!! 
 とは、まったくの嘘、こんなふうに誇らしく自慢したいところであるが、わが人生のなかでたったの二度目よ、こうして薔薇を貰ったのは。誕生日はもう何十回といやになるほど迎えましたが。ものすごく感激しちゃって、こうして仕事のブログにまで自慢げにアップしてしているとうオバカなわたし。貰い慣れない人間の常として自慢する嫌みなわたしを許して下さいまし。名前がふるっている。「カメレオン」ですって。「カメレオン」のようにいろんな色を持つ薔薇という意味らしい。わ、わたしもいろんな色をもつ女でありたい!?(って、よく言ってる意味が自分でもわかりませんが…)
 今日は池田實氏の詩集『もう 誰も問わない』が出来上がってくる。装丁は詩人の手塚敦史さん。彼のはじめての装丁となる。と言っても、ラフをいろいろと考えて貰い、それを版下にして、イメージを具体化したのはこちらの仕事ではあったが、もともとの意匠はまぎれもなく手塚敦史さんが考えたものであり、それがとても素敵なものであったのだ。だからこの装丁はほかの誰かがかんがえたものではなく、手塚さんから発したものとしてある。大胆な幾何学模様を型押しにした面白いものとなった。君嶋真理子さんがこれを見て「こういう発想って、ぜったい私からは生まれないなあ」と言ったのが印象的だった。これを機会に少しずつ装丁を勉強していってもらえるといいなあと思っている。池田實氏も大変に気に入って下さったことが嬉しい。
 もう亡くなってしまったが詩人の吉岡實氏は装丁家としても素晴しい装丁をされた。わたしはかつて自分の仕事のなかで吉岡さんの装丁を真似したことが何回かあるほど、そのセンスが好きである。吉岡さんの装丁で辻井喬氏の詩集『たとえて、雪月花』という集名だったと思うが、そこに使われている花模様の用紙があまりにもエレガントで、それがどこで手にはいるのか知りたいとおもいいろいろと調べて貰った結果、日本のものでなくて洋紙であったということの驚き。なかなか手に入りにくいものをさらっと使うセンスの良さ。心憎いばかりであった。昨年思潮社から刊行された野木京子さんの詩集『ヒムル、割れた野原』は詩集としても優れたものであったけれど、装丁もまた素晴しかった。詩人の稲川方人氏によるものだったと思う。手にしたときにひとつの世界がひろがっていく。そんな思いにさせる詩集の装丁だった。
 なかなか集中できなかった『桂信子全句集』の三校ゲラを宇多喜代子氏にやっと送ることができた。宇多さんに連絡すると「やっとこちらも少し手が空いたので、これから本格的に解題、年譜にとりかかり年内にはなんとかしたい」と言われる。いよいよ全句集刊行へと動きはじめたという手ごたえを感じる。明日は桂信子氏の命日となる。
 
# by fragie777 | 2006-12-15 19:26 | Comments(0)

義士討ち入りの日。

12月14日(木)
 義士討ち入りの日。_f0071480_19135444.jpg
 遠回りすれば見られる木立の冬紅葉がみたくて、少し早めに家を出る。ささやかな林の木立なのだが、そばを通っただけでああ、なんだかいい気持ち。ゆったりした気分で歩いていたら遅刻しそうに。仕事場に着き、「まだ時計なってないよね」と大急ぎでつくえにむかうと、川口がにこにこしながら「鳴ってますよう」と言う。いけない、いけないとさっそく朝のミーティングをはじめる。突然、スタッフみんなが声を揃えて「おめでとうございまーす」って。(ひゃあ、気づいていたのか…、)実は今日はわたしの誕生日なのである。なんというか、もう誕生日がくるのが恐ろしいというか、おめでたくもないのだけど、でもこんなふうにスタッフみんなに「おめでとう!」って言って貰えると、「あ、ありがとう(汗)」という気持ちになってまんざらでもない。
 今日は知る人ぞ知る「赤穂浪士の討ち入りの日」である。「義士会」という季語もある。わたしはこの日にうまれた。だからどうということもないのであるが、昨年の夏、あるとてつもなく暑い日に泉岳寺に行ったついでにこの四十七士のお墓をたずねてみた。参る人が多いのか線香がたきこめてあり、それは古いお墓が立ち並んでいた。蝉時雨を聞きながらその浪士の苔むしたお墓をひとつひとつ見てまわった。「これがそうなのね」あっけらかんとした思いと少しさびしい感慨が心に残った。
 わたしはキリスト信徒で一応はあるので、基本的に墓に参るということに抵抗がある。つまり「参る」という言葉がどうしても使えないのである。ファンダメンタルな(と言ってもいまではかなりいい加減ではあるけれど)プロテスタント出身なので、なにか具体的なものを崇めたりお参りしたりすることは、どうしても「偶像崇拝」につながってしまうという思いが先行して、こころが硬直してしまうのだ。ただ、教条主義のいやらしさというものはいやというほど経験してきたので、仏教のお葬式に行けば、礼儀として手を合わせ頭を下げる。そして心から故人をしのぶ。しかし、お参りはしない、というかできないのである。このへんの心情はすこし複雑。
 あらあら、今日の日記は話しがおもわぬ信仰告白になってしまった。というわけで(なにがというわけなのだ!)わたしはまたひとつ歳をとってしまったという次第。ジャン、ジャン。
# by fragie777 | 2006-12-14 19:18 | Comments(0)

小林路易先生。

12月13日(水)
 小林路易先生。_f0071480_18421280.jpg
 歩いて出社。途中、猫にじっと見つめられる。
 黒田ゆり子さんの句集『一人静』が出来上がってくる。この句集はかつて小社から句集『日の光』という句集を刊行された「狩同人」の古沼徹氏の奥さまの句集である。ご主人の古沼徹氏が選句し序文を書かれ三人の息子さんがそれぞれに文章を寄せておられるという家族の愛情によって世の中に送り出された句集なのである。広告代理店につとめいまは上海にいるという三男の暢彦氏は「句に表われる母の哲学」としてお母さまの俳句をあたたかく分析していて面白い。十分な理由があるのだが、後半に「兄二人は大学入学に際しての句があるのに、僕にはそのような句がない」という文章があったりして、ほほ笑ましい。保険会社につとめる次男の彰彦氏は作品をあげてその時の思い出をかたり、たとえば〈秋雨に捨てるほかなき猫いだく〉についてそのことをあとから知って「部屋で一人で泣きました」とこれも切なく可愛らしい思い出。ご両親のちかく地元の長野県に勤務されているという長男の和彦氏(みな彦がつくんですね!)は、父の句集、母の句集にふれて「信濃の地に生き、共に喜寿を迎えた両親の人生と心根がひしひしと感じられます」ときっちりと結ぶ。農業ひとすじに夫とともに生きてこられた黒田ゆり子さん。家族の思いに溢れた句集をおつくりさせていただけるというのも版元にとっては気持ちがあたたかくなる仕事なのだ。
 いまふらんす堂のホームページで「詩人のラヴレター」を連載している詩人の有働薫さんはわたしにとっては大学の先輩になる。そうして有働さんのお兄さまに私は大学時代にフランス語を教えて貰ったのである。小林路易(るい)先生。名前が素敵だったのでよく覚えている。その路易先生が数年前に胃潰瘍で亡くなった。その思い出をフランス文学者の品田一良氏が発行している会報「Les Shinada」に有働さんが書かれている、哀切な思いをこめて。小林路易先生。一年の夏休み明けの初めての授業で、とつぜんに指名されテキストを読むように言われた。わたしは大慌てでしどろもどろになりながらどうにか読んだ。「君ね…」わたしはおそるおそる顔をあげた、「君のフランス語の発音は、フランス語というよりもドイツ語みたいだよ」(ガーン……、そ、そんなみんなの前でいわなくても)それからである。わたしの日仏学院通いがはじまったのは。いまつくづくと思うのであるが、語学って努力も必要だけどセンスよね。そうそのセンスに恵まれなかったのである、わたしは。
# by fragie777 | 2006-12-13 19:46 | Comments(2)

本づくりということ。

12月12日(火)
 本づくりということ。_f0071480_18122897.jpg
 俳誌「海程」(金子兜太代表)に所属する三井絹枝さんの句集『狐に礼」が出来上がってくる。装丁は北見俊一氏。北見氏の装丁は、江村晴子さんの詩集『うらしろ』につづく二冊目となる。北見氏は装丁家でもあるけれど、正確なところを言えば造本家とでもいうのだろうか。ご自身で装丁から、造本までなさる本造りのプロである。その本造りのありようを知りたい方は是非北見氏のブログを読まれるといい。そこには本造りへかける人間の並々ならぬ情熱が静かに息づいている。
水仁舎のホームページ
 わたしはよく存じ上げている詩人・有働薫さんの詩集『ジャンヌの涙』をいただいたときに、驚いたのであった。いまという時代にはこういう本造りはおよそかなわないのでは、と思っていたものがそこにはあった。わたしが求めていたなにかがそこにはあったのである。それが北見さんの仕事であった。いつかわたしもこういう本造りをしたい、あるいはかなうことなら北見さんに装丁をお願いしたいと思ったのだった。そうして引き受けていただいた二冊目の本が写真のものである。
本づくりということ。_f0071480_18313792.jpg
写真ではなかなか分かりにくいのだが、本文用紙から外箱にいたるまで、はりつめた美しさがある。しかもきわめて禁欲的とよんでもいいような。このストイシズムがわたしには魅力なのだ。こういうことは、こだわらないひとにはなんの意味もないのかもしれない。わたしたちは色彩の氾濫する日常を生きているわけだが、北見さんの本は、その色彩のなかなら一つまみの美しい色をとりだし、それをもっともふさわしい材質に表現する。用紙の選び方、箔押しの仕方、すべてにこだわりがある。北見さんにかつて伺ったことがある。「どうしてこの箔押しはこんなにきれいなのですか?」と。黒メタルで押された箔があまりにもきわやかなのでたずねたのだった。「ああ、これは実は二度押しをボクがしてます」と。わたしは負けたと思った。およそ箔を二度押しなどということは私のこれまでの仕事のなかでは考えられないことであった。
本づくりということ。_f0071480_18475455.jpg
 北見さんと仕事をすると本造りについて多くのことを教えてもらう。この度の三井絹枝さんの句集『狐に礼』についてもまた、然りであった。本文用紙の二色刷りをうつくしくするために初めて使った用紙。極めて銀色にちかい金箔押し、口絵をあえて偶数頁にもってくることなどなど、新鮮な発見にみちた本造りとなったのである。
 いま、出来上がった『狐に礼』は静かな光をまとってわたしのかたわらにある。
# by fragie777 | 2006-12-12 18:57 | Comments(2)
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