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3月29日
![]() 昨日より少し寒い春の日となった。昨日私は真っ赤なラルフローレンの綿のセーターを着て出社。何年も着ているので、色が大分あせてしまっているのだけれどお気に入りだからかまわない。夕方になって、前後を反対に着ていた(!)ことに気づく。悔しいから今日も着てきた。夕方確認したら今日はちゃんと着ていた、オホホホッ。 今日は川口は、深見けん二句集『水影』を十数冊もって、朝はやくから取次店に向う。川口にとってははじめてのことなので、昨夜二人でいろいろとおさらいをする。なにしろ、取次店にとって、ふらんす堂は大海のなかの小魚のようなもの。気合いをいれてのぞまないといとも簡単にやられてしまう。私は大分いじめられました。こんな質問をされたらこう答えてとか、敵はここ攻めてくるかもしれないからこう守ろうとか、私たちかよわい女性(?)はもう必死。大坂屋、トーハン、日販と三社をまわって帰って来た川口の顔が明るかったのでホッとする。おおかたこちらの意向どおりとなる。やっぱり予期していた締めつけがあったらしいが、川口はジャンヌ・ダルクのごとく雄々しく戦って来た。ご苦労さま。 ということで、『水影』は、4月6,7日頃には大型書店に並ぶことになる。深見けん二氏にふさわしい品格のある仕上がりとなって嬉しい。詩歌文学館賞受賞の『日月』の再販ももう少しで出来上がって来る予定。書店に同時にポップをそえて並べようという戦略。待ち望まれている深見けん二句集が二冊顔を揃える。 中井愛は、6月24日(土)に行われる片山由美子句会の吟行会場となる向島百花園に申し込みのため、おもむく。この吟行会は、中井の発案でお昼のお弁当つきということに。このところ吟行会の人気が高い。 君嶋真理子さん、装丁のため来社。ふたつの本の装丁を終えて帰ってゆく姿はすらりとしたなかなか美しいマダムである。とてもあれほど沢山のお酒を召し上がる方とは思えないところがやはり無敵である。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-29 19:37
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3月28日
薄曇りの一日、咲き始めた桜も冷え冷えとした感じである。最近のふらんす堂は近くの天然酵母のパン屋さんのパンがおおはやり。あるいて一分くらいのところにあって大きな木の枠にかこまれた硝子の引き戸を「ごめんください」というふうにあけると、焼き立てのパンが並べられている。若いパン職人さんが黙ってお鍋のなかをかき回している。ちょっと時間がタイムスリップしたような中世のパン工房にまぎれこんだような静かな光にみちている。すっかりこのパンのとりこになったらしく中井愛も渡辺真紀も今日のお昼はこれ。そういう私も、ドライトマトとブルーチーズと茄子のフランスパンサンドを買う。もちろん食パンも胡桃入りバゲットも、朝食のために。 ![]() 今日は深見けん二氏の句集『水影』の見本が届く。深見氏のところへもまず二冊お納めしてご丁寧なお返事もいただく。書店からの予約の注文も入りつつある。明日は川口に、私の代わりに取次店3社にこの見本をもって委託願いにいってもらうことになっている。いよいよ『水影』が動きはじめる。(山岡喜美子・記) #
by fragie777
| 2006-03-28 19:23
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3月27日
天気予報では曇りと聞いていたのであるが、予報に反して良いお天気になった。良かった!というのは、今日はシーツやらなにやらヨーロッパの洗濯女のごとく両手にかかえきれないほどの洗濯をしてそれをベランダじゅうに干してきたのである。雨よ、降るな!と念じながら。 今日のふらんす堂は、代送がふたつ。『一葦合同句集』、丸山分水氏句集『國上』と合わせて1200冊くらいの代送があり、朝から川口、加藤泰子を中心に代送に始まり代送に終わった一日となる。午前中のみの助っ人の水野晶、松田聡子が帰ったあとは中井愛も手伝って郵便局さんに二度も集荷に来てもらい、おおわらわの一日。お疲れさまでした。 私は、八王子山王病院へ、綾部仁喜氏を見舞う。いつものように八王子駅で待ち合わせをして藤本美和子さんに車で運んで貰う。綾部仁喜氏は昨年伺ったときよりも顔色もよくお元気そうなのでまず安心した。私たちを迎えるためにベッドより立ち上がった時に人工呼吸器と氏をつなぐホース(?)が外れた。ピーピーと呼吸器が鳴る。私はドキドキしながら見守る。氏は悠然としてそのホースを白い指先でご自身の喉に差し込まれた。まるで外れたボタンをかけるようにごく自然に。その様子は、氏と氏のそばに寄り添っている呼吸器とのあいだは誰も邪魔をすることができないほどの緊密な信頼関係で結ばれているかのようだった。2時間くらいだったろうか、沢山話したり笑ったりした。私の手には、声を発することのできない綾部氏の書かれたメモが何枚も残った。そのメモから「俳句はハレのものじゃない、ケのもの」「昔、言われてその後忘れられた、臍の緒のつながっている俳句、これが大切」。信頼する人工呼吸器について「ぼくが生きているのでなく機械が生かしている。ところで機械に意志はあるのかしら」。病院を辞するころには、すこし日が昃りはじめていた。藤本美和子さん、今日も有難うございました。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-27 19:45
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3月26日
![]() 今日は横浜で、俳誌「百磴」(雨宮きぬよ主宰)の十周年をお祝いする会があり、出席する。ふらんす堂ではこの記念の会のために会員の皆さまの合同句集をつくらせていただいたのである。場所はホテルニューグランド、横浜港を目の前にした伝統あるホテルである。なにしろ祝会が行われる部屋の名前が「ペリー来航の間」(ウーン素晴しい!)。5周年にうかがった時もこの部屋だったのであるが、おおきな絵が飾られており、その絵には刀をさして帽子をかぶった侍たちがこちら側にずらっといて、その先には横浜の港がひらけ、ペリー提督が乗ったアメリカの船がまさに港にむかって進んできているという絵なのである。歴史的瞬間の場面である。この格式のあるホテルで晴れやかに十周年のお祝いの会は行われた。この度の合同句集を直接に担当された木野泰男・なほみご夫妻にお目にかかって御礼を申し上げることも出来た。 わたしは横浜という街が好きだ。電車をおり横浜の駅についた時から横浜は始まっている。異国情緒がたっぷりあり、頬をなでて行く風さえも「横浜にようこそ」と歓迎してくているようだ。歩道にもこんなふうに可愛らしいタイルがはめ込まれていて立ち止まってつくづくと眺めてしまう。山国育ちのためか、海を目の前にすると日本という地表の端にいて、日本ではないものにつながっていく、境界がありその境界をガリバーのようにひと足で越えられるような幻想にとらえられて、とても魅力的だ。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-26 21:17
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3月25日
![]() 春爛漫の一日となる。今日は二つの会があり、中井愛と手分けをして行くことになる。中井は、現代俳句協会による新春懇親会が上野不忍池畔の「東天紅」でありそちらに赴く。一方わたしはここ数年不義理をしてしまっている風信子忌の会へ。風信子忌とは「ヒアシンス忌」と言い、詩人立原道造をしのぶ会のことである。立原道造記念館の館長さんである宮本則子氏が中心となって毎年行われるものであり、こちらも上野近くの谷中の多賓院でのお墓参りからはじまってホテル鴎外荘(鴎外旧居)での講演会、朗読、そして懇親会とつづく会である。館長の宮本則子さんは立原道造のために仕事のかたわらそのすべてをささげて来た方である。わたしは、中村真一郎氏を通して存じあげたのであるが、道造記念館創立のために渾身の努力をされてみごとにその思いを果たされたのである。今日は、故中村真一郎夫人の佐岐えりぬさんによる朗読と思潮社社主の小田久郎氏による講演「戦後史と立原道造」というものであった。わたしは講演をとちゅうから拝聴することになったのであるが、戦後詩人の中村稔や鮎川信夫の詩と立原の詩とを比較、考察したものであり、なかなか面白かった。立原道造記念館は本郷の東大に面したところに可憐に建っているのであるが、建築家としても才能のあった立原のほかの面での多才ぶりを知ることが出来て面白い。なかでも立原が友人にあてたハガキが絵もすばらしくわたしはとくに好き。24歳で亡くなったということが信じられないくらい沢山のものを残しているのには驚く。懇親会で読売新聞・文化部の小屋敷晶子さんに会う。軽井沢高原文庫の大藤敏行氏にもお目にかかる。ひさしぶりである。 ![]() ところでなぜ、風信子(ヒアシンス)忌というのか、大藤さんによると、それは立原が生前自費出版した詩集二冊の版元を「風信子叢書刊行所」としたところからの由来らしい。その自費出版の詩集は100冊ちょっとでほとんどが知人に配られたものであるという。第一詩集は楽譜の大きさであり、装丁も楽譜のようである。第二詩集ともとても素晴しいもので、すべて立原がデザインしたという。このへんのセンスの良さも素晴しい。この詩集も記念館に行けばきっと見られると思う。ヒヤシンス忌なんて、立原道造らしくなんと可憐な忌日でしょう。 森鴎外の旧居では、若者の団体が旺盛な食欲を見せて昼食を食べていた。その旧居の庭には、池には鯉がゆったりと泳ぎ、馬酔木の花や龍の玉がみごとであった。(山岡喜美子) #
by fragie777
| 2006-03-25 19:37
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