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8月7日(金) 立秋 旧暦6月25日
薊(あざみ)の花。 上から見ると、 薊の花がびっくりしているみたい。 今日から立秋である。 そして厳しい残暑。 ふらんす堂は明日から16日(日)まで夏期休暇になります。 メールのお返事とかできなかもしれません。 ご了承くださいませ。 というわけで、今日は仕事をむちゃくちゃ頑張った。 それでも、こころを仕事にのこしたまま休みにはいりそうである。 が、 きっと休みにはいっちゃうと、仕事のことはきっと忘れ去る。 そういう人間なのよ、 アシカラズ。 そして、 以前にもお知らせしましたが、 『小澤實前期句集集成』刊行記念・小澤實×堀田季何トークイベント【小澤實に聞く『前期句集集成』に関する33の質問】が9月21日 (月・祝)、青山ブックセンターにて開催されます。お申し込みは以下URLより。https://aoyamabc.jp/products/9-21-202633 また、そのイベントに伴って、【『前期句集集成』に関する33の質問】の質問を大募集しています。 こんなのどうですかって、ときどき、質問があがってくる。 ふむふむ、いいんじゃないって。 これからお隣の美容室へ行って、髪をカットする予定。 すっきりしたところで、夏期休暇にはいります。 みなさまも良き休暇を。 #
by fragie777
| 2026-08-07 17:57
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8月6日(木)広島原爆忌 旧暦6月24日
女郎花(おみなえし) 秋の花である。 今日は広島原爆忌である。 そして、俳人・山上樹実雄(1931~2014)の忌日である。 『山上樹実雄全句集』より、原爆忌を詠んだものを紹介したい。 原爆忌日傘の内に骨の音 山上樹実雄 以下は、野木京子著『空を流れる川 ヒロシマ幻視行』 より。 広島に住んでいたとき、川沿いの慰霊碑の前で、被爆建物で、小学校の地下室で、川原の小石の前で、私はいつも聞こえない声に耳を澄ましていたような気がする。詩を探し求めることは、幻の声を追うことに似ている。言葉は、単に意味ではなく、「声」となったときに肉体を持って立ち上がってくるのだった。 広島中央放送局があった場所は幟町小学校の隣で、今はデパートの食品館が新しく建っている。あの日ラジオ修理のために放送局前に並んでいた人たちは、路上で直撃を受けて亡くなった。 幻の声は世界中に散らばっている。ピンポイント爆撃のニュース映像の下に、都市の新しい建物の下に、広島の川の底にも隠れている。それは、耳を澄まさなければ聞こえない。(幻の声を追う)より。 ひろしまの忌日や高く飛べる蝶 原 裕 #
by fragie777
| 2026-08-06 18:09
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8月5日(水) 旧暦6月23日
雨に濡れた木槿。 蟻がいる。 蟻はすこしピンぼけとなってしまった。 ドライヤーにひきつづき、iPhoneがあやしくなってしまった。 すこし前から不具合があったのだけれどだましだまし使っていた。 が、とうとう買い換えたのである。 iPhoneは高いが、仕事上必須であるのでやむをえない。 たぶん、わたし、携帯依存症かもしれない。 わかってるんだけど、ちょっとね。 新刊紹介をしたい。 著者の小林鮎美(こばやし・あゆみ)さんは、1986年群馬県生まれ。2011年石田波郷新人賞奨励賞受賞、2013年「群青」入会。現在、「群青」同人、俳人協会会員。本句集は第1句集であり、序句を「群青」の櫂未知子代表が、跋文を「群青」の佐藤郁良代表が寄せている。 わたくしの城へようこそ女王蟻 櫂未知子 堂々とした句集名にふさわしく堂々とした序句である。 「私が櫂未知子さんと「群青」を創刊した際、鮎美さんは創刊同人として加わってくれた。以来十三年、鮎美さんは「群青」を舞台に俳句を作り続けている。」と跋文に書く佐藤郁良代表は、小林鮎美さんの俳句の良き理解者であり、こころからのエールをおくっていることが跋文にはあらわれている。 鮎美さんの俳句は、とにかく面白い。微量の毒があって、読者を飽きさせることがない。それはもともとわかってはいたが、こうして一冊になったものを読み返して、あらためてそれを感じた。鮎美俳句の魅力は多々あるが、その一つは素材の幅広さであろう。 パスワード忘れて烏瓜となる 花冷の底に外反母趾ふたつ バリウムの白の果てなる夜寒かな (略)かと言って、鮎美さんの句に外連味(けれんみ)があるかと言えば、決してそうではない。新仮名遣いで口語句も多くポップな印象があるが、しっかりと実(じつ)を持った作り方をしている人だ。 跋文を抜粋して紹介した。 本句集の担当は、Pさん。 関節を鳴らして夜学終わりけり つちふるを知る剝製の眼の硝子 風邪声に絡まる紐のごときもの 口説かれているかも知れず牡蠣すする 盛夏まだ赤子に名前馴染まざる 春風を回転ドアは切り分けて 子を連れてサマードレスは帆となりぬ 月光にヘルペス泡立ちはせぬか 花野にて迷えば声の若返る 水仙喋る喋るけど全部文字化け Pさんが好きな句を見ても、手垢のつかない俳句がならんでいる。佐藤郁良さんは、「とにかく面白い」と語っているが、それもわかる。 つちふるを知る剝製の眼の硝子 わたしもこの句には、しるしをつけた。「つちふる」が季語で、「黄砂」のこと。この句を詠んだとき、なんの剥製かは詠まれていないけど、わたしは猛禽類をおもった。らんらんとした眼でもって、黄砂が降っていることを見ている。そんな風におもったのだが、しかし、この句「知る」とあって、「見る」ではないのだ。だから「黄砂」というものを知悉しているという意味にもとれる。さらに、剥製の「硝子の目」ではなく、「目の硝子」なのである。「硝子の目」としたほうが自然な感じがするのだけれど、作者は「目の硝子」と硝子を最後におき、硝子に帰着させた。その真意をしりたいところ。それがこの一句をありそうでそうでないものにしているそんな気がしているのだ。 子を連れてサマードレスは帆となりぬ この句はわたしも好きな句である。この句をみたときすぐに岡本眸の「汗拭いて身を帆船とおもふかな」の句を思ったのであるが、この句は子どもがいる。帆船の帆のようにふくらんだサマードレスが、子どもを包むようにひろがった。そんな視界のひろがりがあって、すてきだ。心情などはいっさい述べていなのだけれど、母であることの充足感も感じさせる一句だとおもった。 月光にヘルペス泡立ちはせぬか まず、「ヘルペス」を俳句に詠んでみたことに驚いた。ヘルペス、つまり皆がおそれるやっかいな帯状疱疹である。自身のヘルペスであるか、他者のヘルペスであるかはわからないが、作者はヘルペスに心を奪われているのである。月明かりのなかにうかびあがる「ヘルペス」、じいっとみているとそれが泡立ってきそうだ。そんなヘルペスをみている時間、それは甘美でさえある。 春風や寝癖ゆたかに私の子 小林鮎美さんが自選句にいれている一句である。「私の子」にちょっと驚く。すばり一句のなかに「私の子」とおいてしまう度胸(?)がすごい、けどそれがいいと思う。あとがきや跋文をよむと、大変な難産をのりこえての出産であったようだ。だから、「私の子」という措辞に納得というのではなくて、出産のありようがどうであろうとも、「私の子」という措辞が大胆でいい。「子どもかな」とかしてしまいがちなところを「私の子」として、自身へも再認識させている気持ちの強さがいい。寝癖も最高である。春風が母と子の命を祝福してくれている。〈もう一人君を産みたし雪を嗅ぐ〉という句もあって、子どもへのつくろわない直球の愛情がいい。 見返り美人のポーズでとまる扇風機 ところてん根気はないが職はある どちらも面白い句である。佐藤郁良さんの跋文によると、「この二句は、「群青」の創刊号を飾ってくれたものだ。一句目の心地よい機知も、二句目のちょっと脱力したシニカルな態度も、鮎美俳句の骨格をなすものと言ってよいだろう。」と。一句目、今後「扇風機」をみると「見返り美人」を思い出してしまいそうである。しかし、その扇風機も、昭和の時代は大活躍をしたけれど、平成、令和と時をへて、見かけることもすくなくなり、その風姿も変化しつつある。首をふらなくなった扇風機は、見返り美人のポーズを披露することもできなくなったのである。 校正スタッフのみおさんは、すきな句あげている。 〈月光にヘルペス泡立ちはせぬか〉こう言われるとなんだかヘルペスが自分の中の別の生命のように感じられます。 大学時代から現在まで、大体二〇年くらいの間に作った句をまとめました。実体験の句、妄想の句、どうやって作ったか覚えていない句など、二九八句を収めています。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。 この場を借りて、学生句会でお世話になった先生方と句友、所属する群青の句友、いつも支えてくれる夫と、私に新しい世界を見せてくれた息子に感謝します。特に群青の田中冬生さんに特別な感謝を。あなたと友達になれて良かった。また九年前、出産の際に三・六リットル出血しICUにて治療を受けました。医療関係者と献血をしてくださった方々に感謝いたします。 群青の櫂未知子先生からは序句を、佐藤郁良先生からは跋文を賜りました。いつも温かくご指導くださる両代表に、心より感謝申し上げます。 「あとがき」を紹介した。 本句集の装幀は和兎さん。 紫がかった紺といっていいのだろうか。 きっぱりとして媚びない感じが著者をおもわせる。 自選句。 書体にもこだわりが。。 ![]() 鮎美さんの同世代には力のある女性俳人が数多くいるけれど、小林鮎美の実力はその中でも出色だと私は信じて疑わない。すでに俳句歴二十年、ようやく上梓にいたった第一句集『女王蟻』を、私は自信を持って世に送り出したい。(佐藤郁良/跋) 上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 実際に手に取ってみると思っていた以上に素敵な仕上がりで、自分の句が一冊の本になったという実感が追いつかず、少し不思議な気持ちでした。数日かけて嬉しさが湧いてきた感じです。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい。 「自分が読みたいと思える句集にしよう」と思いながら句稿をまとめました。その結果、周りの方や遠くの方に少しでも楽しんでもらえたら儲けものだな、という気持ちでした。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 今までの句をまとめて出したことで、とても身軽になったような心地でいます。あまり先のことは考えていませんが、これからも楽しんだり苦しんだりしつつ俳句を続けていきたいです。 小林鮎美さま 第1句集の刊行、おめでとうございます。 女王蟻のように堂々とした句集であるとおもいます。 「微量の毒」を決してうしなうことなく、 さらなるご健吟をお祈りもうしあげます。 水やりは女王蟻に届くまで 小林鮎美 #
by fragie777
| 2026-08-05 19:16
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8月4日(火) 旧暦6月22日
こんなに蘂が長かったかしら。 枝や葉に悪臭があるのでそう呼ばれるという。 花は甘い香りがする。 ドライヤーがとうとう壊れてしまった。 冷たい風のみとなってしまったのだ。 「よく働いてくれた。。。」 ということで、新しいドライヤーを買うことにした。 島忠のなかの「ノジマ」電気に行ったところ、それはもうたくさんのドライヤーが展示してあり、迷ってしまう。 いろいろと手にとってできるだけ軽いものを購入することに。 ドライヤーにしてはかたちがスマートである。 さっそく使ってみる。 ハンディだけど、すさまじい熱風がでて首から頭がもげそうになる。。。 ということはないけど、なんともすごい瀑風である。 しかもマイナスイオンなどがでて、髪質をよくするのだそうである。 凄いねー。 ついでに頭にかかわることなので、知力アップなんかしてくれたらもう大金をはたいてしまう。 そんなドライヤーはいまんとこないけど、何がおこるかわかならない今の世、期待しよう。 ということで今日もバランスボールに乗って一所懸命仕事をした。 『中田みづほの百句』の執筆者である中本真人さんから、メールでご連絡をいただいた。 8月11日より、にいがた文化の記憶館というところで、「脳神経外科医×芸術家 中田瑞穂」という企画展が開かれるということ。 「私自身は、展示に関わっていないのですが、拙著の知られる機会にもなるかと思いますので、お知らせいたします。」と中本さん。 目下、中本真人さんの第2句集の刊行にむけて、担当のPさんが編集作業をがんばっている。 装幀も決まって(なかなかカッコいい)、もうまもなく出来上がるのではないかとおもう。 昨日、山本左門さんの句集『星暦』をブログで紹介をしたが、一文をかきわすれたので、付け足した。 「山本左門さんの俳句は、どれも背後に深遠な物語を呼び起こすものが多い。それが魅力である。」 でも、肝心の左門さんはきっと読まないと思う。 だって、超アナログ人間で、メールもインターネットもしないし、電話と手紙で話すのみ。 ブログでわたしが好き勝手書いてることも知らないし、わたしもあえて連絡はしない。 その左門さんの句集について、俳人の朝吹英和さんより、お電話をいただいた。 「ブログみました。ボクは山本左門さんの俳句がとても好きなのです。これまでの句集も全部読んでいます。彼にあったこともあるんです。はずかしそうな人でした。俳句について、二時間以上話しました」と。 そして「今回も句集『星暦』について、冊子に書きました」と。 「まあ、読ませていただきたいので是非に送ってください」とお願いしたのだった。 左門さんといえば、かなり昔に電話ではなした記憶では、大学はわたしと同じで文学部で、あるいはキャンパスですれ違っていたかもしれない。同じ時代の風景をみてきた人間の気安さがあるような気がする。 #
by fragie777
| 2026-08-04 18:32
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8月3日(月) 旧暦6月21日
今日は大分すずしい。 涼しい日に見る昼顔は、涼しそうである。 来週から、ふらんす堂はお盆やすみにはいる。 休み前の仕事場は、おしゃべりをするスタッフもおらず、みな一心に仕事をしている。 わたしは郵便局へいくついでがあってでかける。 郵便局にいくと決まって、切手コーナーは必ず見る。 今日は「くまのプーさん」の110円のかわいい切手があったので3シートを購入。 仕事場にむかう途中、スタッフから携帯に電話がはいる。 今日いれるはずの本が、まだ業者に入っていないという電話。 慌ててもどってあっちこっちに電話をして対処する。 大汗をかいたのであるが、一件落着。 ふっと買ってきた切手はと探すと、ない。 領収書はあるが、切手がない。 慌てたので落としたのか。。 あーあ、途中で落としたら絶望的だ。 「切手、なくしちゃったみたい」とスタッフ達に訴えるが、 「ちゃんと袋のなかとか調べました?」とか言われ、調べてみる。 けど、ない。 「切手のある引き出しに入れたんじゃないですか」って言われるが、 そんな行為はしていない。 けど、一応調べる。 あった。。。。 どういうこと? 身におぼえがないのよ。 「やはり……」とスタッフたちは冷ややかである。 不思議である。 見つかったので、ふかく追求せずよしとしよう。 新刊紹介をしたい。 A5判並製小口折表紙帯有り。 142頁 3句組 著者の山本左門(やまもと・さもん)さんは、これまでふらんす堂より4冊の句集を上梓している。本句集は第5句集となる。著者略歴を記していないので、年齢不詳であるが、「あとがき」によるとわたしとほぼ同世代のようだ。 第1句集『星痕集』(1998年刊)、第2句集『殉教』(2000年刊)、第3句集『星蝕』(2005年刊)、第4句集『星餐』(2012年刊)そしてこの度の句集『星暦』となる。前句集より10年以上の時間が経ってしまった。 第2句集『殉教』以外はすべて、句集名に「星」がつく。 こんなに句集を刊行させていただいているのに、実はお会いしたことがない。 現代俳句協会に所属されているが、そこでもお会いしたことはない。 お会いしたことがなくても、電話ではむかしからよく知っている友人のように話してしまう。 サングラスがうがう海は鳴るばかり この度の句集に収録されている一句であり、自選十五句に入っている。 左門さんは、たぶん、サングラスをかけてかなり恥ずかしがり屋なのではないかって思っている。 5冊の句集すべて装幀は君嶋真理子さん。 左門さんのご指名である。 どれも気に入っておられる。 帯の自選句とわたしの好きな句がみごとにちがう。 自選句のなかからまず一句を紹介してみたい。 紫陽花やヨカナーンの首奉る 「ヨカナーン」とは、新約聖書に登場するバプテスマの「ヨハネ」のこと。「ヨカナーン」は、ヘブライ語の読み「ヨナハン」に基づく読みであるようだ。有名な「サロメ」の話である。「ヨハネ」より「ヨカナーン」の響きの方がインパクトがある。お盆に載せられたヨハネの首をうやうやしくサロメがヘロデの前にかかげる。いろんな画家によって描かれてきたその場面を一句にしたもの。季語は「紫陽花」である。 紫陽花の鞠と人間の首、そんな連想もしてしまうけど、この句は「紫陽花」によって救われているかもしれない。これがもっと強烈な花、ダリアとかカンナとかだったら身も蓋もなく首から垂れる血潮までも生々しく見えてくるが、「紫陽花」によって、バプテスマのヨハネの清廉さが保たれているような、気もするのである。「紫陽花」の瑞々しい淡いいろが、一句を浄化しているかもしれない。いずれにしてもエグい物語である。 空爆やトマトに塩を振つてゐる 戦争を待つてるやうな青バナナ 自選句より。「空爆」や「戦争」を俳句に詠みこんだ句である。「トマト」の句はわかる。「青バナナ」はどうだろう。なにゆえ「青バナナ」なのか、左門さんに聞いてみないとわからないが、こうして一句に詠まれてみると「青バナナ」を見たときに思い出してしまいそうな一句である。バナナではなく、青バナナであることが印象をふかくしているのかもしれない。 涅槃図のごとく大破のオートバイ これはわたしの選んだ一句。「涅槃図」という季題をこんな風に詠んだ一句はないのではないか。目の前に事故に遭ったのだろうかもうすでに形をとどめていない「大破のオートバイ」がある。それを見ていて「涅槃図」を思い起こしたのである。そんな。。って思う人もいると思う。「涅槃図」とは釈迦入滅の場面を描いたもので、生き物たちがはげしくそれを嘆いている図であるが、「大破のオートバイ」が横たわる釈迦のように見えたということか。ええっ!っていう思いもあるけれど、「涅槃図」を連想したことに驚いた一句である。あるいは、「涅槃図」の背後にある宗教性への批評があるのだろうか。 顔持たぬ人流れゆく夜の桜 これは好きな一句である。「夜の桜」は、昼間見る桜とはちがう不思議さがあって幻想を呼び込む。この句、「顔持たぬ人」とはどんな人間であるのか、夜の桜のもとで人間はすべて個性など失って生と死の境にいるような異形のものとなって、「流れていく」のである。夜の桜の磁場に己を失ってひたすら流動していく人間たち。この句もうちょっとうまく鑑賞したいのだけど、自分の言いたいことが言いえていないな。 霜柱ざくざく突然死来るか 突然おそってくるかもしれない「死」。霜柱をふみながらふっとそんな思いに襲われたのか。あるいは、霜柱をざくざくと踏みつけているいま、死はやってくるかもしれない。「霜柱ざくざく」までは、措辞としてはよくわかる。そのあとに何をつけるか。「突然死来るか」というドキッとするような措辞をもってきて、緊迫感のある一句となった。そう、左門さんにとってもわたしにとっても「死」はすでに遠い存在ではないのである。 校正スタッフの幸香さんは、〈朧の夜電車に駅が流れ着く〉に特に惹かれました。 本書は『星餐』に続く第五句集である。二〇一四年から二〇二四年の間に、同人誌、新聞、雑誌等に発表した作品の中から三百八十余句を抽出して収録した。 私は世に言う「全共闘世代」「団塊の世代」に属するが、句集をまとめていると、もの凄いスピードで私の周囲を擦過していった時間の影法師に些か茫然とする。特に今回は公的にも私的にも、非日常が日常化したような劇的ともいえるさまざまな出来事があったので、一層その感が強い。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「非日常が日常化したような劇的ともいえるさまざまな出来事」って何かしら。 お会いすることができたら、うかがってみよう。 装幀は君嶋真理子さん。 左門さんのたつてのご希望である。 ピエタのごとく室外機あり月明り 山本左門さんの俳句は、どれも背後に深遠な物語りを呼び起こすものが多い。 それが魅力である。 句集上梓ごのお気持ちをうかがってみた。 〇句集『星暦』を手にした時の感想はいかがでしたか? 今回も、ふらんす堂の瀟洒典雅な句集造りに大変満足している。 〇この句集にこめた思いをお聞かせください。 友人たちの強いすすめもあってとにかく句集を出版しようと思った。 〇今後の俳句へのヴィジョンをお聞かせください。ほか、語っておきたいことは何でも。 出来ればふらんす堂から、あと二冊程、出版しようと想っている。 山本左門さま ふらんす堂をお引き立ていただき、ありがとうございます。 次の句集はもっとたくさんの方にお送りいたしましょう。 そして一度はふらんす堂をお訪ねくださいませ。 実は、本句集『星暦』は、ご本人の希望で制作冊数もすくなく、謹呈もごく親しい人に限られている。 それではと、もっといろんな方たちにお送りするようにアドバイスを差し上げたのであるが、がんとして聞いて貰えなかったのである。 残念である。 #
by fragie777
| 2026-08-03 18:01
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