友と友が語り合うている一冊。

7月14日（日）　パリ祭　旧暦6月12日

もうすでに木槿が咲いていた。

今日は午前中は太極拳に行く。

太極拳を学ぶ時間というのはおよそ1時間半くらいかもしれないが、この時ほど自分の身体を意識することはない。

全意識を総動員して足の裏から指の先脳天まですみずみに行き渡らせる。

つくづくと平素の生活でこれほど身体（しんたい）について思うことはないので、貴重で興味ふかい時間である。

足の裏はふかくふかく大地を思い感じ、脳天は天上にふれんばかりに身体を伸びやかにし、ゆったりと身体を宇宙の気息にあわせて動かしていく。

ほんの一時間半ばかりであるが、ただひたすら集中する。

実は明日がお休みであることを、太極拳の授業が終わって知った。

とたんに、時間に余裕がうまれて新宿で映画を一本観ることにした。

その映画のことについてはまたあらためて。

今日は、四ッ谷龍さんが送ってくださった「むしめがね」№22の特集『田中裕明の思い出』について紹介したい。

昨年の8月にふらんす堂より刊行された四ッ谷龍著『田中裕明の思い出』について、ふたりの俳人が書評を寄せている。

田中裕明賞受賞俳人の小津夜景さんと西村麒麟さんである。

それを読んで頂くのがいちばんよろしいので、抜粋して紹介したい。

小津夜景さんのタイトルは「夜をめぐる工房」

四ッ谷龍『田中裕明の思い出』はおだやかで、芯があり、うつくしい裕明のすがたを伝える書物だ。その描きぶりはみずみずしい恋のようで、ひさびさに通読していま、裕明に対する四ッ谷の思慕のゆかしさにあらためて驚いている。

という書き出しではじまる。とくに興味深いのは、田中裕明の『夜の形式』論にふれたところである。

裕明の俳句は写実・写真的なものの見方＝「昼の形式」を判断停止することで本質に達することを目指し、またその写生は「精神」や「目に見えないもの」を排除しない一種の発明であると四ッ谷は主張する。〔略）

思索はさらに「昼は夜へと変換される」と題された一章へとつづき、そこで四ッ谷は「夜は昼を排除するのではなく、昼を受け入れながらその本質を別のものへと変えていく」と述べる。おそらくこの一文こそ、裕明句の豊かさを解明するもっとも重要な指摘であり、かつ本講演のクライマックスとでもあるだろう。わたしはこの指摘に感銘を受けるとともに、ひとつの疑問をも見いだした。

（略）

はたして昼と夜はほんとうに不可逆的関係なのか。あるいは目に見える物理界については、四ッ谷の書くとおりかもしれない。けれども裕明における「夜の形式」とは「精神」は「目に見えないもの」を排除せず、最終的には四ッ谷が講演のおわりでみずから総括するように、この世の価値に縛られない物の見方へとだどりつくのだ。とすれば、昼の内に夜があるように、夜の内にも昼があってなんらおかしくない。

小津夜景さんは、田中裕明さんが書いた「夜の形式」を引用しながら、四ッ谷さんの論考に疑問を呈していく。

この四ッ谷さんの渾身の「夜の形式論」については真っ向から取り組んでみせる俳人は数すくないので、小津さんの取り組みは貴重である。一読に値するものではないかと。

そしてもうお一方は、西村麒麟さん。西村さんも田中裕明賞受賞俳人である。

（四ッ谷さんが選考委員として選んだ受賞俳人をこのようなかたちで顕彰してくださるのは主催者としても有難い）

西村麒麟さんにとって田中裕明は会うことはかなわないけれど大切な身近な人のようである。

『田中裕明の思い出』は裕明の人間性を実にあたたかく伝えてくれます。僕が夏目漱石や正岡子規と会うことが出来ないのと同じように、田中裕明と句会をすることもお酒を飲むことも出来ません。裕明さんがどんな人であったのか、僕にはとても興味があります。そういえば「本を読むことは死んだ人と話すことですから」と裕明は「ゆう」に書き残しています。（略）

この本の最も美しいところは、著者である四ッ谷さんが田中裕明に対して「うっとり」しているところでしょうか。挙げられたエピソードがことごとく面白く、心に残ります

こんな風に西村麒麟さんは、この本にそってご自身の心を沿わせてこの本のこと、田中裕明のこと、四ッ谷さんのこと、田中裕明をめぐるざまざまことに細やかに触れているのである。そのなかでとくにわたしが紹介したいところ。「５．田中裕明の俳句」という章の一節。

お恥ずかしい話を披露しますが、もしかしたら広い俳句界のどこかには僕と同じような人もいるかも知れませんので正直に書きます。僕は田中裕明の俳句を読んで、時々不安になることがあります。その理由は裕明俳句を愛読しているのに、その魅力を上手く伝えることが出来ないからです。

　蝉とぶを見てむらさきを思ふかな　　　　『花間一壺』

　泣いてゐるやうな子供の秋の繪に　　　　『櫻姫潭』

　姉の音妹の音夜は長し　　　　　　　　　『先生からの手紙』

　山荘の夜は夜の鳥朴の花　　　　　　　　『夜の客人』

どの句も難しいことは書いてありません。どれも好きな句ですから、それぞれの句が面白いこと、優れた作品であることも直感で理解出来ます。それなのに、この句のここが面白い、と人に上手く説明が出来ない自分がいます。誤解の無いように言っておくと、無理に説明することは可能です。しかし、それが田中裕明の俳句の本当の美しさを言い当ててはいない気がどうしてもするのです。負け惜しみを言うようですが、裕明俳句にはそう簡単にはわからない面白さがあるのではないでしょうか。

四ッ谷龍さんは、本冊子のあとがきにあたる「ルーペ帳」で本著のことについてこんな風に書いておられる。

『田中裕明の思い出』は『冬野虹作品集成』の編集とともに私にとってライフワークと言える仕事だ。この本を形にすることができて、心から安堵しえいる。実際に本にしてみると、裕明の俳句について新たに気づくことがいろいろあり、彼に関してはまだいくらでも文章が書けそうだ。

本著の書評については、目下編集中の「ふらんす堂通信161号」で、俳句総合誌「俳句あるふぁ」2019年冬号に掲載された島田牙城さんの書評を転載させていただいているのだが、この書評がとてもいいのだ。

僕にとっては、との括弧書きを入れねばならぬのであろうけれども、こんなに懐かしい一冊はない。

という書き出しではじまり、

友が友を、ではなく、友と友が語り合うている一冊として、この本は読者一人ひとりの心へ届くはずだ。

と結んでいる。

島田牙城さんの田中裕明さんへの四ッ谷龍さんへの友としての思いがあふれた、また田中裕明を愛した人でなければ書けない文章であると思ったのだった。

以下はちょっと余談。

先日、対中いずみさんのご受賞をお祝いする会に行った時、二次会でわたしは斜め前に坐られたとてもお若い俳人の柳元佑太さんにこんな風に話しかけられた。

「田中裕明さんのことは何でも知りたいのです。思い出などがあったら教えてください」

伺えば、柳元佑太さんは、田中裕明の俳句を通して俳句を作るようになったということ、その最初に手にした本が邑書林から刊行されたセレクション俳人『田中裕明集』であったということである。今は小澤實主宰の「澤」で勉強をされている。

そして、四ッ谷龍さんの『田中裕明の世界』で書かれている『櫻姫譚』の句集名のいきさつのことに話が及んだ。

知る方は知るエピソードで、句集『櫻姫譚』の集名について最初田中裕明さんの頭の中には、別の名前があったのである。しかし、四ッ谷さんは田中さんに会ったときに「櫻姫譚」にしたと語られ、そのやや不本意らしい様子が気になっていたところ、「ゆう」の追悼号で中原道夫さんが書いたものを通してその名前の変更の原因に不肖わたしが関わっていることを知ったのである。そのことで四ッ谷さんから確かめられたことがあったのだ。柳元佑太さんもそのことを聞いてきた。

「『櫻姫譚』になるまえって本当に『建築と散歩』だったのですか」

「そうなのよ。新宿の小さな飲み屋だったと思うけど、キビナゴで日本酒を飲んでいてね、今度の句集のタイトルを「建築と散歩」にしようと思うんですが、、、って田中さんに言われて、「ええっ、なに「建築と散歩？！」それってどこからの発想？」ってわたしもつっこんで、「おかしいですか、いい題だと思うんですけど」「へんよ、ぜったい、エッセイ集だったらまだしも散歩はいいけど建築がねえ」とわたしは冗談かと思い大笑いをしていると、「みすず書房の本ってあるじゃないですか、白が基調で文字が小さく横書きの、今度の句集はあのみすず書房の本のような句集にしたくて、そうなると「建築と散歩」がよく合っているんですけどねえ」と澄ました顔で田中さん。「みすず書房の本は知的なイメージがあっていいけどさあ、でも句集でしょ、なんか合わないわよ」「そうですかねえ」なんてやりとりがあって、今から思えばどうやら繊細な心を持ち合わせていないyamaokaが、田中さんの句集名の提案を一笑に付した感があるのだ。

「櫻姫譚」という句集名になった時は、田中裕明さんらしいエレガントさがあり、しかも不思議さもあって、「あら、これならいいじゃない」って思ったのだった。

しかし、ここだけの話であるが、四ッ谷龍さんは、わたしが否定したことによって名前が「櫻姫譚」になってしまったのがすこし不満であるご様子。

「ぼくは「建築と散歩」の方がいいとおもってます。」と会ったときに言われてしまったのだ。四ッ谷さんが尊敬しておられるさる俳人の方（ここではお名前をださないが）にもそのことを話すと「建築と散歩」の方が良いと言われたそうな。。。

ひゃあー、そうかあ、って思ったが、わたしは結構へいちゃらである。

新宿の狭い飲み屋で美しい銀色のキビナゴをつつきながら、大笑いをして句集名のことについて話したあのときのことはいまでも少しも色褪せずに思いだすことができる。

きっとどんな有名な俳人の方があとから「建築と散歩」の方がいいよって、田中さんに言ったとしても、田中さんはわたしが「おかしいわよ」と言ったことを笑いながらやや困りながらも大事にする、そんな稀有の人なのである。

それは私になにか価値があるということではなく、（そんなことは分かるでしょ）人間と人間の関わり合いをさりげなく大切にする人なのだ。案外そういう人っていない。人間はもっと上昇的な価値のある方向（有名になるとか、世に出るとか等々）にどうしたって動いていくので。。。先の司馬遼太郎のことばではないが、田中裕明さんもまた、人間の生死の外側にいた人なのだ。

いまつくづくとそう思う。

だから「櫻姫譚」は田中裕明さんが決められた句集名であるとわたしは思っている。。

装丁もみすず書房のようにではなく、俳人・千葉皓史さんによるフランス装の装丁で、少女趣味からぐっと離れた格のある手触りのものとなった。

「櫻姫譚」の本作りにまつわる物語。

それも大切なものである。

楽しかった本作りだったなあ。

柳元佑太さんは、田中裕明という俳人に魅せられていて、田中さんのことは何でもしっておきたいと一途な目をしておっしゃる。

ああ、そうなのか、

そんな若い人が出てきているのか、

すばらしいじゃない、田中裕明さん。

恥ずかしそうに笑う田中さんの顔がふっと浮かんだ。