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3月20日(火) 旧暦2月4日
武蔵野の里山は草青む季節の只中である。 草の色がこれほど美しいとは。。。。 ここにはやがて二輪草の花が咲く。 今日はさっそくであるが、新聞記事を紹介したい。 本日の讀賣新聞の仁平勝さんによる時評「俳句とことば」をすこし抜粋になるが紹介したい。 季語はしばしば一句の中で他のものとの取り合わせで用いられるが、季語そのものの特徴を詠むほうが、高度な芸が求められる。 鷹羽狩行の第十八句集『十八公』(KADOKAWEA)は、相変わらずそうした芸を堪能させてくれる。 「ぼんぼりに灯の入るまでは夕桜」は、灯が入れば夜桜になるということだ。夕桜を詠みながら、そこに夜桜の像を重ねてみせた。俳句は場面をどう切り取るかが腕のみせどころだが、この句からは時間の移り変わりも見えてくる。 「遠きほどこころかたむく祭笛」は、「祭笛」が主題だが、祭の場面ではなない。作者は家にいえて、遠くで聞こえる笛の音に心が傾いていく。経験的によくわかる感覚で、祭の新たな情緒の発見ともいえる。(略) 山田佳乃の第二句集『波音』(ふらんす堂)も、季語の特徴をうまく捉えた句が印象に残る。 「片方をいつも探してゐる日永」は、「片方」という曖昧な語がいい。スリッパか靴下かイヤリングか、それを明示しないことで比喩的な効果が生まれる。つまり「日永」には、何か足りない気がするのだ。 「凧揚げて一人一人に違ふ空」なのか。それはめいめいが自分の凧を見ているからだ。凧揚げとは、空を独占する遊びなのである。 深見けん二の第九句集『夕茜』(ふらんす堂)は、季語に臨場感がある。 「日は既に庭に無けれど日脚伸ぶ」の句。たしかに日が伸びるたと感じるのは、日が当たらなくなってからだ。夕方もまだ暗くならないという感覚が、巧みに表現されている。 「月を見に下りたる庭の虫時雨」は季語が二つある季重なりで、一句の主題が「月」から「虫時雨」に転換する。庭に出なければ、虫の声に気づかなかった。主題の転換は、そのまま作者の心の動きにほかならない。 季重なりが初心者にタブーなのは、季節感が類型化するからだ。これがうまく使えるようになると、俳句はまた奥が深くなる。 おなじく讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、深見けん二句集『夕茜』より。 あちこちの墓に人ゐて蝶の昼 深見けん二 はじめ、どきっとした。あちこちの墓に人が眠っている? 思うにその手の句は詠まない人である。ここは死者ではなく、墓参りの生者の姿が見えるのだ。蝶もちらほら飛んでいる。のどかな春の彼岸の光景だろうか。句集『夕茜』から。 今日はいろいろとお客さまがいらっしゃった。 午後には、目下編集作業をすすめている「新興俳句アンソロジー」(現代俳句協会・青年部による)の打ち合わせで、神野紗希さんと佐怒賀正美さん、川名大さんがご来社された。 「現代俳句協会七十周年」の記念行事の一環として企画されたものである。 たくさんの若手俳人が執筆する意欲的な企画であるが、原稿もそろい刊行のめどがたち動き出したところである。 神野紗希さんを中心にした青年部のこの取り組みに対して、川名大さんと佐怒賀正美さんはスーパーアドバイザーとしての存在だ。 川名大さんの「新興俳句」の研究者としてのお仕事は皆の知るところである。 いろいろと適確なアドバイスをいただいている様子である。 佐怒賀さんは、青年部の取り組みを心から応援しておられる。 今日もほぼ二時間ほど、よりよき「アンソロジー」にすべく話しあいや確認がなされたのだった。 Pさんが担当なので、わたしは自分の仕事机の方にいてその場にはいなかったが、楽しそうな笑い声や話声が聞こえてくる。 打ち合わせを終えて。 後右より川名大、佐怒賀正美、(前)神野紗希の皆さま。 今日はお疲れさまでございました。 その後引き続いて、ひとりお客さまがご来社。 鵜山丘子さん。 目下、鵜山丘子さんのお母さまの井坂弘子さんの遺句集をお作りしている。 今日は初校ゲラを届けに立ち寄ってくださった。 いくつかの修正箇所などを確認する打ち合わせもあった。 井坂弘子さんは、ご存命のときに「ふらんす堂文庫」を何冊も愛読してくださっていて、遺句集のお話をいただいたときに、ふらんす堂文庫のようなものをということだった。 今回、鵜山丘子さんがいろいろな資料をご覧になって、後藤比奈夫句集『アンコール』のような造本をということになったのである。 遺句集は「柊の花」と題し、句集の編集はすべて鵜山丘子さんのご主人である鵜山仁さん。 鵜山仁さんは、演出家としてよく知られている方である。 遺句集『柊の花』は鵜山さんの演出家としての目が効いたもの。井坂弘子さんに生前より選句をお願いされていたのである。 井坂弘子さんのお命日の6月1日までに刊行する予定である。 鵜山丘子さん。 「主人は、仕事の忙しい合間をぬって、母の遺句集に取り組みました」と鵜山丘子さん。 この度の遺句集には、鵜山仁さん、鵜山丘子さん、ご姉妹のおふたり、そしてお父さまが言葉を寄せている。 お母さまが愛読された「ふらんす堂文庫」のご縁によって、遺句集を刊行させていただけることはとても嬉しい。 今朝のこと、 テレビをボオーッとみていたら、アメリカの音楽賞のことをやっていた。 すべての固有名詞をわすれさってしまったが、受賞者の若い女性歌手が、 「賞を貰ったということは、これからはリスクをおかして限界を超える、ということを求められているんだと思う」 って言い放った言葉のみが頭に残った。 ヒエー!、凄いよ。 「リスクをおかして限界を超える」って、死ねってこと? 死は眼前にありっていうこと。そのくらい頑張るってことよね。 まさにロックである。 わたしは椅子にのけぞって腰かけていたのだが、思わず姿勢を正したのだった。 ▲
by fragie777
| 2018-03-20 20:13
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