ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko
2024-03-19T18:31:20+09:00
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ふらんす堂の編集日記と最新ニュースなど。 By YAMAOKA Kimiko
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本年度俳人協会綬賞式
http://fragie.exblog.jp/33907471/
2024-03-19T18:28:00+09:00
2024-03-19T18:31:20+09:00
2024-03-19T18:28:14+09:00
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昨日の18日の午後二時半より、新宿・京王プラザにて今年度俳人協会四賞の授与式があり、うかがう。
受賞書籍は以下のとおりである。
第63回俳人協会賞 句集『家族』(ふらんす堂) 千葉皓史
句集『瑜伽』(角川文化振興財団) 橋本榮治
第47回俳人協会新人賞 句集『膚』 (ふらんす堂) 岩田 奎
第38回俳人協会評論賞 著者『極限状況を刻む俳句』(コールサック社) 大関博美
受賞された方々。
左より大関博美、橋本榮治、千葉皓史、岩田奎の各氏。
それぞれの方の受賞のご挨拶を抜粋となるが紹介をしたい。
千葉皓史さん
十年一昔と申しますけれど、こうして大勢の皆さま方の前でお話をさせていただくのは、実に三十年以上の前こと以来となります。今回の句集は「泉」時代のものが大半です。この場をかりまして、藤本美和子さまをはじめ「泉」の皆さまに深く感謝をささげます。石田勝彦先生は初心の私に向こう三年間『風切』以外は読むなとお命じになりました。私の句集に、や、かな、けりが多いのは申すまでもありません。勝彦先生はつねづね「俳句は季語と調べ」だとおっしゃっておりました。この機会にあらためて「や、かな、けり」の句づくりに光りが当たることを願ってやみません。もう一人の恩師・綾部仁喜先生は「俳句の本質は沈黙だ」と申されました。そして、写生ということの、また切字ということの深い意味を教えてくださいました。「俳句でものを言うな」と。綾部先生のお教えを幸いに私のご挨拶とさせていただきます。
橋本榮治さん
思い出を一つお話します。わたしの母親が脳梗塞で倒れました。倒れて救急車で病院に行ったんです。そこの院長は水原春郎先生でした。わたしは挨拶に行くのを最初はこばんだのですが、妻に叱られていきました。数日後に婦長さんがやって来られて、「橋本さん、水原春郎先生とはどういうご関係ですか」と尋ねるのです。「知ってるだけです」と言うと、「いやそれだけではないでしょう。春郎先生は毎朝病院に来るとあなたのお母さんの部屋をたずねられます。そして元気かどうかを確認して検査のときは必ずついていく。普通は院長のやることではないです。担当医師がやることです。どういう関係ですか」「いや、ただの人間関係です」と言ったのですが、そこでわたしは学びました。春郎先生のあたたかさを。ですからわたしにとって春郎先生は人間性において大切な先生です。その先生がいなければ、いまわたしはこの壇上にはいないと思います。春郎先生がいたおかげで「馬醉木」という結社で自由に活動し自由に俳句をつくれたのだと感謝しております。そしてもう一人の恩師は黒田杏子さんですが、それはまた別のときにお話をしたいと思います。
岩田奎さん。
「有季定型という枠が実は無限の魔法の枠であることを知らしめてくれた」という選者・野中亮介さんの大変嬉しいお言葉を頂戴して、今後の励みにしたいと思います。
句集『膚』出版したあとに、山形の高校生を教える機会をもちました。山形に行ったりリモートだったりで選句をしております。それからもう一つはNHKのカルチュアセンターでひとつ講座を持つことになり、教えるという機会を二つもたせてもらうことになりました。あらためてそこで感じたことは、俳句というのは、教えまた教えられるものなんだなあということです。それはもともとの学生時代に参加していた句会でさまざまな選や評を受けていたということも思い起こされることであり、そこでは詠むだけでなく、参加していた句会の人たちから「学ぶ」というのではなくて「教わる」という経験をしていたんだなと思いました。またそれは俳句をしている人だけに限って教わるというのでなしに、例えば『膚』の中には、藍染めを広島県まで見に行ったときの句も入れております。あるいは但馬のある猟師さん夫婦のところに行って漁を見学させて貰ったり、そんな時の句もあります。そういう現場にできるだけ触れてそこで教わるということによって得た俳句が、今回の『膚』において、あたらしいものになっていれば幸いです。
大関博美さん。
受賞のお知らせをいただいたときに、私はこの賞は、いろいろのインタビューでご協力いただいた抑留体験者の方や引き揚げ体験者の方のご遺族の方がお受けする賞であると思いました。62歳で他界した父の抑留体験を調べることからはじまって、その過酷な現実に大変驚きを感じました。戦争体験者の方が次々と亡くなっていくなかで戦争をしらない私が、どこまで書けるんだろうかという疑問を最初に自分に問いかけました。ゆえに当時のことを少しでも知っている人に会いたいと思いました。そして連絡をとりましたところ、皆さんわたしの声に傾け御協力をいただきました。多くの方の協力によってこの本が出来上がりましたことに感慨を深くしております。もう一つ、わたしがこの本を書くにあたり私を牽引した動機があります。以前に働いていた職場で会った障害者のかたが「おれは散歩のとき杖の先に死に場所をさがしている」とおっしゃったことがありました。障害者の方の何かの助けになればとサークルづくりをしました。三年後、まとめた合同句集のエッセイにその方が「今散歩のときに、杖を出さずに俳句を考えている」と書かれていました。わたしはこのエピソードに人を救える力を感じました。このときの手応えが俳句の力について考える大きな動機となりました。
この度の受賞を機に、ソ連抑留俳句や、満州引き揚げ俳句をふり返って下さる方がふえ、この本が平和を維持するということについて考えるきっかけになればと思っております。
ご受賞をされた皆さま、
おめでとうございます。
心よりお祝いをもうしあげます。
夜の新宿・副都心。
二次会で。
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春にひそやかに咲く花をみつけた喜び。
http://fragie.exblog.jp/33902610/
2024-03-18T18:00:00+09:00
2024-03-19T09:28:12+09:00
2024-03-18T13:33:42+09:00
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柃(ひさかき)の花。
小さな渋い花である。
しかし、
見つけると嬉しい。
青木の花。
この花も渋い。
よく見るとかわいい花である。
春は、華やかな草花にどうしても目がいってしまうが、このようにひっそりとさいている花を見つけるのも楽しい。
新聞記事を紹介したい。
3月16日づけの讀賣新聞の長谷川櫂さんの「四季」は、千鳥由貴句集『巣立鳥』より。
ここからは真の山路や西行忌 千鳥由貴
「この句、山道をゆく西行に託して、ようやく人生の難所にかかろうとする自分を励ましているのだろう」と長谷川さん。
17日付けのおなじく讀賣新聞の長谷川櫂さんの「四季」は、箕輪カオル句集『旅人の木』より。
早春の小舟けたけた笑ふ波 箕輪カオル
「波に揺られて舟がけたけた笑う。小さなボートやヨットを操ったことのある人ならわかる。」と長谷川さん。
今日はこれから新宿・京王プラザホテルにて、俳人協会賞の授賞式があり、
これから行きます。
明日のブログで紹介します。
では、行ってきます。
春のあたたかさに満ちて。
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大鷹と白木蓮と。。。
http://fragie.exblog.jp/33901754/
2024-03-17T19:09:00+09:00
2024-03-17T19:09:56+09:00
2024-03-17T19:09:56+09:00
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今日の大鷹、ミゲル(♀)。
今日は会えないかもしれないな、って思いながらブラブラしていた。
(ミゲル、姿見せてよ)って呟きながら。
すると鋭い鷹の鳴き声が。
ヒマラヤ杉のあたりだ。
大きなカメラをさげた男性がふたりすでにカメラを向けている。
わたしも急いで声のしたほうに行く。
いた、いた。
凜々しい姿。
ここから飛んで、先に紹介した写真の方へと行ったのだった。
「最近は大鷹にあわないんですか」って昨日お会いしたE子さんに尋ねられた。
このブログをみておられるらしい。
「そうなんです。この間行ったときは出かけてました。」とわたしは答えたのだが、
E子さん、いましたよ! 会えました!
わがミゲル、です。
会えて、嬉しいな。。。
芽吹く大樹烏とまりて鷹となる 山口青邨
神代植物園は、白木蓮が花盛りだった。
いろいろと咲いていたが、なかでも
この白木蓮が気に入った。
象牙色の花弁。
蕊のまわりのほのかなピンク色。
蕊に小さな虫がたかっている。
この花びらがほどけかけた形が造形的である。
じいっと見つめていたい。
今日の神代植物園はまあまあの賑わいだった。
コロナ下のときは、ほとんど人がいなくて貸し切り状態。
花も多くの人に見られて満足だろう。
白れむに夕日の金のしたたれり 臼田亞浪
わたしはこのブログを仕事場で書いているのだが、
どうやら寝てしまったらしい。
机につっぷしていた顔をあげると、
一瞬どこに自分がいて、どういう状況か分からなかった。
いったいどのくらい寝ていたのだろう。
時計をみるとすでに夜の7時を過ぎているではないか。。。。
もう帰らなくては。。。
今日の鵯。
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武蔵野の里山から上野の東天紅までの一日。
http://fragie.exblog.jp/33900758/
2024-03-16T22:52:00+09:00
2024-03-16T22:52:03+09:00
2024-03-16T22:52:03+09:00
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うららかな春の一日。
昼間は国立の谷保の里山で友人たちと春を満喫し、
夕方は上野・東天紅での現代俳句協会の懇親会に行く。
ブログを書く時間がすっかり遅くなってしまった。
谷保天神裏の藪の道では藪椿が咲いていた。
椿では藪椿が好き。
花を大きく開かず、ややうつむいて咲く。
そして野趣がある。
鵯が出たり入ったり大忙しだった。
わたしの目の前に止まった鵯。
蜷と蜷の道だらけの池。
みんなで覗く。
畑仕事をするひとたち。
猫が現れた。
鈴をつけている。
必死で穴を掘りだした。
何をするんだろう。
用をお足しになったのだった。
春光に満ちた雑木林。
犬ふぐり、仏の座、ぺんぺん草であふれている。
友人たちが行ってしまったあと、
はこべの花を見つけた。
きっと誰も気づかなかったとおもう。
本当に可憐な花である。
しばらく見入る。
池のほとりで子どもたちが遊んでいる。
水に手をつっこんで楽しそうだ。
春なんだなあって思う。
そして、わたしは上野に向かう。
東天紅より不忍池をながめる。
夕焼けがビルを染め上げている。
現代俳句協会の今日の会は懇親会の前に新役員の発表があった。
懇親会では、元会長の中村和弘さんのご挨拶、そして新会長の高野ムツオさんのご挨拶があった。
いろいろな方にお目にかかった。
久しぶりにお会いする方もいらした。
池田澄子さんがわたしの格好をみて、「何よ、あなた、若者みたいね。」っておっしゃるので、
「すみません。顔がR女で」って申し上げて笑った。
池田澄子さんは、ちっともお変わりにならず、若々しい。
椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
という句を今日の椿とともに思い出した。
林桂さんにお会いすると、やおら原稿を取り出して
「yamaokaさん、髙柳重信の百句、書きましたよ」っておっしゃる。
「ええっ、絶対まだだと思ってました」とわたし。
「あとは解説だけです。今日は百句の部分だけ読んでほしいと持ってきました」
ということで、全部には目を通せないけれど、はじめの部分を拝読する。
わたしの好きな重信の句が並んでいる。それがまず嬉しい。
いろんな資料に当たられていて、鑑賞に奥行がある。
この仕事にたくさんの時間を費やされたろうということが伝わってくる。
そして、鑑賞の字数がきっちりと守られていて見た目が美しい。
それも発見。
字数制限をしたのだけど、それについては執筆者にお任せしている。
いろいろと嬉しくなって、
おもわず、林さんとお原稿の写真をとらせてもらったのだった。
3月中には原稿をいただけるかもしれない。
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夢から夢へ彷徨うホメロスみたいに 叫び続けるのさ!
http://fragie.exblog.jp/33897992/
2024-03-15T18:22:00+09:00
2024-03-15T18:22:03+09:00
2024-03-15T18:22:03+09:00
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仙川のコガモの番い。
仲のよい鴨である。
こちらはヒドリガモのメス。
コガモもヒドリガモも、まもなく帰ってしまう。
この日、川鵜もいた。
ハンターの目をしている。
ジョウビタキ(♀)がいるとは珍しい。
うららかな春のはじまり。
自転車で仕事場へ。
今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小川軽舟句集『俳句日記2014 掌をかざす』より。
春蘭や岳父と丈母相寄れる 小川軽舟
「岳父は妻の父、丈母は妻の母。シュンランの花のようすから岳父、丈母という言葉が浮かんでこの句になったか」と坪内さん。
ところでこの句集『掌をかざす』は、2014年の刊行である。ということは、10年前! もうそんなに年月が経ったのか。。。そのことに驚いている。
もう一つ、新聞記事を紹介したい。
少し前になるが、2月23日付けの南海日日新聞の文化欄にて、築秋雄詩集『漂流詩人の唄』が書評にとりあげられている。
評者は詩人の仲川文子さん。
タイトルは「魂の叫びが聴こえる」。抜粋して紹介したい。
「打ちのめされた果てに残るものこそが自分にとっての詩とするならば、恐れずリングに向かうのみ。」
そして中原中也の言葉を引用した書きだし。
昨年11月に刊行された詩集『漂流詩人の唄」。著者は築秋雄氏。シンガー・ソングライターとして活躍中だが、初めての詩集だという。(略)
詩のジャンルの中でも築氏の詩の特徴は、シラブル(音節)が整えられ、すぐに曲をつけて歌えるような形式になっていること。
最後に詩人・築秋雄は、島唄の世界と融合する。これは必然なことだと言えるだろう。
『飛翔のテーマ」「アサバナロック」「今日ぬ誇らしゃ永遠にあほらしたぼれ」
これらに表現される独自のメッセージは、繊細な精神とは裏腹に、現実を乗り越えようとする力強さが感じられる。
生まれ育った奄美の常緑の山々や海。そして白い砂浜。いつ、どのような時も、無償の愛を注いでくれた家族。
今後の活動は、そのもろもろに歓喜の唄を届けることが望まれるだろう。
そのことが自身の喜びにつながることを信じて。
『漂流詩人の唄』 定価≠2500円+税
漂流詩人の唄
街を蹴け って
大空に舞い上がって
雲を吐いて
カリオペにくちづけして
ペンを持って
目を閉じて
風を待って
夢から夢へ彷徨(さまよ )うホメロスみたいに
生きるのさ!
ラジオ消して
窓の埃ほこりを払って
道をつくって
ミノタウロスを殺して
ペンを持って
目を閉じて
波を待って
夢から夢へ彷徨うホメロスみたいに
唄うのさ!
人は俺を
漂流詩人と呼ぶ
人は俺を
哀れな負ル ーザーけ犬と呼ぶ
だけど俺は
ペンを持って
世界を砕いて
夢から夢へ彷徨うホメロスみたいに
叫び続けるのさ!
街を蹴って…
雲を吐いて…
ラジオ消して…
道をつくって…
仙川にはもう菜の花が咲いていた。
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言葉の方も喜びや悲しみを体験した老人を歓迎してくれています。
http://fragie.exblog.jp/33895286/
2024-03-14T19:05:00+09:00
2024-03-14T19:05:24+09:00
2024-03-14T19:05:24+09:00
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芽吹き。
この芽吹きの美しいみどりは一瞬である。
今日はあたたかな春の日となった。
革ジャンパーをはおって昼休みに仙川商店街をぶらぶら歩いていたのだが、すでに重たく脱ぎたくなった。
岸本尚毅さんが、今日の神奈川新聞の「俳壇時評」で、高橋睦郎句集『花や鳥』をとりあげて評しておられる。
抜粋して紹介をしておきたい。
「言葉の腕っぷし」と題して、「その言葉の腕っぷしの強さに驚く」という書きだしで、驚いた句を紹介している。
ここではそのうちのいくつかを。
「雨雲の割れてどくだみ浄土かな」はスケッチ風に書くなら「雨雲の割れてどくだみばかりかな」という程度か。しかしこの句にはそこはかとない荘厳さが漂う。それは、「浄土」の効果だ。「浄土」という言葉は句を抹香臭くする懸念があるが、そうならなかったのは、雲が割れる「来迎図」的な景が「浄土」感を素直に導出するから。十薬の花の一種由々しい感じも「浄土」に通じる。(略)
「閑(のどか)とは億兆の魔の黙(しじま)かな』にも驚いた。「長閑(のどか)」はのんびりした春の気分。ところがこの句は、この長閑さは、無数の魔が瞬時沈黙しているだけだという。あらゆる凶事の背後にある「魔」の領域を垣間見たような句だ。(略)
「婚さびし二人さみしと年賀状」は「さびし」と「さみし」を使い分けた。「さびし」が伏線となり、もっと情緒的な「さみし」という言葉が生きるのだ。ちなみに萩原朔太郎の「地面の底の病気の顔」という詩では「さみしい病人の顔」のあとに「さびしい病気の地面」が出てくる。
そして、「あとがき」に記されている文章をうけて、
我々俳人は未熟さゆえの難解さを脱した「平明な只事句」に安住しがちだ。だが、高みを求めるならば、高次元の難解さに立ち向かい続けなければならない。先達の叱咤激励である。
「言葉の腕っぷし」とは良きことばだなあ。。。
新刊紹介をしたい。
平木たんま詩集『緑みちる(みどりみちる)』
四六判ソフトカバー装帯有り 128頁
平木たんま(ひらき・たんま)さんは、1939年埼玉県生まれ、さいたま市在住。俳誌「寒雷」(加藤楸邨主宰)、俳誌「海程」(金子兜太主宰)の元同人。詩誌「地球」(秋谷豊主宰)参加、個人誌「島」に参加。現在は詩誌「豆の木」「ここから」に所属。句集『漂鳥』、詩集『犀の角のように』を上梓しておられる。本詩集は第2詩集となる。
老いを重ねてを杖をつき言葉を探し歩き、手に入れたものを味わうのは良いものです。言葉の方も喜びや悲しみを体験した老人を歓迎してくれています。昔日の容色は衰えましたがそれなりの楽しみはあるものです。
と「あとがき」に記す平木たんまさんは、今年85歳になられる。
本詩集にも、年齢をかさねたゆえに生まれたことばたちがしずかに息をしている。
荒川(春)
急斜面を下りると川
若草に見え隠れして
川はふくらみ
折りあらば実力を見せたいと
太陽と手を繋ぎ
音もなく、ぐいぐい行く
かすむ秩父の山々とおなじ色で
なにくわぬ顔をして来る
何をして来たのだろう
川底の泥の感情
なにもかも無言で飲み込み底を見せない
わたしはこの川の上流で生れた
貧しい子供と清らかな流れ
学び、手に入れ、老いて
しなやかな肢体も水底の白い石も
わたしの記憶に残るのみ
土手に登ると
鶯が鳴く、川風も登ってくる
どすの利いた底の見えないたっぷりな水量
甘く豊かな泥の感情
行く手の新しい緑につき進んで行く
この詩集の詩は、何度も読み返し不要と思われる言葉を除き、必要と思われる言葉を加え、自分以外の人も読んで頂けるようにと考えました。わたしはこれまで長い間この大切なことをしておりませんでした。詩になりそうなものを拾い上げることには努力しましたが、作品にするという意識に欠けておりました。ようやく詩に目覚めたのでしょう。そういう訳で以前より良い作品になったと思いましたが、いまはどうか分からなくなっております。曲がりなりにも手に入れた言葉たちをこうして纏められたのは嬉しいことです。
ふたたび「あとがき」より。
本詩集の担当は文己さん。
文己さんの好きな詩を一篇紹介したい。
半袖のブラウスで
若葉の季節
いま着いたばかりのように
自転車を傾け片脚を地につけていた
しなやかな肢体
問いかけるように瞳を開き
わたしを見つめていた
あなたが通る筈のないところなので
待っていたと直感した
立ち止まることも近づくことも出来ない
明るく爽やかな緑
わたしは驚きと喜びでいっぱいになった
キューピッドも天使も信じることが出来た
若いわたしが半袖のブラウスで
自転車に乗ると
うぶ毛をくすぐる風が過ぎた
忘れたりしない
膨大な記憶を分けて行けば
宝石の原石のように見つかる
こころの塊
本詩集の装釘は君嶋真理子さん。
平木たんまさんのご希望をできるだけ活かした装釘となった。
あたたかな黄色が印象的な一冊となった。
本詩集ができあがったときにいただいたメールは、
わが家の梅が咲いたので公園の梅林へ行き詩の材料を拾ってきました。
素直に読めるものを書いています。さりげないものだけれど書こうとしないと書けないです。
今日、本が届きました。
軽くて手ごろで親しみやすい大きさで気に入りました。
きっとこれからも平木たんまさんは、詩を書いていかれるでしょう。
この一冊の詩集からそんな想いが伝わってきます。
老をかさねてさらに耀く詩のことばを手にいれられますように。
もう一篇詩を紹介したい。
「『ゆらゆら』という作品に惹かれました。『ゆらゆら』というかわいらしいオノマトペとは裏腹に、ちょっとひんやりするような読後感が好きです。」と、校正スタッフのみおさん、
ゆらゆら
霧雨に濡れる蔓隠元の
巻きついた蔓が伸び
雫のついた頭を下げ 弓のように曲がる
起き上がる 上下に振る
風に触れたそぶりで
回転する
ゆらゆら
あちらに傾きこちらに傾く
探している
狙っている
あの振り方 どこかで見たことがある
そうだ、蛭だ
沼への道で出会った、飢えた小さな山蛭だ
落葉と同じ色をして小径に現われ
血の臭いに歓喜し
身を細くして立ちあがり
落葉の上で待ち伏せしていた
ゆらゆら揺れていて
厚い靴下の上からでも忍び込み
血を吸い膨らんでころんとなった
決死の蛭だ
血がほしい
支えがほしい
ゆらゆら
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25年後の実り。高遠弘美訳『ルバイヤート』(トゥーサン版)刊行。
http://fragie.exblog.jp/33894069/
2024-03-13T19:14:00+09:00
2024-03-13T23:45:31+09:00
2024-03-13T19:14:33+09:00
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仕事場への途上の畑にいた今日の鶫(つぐみ)。
今年は鶫に遭遇することが多かった。
地上をとことこ歩いているのをよく見かけた。
渡り鳥なのでもう少ししたらいなくなってしまう。
シベリアに帰ってしまうのだ。
「ふらんす堂通信180号」の編集がはじまっている。
目下連載中の高遠弘美さんの「わたしのプルースト」が人気である。
いろんな方からの反響がある。
プルーストの『失われた時を求めて』を完読した人はきわめて少ないかもしれないが、(そういうyamaokaも挫折組であるが、あきらめてはいない)
誰も一度はトライしてみたいって思う作家かもしれない。
今読んでいる文庫本で、20世紀を代表するピアニスト、スヴァトスラフ・リヒテルについて書かれた『リヒテルは語る』(ユーリー・ボリソフ著 宮澤淳一訳)のなかでリヒテルはプルーストが好きらしくときに言葉の端々に登場する。
たとえば、こんな風に。
誰がいちばんすぐれているだろうか? マンかな? プルーストかな? もちろん、二十世紀に限定した話だ。やはりプルーストだな。読んでいるか? 『花咲く乙女たちのかげに』(「失われた時を求めて」第二篇)だけだって? どうして最初から読まない? いいかい、プルーストはむさぼり読んではいけない。一度にたくさん読むな。こつを教えてやろう。何回かに分けて、本当にゆっくり読むんだ。
リヒテルのこの言葉は気に入った。たしかにゆっくり焦らないで読むのがいいのかもしれない。
「わたしのプルースト」の執筆者である高遠弘美さんが、この度、訳書『ルバイヤート』を国書刊行会より出版された。
これはオマル・ハイヤームの原著をフランツ・トゥーサンが仏訳し、それを高遠さんが邦訳したものである。
『ルバイヤート』(トゥーサン訳)高遠弘美訳 国書刊行会 定価2860円
高遠さんの訳は旧カナ遣いによって視覚的にやわらなか印象を与える。
そして日本語に無理がなく、調べが流麗で美しい。
三篇、短いものを紹介してみたい。
第一七歌
ありがたき春の微風よ
それあるがゆゑ、薔薇もひときは耀きて
いましも寄せるそよ風は
園庭(には)なる蒼き木(こ)むらの蔭で
いとしきひとのほほを撫でゆく
そのときに
こころにあるけふの愉しみ
いまのよろこび
過ぐる日にしあはせなれど
その想ひ出は影かたちなし
第五九歌
おれが生まれたからと言つて
微塵もこの世の得にはならなかつた
おれが死んだからとて
この世の宏大さや耀へる光が減じることなどあるはずもない
どうしておれがこの世に来たか
なにゆゑおれは去らねばならぬのか
教へてくれた者は誰もゐない
さう、ただのひとりも
第一三〇歌
現し世はうつつのものにあらなくに
なにゆゑ友よ かほどに悩む
またつねに
惨めな境涯を思ふ
君が思慮(おもひ)を
時の経つまま、赴くままに
任せてしまふほかはない
元始(はじめ)から
君が運命(さだめ)は書かれてゐるのだ
如何にしたとて消せはせぬ
このような口絵もところどころにあって、楽しい。
巻末の高遠さんによる「解説」には、これまでの蒲原有明にはじまるさまざまな訳者の「ルバイヤート」の邦訳が紹介されている。それを読むのも楽しい。またフランス語に訳された「ルバイヤート」はいくつかあって高遠さんはそれを蔵しているようであるが、そのなかで「トゥーサン訳」のものを愛読してきたのである。その別の訳者による邦訳も解説において紹介している。そしてやはり「トゥーサン訳」の素晴らしさに言及をしているのである。
解説を読んでいくと、本書はかつてふらんす堂より上梓された高遠弘美著『乳色の花の庭から』(1998年2月刊)に収録されている「仏訳『ルバイヤート』のしらべ」に目をとめられた国書刊行会の編集者の磯崎純一さんによって今日の刊行となったということを知った。そうたったの!! わたしはあらためて驚くとともに、まさに一粒の地に落ちた麥が多くの実をむすんだことを思い、ふかい感銘をうけた。そう、「仏訳『ルバイヤートの調べ」には、トゥーサン訳のフランス語と高遠さんの訳が並んで記されている。フィッツジェラルド英訳による森亮訳も紹介されている。本エッセイで、高遠さんは「無人島ないしは監獄に持ってゆく一冊の本」という命題についてあれこれの考察の果てに「ルバイヤート」をあげているのである。それほどまでの愛書「ルバイヤート」をこの度、こうして訳書として刊行されたことはひとしおの感慨があると思う。
25年後のおおいなる実りである。
高遠弘美著『乳色の花の庭から』1998年2月刊行 ふらんす堂刊
もちろんプルーストの頁はたっぷりとある。
残念ながらすでに品切れである。
さきほど、スタッフのPさんがわたしの机のところにやってきて、この『ルバイヤート』の頁をめくっていた。
そして、「紹介し終えたら、わたしに貸してください」と言って立ち去ったのだった。
もちろんOKよ。。。
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不思議と身も心も軽くなりました。もっと自由にもっと楽しく生きられそうです。
http://fragie.exblog.jp/33891598/
2024-03-12T19:57:00+09:00
2024-03-12T22:09:53+09:00
2024-03-12T19:57:08+09:00
fragie777
未分類
花桃。
神代植物園にて。
ピンク色のものもあったけれど、白に目を奪われた。
朝から雨ふり。
こまかな雨。
歩きたくないのだけれど、最近の体重の増加をかんがえると、歩くことに。。
春って食欲をおさえることが秋よりも難しいって思いません。
昨日の会で岸本尚毅さんにお目にかかった。
高橋陸郎さんの句集『花や鳥』について話がおよんだ。
「読み応えのあるいい句集でした。」と。
「『あとがき』も読みました。要するに「私たちにしっかりせい」ということなんですよね」と、ニコニコとおっしゃる。
この句集『花や鳥」も在庫があっという間になくなりそうである。
再版をすることに。
初版本の署名本を欲しい方は、お早めに。
新刊紹介をしたい。
丸山陽子句集『鎚音(つちおと)』
四六判フランス製本カバー装帯アリ 242頁 二句組
作者の丸山陽子(まるやま・ようこ)さんは、昭和21年(1946)新潟県高田市生まれ、東京・世田谷区在住である。平成10年(1998)「一葦」入会、平成19年(2007)「一葦」同人、平成22年(2010)「一葦俳句賞」受賞。現在は「一葦」同人。俳人協会会員。本句集は1998年から2023年までの25年間の作品を収録した第一句集であり、「一葦」の中根美保編集長が序文を寄せている。
もう二十年以上も前のことになる。島谷征良主宰と「一葦」の俳句仲間と共に、都内で開かれている丸山陽子さんの作品展の会場を訪れた。その時初めて「鍛金」という金属加工の技法があること、そして陽子さんの本職が鍛金作家であり、絵画工作教室の主宰もされていることを知ったのである。
陽子さんが「一葦」同人・大内淑子さんの勧めにより「一葦」に入会したのは一九九八年。以来、島谷征良主宰のご指導の下、句座を共にし、幾度となく一緒に吟行にも出かけた。現在は月に二回ほど句会をご一緒している。(略)
金箔を置けば夜なべの華やげり
秋の灯や道具をつくる道具たち
大寒や息を殺してきさげ研ぐ
金つ気の残るてのひら雛あられ
バーナーの火の色を聴く秋の暮
すさまじや酸で穴開く作業服
薬包に漆包みて夜業果つ
陽子さんが本業とする鍛金とは、金属を絞ったり延ばしたりして作品を作る工法のことである。これらの句には、日々制作に励む中での実感が詠まれている。一句目、華やいだのは作品に施すために置かれた金箔ではなく、夜業そのものと捉えたところに独自の視点がある。二句目、さまざまな工程に応じて道具を自作することもあるのだろう。実際お住まいに併設されたアトリエには、金属を叩くためのチーク材で出来た大きな台や沢山の道具が整然と置かれている。「道具たち」という擬人法には、共に作品を生み出すための同志といった思いが込められているようだ。四句目、鍛金制作の骨太なイメージとひなあられの柔らかな彩りがごく自然に一句に収まっている。五句目、「火の色を聴く」という表現から、細心の注意を払って火の加減を見ていることが窺える。
句集名「鎚音」は、〈鎚音を子守唄とし子の昼寝〉に依るが、「鎚音は私の身の内を重低音のように流れている音でもあります。」と著者は「あとがき」で語っておられる。
本句集の担当はPさん。
枯葉踏む鳩に重さのあるを知る
透きとほる文鳥の爪梅雨寒し
バーナーの火の色を聴く秋の暮
糊を練る篦に余寒の重さあり
幾重にも水をたたみて紙を漉く
空の一点破りて鷹の戻りけり
透きとほる文鳥の爪梅雨寒し
文鳥を飼っておられるのだろうか。文鳥の足の爪に目をとめた作者である。それがいつもより透きとおっているようにみえる。大気中の水分を吸っているかのようだ。細やかな観察である。そんなささいなことにも気づいてしまうほど、梅雨の季節の鬱陶しさに気分が沈みかちである。しかもその爪のガラスのように透きとおっているのを見ていたら梅雨寒が身に応えてきたのである。視覚から呼び込んだものが身体感覚をめざめさせたかのようだ。「梅雨寒し」という季語が説得力をもち、読者の背筋もひんやりと寒くなってくる。そして細い針金のような文鳥の透きとおった爪が目の前に迫ってくるのだ。
バーナーの火の色を聴く秋の暮
中根美保さんも序文でとりあげている一句である。「火の色を聴く」がいい。火の色の加減に心身を集中させている様子がみえてくる。作者は「鍛金作家」として作品づくりをしているアーティストでもある。火の色は作品をつくりだすための最も大切な要因なのだろう。バーナーの音のその大小によって火の加減も変わってくるのか。現場にいるものでなくてはわからない火の色である。この句には作品をうみだすべく火に向かい合っている人間の息を潜めた佇まいと、バーナーの音以外は静寂さが支配している。「秋の暮」の季語によって、その静寂さに深度がくわわる。作品づくりにはげむ人間の孤独な姿も暮色のなかに浮かび上がってくる。
金箔を置けば夜なべの華やげり
中根美保さんが取り上げ、作者も自選に選んでいる一句。わたしも好きな句である。この句も作品を生み出すべく悪戦苦闘されているその過程で得た一句だと思う。昼間は絵画教室の先生として忙しく働いておられる丸山陽子さんであるので、作品づくりは夕方から夜にかけて、ということが多くなるのだろう。「夜なべ」をしながらも、納得のいく作品づくりをと励んでいる。そんな作品づくりにおいて時には金箔をつかうこともある。作品に金箔を置いた。すると夜業の孤独な仕事のいとなみに華やかさが加わったのだ。というかこの一句、華やいだのは仕事の現場のみならず、作者のこころも明るく華やいだのである。「夜なべ」というやや暗さがこもる季語を用いながらも、作品をつくる喜びや楽しみをあじわう作者の心のゆとりがみえてくる一句だとおもった。このような心持ちで作品づくりにはげむ作者には幸せな充足感があるのではないだろうか。
指先に油じみあり更衣
「更衣」の季語を詠んだ一句である。更衣は人間の身体にまつわる衣服に関することがらである。だから、どうしても身体を意識する。この句の面白さは、その肉体の一点に意識を集中させたことだ。たぶんこの指先の持ち主は作者自身であろう。作品づくりはそうそうたやすいものではないらしい。序文によれば「鍛金とは、金属を絞ったり延ばしたりして作品を作る工法」と記されている。かなりの力を要求されるようだ。油がしみた指先は簡単に油を拭き取ることもできず染み込んでしまっている。軽やかな衣服に着替える更衣の季節になって、あらためて自身の指先に目がとまったのだ。しかし、わたしがこの一句が好きなのは、そんな油染みのある指先を作者が歎いているようには見えないこと。平然とうけいれている、むしろそんな自身の境遇を内心で誇りにおもっているような断定の仕方である。それがいい。〈金つ気の残るてのひら雛あられ〉という句もある。
一陣の秋風となり母逝けり
亡くなられたお母さまを詠んだ一句だ。この句、悲しみをおさえて母が亡くなったことを、「一陣の秋風と」なったと詠んだ。それ以上のことを言っていない。しかし、「一陣の秋風」という言葉に託した思いは、作者のこらえがたい悲しみ以上のものを語っている。心情をかたらず腹をくくったように「一陣音秋風となり」に託した叙法が、かえって深い悲しみを呼び起こし、それをこらえようとしている作者の思いの深さをわたしは感じる。「一陣の秋風」に込められた慟哭は深い。
私は、学生の時に専攻した金属加工法のひとつである鍛金という技法で作品を作ってきました。鍛金とは、昔でいうところの鍛冶屋で、文部省唱歌の「村
の鍛冶屋」ならぬ「街の鍛冶屋」を自認しております。その傍ら絵画工作教室を生業として四十六年。俳句歴は二十五年になります。鍛金・絵画工作教室・
俳句の三本柱が私の生きる力になっております。
「あとがき」を抜粋して紹介した。
本句集の装釘は、和兎さん。
本句集これから紹介するように、丸山陽子さんの絵の作品を挿画として用いている。
ゆえに、その挿画を活かすよう白を基調とした一冊となった。
まずはカバーの挿画。
丸山陽子さんがご自身が住まわれている町の風景をすこしでも残すべくスケッチをはじめられた。
今回用いた挿画はすべてそのスケッチによるものである。
「半世紀経った今、街も随分様変わりしました。先日も、大きな緑地帯が、低層住宅になったり、竹やぶに囲まれたお屋敷が更地になってしまったりと、枚挙にいとまがありません。
そんな中、この街の面影を少しでも残せればと、スケッチすることを思い立ちました。今回句集に挿入しましたスケッチは、いずれも我が家から徒歩五分から十分の場所です。」と「あとがき」に記す。
タイトルは銀箔。
表紙。
扉。
本句集には5つの章に分けられているが、その章ごとに作者の挿画がある。
そのうちの幾つかを紹介したい。
句集の本文中におかれた挿画は色鮮やかそしてなつかしく、句集をよむ楽しさを与えてくれる。
鎚音を子守唄とし子の昼寝
作品を通して感じるのは、来し方に縛られることなく、日々新しさを求めて歩み続ける陽子さんの姿である。その力強い歩みに『鎚音』という名はまことにふさわしい。(中根美保/序)
本句集の上梓についての所感をいただいた。
句歴25年をまとめたつもりが、単なる句に留まらず、私自身の歴史を辿るにことになるとは、思いもよらないことでした。お陰様で今回とりあえず人生77年の総括ができ、不思議と身も心も軽くなりました。
これからは、おまけの人生と思ったら、もっと自由にもっと楽しく生きられそうです。
丸山陽子さん。
丸山陽子さま。
第1句集上梓を機にさらにますますものづくり、俳句づくりにお励みされますように。
そしてますます自由自在でありますように。
秋の灯や道具をつくる道具たち 丸山陽子
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句集『引地川』出版と俳句同人誌「さら」一周年を祝して。
http://fragie.exblog.jp/33888841/
2024-03-11T18:46:00+09:00
2024-03-11T18:46:33+09:00
2024-03-11T18:46:33+09:00
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未分類
今日の横浜駅前の空。
駅前にある「崎陽軒」にて、神谷章夫句集『引地川』並びに「さら俳句会」設立一周年のお祝いの会があってうかがう。
2022年9月刊行
俳句同人誌「さら」のみなさまだけでなく、神谷さんと親交のあるたくさんの来賓のかたたちも出席されての賑やかなお祝いの会となった。
神谷章夫さんは、俳誌「季」の主宰であり、俳句同人誌「さら」の代表をつとめられている。
ご挨拶をされる神谷章夫氏。
本日は句集『引地川』の出版のお祝いと俳句同人誌「さら」設立記念祝賀会にお集まりいただきありがとうございます。俳句同人誌をつくりたいと言う意志をもっておりました。藤沢紗智子主宰に二十年間「季」の屋台骨をつくっていただいたので、その編集的な藤沢さんの努力に報いるためにもがんばりたいと思います。本日ここにいらしてくださいました皆さまのお力を得ながら、一歩一歩すすんでいきたいと思います。日本一へんな同人俳句誌をつくりたいと思っております。
会場に飾られてた俳句同人誌「さら」
俳誌「季」と第一句集『引地川』
飾られたスナップ写真には、亡くなられた北澤瑞史さん、脇祥一さんの懐かしい姿もある。
来賓の方々と記念撮影。
会が終わってほっと一息されている神谷章夫氏。
神谷章夫さま、そして、「さら」のみなさま。
おめでとうございます。
こころよりお祝いをもうしあげます。
皆さまの更なるご健吟をお祈りもうしあげます。
子ら泳ぐ声して川の現はるる 神谷章夫
数日前の深大寺にはもう桜が咲いていた。
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「マティス展」
http://fragie.exblog.jp/33887753/
2024-03-10T19:56:00+09:00
2024-03-10T19:56:57+09:00
2024-03-10T19:56:57+09:00
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未分類
よく晴れた一日となった。
いま開催中の「マティス展」を観に、六本木にある国立新美術舘へいく。
この美術舘へはひさしぶりである。
早めに来たせいか、人はおもったほど多くはない。
→「マティス 自由なフォルム」
この「ブルー・ヌード」を観ておきたかったのである。
実物をみて驚いたのだが、こんなにデッサンの試行錯誤のあとがあるとは。
そして、ブルーの色が一色ではなくさまざまなブル-があること。
これは画集では気づかなかったことである。
晩年まで精力的に仕事をしたマティスであるが、わたしたちが知っているのはマティスの有名な作品数点のみで、実はほかに多分野にわたって仕事したことがわかった。
テキスタイルや彫像、タペストリー、礼拝堂の装飾などなど、求められれば応えるべく旺盛な仕事ぶりだった。
そして、
一環してというか、通して観たあとに記憶として残るのはあざやかな色遣いと色の明るい美しさだ。
会場を出て、
この美術館の建物を楽しむ。
下を覗けば、多くの人。
外に出て外観を見上げる。
真昼なのだけど、夜のような気配になってしまった。
人間の影。。
六本木の街中を歩いていたら、
椋鳥が一羽、目の前に止まった。
群れをなさずに一羽である。
しばらく横顔を見せて飛んで行ってしまった。
街中で椋鳥に会えたのは嬉しい。
400円でガチャをやった。
欲しいバッチが出て来た。
で、
さっそくリュックにつけてみた。
お隣はピカソ。
やはりすこし前の美術展で購入したもの。
これはよく人に聞かれる。
「だれ、そのおじいさん?」って。
Pという文字とボーダーのシャツで分かってもらいたいのだけど。。。
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ただ自然を見た外形のままを写すのでなく、どんな風に私の心の上に映ったかそれを写したい。
http://fragie.exblog.jp/33886534/
2024-03-09T21:41:00+09:00
2024-03-10T09:29:48+09:00
2024-03-09T21:41:25+09:00
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未分類
日差しはめっぽう明るかったけど、風はとても冷たい春の一日だった。
神代植物園まで自転車でいく。
三椏の花。
早春の花は黄色が多い。
先日このブログでも紹介した「青文字の花」がまだ咲いていた。
なかなか他では見ることのできない花なので嬉しい。
(わが家の庭にはかつて黒文字の木が二本あったのだけど、二本とも枯らしてしまった。惜しくて仕方ない)
いい感じでしょ。
今日は風がなかったので接写して撮れた。
ひとつひとつが可愛らしい。
離れてみればまことに清楚な花である。
好きな花。
ミゲル(大鷹♀)には会えなかった。
狩猟のため遠出をしていたようだ。
今日は田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』から3月8日付けの松瀬青々の句より。「朧」を詠んだ面白い一句なので。鑑賞は田中裕明さん。
神の手で撫でたやうなる朧かな 松瀬青々
おぼろとは、もともとぼんやりとして不明瞭な状態をさす「おほ」からきている。朧月といえば、水蒸気のために月が霞んだ状態にあることをいう。春は南方から高温多湿の空気が日本に入り込んでくるので、遠くの山などが薄くかすんで見える。昼間は霞だが、夜になれば朧と呼ぶのもゆかしい。俳句の季語としても情緒的、感覚的なもののひとつである。俳人は「辛崎の松は花より朧にて 芭蕉」「貝こきと噛めば朧の安房の国 飯田龍太」など五感すべてで朧をとらえてきた。
松瀬青々は明治二年(一八六九)生れの大阪の俳人。「うらら今それが硝子の色にして」「葱の花沖の沖まで霞みけり」など深い自然詠をのこした。「自然を写すには、ただ自然を見た外形のままを写すのでなく、どんな風に私の心の上に映ったかそれを写したい。」と言っている。朧そのもののいのちに触れようとして、超自然なものの手を感得した。昭和三年作、句集『松苗・春】所収。(朧・春)
草の中からひょっこり顔をだした鵯。
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はじまりは、漱石の俳句から。。。。。
http://fragie.exblog.jp/33884642/
2024-03-08T20:11:00+09:00
2024-03-08T20:11:12+09:00
2024-03-08T20:11:12+09:00
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未分類
ご近所に咲いていた花ミモザ。
ヨーロッパでは春を象徴する花であるとのこと。(今知ったにわか知識)
で、
しかも、3月8日の今日は国際女性デーでミモザの日であるということ。(これも今知った)
「今年の国際女性デーには、男性から女性へ感謝を伝える他、女子同士で応援しあったり、そして頑張っている自分自身へ、「幸せの黄色い花・ミモザ」を贈ってみませんか?」ってあるのだけど、どなたかyamaokaに「ミモザの花」を送ってくださっても良くってよ。
うそ! うそ!
冗談です。
たまたま今日はミモザの写真でもアップするかって思ってアップしたのだけど。
驚いちゃった。
あまりにも出来すぎ!?
この花ミモザは、信号待ちをしているときにチャチャって撮ったもの。
だからすこしピンボケね。
お許しを。。
今朝の東京は雪が積もっていた。
カーテンをあけて、びっくり。
三月の雪 である。
新刊紹介をしたい。
折島光江句集『助手席の犬(じょしゅせきのいぬ)』
四六判クータ-バインディング製本カバー装帯有り 230頁
著者の折島光江(おりしま・みつえ)さんは、1948年東京都生まれ、多摩市在住。1996年「炎環」に入会し、石寒太主宰のもとで俳句をはじめる。現在「炎環」同人。現代俳句協会会員。本句集は25年間の作品を収録した第1句集である。序文を石寒太主宰が寄せている。タイトルは「「エク」と夫と睦まじく─ 折島光江句集『助手席の犬』の豊かな世界」。
抜粋して紹介したい。
折島家に「エク」が来た。一九九四(平成六)年の春のこと。ちょうどこの日は春分の日。英語で「スプリング・エクイノックス」。そこで「エク」と名付けたという。
助手席の犬睡りをり春の雲
題になった句だ。
二年後の春。住いの京王永山駅前で「多摩毎日文化教室」の「俳句と遊ぼう─漱石の俳句」という講座がはじまった。光江さんも参加することにした。それが石寒太の俳句入門である。私は、すぐに俳句をつくりはじめるのは、なかなかむずかしい。夏目漱石の俳句に親しんでもらい、それを手がかりにそれぞれの参加者にご自分の俳句をつくりはじめてもらおう、そう考えたのである。
冬の蝶我が影の縁ただよへり
やはらかき真夜のありけり梅匂ふ
体ごとぶつかつて来し春立てり
朧の夜ひかがみ触るる指の先
極月のひとりの食事ようく噛む
彼女の句には、頭でつくった想像の句はほとんどない。自分の目を信じ、自分の心に触れた句しかつくらない。それが彼女の俳句。だからどの句も手堅い把握が表出されている。
「助手席の犬」という句集名からもわかるように本句集には「犬」がときどき登場する。犬の存在は大きい。
本句集の担当はPさん。
体ごとぶつかつて来し春立てり
初夏のつむじふたつのをのこかな
麦の秋ちひさきいのちをはりけり
手の蝉を鳴かせてゐたる男かな
爽やかやクレープの円たたまるる
体ごとぶつかつて来し春立てり
序文でもふれられており、帯の一句ともなった一句。印象的な句だ。句集の文脈からすると、愛犬が思い浮かぶが、そうでなくてもいい。小さな子どもでも、あるいは別の生き物でも、要するに命あるものが全力でぶつかってきたのだ。そのよこざまの運動の衝撃というか命の躍動を身体全身でうけとめたとき、春を体感したのである。それを「春立つ」という動きのある季語を配したのが巧みであるとおもった。命と季節のぶつかり合い、そんなエネルギーの衝突を感じさせるのも草木山河が目覚める春ならではのこと。省略をきかせた大胆な把握だ。〈麦の秋ちひさきいのちをはりけり〉この句もまた、愛犬を詠んだ句かもしれないが、そうでなくても命を悼む句としてありうる。
手の蝉を鳴かせてゐたる男かな
わたしもこの一句はおもしろいとおもった句である。なんだろう。たまたま目の前の男性が蟬をつかまえて、その蟬が鳴き出したことを詠んだ一句なんだろうとおもうけど、「鳴かせてゐたる」という措辞がさも男が蟬を鳴かせているかのようで、その男と蟬の関係がリアルにみえてきて興味ふかい。上五の「手の蟬」という簡潔な表現もいい。蟬を詠んだ句はたくさんあるが、「手の蟬」を詠んだ句は、しかもそれを鳴かせている男を詠んだ句はない。蟬をこういう観点で詠むこともおもしろいと思った次第。男の手のなかで大泣き(?)をしている蟬とそれを慌てずにじいっと見つめている男。意味のある世界から抜け落ちてただただそこにいる世界。蟬と男の実存のみがリアル。
鶯や町にひとつのパン工房
この句はわたしが好きな句。小さな町なんだろう。パン工房がひとつしかないなんて。しかし自家製パンを丁寧につくって売っているパン屋さんであり、(あの〈「魔女の宅急便」に出てくるような)町で人気のパン屋さんなのだろう。そんな小さな町に季節になると鶯の声が鳴きわたる。いい町ではありませんか。鶯を聞きながら、町の人はパン屋さんにパンを買いにいく。さながら鶯は小さな町をはばかることなく統べるようにして鳴くのだろう。この句「パン屋」さんでなく、「パン工房」という言葉によって、そこでパンをつくる人たちがみえてくる。町で自慢のパン工房なのだ。
少年の膝のかさぶた栗の花
この句「少年の膝のかさぶた」を詠んでいるのがおもしろいとおもった。活発な男の子なんだろう。膝をすりむいて怪我をしてそれが治ってきて大きなかさぶたになった。決して見栄えがいいもんじゃない。半ズボンをはいているやんちゃ盛りである。本人は膝にかさぶたがあるなんてこと意にも介していないだろう。あるいはさっぱりと忘れているか。それともガキ大将の勲章とでも思って自慢のかさぶたか。思えばいまはあんまりこんな風に膝にかさぶたをつくっている男の子なんて見かけなくなったけれど。この句「栗の花」がいいと思った。「栗の花」って決して美しい花じゃない。鼻につく独特の匂いがあるし、ちょっと花とは思えないような形態をしている。わたしは栗の花の臭いを嗅ぐとケモノの匂いって思う。そんな栗の花の野趣は、膝のかさぶたとよく響き合う。この男の子、栗の季節になると毬などはものともせずに栗を落として栗をわがものにするんじゃないだろうか。祷る、少年の未来に幸多かれ、と。
古本屋街居所わかる夫の咳
これもおもしろい一句。ご夫君といっしょに古本屋街に古本さがしを楽しみに出かけられたのだろう。そんなご夫婦もいいな。そして古本屋さんが並んでいる通りにきて、「別別に本を捜しましょ」っていうことになった。これは正しい。おのおの読書の趣味もきっと違うだろうから、本をさがすもの一緒なんてうっとうしい。お互いに興味のある古本見つけを楽しみながら、どこかで落ち合うっていうのが懸命な判断。ということで別れてきたものの、風邪をひいていた夫のことがちょっと気になる。そんな時に別別に本をさがしているはずの夫の咳が聞こえてきた。あらら、大丈夫かしら、咳はあのへんか。あああそこにいるのね。で、一句ができたのである。古本屋街であるからこその一句とも。古本屋もずいぶん数がすくなくなり神田などもけっこう閑散としている。そんな古本屋街での出来事だ。
多摩毎日文化教室の「俳句と遊ぼう」という講座に何の気なく通い始め、遊びのつもりで俳句を作っていたのですが、それがいつの間にか遊びから本気になって作句する自分がいました。俳句というものを作ることが日々の習わしになっていったのです。その過程では、迷ったり行き詰まったり、やめようと思ったりした時もありました。でも時々満足のいく句ができると嬉しくなり、楽しくもあり、更によい句をと俳句に関わっているうちに、気がついたら、二十五年の月日が経っていました。そして、その足跡を何らかの形で残したいという思いがふつふつと湧いてきたのです。
今回、句集としてまとめるにあたり、これまでの句を読み返してみますと、その時々のことが蘇ってまいりました。その時の景色、その時ご一緒した方々などが思い出されるのです。俳句というのは、そういう力があるのだと改めて思ったことでした。
「俳句と遊ぼう」の講師は石寒太先生でした。おかげで「炎環」というおおらかで活気のある結社に巡り合えたのは、とてもしあわせだったと思います。
「あとがき」を抜粋して紹介した。
本句集の装釘は君嶋真理子さん。
緑色をメインに明るい一冊となった。
わたしはこのカバー表紙をみたときに、どこかに犬が隠れていそう、って思った。
見返しと帯はあかるい黄緑。
これがメインカラーである。
早春の色。
メインカラーは背のクータの部分にも使われている。
わかるだろうか。
しやぼん玉こはれ未来の端にをり
これから光江さんは、まだまだ壁にぶつかりつつ、自分のスタイルを少しずつひろげ、あるいは崩しながら、いままで見過していたものをしっかりと見留めて句にしていくことだろう。(石寒太/序)
上梓後のお気持ちをうかがってみた。
(1)本が出来上がって・・・
こんなに素敵な本になるなんて思ってもみなかったのでたいへんうれしく思います。校正などふらんす堂の方には、すっかりお世話になってありがたく思いました。ふらんす堂から本が出せて幸せです。
(2)初めての句集に・・・
いまから思えば、25年前に俳句を始めて、途中挫折しそうになったりもしましたが、続けてきてよかったと思います。こんな句集ができたのも、寒太先生、一ノ木さんはじめ皆さまに支えられてのことです。多くの方に読んでいただければと思います。
(3)句集を上梓されて・・・
これからも心に留まったことをきちんと五七五に表現していきたいと思います。
今回の句集の中には、似たような句もあったりしてそこのところは、ちょっと反省しています。今後は出来れば、より広く、今までの型を破ったり、さらに自由な句作りができればいいなあと思っております。
折島光江さん。
昨年10月25日にご来社のときに。
折島光江さま
第1句集のご上梓おめでとうございます。
第2句集刊行をめざして頑張ってくださいませ。
また、ご縁をいただけますように。
朧の夜ひかがみ触るる指の先 折島光江
山茱萸の花。
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春日の明るさのなかで。。。。
http://fragie.exblog.jp/33880618/
2024-03-07T18:44:00+09:00
2024-03-07T18:44:36+09:00
2024-03-07T18:44:36+09:00
fragie777
未分類
春なのだけど寒い日がつづいている。
今日もダウンジャケットを着て出社。
しかし、
花屋さんはすっかり春である。
ミモザも売られていた。
クイーンズ伊勢丹の前をとおる。
お客さんたちもほぼ冬の装いである。
しかし、真冬とちがうのは、日ざしが明るくやわらかい。
そして、思うことは春のあれこれである。
蕗の薹をたべようかなあ、とか、
蛍烏賊買って帰ろうかしら、とか、
タケノコはまだ? とかね。
食い気しかないのかよ。。。って今思った。
「岡本眸全句集」を校了にすべく、昨日から全体的なチェックをはじめている。
今日は口絵のレイアウトがあがってきて、帯の製作、レイアウトをした。
いろんな仕事をしながらの編集作業であったけれど、岡本眸の作品に向き合っているときはしあわせだった。
やはりいいんだ、すごく、、
最後にお目にかかったときのことなど、(まさか最後になるなんてその時は思いもしなかったけれど)
思い出したり、その時におっしゃられた言葉などが甦る。
先日、抽斗の整理をしていたら、岡本眸先生からいただいた手紙が出てきて、あらまあ、と驚きつつ開いたところ、
そこに「わたしの全句集のことはあらためて考えてみたいと思います。その折はよろしくお願い申しあげます」
とあって、お手紙をもらったことなども忘れていて、(ああ、そう思っていてくださったんだ)とあらためて嬉しく思ったりしたのだった。
岡本眸先生、まもなくできあがりますよお。
「栞」俳句会の松岡隆子主宰、野路斉子さん、小川美知子さんをはじめとして皆さんものすごく一所懸命に取り組んでくださってます。
ずっとずっと思っていた「岡本眸全句集」の刊行、
もうあと一息である。
これからの大きな仕事としては、季語索引、初句索引のノンブルの照合をすべく読み合わせをすること。
これは、スタッフを動員しての作業となる。
4000句以上を本文と照合、(これによって間違いを見つけることが案外ある。)
それが終わったら下版となる。
すでにたくさんの問い合わせをいただいている。
作業中である。
春日いま人働かす明るさに 岡本 眸
明日は新刊紹介をします。
ふらんす堂にいただいた欄。
パートさんたちが一所懸命そだててくれている。
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富士山麓にすみ、人生の秋、ないし秋の暮を生きています。。。。
http://fragie.exblog.jp/33879463/
2024-03-06T18:53:00+09:00
2024-03-06T18:53:44+09:00
2024-03-06T18:53:44+09:00
fragie777
未分類
仙川の白鷺。
仙川にはコサギ、ダイサギ、アオサギなどたくさんの鷺がいる。
今日も大切なゲラがわたしの机から消えた。
どう捜してもない。
お送りするはずの方へ「そちらに届いてますか」などとマヌケな電話をしてしまったりした。
しかし、
ないと、困る。
「ない、ない」と言って騒いでいたら、うるさいヤツとおもったのか、スタッフのPさんがやってきた。
そして、わたしの横につみあげてあるもの(わたしはそれをもう5.6回点検したもの)をひとつづつ見ていき、
「これじゃないですか」と指さす。
「ううん、それじゃないのよ、ちがうのよ」と言いながらわたしは指さしているものを見る。
「あら、それだわ! ああ、良かった! ありがとう! どうなることかと思った。心臓が縮まる思い」って言うと、
「まったくどこに目をつけているんですか」と言って呆れた顔でするどく睨む。
それを見ていたスタッフのKさんが「本当にPさんがみつけると一発で見つかるんですね」と笑う。
しかし、どうして、わたしは見つけられないのだろう。
今もって謎である。
新刊紹介をしたい。
佐々木敏光句集『富士山麓・秋の暮(ふじさんろく・あきのくれ)』
46判ペーパーバックスタイル 148頁 三句組
著者の佐々木敏光(ささき・としみつ)さんは、1943年山口県宇部市生まれ、現在は静岡県富士宮市在住。もと「鷹」同人。いまは、ご自身のホームページ「俳句*佐々木敏光」をもっておられ、そこに作品などを発表しておられる。本句集は第1句集『富士・まぼろしの鷹』、第2句集『富士山麓・晩年』につぐ第3句集となる。
この第三句集『富士山麓・秋の暮』には、ネット版・佐々木敏光俳句個人誌「富士山麓(第二期)」の二〇一八年から二〇二三年にかけて掲載した句から選んでのせている。
「あとがき」にある。
佐々木敏光さんは、富士宮市の富士山麓にお住まいで、富士山は日々に親しい山なのであろう。句集すべてに「富士」と命名されており、本句集にも多くの富士が登場する。
本句集の担当は、文己さん。
「雄大な富士の麓での暮らしを想像しながら編集製作をおすすめしました。」と。
文己さんの好きな句は、
新緑や付喪神住む藁農家
ベランダに我待つ靴や夏の朝
炎天や大地に点として渇く
正面に雪の富士たつ家路かな
水澄むや川底歩むわれの影
わが森のわがふくろふと決めて聞く
正面に雪の富士たつ家路かな
たくさんの富士の句のなかから文己さんが選んだ一句である。家への帰途の道すがらに富士を見ながら帰るとは、なんとも羨ましいことだ。しかも雪の富士とは、思い浮かべるだけで真っ白な富士山が立ち上がってくる。作者はつねに帰途には富士を見ているわけであると思うが、やはり四季のいずれにおいても「雪の富士」を正面にすえながらの家路が最高なんだろうって思う。「富士ある」ではなく「富士たつ」としたことによって作者のなかで更新された富士を見上げたのだ。〈雪白くまことの富士となりたまふ〉という句もある。
わが森のわがふくろふと決めて聞く
佐々木敏光さんの暮らしの環境を彷彿とさせる一句である。そして羨ましい。「わが森」と「わがふくろう」と決めても誰も文句は言わないだろう。そう決めてふくろうの鳴き声を聞くだけなのだから。われのものと思えばいっそうの親しみがわくというもので、さらに「わが」という語彙によって、森への生き物への神のごとき慈しみも思わせる。そんな風にして自然との日々をたのしまれている佐々木敏光さんの暮らしの豊かさがみえてくる一句だ。
万緑や瞳のごとき一湖あり
「瞳のごとき」の比喩に驚く。夏の森は鬱蒼として暗い。そんななかに湖を見つけた。それは潤いにみちた光をたたえ、人を引き込むような力をもっている。そして神秘的でさえある。あるいはこの「瞳」とは、森を統べている者の目か。万緑なればこその「瞳のごとき一湖」である。
宇宙とは巨大な書物福寿草
作者は、フランス文学者でもあり、16世紀のフランスのユマニスト・モンテーニュの研究もされており、ホームページにその頁もある。神学の呪縛から解き放たれて合理的、実証的に人間研究をおこなったユマニストの研究者であれば、佐々木敏光さんもまた「知の人」であると思う。上五中七はそのような佐々木さんが導き出した感慨である。下五の季語「福寿草」がそんな思索をする作者の足元を明るく照らしている。マクロ的な視座から一挙にミクロ的な視座「福寿草」へと焦点が絞られていき、その生気がまぶしい。
とりあへず無念無想の端居かな
この作者らしい「端居」とみた。たぶん思索者である作者は、思考の枷から逃れられないのではないだろうか。せめて夏の一夕の「端居」くらいは、雑念をとりはらってなにも考えず「無念無想」の境地でのぞみたい。まず「とりあへず」である。しかし、わたしは思うに、きっとすぐにモンテーニュのように人間についてのあるいはわれについての思考、わたしは何を知っているのだろうか。などなど自問自答をしつつ端居をされるのではないだろうか。この上五の「とりあへず」の副詞が効果的である。
この九月に八十歳になってしまった。
掲載の句の中には昔を思い出して作った句もあり、かならずしも季節順にはなっていない。そこで、並べなおすのはやめて、個人誌で発表した順のままにしておくことにした。
これからも句をつくらないわけでもないが、諸般の事情により句集はこれで最後といった思いである。
万感の思いはあるが、あえて書かない。
「あとがき」を紹介した。
本句集の装釘は君嶋真理子さんであるが、ほぼ作者の佐々木敏光さんのご意向にしたがってデザインにしてもらった。
表紙の写真は、佐々木さんによるもので「田貫湖」とある。
扉。
神死せりニーチエも死せり大銀河
StayHungry StayFoolish 夏怒濤
句集のタイトルは少々長いが、「富士山麓にすみ、人生の秋、ないし秋の暮を生きている」ことを表していると、とっていただければ幸いです。(あとがき)
上梓後の所感をいただいた。
編集部の適切な提示などもあり、充実感をもっての句集制作過程でした。
これからしばらくは、ゆったりと自然の中で生活をつづけながら、出会ったもの、思いついたことを断片的なメモにしたりするよりほかないというのが実情です。
俳句に「年齢」による「軽み」が加わっていれば僥倖です。富士山麓の日常の断片と年相応の思いなどに、若き時代へ翔ぶ心も混在しています。
そして、三人の俳人の言葉を引用されてきたので、紹介をしておきたい。
①「後ろめたさついでに言えば、俳人という肩書がつくことも後ろめたいね。この頃はみんな図々しくなってえらそうにしているけど、戦前なんかは恥しいぐらいのもの だったからね。だいたい、俳句でいっぱし結構だなんていうのは、一世紀に一人や二 人ですよ。あとはみなジャミ(釣で言う小魚のこと)。そいつらがつっぱって、かっ こつけているのは滑稽ですよ。それに、俳句には専門的な要素なんてどこにもありま せんよ。俳人が専門家意識を持っちゃ、おしまいです。先生、先生つて黄色い声で言 われるのは、いい気分だけどね。俳人という看板を出している以上、この点はしっか りと自戒しておかなければならないと思うね」 (飯田龍太「太陽」1987年3月号)
「見事な技がかえって作品を小ぶりにしていないだろうか。」(飯田龍太)
②「こうして三十年間の句業の跡である作品を調べてみると、作法を決めたくないのが私の作法であるという観を呈している。しかしどの句も、その時の私自身に対して せい一杯忠実につくってきたつもりである。そのうちに、俳句は事前に予定すると成功し難いという厄介なこともわかってきた。作法は選ばず、結局私がこだわるのは言葉だけである。俳句という特殊な詩形にの せて、言葉を詩の言葉としていかに機能よくはたらかせるかという興味である。俳句の場で、言葉、言葉というと、こころを軽視しているととられる。だが作品を なすにはまず何らかの意味でのこころが在り、最後に又何らかのこころが出ていなけ ればならないのは当然である。(『飯島晴子読本』富士見書房)
③「俳句は詩です。詩は言葉でつくります」 「詩はむりなくわかることが大切だと思います」「俳句という詩は、ほんのささやかな営みですが、セオリーを身につけて、そして セオリーを忘れることが大切です」(田中裕明)
カツトスイカ買ひて夫婦の暮しかな 佐々木敏光
今日はお一人お客さまあった。
董振華(とうしんか)さん。
第二句集の句稿をもってご来社された。
董振華さんは、ふらんす堂より第1句集『聊楽』(りょうらく)』を上梓されている。
お目にかかるのは久しぶり。
担当のスタッフのPさんと打ち合わせが終わったあと、
「句集『聊楽』っていつの刊行でしたっけ?」と董振華さんにお尋ねした。
「2019年です。だからもう5年前なんです」と董さん。
「ええっ、もうそんなに経つのですか」とわたしは驚く。
句集を上梓されたあと、すぐコロナが蔓延し、董さんはどこにもでかけず家で蟄居されていたということである。
五年後にはつぎの句集を上梓したいという思いはあって、この度のこととなった。
第1句集は、師である金子兜太がなくなった亡くなった翌年の上梓。題簽は金子兜太による。
そして、この度の句集『靜涵(せいかん)』にも金子兜太の題簽である。
生前の兜太さんが思いをかけられた弟子である。
董振華さん。
余談であるが、もっか中国時代劇に夢中なわたしは、董振華さんにドラマのことを尋ねてみた。
すると、董さん、わたし以上に(当たり前か……)中国時代劇に詳しい。
で、打ち合わせ後は、おおいに中国ドラマ談義に花がさいたのだった。
おもしろいドラマをたくさん教えてもらったわ。
ウフフフフ
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啓蟄となれば、金髪に磨きをかけて、、、
http://fragie.exblog.jp/33876453/
2024-03-05T19:10:00+09:00
2024-03-05T19:10:43+09:00
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fragie777
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神代植物園に咲いていた青文字(アオモジ)の花。
クリーム色の小さな花をつけている。
毎年この花に会えることを楽しみにしている。
とても清楚な花。
風に揺れやすく、ピントをあわせにくい。
落葉低木で、ここだけひっそりと明るい。
背後は大鷹の住む林である。
今日は啓蟄である。
もうこうなると(?)とズンズン春となっていく。
今日は天気予報では真冬なみの寒さと報じていたが、やはり春なのだろう。
「真冬とはちがうわね」とスタッフと言い合ったのだった。
日ざしもあかるく、身体もゆるんでいる。
スタッフのPさんが大枚をはたいてドライヤーを購入した。
いかにそのドライヤーが優れているかを、なにかにつけて力説する。
で、
とうとう、仕事場にもってきてデモンストレーションをはじめた。
「メーカーのまわしものなの?」って思わず聞いてしまった。
これがそれ。
確かに普通のドライヤーとかたちがちがう。
Pさん、スタッフをあつめて、良さを力説している。
たまたま通りかかったyamaokaは、「どれどれ」って言って髪にドライヤーをあててもらった。
すると、
「ほら! アホ毛がなくなたでしょ」ってPさん。
ほかのスタッフたちも「ほんとうだ!」って言ってる。
「なになに、アホ毛ってなによ、わたしにあったの」って聞くと、
スタッフたちが一斉に笑う。
「ありましたよ、無駄に1.2本飛び出ている毛をいうんですよ」とのこと。
何十年生きて来てはじめて知った。。。。
アホ毛ね。
知ってました?
わたしは毛があばれていても気にしない人間なので、いいのだけど、
人によっては、悩みのタネという人もいるらしい。
Pさんのドライヤーはアホ毛をおさえ、髪の艶を増してくれるらしい。
「わたしはいいや、いまのドライヤーがダメになったら考えるわ」と言ってその場を立ち去る。
ちなみにPさんは、いま金髪に髪を染め上げている。
そこにドライヤーをあてて、さらにピカピカにするのかしら。
まあ、啓蟄の季節である。
いろんな想いがむくむくと湧きだしてもいいんじゃない。。。
おおいにすればいいわ、
啓蟄のそとから家の中を見る 阿部青蛙
実を咥えた四十雀。
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