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10月20日(月)
![]() 小流れにそって咲く溝蕎麦の花。 「ふらんす堂通信118」も今日で校了。 このあとは「かわら版」つくりが待っている。コピー機をフル活動させて、あとは人間の手がそれを折っていく。 このブログを書いている今は、一人ずつ帰りいまや律子さんがひとり残ってかわら版つくりに余念がない。これが終われば今度は発想の準備がある。まだまだ忙しい毎日だ。 ジャニス・ジョプリンに似てるって言われたからじゃないけれど、ちょっとこのところわたしの心をしめているのが、「無茶苦茶」ということばなのだ。 目の前で仕事をしている愛さんに、 「最近ね、わたし無茶苦茶っていう言葉に惹かれてるのよ。無茶苦茶に生きたヤツって言われてみたいね」 と言うと、愛さんったら、一瞬不安そうな顔して、「ええっ。!無茶苦茶ですかあ…」と言う。 あははっ…(お給料はちゃんと払うから大丈夫よお)と心のなかで言って笑う。 つまりあまりにもいろんなことが整合されていたら、息苦しくてつまんないよ、っていういとも単純な感情のみの、無茶苦茶な発言だったのだけれど、ごめん、愛さん、つまらないおしゃべりでした。 さて、今日の讀賣新聞の朝刊の「枝折」には、上野一孝さんの句集『李白』より一句が紹介されている。 月の詩を李白にならへ酒もまた 漢詩のようなすがすがしい情緒ただよう、とある。 しかしながら、李白にお酒をならったら、アル中一歩手前っていうところよね、と愛さんと話す。 「増殖する歳時記」は、清水哲男さんによって、川名将義さんの句集『湾岸』より。 色鳥や切手はいまも舐めて貼る 清水哲男さんは、鑑賞のなかで、「俳句を知っていて少しは良かったと思うのは」「色鳥(いろどり)」というほとんどの人が知らない季語である美しいことばを知ることができたことであるという。確かに歳時記には、「そのことばを知ることができてラッキー!」という言葉がひしめいていると、わたしは思う。 わたしは手紙やはがきを出すときにできるだけ記念切手をつかうようにしているのだが、最近の記念切手にはとてつもなく大きいのがある。きっと舌でなめると、舌の唾液がぜんぶもっていかれてしまって、あとに切手の糊が残って舌先がひりひりするような気がする。だから切手は基本的になめない。……けど絶対的原則ではない。おいしそうだったら舐める。 そして10月18日の船団ホームページは、ふけとしこさんが『田中裕明全句集』収録の作品を紹介している。 その人のわれは一弟子茸筵 『夜の客人』より 「今日は爽波忌」とある。18日に波多野爽波は亡くなったのか…、うん?っていうことは、ふらんす堂の法人創立記念日の日ではないか! そうだったのか…。 「師を慕う気持ちが十分に伝わる。代名詞『その』がこんなにも強く働くという好例であろう」と、ふけさん。田中さんは、波多野爽波をこころから尊敬していた。「爽波先生が…」と田中さんが言うとき、そこには言うに言われぬ豊かな爽波への思いがさざ波のように伝わってきた。こんな風に自身の師のことをおだやかな信頼でもって語る人をわたしはこれまで知らない。亡くなる年のちょうど今頃だったかしら、おつれあいのまりさん(森賀まりさん)と一緒に爽波先生のお墓参りにいって、帰りにおうどんを食べたというメールをいただいたのは。 それで、数か月あとに亡くなってしまうなんて、ほんと無茶苦茶よ、田中さん!
by fragie777
| 2008-10-20 20:05
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