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8月28日(木)
疲れたときは、沖縄ちゅら海水族館の海亀を思い出すことにしている。 (あたまんなかがいつもにましてぼおっとしている……) 今日は昨日からのつづきで、高柳克弘さんの「芭蕉の一句」のゲラを読む一日となる。 片山由美子さんの「色の一句」と同時発売としたいため、なんとか今日中に校了としたい。 同時進行ですすめているものがたくさんあり、また雑用もありなかなか集中できないもどかしさがあるのだが、なんとか夕方には校了にこぎつける。 読み応えのある一冊だ。語彙の豊富さと若いエネルギイにあふれた迫力ある文体が魅力的だ……。 スタッフの春奈さんがここ数日、この二冊の営業に回ってくれているが、いい手ごたえだ。小澤實さんの『万太郎の一句』と櫂未知子さんの『食の一句』が書店でも好評だったことで、すべからく書店さんが好意的である。 良かった……。(しかし、気をぬいてはいけない…) 今日の毎日新聞の「季節のたより」は、後藤比奈夫さんの句集『心の花』より。 ロゼといふ色に出でたる酔芙蓉 「今夕はワインで酔芙蓉気分になりたい」とは解説者の坪内稔典さん。 共同通信発信の地方新聞の記事を、編集局文化部の田村文さんが、親切にも送ってくださった。俳人の小川軽舟さんが俳句時評を書いておられ、これまでもふらんす堂刊行の句集をずいぶんととりあげている。今回、上野一孝さんの句集『李白』をとりあげてくださった。「澄雄ゆずりと言うべきか、この世に享けた生を俳句によって格調高く律しようという意志のみなぎった句集である」と。 龍の玉雌伏のいまとおもふべし 「『霜柱踏み来て遺影あふぎゐる』『君亡くてただ大年の空ばかり』には『悼・畏友田中裕明君』の前書がある。同世代俳人の四十五歳の死は上野にとって衝撃だったはずだが、死者の世界は上野からは遠い。上野の悲しみは生者(しょうじゃ)として残された悲しみである」と小川さんは記す。 そして「いまなぜ田中裕明か」……、これは、26日に東京新聞の「俳句時評」を担当している宗田安正さんの記事である。 「田中裕明が若い世代の関心を集めている」という書き出しではじまるこの記事は、その所以を林桂さんの論考を手がかりに分析しようとしている。 「…田中のすべての営為の根にあるのは、これも林桂も言う近代的主体(表現主体)の溶解に対峙する田中の営みであり、その答えが田中の詩性である、おなじ状況下になる若い人が惹かれるのであろう」と。 その若い世代のひとりであり、田中裕明の作品に大いなる関心をよせる高柳克弘さんが「現代詩手帖」9月号で、「田中裕明再読」という一文を寄せている。 なにゆえ田中裕明か……。 高柳さんは言う。 「田中の句にみられるような、これまでの俳句になかったポエジーと向き合うときには、既成の批評用語(「写生」「韻文精神」「花鳥諷詠」「即物具象」などの使い古された用語)に頼ることなく、読みの方法そのものを捉えなおしていく必要があるのだ。言い換えれば、創造行為としての批評が求められているのである」 と高柳さんは、ラディカルで刺激的だ。 創造行為としての批評……。 新しい葡萄酒は新しい皮袋に…… ということか……。
by fragie777
| 2008-08-28 20:19
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