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8月17日(日)
赤く塗りかえられた鳥居が、新秋を感じさせる。(谷保天神にて) 昨日、詩人の岸田将幸さんよりファックスが送られる。 図書新聞に岸田さんの詩集『丘の陰に取り残された馬の群れ』の書評が掲載されている。 評者は、添田馨さん。 「過剰に深く問う者だけが手にできる」というタイトルだ。 「過剰に深く問う者だけが手にできる表現の回路のようなものは、間違いなく存在する」 というこの書評の一文よりのものだ。 情況への絶望的な思いで「われわれは詩にまだ何か期待することができるのか」という自ら発した問いを、その後の実作で答えていかねばならなかった岸田将幸のこの度の詩集『丘の陰に取り残された馬の群れ』は、その「表現の回路のようなものは、間違いなく存在する」と、評者をして言わしむるような手ごたえある一冊であった、ということか…。 この書評には、詩人稲川方人さんと岸田さんとの、「現代詩の可能性」をめぐる抜き差しならないやりとりが紹介されており、たいへん興味深い。 少し先になってしまうかもしれないが、この全文を、「ふらんす堂通信」で紹介させていただきたいと思っている。 わたしは自他ともに認める(?)たいしたミーハーであるので、もちろん「韓ドラ(韓国ドラマ)」のファンである。韓ドラには、面白い発見が多々あるのだが、その一つに「韓ドラには、詩の引用が多い」ということがある。この「詩」がなかなか良いのである。人間の生活に「詩」が自然なかたちで(日本における俳句のように?)織り込まれているのを感じるときがある。そして、私は韓国の詩に興味をもった。 この一冊は紀伊国屋書店で、今日もとめたもの。 詩人の茨木のり子さんの訳編によるものである。 ひとつ短い詩を紹介したい。 趙炳華(チョウビョンファ)の作品。 「別れる練習をしながら」 別れる練習をしながら 生きよう 立ち去る練習をしながら 生きよう たがいに時間切れになるだろうから しかし それが人生 この世に来て知らなくちゃならないのは 〈立ち去ること〉なんだ なんともはやのうすら寒い闘争であったし おのずからなる寂しい唄であったけれど 別離のだんどりを習いつつ 生きよう さようならの方法を学びつつ 生きよう 惜別の言葉を探りつつ 生きよう 人生は 人間たちの古巣 ああ、われら たがいに最後に交す 言葉を準備しつつ 生きよう
by fragie777
| 2008-08-17 20:20
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