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7月16日(水)
数ヶ月前に遊びに行った京都はいま、祇園祭のただ中にある。 「子供の一句」の連載をお願いしている高田正子さんは、毎年この季節に「両手の会」という俳句のお仲間とともに京都を吟行されるという。この「両手の会」には、田中裕明夫人の俳人の森賀まりさんもメンバーのひとりとして加わっている。12日の日経新聞の夕刊の高田正子さんの記事によれば、この「両手の会」は、「今は両手で子等の手を引いているけれど、いつか両手でがっぷり俳句をつかもうね、という主婦の願望がこもったネーミング」であるということである。かつて田中さんもこの両手の会に顔をみせ一緒に吟行をしたということだ。 2004年の歳晩に田中裕明さんが亡くなった。 「彼はまた『両手』のメンバーの配偶者でもあったから、私たちは慌てうろたえた。そのとき以来なのである。日ごろはメールのみでつながっている私たちが、毎年祇園祭の京都で会うようになったのは。」と高田さんの文章はつづく。 その会の京都吟行も今年で四回目となったということである。 その祇園祭に魅せられたお一人である関西在住の小倉柚彦さんの句集『鉾町』が出来上がってくる。俳誌「南風」(山上樹実雄主宰)の同人のかたである。かつて京都に住まわれたことから、すっかり京都の祭りに魅了され、この句集のなかでも祇園祭を詠んだ作品が多い。もとより句集名が「鉾町」である。 長(をさ)の締む縄をとどめて鉾立てり 鉾町の片蔭深し金屏風 曳き初めの鉾したたかに軋みをり など、まだまだ多くの「祇園祭」の作品を収録する。 「京都は思い出深く、特に真夏の灼熱の太陽のもと、山鉾に一抹の『涼』を見出すと詩心が湧いてくるような気がします」とは、あとがきの著者のことばである。 そして、船団HP「日刊この一句」』の小倉喜郎さんの作品紹介も、祇園祭の句である。火箱游歩(ひばこ・ゆうほ)さんの句集『雲林院町』に収録の作品だ。 こんちきちん祇園囃子に寝かされて 火箱さんは、京都の雲林院町(うんりんいんちょう)に住まわれている。 句集名ともなった「雲林院町」とはまた、なんと京都的というか、東京にはぜったいないような地名だ。 「昔ここは/ 紫野という広大な荒野/平安時代に/雲林院という離宮が/あった/私は 今 その離宮の/お庭の池のあたりに/住んでいるらしい」 胡瓜をかじっていても、片足ははるか時空をこえて平安の離宮の庭に触れている‥‥、やっぱり京都は素敵だ。 あっ、そうだ! 祇園祭で思い出した。 ふらんす堂の玄関の額を替えるのを忘れていた。 後藤比奈夫先生からいただいた「花なずな」の色紙を、祇園祭りの色紙に急いで取り替える。 東山回して鉾を回しけり 有名な作品である。
by fragie777
| 2008-07-16 19:17
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Comments(2)
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森賀まり
at 2008-07-17 08:05
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祇園祭っていろいろ行事があるんですね。今年は鉾の曳初めと鉾稚児の社参を見ました。田中が亡くなって4回目の夏です。
私が今も俳句を作っていられるのは、両手の会があったからです。なかでも高田正子さんは、温かながらきりっとした態度で会を引っ張ってくれる心強いメンバーです。田中の病気のことを初めて家族以外に打ち明けたのも両手の会のメンバーでした。帰り道、栗原利代子さんが暗い中ですっと手をつないでくれたことを思い出します。 山岡さん、反応は鈍いのですがいつも励まされています。 ありがとうございます。
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fragie777 at 2008-07-17 20:41
まりさん。
そうなのですね。田中さんが亡くなって四回目の夏を迎えられるんですね。 感慨がいろいろとおありでしょう。 三人の娘さんたちもそれぞれ大きくおなりでしょうね。 死者は歳をとらず、わたしたちは年老いていく。 それもまた、切ないことです。 しかし、肉体は古びていっても、死者と対話するわたしたちは その死者との関係においては、こころは歳をとることを忘れているように思えます。 それが、死者との関係をみずみずしく生き生きとさせるように わたしには思えるのですが‥‥
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