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6月17日(火)
![]() 一年間つづいた「詩のテラス」、昨日の河津聖恵さんの「語らい」をもって九月まで夏季休暇となる。 強い夏の日ざしをさけてしばらく休息していただき、初秋のやわらかな光線のもとで、ふたたびの語らいをはじめていただくつもりである。 河津さんの昨日のことばより、 「しかし、何が本当の自分なのかは分からないですね。 ネットを離れ、恥ずかしがる自分が、 真実の自分だとはいえない気もします。」 ということばが印象的だ。 わたしもブログを書きながら、ときどきふっと 「本当の自分ってなんだ?」って思う。 さて、今日の讀売新聞の「四季」で長谷川櫂さんが、少し前に刊行した小川弘次さんの句集『赫いハンカチ』の一句を紹介。 「梅雨晴や差さずに返す女傘」 「傘にも男女の別があって、この世はままならない」という一文が、含蓄があって可笑しい。 増殖する歳時記は、土肥あき子さんによって、佐藤文香さんの句集『海藻標本』より。(こんなふうにいろんな方々が、『海藻標本』をとりあげてくださるのは版元としても嬉しいことです。) 「標本へ夏蝶は水抜かれゆく」 土肥さんは、蝶を標本するやり方をHP上で知ったという。薬品処理する必要がなく、「日陰で乾かせばすぐにできあがります」と書かれていたという。 「標本へ」という言葉の据え方がうまいと思う。 まだ、小さかった頃、わたしはこの蝶を標本にする作業をいつも兄や弟がするのをかたわらで見ていた。指を鱗粉でよごしながら、蝶の胴体に注射針をさし込んで、その胴体がおとなしくなって、パタパタしていた羽がうごかなくなるまで、息をつめて一気にやる。やがて、しずかになった蝶をつまみあげ、閉じている羽をひらき標本台の上にのせて、羽をととのえ、ピンで差す。そのときのその手ごたえ…、薄い羽にプスリと細いピンをさし込む。その感触が兄や弟の指先をとおしてわたしに伝わるのだ。蝶の胴体はまだ震えている。 生きているものを形にとじこめるための甘美にして残忍な儀式。 日盛りのなかで息をしていたものを、氷の世界にみちびくのだ。 残酷さとは、あるエクスタシーを伴うものだということをすでにわたしたちは知ってしまい、そしてひそやかに胸に秘める…。 北海道のお住まいの高橋あや子さんの句集『束ね髪』ができあがってくる。俳誌「楡」(木村敏男主宰)と「澪」(椎名智恵子代表)の同人である。画家であるご主人・高橋宏さんが描かれた麗人の絵を装画につかい、ご本人の希望でむらさきの色を主調としたシックな出来栄えとなった。高橋あや子さんは、一度、北海道からはるばるご来社くださったことがあるのだが、「きっとこの麗人はご本人ね」とわたしたちは思ったほど、その麗人のように美しい方だった。木村敏男さんが序文を、椎名智恵子さんが跋文を寄せておられる。句集名の「束ね髪」は「ゆつたりと銀河へ梳きし束ね髪」より。あとがきに、「私が生まれ育った家の柵を越えると、菜の花が一面に広がっていた」とあり、それが「わたしの原風景となって」いて、「『一番好きな花は』と問われたら即座に菜の花と答えることだろう」とある。 「わが柩花菜の海へ抱かれたし」「いくたびも胸の孤島へ卯波寄す」「産声も葬りも露のひとしづく」など、ひとりの美しい孤独な女性のまなざしがある。
by fragie777
| 2008-06-17 20:21
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