|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
6月10日(火)
![]() もうわたしときたら、紫陽花は早起きしてこんなにきれいなのに、このところ寝坊つづきだ。 今朝も大朝寝坊をしてしまった。 起こしてくれたのは、俳人の高田正子さん。 高田正子さんはふらんす堂のホームページで、「子どもの俳句」の日替わりの連載をしてくださっている。その掲載句をわたしが大間違いをしてしまったのだ。そこで、高田さんがお電話でご指摘くださったのである。この電話というのが有難かった。もう8時というのに、このわたしはぐっすりと1時間も寝坊をしていたのだから…。実は家中(猫たちもふくめて)が寝坊をしていた。まったく恥ずかしいことよね…。 電話の音で飛び起き、時計をみておどろき、そして電話の内容でおどろいたので、三回びっくりしてすっかり目がさめた。本当におかげさまで。あやうく生ゴミ出しそびれるとこだった! 高田さん、ありがとうございました! そして間違えてしまい、ごめんなさい。 俳誌「幡」(辻田克巳主宰)同人の北田桃代さんの句集『燦々』ができあがってくる。 「むかしほど蜜豆うまくなくなりし」この句をもって「みつ豆の桃代」と呼ばれるようになったと辻田氏の序文にある。わたしも蜜豆は好きで食べるが、小さなころ母が寒天を煮てつくってくれた蜜豆は、ひっそりと冷たくやさしい甘さに満ちていて、そして何よりも寒天がいまのようにゴツゴツしていなくて可愛らしい固さだった。うす白くすきとおった寒天の向こうに夏の暗い台所があった。あの暗さは昭和の暗さだ…。 北田さんは、俳句をはじめられたのは昭和38年、まず秋元不死男の「氷海」によってである。ずいぶんと長い俳歴だ。「わたしが俳句に出会ったのは、それこそ気の遠くなるような昔である」とあとがきにある。。しかし、今回の句集上梓に際し、こうした過去一切を振り切って「幡」創刊よりの作品をもって出発をしたということである。潔い方だ。 「はたはたの目もみどりなる哀れかな」「さびしさを口には出さず浮いてこい」「水中花コツン底につきし音」などなど、序文にはたくさんの作品が紹介されている。そのなかで、 「冷やし酒口中しんと通りたる」 装幀の仕事に来ていた君嶋真理子さん。この句にふれて、 「ああ、いいっすねえ、こうじゅるりと冷やし酒をねえ…」と言いながらイソイソと帰っていった。 今晩はきっと冷やし酒かな。 「船団」ホームページ「今日の一句」は、佐藤文香さんの句集『海藻標本』より、「夏の蝶自画像の目はひらいてゐる」。鑑賞者の内田美紗さんは「掲句には、自分の世界を大切にしたいという意志と、目を上げて闊達に生きたいという願望がないまぜになった心の揺らぎが感じられる」と記し、若い女性の心の深層を掬いとっている。「目はひらいてゐる」から「心の揺らぎ」までにいたる内田さんの鑑賞が興味ぶかい。序文の池田澄子さんの「大変なライバル出現」という言葉に、内田さんご自身も「おちおちしていられない」とも。 昨日の「船団」ホームページ「今日の一句」は、松本秀一さんの俳句「一枚の早苗の空となりにけり」。ふらんす堂から最近エッセイ集『ぺーパーウェイト』を出された松本さんで、農作業の手をやすめたときにふっと浮かんできたのかもしれないなあ、などと勝手に想像し、エッセイ集に書かれた日常の日々をおもいおこしながら、あらためてこの作品を口ずさんでみた。 たんぼの傍らに腰をおろしているまだお会いしたことのない、松本秀一さんの満ちたりたすがたがさわやかに出現した。
by fragie777
| 2008-06-10 20:14
|
Comments(0)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||