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2月22日(金)
写真はふらんす堂からあるいて1分のところにある天然酵母のパン屋さんのパンたち。小さなお店の前はいつも行列。右のシナモンロールは焼き立てで握りこぶしをふたつあわせたくらいの大きさで、アーモンドロールと並んで人気商品である。みるみる売れてしまった。わたしも最後にのこったふたつのうち一つを買うことが出来た。それが今日のお昼。このほかにマロンカラントのパン半分。これにたんぽぽ珈琲と土佐の文旦を半分を食す。すこぶる美味かった。じつは、このマロンカラントの残りの半分をこのブログを書きながらムシャムシャ食べている。焼き立てもうまいが覚めてもおいしい。 ここのパンはこれまでのわたしのパンについての概念をひっくり返した。以下それを記してみると、 おいしいパンとは、 その一 重たい。食パン1キンだって手にずしりと来る。今日だってたくさん買ってかえるお客さんに、パン屋さんが「ウチのパンは重たいからとちゅうでひっくり返らないようにしてくださーい」って声をかけていた。これ嘘じゃない…。 その二 噛むのにつかれる。そのくらい歯ごたえがある。バゲットなんて噛みきるのが大変。ルージュなんて、パンにくっついて全部とれてしまう。 その三 塩味が絶妙である。パンを食べていて、塩というものの存在を意識する。 その四 お餅のようだ。肌理こまやかさと伸びがある。 その5 水をたっぷり含んでいる。パンをたべて水を普通は意識しないが、ここのパンは水分といっしょに食べなくても、それ自体に水を感じる。 以上から思ったことは美味いパンとは 「粉と塩と水」の適切なる三位一体 からなるということ。 卓見でしょ。 とここまで書いてきて、これがいかなる編集日記ぞ。と思った。 大切なことを書きましょう。 新刊句集が一冊。遺句集である。俳誌「若葉」(鈴木貞雄主宰)の重鎮で一年前に九七歳で亡くなられた細見しゅこうさんの句集『篠山(ささやま)』が出来上がってくる。下村非文のもと、「ホトトギス」に学び、数誌を経て富安風生に師事。鈴木貞雄氏の序文によると「作者は毎年欠かさず風生忌に句を詠み、師の故郷である三河一の宮を訪ね、寓居のあった安房鴨川を訪ねている。作者の師への敬慕は、生涯変ることがなかった」とある。なんという律義さ。わたしは好きだな、ああ、いいなあ、っておもう。俳句の世界には時として、こういう人が少なからず存在する。1929年から2006年に亡くなるまでのやく80年間俳句をつくりつづけ、しかもひとりの師をおもいつづけてその生涯を終える。句集はこの『篠山』をいれてたったの二冊。ほかに自註『細見しゅこう句集』があるのみ。俳句いう文芸に熱くささえられながらも、俳句をつくる喜び以上をもとめず、亡くなったあと彼をしのぶ句集が刊行される。ある清々しさがそこにある。何十年という句歴のなかから精選されたこの遺句集『篠山』は、それを読む人にとって深い思いをいだかせる句集となることでしょう。「唯ひとつ負けぬ猫好き風生忌」「死ぬまでは続くさびしさ大根煮る」「わが柩ゆくとき天を鷹舞へよ」 なお、『篠山』は私家版ですので、オンラインショップでは検索できません。興味にある方は、新刊紹介からどうぞ。
by fragie777
| 2008-02-22 20:41
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