12月14日(金)
八王子の病院に俳人の綾部仁喜(あやべ・じんき)氏を見舞う。入院されてからすでに4年になる。お弟子さんで、俳誌「泉」の編集をされている藤本美和子さんにいつもご一緒していただく。こうして藤本さんと、綾部氏を見舞うのはもう何回になるだろう。もっとはやく来たかったのであるが、なかなか時間がとれず、師走のあわただしい時となってしまった。
喉と人口呼吸器が直接つながっているために、綾部氏は声を失っている。すべては筆談となるのだが、メモ用紙をかたわらにおき、精力的にそのメモをとおして語ってくださる。たいへんお元気で、生命力に溢れておられ、この病室を基点としてお弟子さんの指導にあたっている。「泉」という俳句結社は俳句指導の厳しさで有名であるが、こうして入院しておられてもその選句はぶれることなく、俳句への思いはますます冴え渡ってきている。氏はますます語る。つぎつぎと渡されるメモ。「俳句で大切なこと、それは純粋性」「純粋性とは透明度といってもいい」「龍太の作品の透明感はいい」「具象は大切、しかい具象だけでは透明感はでない」「具象がありながら抽象」「詩というもの、それは最終的には学ぶものではない、つまり自得ーー芭蕉」
写真がその渡されたメモ用紙であり、綾部氏の言葉である。家に帰って枚数をかぞえたら80枚以上あり、わたしがもらわなかった用紙もあるわけなので、まさに100枚にもおよばんとする闊達な語りぶりである。はじめからおわりまで「俳句」のことで話題はつきず、最後に渡されたメモは「ともかくわれわれは本格をめざしましょう」と書かれてあり、(これはあなたも仕事を頑張りなさいという意味)力強く握手をして氏の前を辞したのだった。藤本美和子さんの運転する車で八王子の駅についたときはもうあたりはすっかり暗くなっていたのだった。
写真は今日おもいもかけず友人よりもらった花束。
「あなたのとこの本が出てたわ」と友人より毎日新聞の記事をわたされる。編集委員の酒井佐忠さんの記事である。「この一年 短歌・俳句」と題し、一年の振り返りがなされている。「私の5冊」というところに「俳句部門」ではふらんす堂刊行の鷹羽狩行句集『十五峯』と『桂信子全句集』があげられている。「芭蕉の一句」の高柳克弘さんの著書『凛然たる青春 若き俳人の肖像』(富士見書房)もあげられていた。高柳さん、ご好評なによりですね。