9月24日(月)
秩父の山奥の両神からいま戻ったところである。東京池袋駅の雑踏をあるきながら、わたしは都会の空気を吸って、都市生活者としてのあくせくとした顔をとりもどしつつあるところである。今週一週間の忙しさをおもうとちょっと気がとおくなりそうだ。まだあの秋冷の山気の余韻のなかに浸っていたいのだが…。
写真は朝霧のたちこめるやまみちに咲いていた釣舟草。この二日間、あいにくの天気で、せまりくる山々の姿をとらえることができなほど霧がたちこめていた。
あたり一面まるでモノトーンの世界である。さまざまな鳥の鳴く声とせりあがってくる谷の音が聞えるばかり…。写真はいくらか霧がはれてきたところ。空におもえるところにはまだ山があったはずであるが、見えない。今朝などは窓の外は霧のほかなにもみえず、まるで霧の世界にとじこめらたようである。それでも、俳人たちは喜んで句をつくる。こんな山奥にはるばるやって来て、朝早くおきて、霧雨に濡れながら道端の小さな草におどろき、ころがっている山桃をかじったりしている。
「ここは素晴しい!」と口をそろえていう。わたしは(こんな山の中なのに…、朝顔洗うお湯だって出ないのに…)と思う。山荘には八歳になる犬のポチが、前とおなじように私たちを喜んでむかえてくれる。このポチは登山客と一緒に両神山の頂上まで登るという。今朝はわたしたちと一緒に朝の散歩をたのしんだのだ。前にきたときは足を怪我していたのであるが、その怪我もすっかり直ってとても元気そうであった。ここ、両神は山開きの春と紅葉の季節がもっとも美しいという。
「今度は春に来て、両神山まで登ろう」とみなすごい意気込みである。ポチも元気でいてくれてわたしたちを案内してほしい。(いや、軟弱なわたしは、きっとお宿でゴロゴロしてるかもしれないな…)帰りのバスでニホンカモシカに会う。うずくまってじっとこちらを見ていた。(写真、わかるかしら?)わたしは写真をとることに必死だったけれど、そばに紫苑が美しく咲いていたのだそうである。このカモシカ、地元の人に言わせるとずいぶんワルサをするんだそうである。