7月10日(火)
木槿の花がきれいである。この花は今朝見かけた雨に濡れた白木槿。大輪で、蟻が雨宿りをしているのだけれど見えるかしら…。この花のそばを通るとききまっていつも(ああ、ハンカチみたい…)って思う。そして、どうしていつも同じことしか思わないのだろうと思う。
ふらんす堂はいま、てんてこまいである。「ふらんす堂通信113」の編集がはじまり、そこへもってきて、本がたてつづけに出来上がってきて、その上に会社の決算期をむかえようとしている。決算期ってお分かりになりますか? 間単に申しますと、ある時期で締めて、この会社は儲かっているか、あるいは大変な状況か、利益をあげていたとしても昨年にくらべてどうかなどなど、つまり会社の収益を把握しそれを経営につなげていかなくてはならない大切な大切な時期を迎えようとしているのだ。わたしは一編集者でありながら経営者でもあるので、この季節は腕まくりして頑張らねばならないのである。どう頑張るかっていうと、そのう、税理士さんが「ええとですね、これとこれとこの資料を準備して下さい」というものをちゃんと揃えること…。そ、そんなことだったら簡単でしょ、と思うあなた、あなたは甘い。わたしは二十世紀に生まれた人間のなかでも十本の指にかぞえられるくらいの粗忽者なのである。だから、しょっちゅう間違える、しかも忘れっぽい。忘れっぽさにおいても二十世紀の逸材(?)である。計算だって自慢じゃないが、合ったためしがない。「先日申し上げた資料をいただきたいのですが…」「あらっいやだ、すっかり忘れてた!ごめんなさーい」「あのう、yamaokaさん、この資料ではなくて、あちらのものを…」「ああ、そうよね、ごめんなさーい」「yamaokaさん、ここのところの足し算がちょっとおかしいですね」「あら、いやだ…ごめんなさーい」って一事が万事こんな調子で、まったく「ごめんですめば、警察はいらない」っていうものよ…。こんにちまでよくふらんす堂を経営して来られたと思うが、どうにかなってきたのはきっとこれはわたしの人徳のいたすところ…ではなくて、人知を越えた大いなる意志がここまでみちびいて下さったと極めて楽天的なところもおめでたい。
しかし、二十一世紀の出版状況は大きく変貌することは間違いない。そこをどう乗り越えていくか、厳しい現実がある……経営者は問われているのだ!エヘン…
ねえ、誰・か・お・し・え・て・ほ・し・い!……
と、何処までも虫のいいわたしなのであった。
いまこのブログを読み返して大事なことを忘れていました。(もう大慌て…)決算期は会社の収益を計上し申告し(ここが大切)、税金を納めなくてはならない(ここももっと大切)のでした。ほんとにこんなことで経営者がつとまるの?って自分でもおもってしまう…。