3月1日(木)
今日はすばらしい春光のなかを自転車で仕事場にむかう。途中はのどかな住宅街で畑などもちらほらあったりして、いろんな道を選べるのがたのしい。梅や椿を咲かせている家がおおく、白梅や紅梅やら咲きほこるなかをこちらの梅からあちらの梅へと自転車を走らせるのはなかなか気持ちがいい。あんまり気持ちよくぼおっと自転車に乗っていたら、小さな路地から急に小型トラックが飛びだしてきて、もう少しでひかれそうになってしまった。いっしゅん私とその運転手のおどろきかたまった目が合う。むこうもおどろいたらしいがわたしだってびっくり…。春爛漫のなかで昇天、なんてならないように気をつけなくちゃ…。仕事場についてそのことをスタッフに話すと「だからわたしは細い道を走るときは左側ではなくてできるだけ真ん中を走るようにしてるんです」と、川口が言う。彼女は自転車をすっとばして、自転車暴走族(?)のひとりである。わたしはいつも「大丈夫?」って心配しているのである。そうかあ、そういう気のくばり方もあるんだと納得。
昨日今日と『田中裕明全句集』の季語別索引をつくるために季語解析をパソコンでとりくんでいる。どういう季語を多く使っているか、その季語がどういう使われ方をしているか、作者によってそれぞれなのでおもしろい。田中さんの俳句の季語は比較的すっきりと用いられていて、それほど凝った季語の使い方は表面的にはないように思える。ああ、やっぱり関西の方なのだという季語がときどきあって人が生まれ育ってきた土壌というものを感じさせる。わたしは関東の荒々しいからっ風がふくなかで育ってきたこともあって、そういう自分のしらないやわらかなことばや音の手触りやら、伝統がよりそっている空気の匂いとでもいうのかしら、そういうものにふれるとわたしというものがいやおうなくわたしである、そんなことに気づいておもしろいのである。
夕方、大島民郎氏のご家族のかたより、大島民郎氏の訃報を知らされる。昨年刊行させていただいた句集『山月』をとても喜んでくださって、なんどもお電話で御礼をおっしゃったその声がよみがえってくる。ご冥福をお祈りしたい。