2月5日(月)

寒い一日のはじまりとなったが、午後は天気予報どおりにあたたかくなって、ちょっと近くの文房具屋さんに便せんなどを買いにでかけるのでも、コートがいらないほど。やっぱり春は動きはじめているのだ。
わたしはこのブログを書いていて、本当に恥ずかしい話しなのであるが、インターネットのからくりについてほとんど認識しないまま、スタコラスタコラと日々勤勉(?)に書いてきてしまったらしい。しかし、それはある意味とてもコワイことなんだとある日スタッフと話していてはっと気づかされたのである。どういうことかといえば、個人名をわたしがここに打ち込むとする。たとえば、「山岡○○子は臍で茶を沸かした」という文章を書いたとする。すると「山岡○○子」はこのブログだけに書かれたものであっても、インターネット上の検索エンジンにひっかっかって、「山岡○○子」で検索すると、いままで書かれた(このブログだけでなく、ほかでもし書かれているならそれがすべての)「山岡○○子」が検索されて、その書かれている内容を知ることができるらしい。どんなでっち上げのことがらであっても検索にひっかっかってくるというコワイ世界なのだ。インーネットの世界は…。であるから、臍で茶を沸かす山岡○○子がちゃんと生まれてしまうわけ。そんなの当り前、知らないのは無知、と言われそうであるがあんまり考えないでただ勢いで書いてまいりました。しかも呑気でしょう。なんにも意識しないで小さな詩歌出版社の一編集者のひとりごとくらいの気持ちで書いてきたのだけれど、検索エンジン氏のすみやかな目はそれを決して逃さないらしい。しかも敵はあくまでクールに容赦なくあばく。その公平さは天下一品、どんな甘い言葉も媚態も通用しない。ヤレヤレ。それを意識しすぎるとこういう日記も書けなくなってしまう…。であるから、まだ書いていくとしたら、できるだけ関わってくださっている皆さんにご迷惑のかからないようにとひたすら思う次第である。いまさらなにを言ってるのと言われそうであるが、ホントいまさらのオンナなのです。
今日の大岡信氏による「折々のうた」は、小社刊行の三上冬華さんの句集『松前帰る』の作品が紹介されている。「松前」とは北海道渡島半島にある地名であるとのこと。望郷のおもいをこめて句集名とされたらしい。「暖炉の火入るやインコがしやべりだし」「ふるさとに帰つてみても雪五尺」「春寒の土に透けたるものの種」の作品が紹介されている。