1月31日(水)
あることでとんでもない失敗をしてしまいブルドーザーで押しつぶされたごとくへこむことで一日がはじまった。すべてわたしが原因なのでなんとも申し開きようがない。押し入れてのなかに顔をつっこんで布団をかぶってどこにも行きたくない心境。それでもしっかりしろと自分をはげまして、今日はスタッフたちにお給料を支払わなくてはならないことを思い出し、お布団からえいっとばかりに顔をひきはがして、出かけることにする。玄関より踏みだす一歩はまるで未知の世界に踏みだすがごとくに気合いがいる。どうも今年にはいってからボタンがかけちがっているような、エネルギーが無駄に放出されて空回りしているような居心地のわるい感覚があって、自分と世界が美しく均衡をたもってないような気分がある。どうしてなのかなあ?
まあともかくも人間は生きていかなくてはならないわけなので、足を仕事場に向けるしかない。そんなわたしの気分には関係なく、今日の読売新聞で長谷川櫂氏が「四季」に小社刊行の丸山分水氏の句集のなかより「雪晴れのまま最澄の山に夜」をとりあげて下さっている。そのことを読売新聞をとっている渡邊真紀が教えてくれる。また、1月8日づけでやはりふらんす堂刊行の句集松平吉生氏の『渾沌』の作品がおなじく長谷川櫂氏によって紹介されている。こちらは「方形の円美しや初土俵」へこんでいても、こういう記事を目にすると、やっぱり嬉しくなってくる。そうそう、1月26日の朝日新聞の「折々のうた」に柴田美雪さんの句集『間祝着』より作品が紹介されたんだった。 ということも思い出す。「釜上げの白魚直ぐなるものをらず」わたしがへこんだって、ふらんす堂で刊行させたいただいた句集はそれぞれこんな風に健闘しているじゃないかって、刊行させていただいた句集に励まされる。
そんな時に角川書店のPR誌『本の旅人』がとどく。実はいまかいまかと本屋さんに行っては待ち望んでいたもの。数日前に角川の「俳句」編集部の女性スタッフの鈴木さんより、大島弓子さんの連載「グーグーだって猫である」に「山岡さんとこの日向子ちゃんのことが出てますよ」って言われ、その少しあとに俳人の櫂未知子さんより、「ふらんす堂さんのこと出てますよ」ってメールをいただき、ええっ、どんな風にってずっと気になっていたのである。とうとう手にすることができました。日向子を貰いに行ったときのことが、(以前のヤマトのときのように、ヤマトときのほうが詳しいかもしれない)ちょっと描かれてあって、わたしと娘がとびきり美人に描かれていて、すんごく恥ずかしい。(こりゃサービスがすぎるというものです、大島さん)でも、大島弓子さんの漫画の一コマに、日向子とわたしたちのことが載ったということがとても嬉しい。しかもグーグーたちのページに。昼休みにスタッフたちにおおいに自慢しちゃった。(単純なオンナです)
今日は、これから薦田愛さんがはじめてなさる朗読会にでかける予定である。
写真は最近の日向子。