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12月28日(金)
ふらんす堂は今日から休みであるけれど、わたしはいつもどおり出社。今日も良いお天気なので鳥の声を聴きながら歩く。どう、この空のいろ、なんて気持ちがいいんでしょう。しかし、このところわたし、空ばかり見てあるいてるなあ(そうよ、涙がこぼれないようにね、なんちゃって)。 仕事場は昨日の大掃除でおおかたはきれいになったのにわたしんとこだけ、ひどい。昨日は少しも手をつける時間がなく、返事を書かなくてはならない書物の山、この休みになんとかしたいけれど、多分年越ししちゃうんだろうなあ。川口に書いてもらっている年賀状にも目をとおして、あいさつをかかなくてはならないものもたくさんある。 夕方手紙をいくつか書いていると、電話が鳴る。受話器をとると「宗田です」ああ、宗田安正さんである。宗田さんがご紹介くださった方の句集の出来栄えについて、「凝った句集になったね、フランス装で天アンカット、しかも函入り、こんな凝った本つくるとこ、いまあんまりないよ」と。「でもふつう著者は分からないからね、フランス装がコストがかかったり、本の上が不揃いになっている天アンカットの方がお金と手間ひまがかかるなんて。ボクが説明しておいたよ」と言って下さる。本造りをしたことのない方でなければ、分からない造本の素晴しさを分かって下さるのはとても嬉しい。さて、そのあとは、俳句について、俳句批評について、渡邊白泉から鈴木六林男、加藤郁乎、摂津幸彦、波多野爽波にまで話しは及ぶ。飯田龍太氏の話しになり、龍太氏の「自然から見られれていることは恐ろしいことだ」という言葉にふれる。「これは凄いことばだとボクはおもうよ」と宗田氏は言う。山暮らしをしておられる飯田龍太氏でなくては言えないことばかもしれない。約4,50分ほど、濃密な俳句史とでもいうべきものを一方的に拝聴。面白かった! 句集『光の槍』の著者朝吹英和さんよりメール。いつも丁寧なメールをいただく。そして、お教えくださったのが、 「この度は詩人の高田昭子さんのHPで『光の槍』への挨拶詩を頂きましたのでご参考までお知らせ致します。」。 灰皿町吸殻山 高田昭子さんの『光の槍』への挨拶詩を是非よんでいただきたい。 「現代詩手帖」一月号「詩書月評」で、詩人の杉本徹さんが仁藤さくらさんの『光の伽藍』について「ひじょうに鮮明に記憶した」「全篇を通しての、ぶれることのない強さを感じた」として紹介してくださっている。「可視の彼方に不可視を遠望するのではない…(中略)…まず不可視があって、そのさきに可視が始まる」という野村喜和夫氏のことばを引用して、「この一節は仁藤の句集の世界にもふしぎにあてはまる。先んじて湛えられた不可視の底深さが、十七音の器に圧倒的な無音を満たす。洩れ落ちるほどに、遠く、痛い。……全篇を通しての統一感の強さとは、この、先行する不可視なるものの底深さ、透明な深みのことなのかもしれない」 いつもながら批評のことばとはいえ杉本徹氏のことばは一編のなめらかにして華麗な散文詩を読んでいるような、つややかさがある。 仁藤さくらさんの句集『光の伽藍』は詩人の方からの評価も高い句集となった。
by fragie777
| 2006-12-28 18:42
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Comments(2)
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yuhki_ex10 at 2006-12-28 22:57
こんばんは、お休みにご出社でしたか。
近辺では今年は例年より年の暮れという印象が薄い気がします。 私もひとりで休日出社してることありますが、 そういった日は、寂しいけれど、 マイペースなので、ちょっと暢気でもあります。
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fragie777 at 2006-12-28 23:31
こんばんわ。
huhkiさん。 コメントありがとうございます。 まったく野暮なのですが、わたし 多分、明日も明後日も仕事をすると思います。 年末の誰もいない、仕事場って結構すき。 もともと一人で仕事をはじめたので、 ひとりには慣れているかな。
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