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7月1日(水) 富士山山開き 旧暦5月17日
緑蔭。 今日から7月1日である。 今年の半分をすぎたことになる。 そのことと関係はないのだけど、今日の朝日新聞で、横尾忠則が、美輪明宏の追悼の文章をよせていた。 いい文章だった。 中学生のころ、美輪明宏の『紫の履歴書』を友人たちと読み合ったことを思い出したりした。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 262頁 7句組 第1句集『砧』、第2句集『立像』、第3句週『瞬間』の既刊3句集を収録。ほかに散文を収録した『礼のかたち』を収録。初句索引、季語索引を付す。 句集『砧』『立像』『瞬間』それぞれが、絶版品切れになって、長い。三句集を再録した『小澤實集』もまた、絶版品切れになってしまっていた。 ここに三句集および『礼のかたち』を収録して『小澤實前期句集集成』を刊行する。 この三句集に収めた句は、ほぼ旧師藤田湘子の選に入った作品である。湘子の選と真摯に向き合わなければなしえなかった作品である。あらためて、師に謝意を述べたい。 「前期句集集成刊行についてのあとがき」より。 すでにSNSなどで話題となっているように、待たれていた一冊である。 私個人としても、第1句集『砧』は、出版社勤務時代に担当した忘れられない一冊である。印象的な句おおく、好きな句もたくさんある。 『砧』を読んでいると、当時のことがいろいろと思い出されてきて、きわめて懐かしい。 かげろふやバターの匂ひして唇 蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ さらしくぢら人類すでに黄昏れて 卓れた新人は、選者の意表をついた素材、発想、表現をかざしながら登場してくるものだが、『砧』の著者小澤實君もまた、そういった文字通りの新人として「鷹」に現れた。 上掲の三句を私が眼にしたのは、もう八、九年も前のことだけれど、たくさんの投句の中からこの句にめぐり合ったよろこびは、まだ昨日のことのように憶えている。俳句のつくりようは稚いけれど、その稚さの中の初々しさが砂金のかがやきにも似て私を捉えた。そして、二十代そこそこの年齢というのに、旧かなづかいを間違いなく使いこなしていることも、私をよろこばした。 藤田湘子の序文を紹介したが、さらに「読者はこの『砧』を読みすすむうち、二十代の作者とは思えぬ言葉の撰択を見て、一再ならず驚くにちがいない。」とも記し、小澤實という俳人を得たことを心からよろこんでいる。 収録されている作品の豊かさを知るには、まず、この句集を読んでほしいということにつきる。 好きな句をあげていこうと付箋などをはったりして読み進んだのであるが、ここではそれはしないことにした。 かわりにといってはへんだけど、総合誌「俳句とエッセイ」の1985年7月号に田中裕明さんが、句集『砧』について書評をしている。(これは当時わたしが依頼したものだと思う)それを抜粋して紹介してみたい。 タイトルは「伝統の優雅さ」 はじめて小澤實という人の俳句を意識して読んだのは昭和五十六年の鷹誌上だろうか。 立春の佛蘭西麺麭の虚かな ざりがにあまた中の二匹の争へり どうも説明することのむずかしい魅力を感じていたようだ。いま『砧』によって同じ年の俳句を読んでみると、やはり同じように魅かれる作品があって、しかもその魅力を明らかにせよと言われれば同じように困ってしまう。 ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな 箱庭や肘の生毛のそよげるに たとえ説明することができなくても、いい句はいい。それで充分だ、とつぶやくときの私の口調はいつものように自信なげだけれども、口に出さないところではこれはいつも違ってある確信をもっている。(略) はじめて小澤實さんに出会ったのは初冬の京都で四ッ谷龍さんと一緒に来たとき。二人ともこちらより年上で、どれだけ努力し勉強してもその年齢の不足を埋めることができないことにその頃にはこちらも気づいていた。その分だけ気が楽だったということもあって、その夜は小澤さんたちがとっていた京の宿に泊めてもらって翌日は紅葉の泉涌寺へ行った。(略) とんぼの絵さみしといへば嗤はるる 鰰の鰓に棘あるさみしさよ この二句にはさみしという言葉が用いられているけれども、(そしてこの二句はたいへんに好きな句だけれども)『砧』におさめられた句のほとんどは、寂しい味わいを持ってはいないか。 小澤さんは、どちらかと言えば陽の性格である。その作品がもし寂しいとすれば、それは人間の感情の複雑さを体現しているというより、伝統の優雅さをあらわしている。 それと、これはどうしてもつけくわえておかなければならないのは、『砧』の作品を読んでその振幅の大きさに脅かされたこと。あるいはあとがきに書かれていたのと同じことかもしれないけれども、その季語の多彩さには目をみはるものがある。季語がモチーフだという考えからすれば、これほど豊かなモチーフをもった句集はない。俳句を優雅な遊びと言うならこうでなくてはなるまい。 「作品がもし寂しいとすれば」「伝統の優雅さをあらわしている」という一文は本当に田中裕明さんらしいとも。 わたしたちは、どうしても個に収斂させてしまうキライがある。 もうひとつ、田中裕明さんが小澤さんについて触れた文章を抜粋で紹介したい。 おなじく「俳句とエッセイ」1985年8月号の「交遊録」と題した一文である。 タイトルのとおり、何人かの友人との交遊について短く語っている。名前はださすすべてイニシャルである。 「鷹」編集長のOさん。 はじめて会ったのは一昨年の京都は紅葉の頃だった。そのときから妙に気が合うのを感じていて、何かの折にむこうもそうだったときいて嬉しく思った。(略) Oさんは大学・大学院で国文学を専攻して論文は芭蕉だったそうで、最近は虚子に関する文章を書いている。その文章は物のはっきり見える眼鏡のようで、読んでいるこちらの視力が良くなったように感じされるほどだ。人柄もそれと同じく率直であって、いちど、酒を飲むのを少しひかえたらと言われたことがある。しかし、会うといつも飲むことになる。 『砧』をめぐる話が中心となってしまったが、句集『立像』では、第21回俳人協会新人賞、句集『瞬間』では、第57回俳人協会賞を受賞されている。 俳句をまなぶに本句集は、恰好のテキストである。 俳句をこれから学ぶ人にも読んでほしい一冊である。 本書の装幀は、三橋光太郎さん。 本文のレイアウトから外周りすへてをお願いした。 ゲタ(〓)があらわすものは、本句集のどこかの頁の俳句の組をゲタであらわしたもの。 はじめて見せられたとき、おどろいたが、面白いとおもった。 本句集の担当はPさん。 ちなみに「ゲタ」とは活版印刷用語で、「必要な活字が不足している際や、文字を伏せておきたい時に、使用していない別の活字を上下逆さま(裏返し)にして、代用として組み込むこと(またはその活字)」のことです。 キャンバス風な用紙が面白い。 カバーをとった表紙。 ゲタは金刷り。 扉。 「礼のかたち」の頁。 見開きに文章をおさめ、最後に一句を掲載。 骨太な表情の一冊となった。 三句集の作品には、今回、増補も削除も加えていない。ほぼ手を入れていない。残念ながら文法の誤りを発見してしまった句にも、改作はほどこさず、そのままとしている。手を入れ始めたら、とどめることができず、本書は刊行することができなくなってしまうだろう。また、ぼく自身が句集は刊行時に完成した存在である、と考えているところもある。(略) 本書は、今までこの時期の句を読むことがかなわなかった「澤」の仲間の渇きを鎮めるものとなろう。本書によって、ぼくの若い時の俳句とあらたな読者との出会いが生まれることがあったらうれしい。現時点において、わが中期、後期の句集がどうなるのか、まったくわからない。いつ中期が終わるのか。すでに後期が始まているのかもしれない。ただ、その作品の充実のために、日々努めていくしかない。 「前期句集集成刊行についてのあとがき」より、抜粋して紹介した。 巻末の散文の「礼のかたち こころには、姿がある」については、睦月から師走にわたる十二篇によるもので、手紙のかたちをとっている。 誰への手紙であるかというと、小澤さんが大切にしている人や仏像、図などなど多岐にわたるもので、小澤實という俳人のかかえている時空の大きさを思わせるものである。手紙の最後に前書きとともに添えられた俳句は、手紙文とひびきあってさらに味わい深いものとなっている。 本書にこの散文が収録されることで、小澤實という俳人のこころの姿に読者はちかづきやすくなったかもしれない。 いやいや、まだまだ奥が深そうな小澤實さんである。 担当のPさんに、感想をきいてみた。 「今回は初期の句集であるのに、さらにこれからがあるとおもうと、おそろしい人である。」と。 田中裕明さんの文章を紹介するにあたっては、著作権者の森賀まりさんにお許しをいただいた。 電話口で、森賀まりさんが「前に小澤さんにお会いしたときに、『砧』がお手本に一冊しかないということで、わたしの一冊と田中がもっていた二冊があるので、一冊をさしあげたんですね。そしたら、小澤さんより、そのもらった「砧」に鉛筆の印しがあるということで、『これは田中さんがつけたものですか』と尋ねられたのです。よく調べないで送ってしまったらしく、手元のものを調べてみたら、どうやらそれはわたしが印しをつけたものだったのです。田中のと取り替えますと申し上げたんですが、小澤さんはいやいやいただいたのを大事にしますとおっしゃられて、なんだか申し訳なかったです」と、笑いながらおっしゃったのだった。 よきエピソードなので、紹介してしまいますね。 露の玉考へてをりふるへをり 小澤 實
by fragie777
| 2026-07-01 20:16
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Comments(2)
美輪明宏さんが亡くなりましたね。素晴らしい藝術家で、我が長崎の誇りです。銀座の「銀巴里」でシャンソンを聴いて感動したことがあります。
『紫の履歴書』もそうですが、最近ではNHKEテレで毎月最終週に放送されていた人生相談の番組「愛のモヤモヤ相談室」が好きでした。 ちなみに私は美輪さんが通われた小学校の21年後輩です。当時は佐古国民学校、現在は近くの学校と統合して仁田佐古小学校。この地には、幕末、オランダ軍医ポンペによって日本で最初の西洋式病院・小島(こしま)療養所が建てられていました。
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