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6月26日(金) 菖蒲華(あやめはなさく) 旧暦5月12日
今日の72候にしたがって。 少し前の神代水生植物園の花菖蒲。 もう、花はおおかた終わってしまっていたが。。。 写真は白菖蒲。 紫がほしいところであるが、 今日は句集をひとつ、校了にした。 季語索引、初句索引のあるものは必ず読み合わせをするのであるが、主にノンブルが間違っていないかを確認するという、かなりアナログ的な作業となる。 しかし、この作業で頁数のまちがいをみつけることが多く、あなどれない作業なのである。 今日はめずらしくまちがいがなかった。 (あら、ないのね。)っていう感じ。 結構なことだけど。。。 新刊紹介をしたい。 四六判仮フランス装カバー掛け帯無し 季語索引付き 196頁 2句組 髙田正子(たかだ・まさこ)さんの、第4句集となるものである。 髙田正子さんは、「藍生」(黒田杏子主宰)創刊と同時に入会し、第1句集『玩具』(1994年刊)、第2句集『花実』(2005年刊 第29回俳人協会新人賞受賞)、第3句集『靑麗』(2014年刊 第3回星野立子賞受賞)の三冊の句集を上梓。2023年「藍生」閉会にともない、2024年「靑麗」を創刊されている。 本句集のあとがきに、 『紅藍』は『青麗』(二〇一四年刊)以降二〇二三年秋までの作品を収めた第四句集です。 母のあと父を送り、新型コロナ禍を経て、黒田杏子師の急逝という霹靂に打たれるまでの九年間を三百句にまとめました。 とある。そして、師・黒田杏子への追悼句からこの句集ははじまる。つまり逆編年体なのである。さらに「あとがき」に、 このたびは制作年を意識し、且つ逆編年体で編むことにしました。すると、読み直すたびに亡き人が息を吹き返し、病む人が立ち上がるのです。句集は新しいスタート地点を確認するための標であると考えておりますが、思いがけないメモリアル効果に驚くことにもなりました。 「先生」という項からこの句集ははじまる。 発たれしや辛夷の空をまなうらに てつぺんにまた鳥を呼ぶ山辛夷 先生は辛夷の空をゆく風か 急がるるかの世に花の満ちゆくと ゆつくりとこの世にも花満ちゆくに 何も聞こえず花に耳澄ましても 素直な悲しみの情感が読む側にも惻々と伝わってくる。「辛夷」から「桜」への具体的な季節の手触りをとおして師の喪失を訴えかける。感情を前面に出すことなく、しかし、句の背後には師を失った悲しみがみちみちている。こういう句にふれると俳句という詩型と季語のもつ底知れぬ力をおもってしまう。さりげなく詠まれているが、誰もがこのように自然体に詠むことはなかなかできないと思う。巧みであると評したりすると、作者の悲しみに水をさすようになってしまってはいけないが、季語と定型に信頼しそれを十全に活かすすべをもっている作者であるとおもった。 本句集全体についていえることであるが、言葉に無理をさせず、きわめて自然体に詠まれているので、読者のこころにも素直に作品がとどくのである。 好きな句がとても多かった。 そのうちのいくつかをあげてみると、 春眠の出口に風の音すこし 称ふるに無頼とふ語の涼しさよ いちじくはいづこに実りても冥し あをぞらや枯れつくすとは水面にも 風音の坐れば遠し春の土手 韓国語より中国語春らしく 余白より空白多き日記果つ あたたかな色にならむと枯れ急ぐ たましひのしづかなひとへ花吹雪 黄泉と書くかの世の水も澄みたるや 田螺鳴け亀も鳴け父送らむよ 眼爛々むささびの闇を嗅ぐ 地獄絵の炎のすきま紙魚走る 秋澄むや水のごとくに火を描き まみどりのすこしむらさき竜の玉 父の目の中の冬野や誰か棲む 焼藷を割つて遠くへ行く話 青すぎる空をおそれず秋の蝶 春眠の出口に風の音すこし 「春眠」が季語であるが、出口があろうとは。この出口はふつうにいうところの「寝覚め」の意味であろうが、「寝覚め」とすると、身体にはりついている感触となるが、「出口」とすることによって「入口」もあり。「春眠」が作者の身体を離れていくような不思議な感触がある。そして、作者の耳がとらえた「風の音」でありながら、そのかすかな風音は、「春眠」の出口でしているのである。面白い一句であるとおもった。 いちじくはいづこに実りても冥し こう詠まれてみると、たしかに「無花果の実」には、ほかの果実のもっている晴れやかさはない。地味である。この句は「暗し」ではなく「冥し」という措辞によって、そのくらさが、冥界の暗さを呼び起こす仕掛けとなっている。 ひらがな表記でやわらかい印象をあたえながら「冥し」と着地することでさらに読者には「冥し」が印象づけられるのだ。もとより「無花果」は、イエスによって呪われた果実でもあり、あるいはそのことが潜在意識にあっての一句かもしれないとおもった。 余白より空白多き日記果つ この句に会って、「余白」と「空白」の違いを考えさせられた。「空白」とは、物理的な広さを思い、「余白」はそこに心情的な投影がある。って勝手に考えたのだけど、どうだろう。この句の場合、日記を書こうと思い立ち日記を買ったのである。日記を書き始め、たくさん書く日もあり、あるいは一行二行でおわってしまう日もある。この場合、少ない文章量の場合、そこに生まれるのが余白。つまりは書いてもいい場所があるのだけど、あえて書かないで白のままにしておく。空白は広辞苑などを引くと「あるべき部分になにも書いてない白い所」とある。ゆえに書こうと思うことはあったのだが、なにも書かないことによって生まれた空白。つまりこの作者の日々は忙しすぎたのですね。忙しいままに一年がおわってしまった。ということを、「余白」と「空白」の語彙を巧みに用いて、一句にしたのである。 たましひのしづかなひとへ花吹雪 「たましひのしづかなひと」ってどんな人だろうっておもった。すくなくともわたしは違う。「たましひのしづかなひと」の反対語は「たましひのうるさいひと」となるか。いや、「たましひ」に「静けさ」は似合うが、「たましひ」に「喧噪」は似合わない。「たましひのしづかなひと」、そう思わせる人はたしかにいる。高田正子さんもきっとそう感じた人がいたのだろう。じゃ、具体的にどんな人かっていうと、「魂」に関することだから難しいわ。これはもう、全身で感じるしかない。桜咲く季節に、高田さんの目の前にそういう人がきっと現れたのである。つかさず一句にした。季語は「花吹雪」、「桜散る」でもなく、「花吹雪」という激しい言葉をもってきた。「花吹雪」に立つその人は、なおもたましいに静けさをたたえて立っているのである。美しい一句だ。ここでもひらがな表記が効果的である。 まみどりのすこしむらさき竜の玉 写生の一句である。すきな句である。「竜の玉」って最初のころってこんな感じである。みどり色からあの深い青紫の色に変わっていく。「竜の玉」は俳人が好んで詠む魅力ある季語であると思う。「竜の玉」をよむとき、そこに深い意味をこめる俳句は多い。「竜の玉」という季語は、人間の深淵に耐えられる季語であるとわたしは思っている。良い句がたくさんある。ゆえに、掲句のようにさっぱりと写生した一句が、とても新鮮におもえるのだ。 「紅藍」は色の名前です。同時に師の主宰誌「藍生」にあったコーナー名でもあります。亡き師に許可を仰ぐ代わりに、ご伴侶の黒田勝雄氏にお許しを得ました。 結社「青麗」設立は二〇二三年八月十日です。その時点までの歳月をここに総括し、来る三周年へ向けて、心あらたに歩み出したいと思います。 「あとがき」を紹介した。 「紅藍」とは、色の名前であるということ。 本句集の装幀は、君嶋真理子さん。 「紅」と「藍」を活かした一冊となった。 まずは、鮮やかな紅色が印象的である。 タイトルは紅色のメタル箔。 見返しは鮮やかな靑。 表紙は、紅色。 ![]() 栞紐も紅色。 なんと、綴じ糸は、靑。 実は、本句集は本来、上方のみに紅をみせて、下方は紅をみせない仕様となっていた。 オンラインショップなどの画像はすべてそうである。 本句集を目の前にしてじいっとみていて、ふっとおもったのだ。 下方にも紅色を1.2ミリ見せた方が華やかになるのではないか。 和服でいう、裾回し効果である。 ということで、 あえて、カバーをすこし上にあげて、紅を上下にしてみた。 どうでしょうか。 上の紅と下の紅が響き合っているとおもえませんか。 下方の余白がさらに効果的になるのではと。 上梓後のお気持ちを高田正子さんに伺ったところ。たいへん丁寧にお応えくださった。 以下に紹介します。 今回は編年体にするつもりで、年度ごとにまとめるところから始めましたが、順年に並べても面白くなりそうになく、逆年にしたらどうだろう、編集作業はそんなところからスタートしました。 順年でも逆年でも中身に変わりはないのですが、あとがきに記しましたように、逆年にすると亡き人が蘇り、病む人が立ち上がるので、校正のたびに、心が震えました。 ある意味では、私自身のための癒しの一集となりました。 先生がご存命であれば、2014年からの10年分くらいで出したであろう第4句集です。 今日まで延び延びになっていた間に、先生の最終句集、黒田杏子俳句コレクション全4巻、そして「青麗」創刊と延期のいいわけになる程度には仕事をしてきました。 逆年にしたため、先生への追悼句が巻頭に並び、感謝の一集にもなりました。 「青麗」は今年の8月で設立3周年、来年の1月で創刊3周年となります。 その意味では、けじめの一集とも言えます。 その割に、時間が割けず、隙間仕事の集積のようなことになりましたが、考えてみれば、中身(私の俳句)はあるだけのものしか無いのですから、休むにも似たへたな考えを起こさずに済んで、よかったのかもしれません。 次の句集は5周年か7周年を目指し、順年で編みます。 主宰というものにならなかったら、こういう考え方をすることもなかったでしょう。 また隙間を見つけて、こつこつ仕上げることにします。 有以子さんが「綴じ糸は白以外の色にもできます」とおっしゃったことが、今回の装丁の要になっています。 紅藍=紅色のことではありますが、字面に紅と藍がありますから、紅色の栞紐と藍色の綴じ糸とし、表紙は紅色、カバーはすっきりと白ベースに、と展開していきました。 君嶋さまご提案の鳳凰は、フェニックスでもあり、蘇りの鳥ですよね。 適ったものとなりました。 「ふらんす堂通信」の投句の雑詠選者としてもお世話になった髙田正子さんである。 また、「田中裕明賞」の選者としてもご尽力をいただいている。 目下、「ふらんす堂通信」の添削コーナーを俳句入門書として一冊にするべく、編集作業がすすめられている。 感謝してもしきれなきくらいたくさんのご縁をいただいている髙田正子さんである。 髙田正子さま 第4句集のご上梓をこころからお祝いもうしあげます。 引きつづきよろしくお願いもうしあげます。 万緑や闘ふといふ悼み方 髙田正子
by fragie777
| 2026-06-26 19:38
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