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6月17日(水) 旧暦5月3日
片白草 別名、半夏生草。 神代水生植物園にて。 緑さす猪の殺屋(とぎや)の砥石かな 宮木登美江 6月10日付けの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」より。 「殺屋は皮などをはいで仕分けるのを業とする人(「広辞苑」)だが、きれいな季語と生々しい砥石が対照的、まるで油絵のような句だ」と坪内さん。 「殺屋」を「とぎや」と読ませるのか。はじめて知った。どうしても「ころしや」って読みたくなってしまう。 新刊紹介をしたい。 46判ソフトカバー装帯有り 210頁 2句組 著者の岡根尚美(おかね・なおみ)さんは、1966年香川県高松市生まれ、現在は東京都世田谷区在住、2010年に片山由美子指導のPTAサークル句会にて俳句をはじめ、現在まで片山由美子に師事。2012年「狩」入会。鷹羽狩行に師事。2019年「狩」終刊により「香雨」入会、2022年第3回香雨評論賞(エッセイ部門)受賞、2024年第5回香雨評論賞(評論部門)受賞。現在「香雨」同人 俳人協会会員 「香雨」二子玉川句会代表。 本句集は第1句集であり、片山由美子主宰が序文を寄せている。 片山由美子主宰の序文は心のこもった懇切なるものであるが、ここではその一部の抜粋にとどめたい。 岡根尚美さんが俳句を始めて、もう十六年になるという。その最初から句会を共にしてきたことを思うと感慨深いものがある。本句集を編むにあたり初期からの作品に目を通すことになったが、そこに一貫した意志を感じた。 岡根さんの俳句ははじめから形がきちんとできており、俳句とはどういう形式か、何がいえて何がいえないかをつかんでいたことがうかがえる。無理に心情を盛り込もうとする、初心者が陥りやすい俳句の罠に嵌らなかったことが、上達を早めたと思う。 八月や前ゆくひとの影踏まず すこしづつ違ふまいにち日記果つ 夜はひとの入れ替る街沈丁花 認識の深まりを感じさせる作品である。俳句を作り始めて十年を超えて到ることができた世界といえる。 岡根さんは毎月かなりの数の句会に出ている。句会が、そして俳句が本当に好きなのだと思う。仲間と俳句の時間を共有するのは楽しいが、岡根さんはその中でつねに自身の作品を見つめ直し、鍛えようとしているのを感じる。俳句は、最終的には孤のものである。孤心と呼ぶべきものをもっていなければ、流されて何も残らない。仲間と別れたあとは、孤独な戦いが始まる。つぎに何をなすべきか、何をやりたいのか、自分自身と向き合って考えるしかない。 褒めるだけでなく、なかなか厳しい言葉が書かれている。これも岡根尚美さんがきっちりと受け止めてくれるだろうという信頼関係のもとに発せられた師の言葉であるとおもった。 この句集の担当はPさん。 我よりも広き背中へ毛糸編む 寝転べば海まるくなり砂日傘 揺るるもの透くもの飾り夏館 火蛾舞ふや城にあまたの鉄格子 読み終へし文のふくらむ藤の昼 春風や姉妹のものを並べ干し 夜はひとの入れ替る街沈丁花 我よりも広き背中へ毛糸編む 「広き背中」とあるので、ご自身よりも体格の良い人のために毛糸を編んでおられるのだろう。短絡的に考えれば夫、あるいは成長した息子か。夫とか息子とか言わず、「広き背中」とあるのがこの句を世界をひろげている、「広き背中」への信頼感もみえ、その背中をおもう喜びもある、毛糸はたくさん使うことになるだろうけど、そんなことは問題じゃない、広き背中を思うことの安らぎ、そしてその為に毛糸を編むことの幸せ、充足した時間である。 揺るるもの透くもの飾り夏館 「夏舘」が季語である。「和・洋を訪わず夏の暑さをやわらげる配慮のなされた舘である。(略)夏舘は和・洋いずれも含め、ある程度の大きさをもつ構えであろう」(角川俳句歳時記)とあり、それなりのお屋敷のこととなる。ひろい空間がある夏舘であればこそ、「揺るるもの」や「透くもの」を飾って涼しさを演出したりするだろう。具体的なものを示さず、「揺るるもの」「透くもの」ということで読み手の想像力を喚起させて巧みである。この舘に暮らす人の豊かな暮らし向きを感じさせるような一句である。暑い夏であっても、夏舘でゆったりと暮らしをたのしんでいるそんな様子がきわめて自然体で伝わってくる一句だ。 読み終へし文のふくらむ藤の昼 この句は、わたしも気になった一句である。読む前より読んだあとに「文」が膨らんだとある。ここで「文」とは手紙のことであるか。わたしはそのように受け止めた。きっちりと封書におさめられてきた手紙、それを取り出して読み始めた。律儀にたたまれた手紙でありそれなりのかさがあったのだろう。読み終えたときには、目の前に広げられた手紙をあらためて見て、「文のふくらむ」ように思えたのだ。あえて「読み終へし」とあるので、さっと読んでしまうものではなく、それなりに時間をかけて読んだものである。「藤の昼」の季語が、手紙を読み終えた軽いつかれとけだるさに響きあっていて効果的だ。ところどころのハ行の音が脱力感をよびおこす。 夜はひとの入れ替る街沈丁花 片山由美子主宰も「認識の深まりを感じさせる作品」の一つとして序文でとりあげておられる。昼間はあっけらかんとした賑やかな街であったのが、夜は様相をまったく変えて、やや不穏な表情をもつ街へと変わるのか。「夜はひとの入れ替る」とのみあって、それ以上のことは言っていないが、あきらかに夜の街に生きる人たちを暗示している。配された季語の「沈丁花」の「じんちょうげ」という言葉の響きは重く、さらには鬱々とした香りが夜の闇へと沈んでゆく。 ためらひの一瞬ありて椿落つ この句はわたしの好きな一句である。落ち椿の様子を詠んだ一句である。花びらが散るのではなく、一花をぽとりとおとす椿であるが、そこに一瞬の「ためらひ」を見いだしたのだ。この「ためらひ」は誤解をおそれずに言えば、椿のものではなく、作者の心がそう捉えたかったとも言える。しかし、このように一句にすることによって、それはこの椿の「ためらひ」となったのである。そしてこう詠まれるとまさに我々には「ためらひの一瞬」ののちに落花する椿がありありと見えてくるのである。師・鷹羽狩行の「落椿吾ならば急流へ落つ」をふっと思わせた一句とも。 校正スタッフの幸香さんは、〈薔薇の芽やピアノが止めば雨の音〉「穏やかで満ち足りたひと時です。」 俳句を始めて五年目くらいに「あなたにとって俳句とは何か」と問われたことがある。私はその時に「生きざま」であり、「その時点のこころを映す鏡のようなもの」と答えた憶えがある。俳句はわずか十七文字であるが、作者のそれまでの生き方や句を詠む時点の心境などから、作者の目に留まる情景があり、それを作者ならではの感性や感覚に導かれたことばで表現する、非常に純粋で透徹した芸術だとその頃の私は感じていた。あれから十年が経ったが、今ではさらに、時に読み手に心の内を見透かされたようにすら感じることもあり、「俳句」の奥深さや怖さを思い知らされている。 句集『前奏曲』は、二〇一二年から二〇二四年までの三四七句を収めた、私の第一句集である。これまで、一句一句に「自分らしさ」や「自分の内面」をいかに投影させられるかを意識しながら句作に励んできたが、その道のりの険しさや長さに気の遠くなる思いだ。本句集の刊行に甘んじず、これから生まれる「自分ならでは」の更なる句を自分でも楽しみに致したく、本句集をこの名に決めた。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 著者の岡根尚美さんのご希望をうかがって、そのご意向を反映した装丁となった美しい一冊である。 タイトルは金箔押し。 白鍵に黒鍵の影月冴ゆる この句集の「前奏曲」というタイトルは秀抜だと思う。つぎへの挑戦の意志がこめられており、楽しみが広がる。さらにこの一巻には、音楽にかかわる句がちりばめられている。 句集としてじつによく考えられていて、読者を間違いなく楽しませてくれるはずである。一句一句のしらべにあらためて耳を傾けたいと思う。つぎの楽章への期待をふくらませつつ。(片山由美子/序) 上梓後のお気持ちをうかがった。 ①本が出来上がって手元に届いたときの気持ち 「やっと会えた」というような温かい気持ちがしました。一冊を手に取った時の手触りや重み、すべてが愛おしく感じました。 ②初めての句集に籠めた気持ち 初学の頃の句をどれだけ残すか迷いましたが、今あらためて目を通すと、拙いながらも純粋さが眩しくも感じられて、かなりの句を残しました。時系列に沿って章立てしているので、16年間かけて句が少しずつ変わってゆく成長の記録のような一冊になったと思います。 ③今後の句作への思い 「前奏曲」というタイトルをつけましたので、次はこれを超えなければならなくなりました。これまで学んできたことを礎として、これからはもっと「自分らしさ」にこだわって、個性を伸ばしていければと思います。 岡根尚美さん。 昨年の夏にご来社のときに。 「やっと会えた」というお気持ちが素敵です! 第1句集のご上梓、おめでとうございます。 八月や前ゆくひとの影踏まず 岡根尚美
by fragie777
| 2026-06-17 20:13
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