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6月4日(木) 旧暦4月19日
紫陽花は咲きはじめのころがいちばん好きかも。 いまの季節、アレルギーが激しくなって身体中がかゆくてたまんない。 いまは指先がかゆくて、指先を搔きながらキーボードを打っている。 皮膚科の先生によると、夏にむかって身体の血行がよくなって、かゆみがはじまるんですって。 新刊紹介をしたい。 四六判変型ハードカバー装帯有り 388頁 2025年にふらんす堂のwebサイト「短歌日記」に一年間連載したものを一冊にしたものである。 高橋睦郎(たかはし・むつお)さんは、旧漢字表記が表現形態としてのデフォルトであるが、連載するにあたってそれはお許し願って新漢字表記にしていただいた。 メールはなさらないので、すべて文字原稿をファックスでいただき、それを担当のPさんが打ち出し校正をしてというかなりたいへんな作業であった。 しかし、原稿はきちんとくださるし、意欲的に取り組んでいただいたので、充実した一年の連載となったのではないだろうか。 今年89歳になられる高橋睦郎さんである。連載の年は87歳から88歳である。 一月一日㈬ 昨日こそ髻髪(うなゐ )なりしを八十(やそ)あまり七(なな)のにひ年迎ふる我か 八十七の年齢を重ねての実感は、ついこのあいだまで幼稚園児だった自分がいつのまにこの頹齢に到ったかということ。ならば幼といえば済むところをわざわざ上代風に髻髪というのは、自らの重齢と歴史の重世とを重ねたかったからにほかならない。 二〇二四年の秋も終わり頃だったろうか、ふらんす堂短歌日記を僕にやらせてくださいませんか、と申し出た。時期的に翌二五年はすでに決まっているだろうから、翌二六年以降にというのが、こちらの心づもりだった。あに計らんや、答は二五年元日から始めてくださいというもの。いささか慌てたが、大晦日まで三百六十五日間なんとかやりおおせて、結果的に二五年でよかった、と思っている。 もともと申し出た理由は、こんな荒行ができるのも体力が許すうちだと思っていたからだ。その体力が一年間続けた始めと終わりとでは明らかに違っている。二五年はどうにか続けられたが、二六年は最後まで続けられるか、確かな自信はない。七十歳代と八十歳代の一年、さらに八十歳代の後半の半年はこうも違うかと、つくづく気づかされた。 「あとがき」を紹介。 このように書かれている高橋睦郎さんであるが、すこぶるお元気で表現に関してはさまざまヴィジョンをお持ちであり、挑戦者である。 本著より、いくつかの日記を紹介しておきたい。 二月二十一日㈮) 何のため歌をつくるやこの国の歌のゆくすゑ占問(うらと)はむため なんというアナクロニック、なんという大時代(おおじだい)と嘲(わら)われそうだが、それが私の作歌スタンス。いや、子規も、鉄幹も、茂吉も、迢空も、佐美雄も、邦雄も、徹も、史も、妙子も、智恵子もそうだったのではないか。この国の歌はいつから小さくなってしまったのか。 四月十三日㈰ 愛憎の起伏激しく生き来(きた)る一生(ひとよ)と思ふ省(かへり)みすれば 嵐が好きな人間は愛憎の激しい人間。八十七年生きてきて、自分のことを正(まさ)しくそう思う。 八月十日㈰ 八月は死者たちの月死を逃のがれ生きこし者の死を思ふ月 死を逃れ生きこし者は私だ。敗戦後八十年の今も。 八月十五日㈮ 八月のことに明るさ耐へがたき日なり戦争終はると知りぬ 新聞もラディオもないわが家では終戦の詔勅は聞いていない。晴れきっているのになぜか人影のない浜辺に一人立っていると、同級生が来て、戦争終わったど、もう学校もないんどと言った。そのときの解放感といったら無かった。 十月二日㈭ この朝の幸福感は早く覚め小読ののち眠れたること 暗いうちに目覚めても焦らず、床上ストレッチ体操をし、枕頭の書を何頁か読み、句や歌をメモし、眠くなったらまた眠る。 申し出た理由はもう一つあった。短歌の世界でこのところ流行らなくなった叙景を歌日記の進行の中で、どれだけ出来るか試みたい、と思ったのだ。いまなぜ叙景かという根には、昨今の短歌の際限もない口語化、ライトヴァース化がある。このままではいつか短歌は短歌でなくなる。危惧する中で浮びあがったのが、若い日に読んだ釈迢空折口信夫の叙景鎮魂説の記憶だった。(略) 現代の私たちは仮に定住しているにしても、旅人の落ちつかない状態にある。その落ちつかない状態が歌の際限もない口語化、ライトヴァース化を産んでいる。とすれば、叙景歌を試みることは短歌の解体・溶解の歯止めになるのではないか。そのことの実験の機会にもなればと思ったのだが、実作してみると十首に一首もできない。つくづく叙景のむつかしい時代にあるのだ、と実感させられた次第だ。 ふたたび「あとがき」より紹介した。 本歌集の装丁は和兎さん。 「装丁がいいって言われます」と高橋睦郎さんも喜んでくださった。 小さな一冊であるが、贅沢な本である。 帯をはずしたところ。 表紙。 扉。 久大線(きうだいせん)夜明(よあけ)といへる駅灯るわが生(よ)の晩(くれ)に思ふしばしば (12月31日(水)より) 12月15日は高橋睦郎さんのお誕生日。88歳になられた。 この日の日記は、 誕生木(たんじやうぼく)といふありにけり十二月十五日生れわが木無花果樹(いちじく) 誕生木というのがあると聞き調べた結果、十二月十五日のそれはイチジクだとわかった。もともと、その果実も樹形も好みのうちだ。二十一歳で当時まだ不治の病いといわれた肺結核に罹った私も、ついに八十八歳。 「誕生木」というものがあるとは、知らなかった。 ちなみにわたしの誕生日でしらべてみた。 う~む。……… ここでは言わないでおこう。。。 では叙景を諦めたのかと問われれば、そんなことはない。今後の問題として残された、ということだ。そのぎりぎりの結接点が十二月三十一日の止めの一首。そこにいう「この生の晩に」私がいることは確かだが、その晩は後十年つづくか、その余もつづくかわからない。つづく限り歌を求め叙景を究めていきたいという思いから、題名を「夜明といふ駅」とした。歌を求めつづける私にとって、晩年の現在も夜明という通過駅なのだ。 「あとがき」より。 本歌集のなかで、わたしの好きな日記は、1月17日(金)のもの。 鷗外長女茉莉(まり)ばうばうと老い耄けし果ての孤独死羨(とも)しくもあるか 森茉莉との交わりは昭和三十九年四月、三好達治通夜の席で出会って以来。その八十余歳でのアパートでの孤独死は、私には文士の本懐の輝かしさがあった。 「文士本懐の輝かしさ」とその死についてふれているところにぐっときた。 森茉莉は好きな作家である。
by fragie777
| 2026-06-04 18:14
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