|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
5月31日(日) 麦秋至(むぎのときいたる) 旧暦4月15日
透明感は一重の薔薇ゆえのもの。 今日は、田島健一著『平成の一句』より、「薔薇」をよんだものを二句紹介したい。 薔薇の字を百たび書きぬ薔薇の季 永島靖子 「薔薇」というややこしい字を「百たび」も書くとは豪儀である。薔薇についての文章を執筆しているのか、それとも誰かに宛てた手紙を書いているのか。「薔薇」であるがゆえに、それはとても力強くエネルギッシュで、読む者に力を与えてくれる文章であるように思われる。それもこれも「薔薇の季(節)」だという、ただそれだけの理由だというのが魅力的だ。(『袖のあはれ』二〇〇九年九月刊行)季語=薔薇(夏) くれなゐを支へ切れずに薔薇崩る 黛 まどか 「支へ切れずに」の語によって、上五の「くれなゐ」が物理的な質量(重さ)のようでもあり、忍耐力の限界を超える事象(困難さ)のようにも読めて、下五の「薔薇崩る」の意味を複雑にしている。それだけに、「薔薇」というものにとって「くれなゐ」というものが、その〈色〉であること以上に、重要な意味を持っているようにも感じられて、意味深長である。(『てつぺんの星』二〇一二年三月刊行)季語=薔薇(夏) 永島靖子さんの句をみて、思い出したことがある。 10年以上まえのことになるが、ふらんす堂にあたらしく入ったスタッフのKさんが、「鷹」の発行所へご挨拶にうかがったところ、たまたま永島靖子さんがいらっしゃった。紙の本の『鷹歳時記』の編集の助っ人としてKさんが打合せに行ったのではないと思うが、(この辺の記憶はさだかでない)、そのKさんに向かって、「あなた、薔薇という字を漢字でかける?」って永島靖子さんは突如、尋ねられたらしい。 「yanmakaさん、わたし、もうびっくりしてしまって、しどろもどろでしたあ」って戻ってきたKさんは半分笑いながら半分泣きべそ状態で訴えたのだった。 それをきいたわたしをふくめほかのスタッフ達はおもわず笑ってしまったのであるが、百回も書かれた永島靖子さんであることをおもえば、その鋭い質問にも納得してしまう。 俳句をつくる人はおしなべて賭けるんじゃないかっておもうけど、どうかしらん? 五月が逝き、薔薇の季節もおわろうとしている。
by fragie777
| 2026-05-31 18:19
|
Comments(1)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||