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5月26日(火) 紅花栄(べにばなさかう) 旧暦4月10日
鴇田智哉著『高屋窓秋の百句』が出来上がる。 待たれていた一冊である。 高屋窓秋というと、だれも有名句は三句思い浮かべることができる。 yamaokaもその程度である。 さらに、ほかにどんな句があったろうか。 この度、鴇田智哉さんによって編まれたこの一冊によって、わたしたちは窓秋の百句をとおしてその作品世界にふれることができることとなった。 本著よりいつくか作品と鑑賞を紹介したい。 まずは代表句としてあまりにも有名な一句が百句の冒頭におかれている。 頭の中で白い夏野となつてゐる 『白い夏野』昭和七年 白い夏野、になっているという。風景のこんな変容は、おそらく多くの人が経験している。だがそれを、「頭の中で」とそのまんまに言ってしまった。身も蓋もない。この措辞はこののち、誰も使うことはできない。 「頭」は何と読むか。窓秋の「百句自註」(以下「自註」)には「普通、五・七・五に則って読めば〝ヅ〟であるが、作者のぼくの中では〝アタマ〟としていた」と。また、この句ができたときの状態として、「ぼくは、原稿用紙の真ん中に書いた「白い夏野」という文字を、一週間ぐらい見つづけていた記憶がある」とも。 降る雪が川の中にもふり昏れぬ 『白い夏野』昭和八年 遠い空から落ちてきた雪が、水に触れる。また、水に触れる。そうして、いつか、雪のたどる下降線は、川の中にまでいたるようになった。川の面という境目が、外れてしまったのだ。 この境目は、からだという境目でもあり、心という境目でもある。雪はからだの中に、心の中に、降るのである。すべてが下降線となって昏れてゆく。 自註には、「川を見ていたのではない。いっさいのものが沈んでゆく「思い」を見ていたのだ」「瞑想的な作り方」と書かれている。 蝶の木の蝶の秋風ながれけり 「ひかりの地」昭和四十五年 木の周りに、蝶がひとつふたついたのかもしれない。木の葉と、蝶の質感がどこか似ていたのかもしれない。私は「蝶の、木の、蝶の、秋風ながれけり」と読んでみたい。蝶と木と秋風が、関わり合いをもってそこにある。 二十年のブランクの後、句作を再開。窓秋六十歳。「ひかりの地」百句は、句作再開から昭和五十年までの句を集めて、『高屋窓秋全句集』内に収められた、実質の第四句集である。 さびしさのきのふかまきりけふとんぼ 『花の悲歌』平成元年 では明日は、何に。 草色のかまきり、透き通るとんぼ。どちらも空気にとけ込めるようなものたち。よりどころのなさは、気安さにも通じている。 句集は、 雀らも故郷は焼けて淋しき野 さすらひて見知らぬ月はなかりけり と続く。 解説のタイトルは「高屋窓秋に関する三つのこと」ーー「連作」「中断」「窓秋は俳句をどのように考えていたか」について 一部のみ紹介をしておきたい。 さて、窓秋は「俳句」をどのように考えていたか。 ひとことで言うなら、それは「最短詩」であると考えていた。《略) 窓秋の言う「最短詩」の定義には、案外とゆとりがある。講演をもとにまとめた「うつくしい言葉」(「俳句研究」一九七七年四月)という文章において窓秋は、「うしろ姿のしぐれて行くか 種田山頭火」を、「貧しき葬の足早に行く 蕪村」のような七七の句であると指摘したあと、「風立ちぬ いざ 生きめやも」という詩句について、「これは、さらに短かく五七です。五二五といったほうがいいかもしれません。このようにして考えてゆけば、最短詩表現の領域はかなり広いものであることがわかるし、そして、よい句が多く作られてゆけば、それがそれぞれに定型となる。私は、そうしたことから最短詩表現はすべて定型化する運命を持つと考えるわけで、それを俳句の領域と思うのであります」と述べている。 午後にお客さまがおひとりいらっしゃった。 児玉和子さん。 目下、第三句集を編集中である。 児玉さんは、俳誌「夏潮」(本井英主宰)に所属しておられ、「夏潮」のいろいろな賞を受賞しておられる方だ。 今日は、造本、装丁などのご相談にいらっしゃったのだ。 担当はyamaoka. 第二句執『熊鈴が』を十年前にふらんす堂より上梓されている。 「もう10年も経つのですね。早いですねえ」と児玉さん。 「ほんとうに」とわたし。 「今回、10年ぶりに句集にまとめてみて、いかがでした?」とお尋ねしたところ、 「残しておきたい句を、手書きにして書き抜いておいたのですけれど、それらを見ていると同じような表現をしていることや、好きな表現の繰り返しに気づきます。自分の癖にきづくのですね」 そいうことをあらためて意識できることは、句集にまとめるといいうことがないならそのままになってしまうと思います。」 「さて、そういう認識のもとに、大事にしていく部分、あるいは先に進まなくていけない部分、そのことをあらためて考えます。自分の句を見直すということ、句集をつくろうとおもわなかったら、そういうこともなくきてしまったかもしれません。自身をリセットするよき機会ですね」 「句集にするための選んだ句をみながら、こういうものをつくってきたのだという一つの安心感のようなものもあります。ここまできたのだから、次に行こうという思いも」と児玉和子さん。 ショートカットが若々しい児玉和子さん。 本井英主宰が、「鴫立庵」の第二十三世庵主になられたのをきっかけに、最近は連句をなさっているという児玉和子さん。 「連句っておもしろいですよ。あっという間に時間が経ってしまって。約束事の規制のなかでつくる、ということはとても面白いです。約束事があるゆえに、かえって自由を感じます」と楽しそうにお話をされた児玉和子さんだった。 仙川駅前の紫陽花。
by fragie777
| 2026-05-26 20:01
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