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5月7日(木) 旧暦3月21日
野茨(のいばら)。 国立・矢川緑地にはあちこちに咲いていた。 緑のなかで白さが際立つ。 この連休に更衣をしておけば良かった。 今日の暑さにそう思った。 新刊紹介をしたい。 A5判ソフトカバー装 146頁 著者の長島世津子(ながしま・せつこ)さんは、昭和16年(1941)生まれ。教育者であられ、大学で教鞭をとっておられた方である。専門は教育学、人間学、女性学。著書に『女の子から出発』(2011刊)、共著に『結婚と家族の絆』。本著は、初めての句歌集である。 本句歌集『砂絵』は、「愛する子供たちへ」と最初におかれてあるように、子どもや孫、そして著者とかかわりのあった方たちへ向けられた一冊である。 今日まで生きてこられた数々の作者の心にきざまれた記憶の断片をそっと慈しみながらそれを句や短歌に表現していったものである。 作者にとってはかけがえのないものである。 ゴールが視野に入ってきた旅人たちの、語らいと沈黙の、温かい陽だまりの風景─ その中に、今私はいます。 記憶の糸が途切れる前に、何か子供達に言の葉を残したい─ そんな思いから生まれた一冊です。 俳句や短歌の骨法を体系的に学んできたわけではございませんが、人生の実景と実感を胸に抱きながら言葉を紡いでまいりました。ご高覧いただければ幸いです。 巻末の「エピローグ」と題されたものより抜粋した。 この一冊には、装丁、編集等、はじめからおわりまで著者の長島世津子さんの血脈がかよっているものである。 本文レイアウトひとつとっても、長島さんにはこだわりがあり、それを一つ一つ具体化されたのである。 担当はPさん。 「本文から装丁、イラスト、フォント、装画、全てにこだわられた一冊です。 挿絵のほとんどがAIで制作されているのも斬新です。 本作りだけでなく、俳句短歌の作り方も独自の表現方法が多用され、長島さまのいままでの人生と愛情のつまった一冊になっています。」 東雲や薄墨の山重なれり 熟したるあけびに夕もや滲みけり 山鳩やぽろぽろ妹の遠くなり Pさんのすきな句をあげてもらった。 東雲(しののめ)や薄墨の山重なれり 一幅の日本画をみるような美しい景色が眼前にひろがっていく。季語はないが、作者の眼前に展開してゆく景色を定型に言い留めたのだろうとおもう。 季節は春かもしれない。薄墨の山にそんな気配をおもう。 熟したるあけびに夕もや滲みけり 熟したあけびの色は、古代紫のような美しい色をしている。その皮を割ると中には半透明の白い果肉がぎっしりつまっている。この句の場合は、あけびの紫に夕靄が滲んでいる瞬間をとらえたものである。紫が夕靄によっってすこし陰りをおびて濃くなった、そんな繊細な一瞬を俳句にされたのである。 山鳩やぽろぽろ妹の遠くなり 情感のこもった一句である。山鳩の「ぽろぽろ」という鳴き声をきいていて、ふっと妹さんのことが思い出されたのか。懐かしさがこみあげてくる、会いたいという気持ちが高まってくるが、たやすく会える距離にはいない。あらためてその遠さをおもったのだった。 蛍消ゆ湿原の闇空砲(くうほう)ひとつ この句はわたしが気になった一句である。作者の長島さんご自身が「思い出すままに」という項で、自解をされているので、それを紹介したい。 私の目にした風景であると同時に、いまなお戦火に曝されている国々、そこで暮らす人々への思いを重ねたものです。 蛍の光は命の輝きと儚さの象徴です。 それが闇に消えるとき、遠くの空砲が現実の苦悩を帯びてきます。 読む方によっては重く響くかもしれません。 若き日の住まひを訪(と)へば声もなく 夫の影なく杖と佇む 短歌を一首紹介した。かつて住んだ住居を訪れたところでの思いを一首にしたものである。人がすまなくなったその住居の前に立つとかつての生活の日々がよみがえってくる。しかし、しかし、それが過ぎ去ってしまったもの。「杖と佇む」の措辞が、いまの作者のありようを告げている。 曙光さす石廊(いろう)高らにグレゴリアン 留学時代に訪ねた、古いベネディクト会修道院。 石造りの高い天井、春の曙光に満ちる廊下。 そこに響くグレゴリオ聖歌に、思わず姿勢を正しました。 永遠を垣間見るような一瞬でした。 「メープルの風」の項より紹介した。 本著には。作者長島世津子さんの豊かな過去の日々がこのようにたっぷりとしるされている。 昭和から平成にかけて、豊かな良き時代をすごしてこられた方の日々の記憶の断片がぎっしりと詰まった一冊なのである。 この句歌集は、私のささやかな人生の断片を、四季や家族、そして旅先の光景に託してまとめたものです。 俳句や短歌を始めたのは、ごく数年前。 上智人間学会(現「ソフィア人間学会」)で佐々木隆先生のご親切なお声がけをいただいたのがきっかけでした。 けれども、それも八十四歳の老婆の気ままさ。やがて途絶えてしまいました。 ところが近頃、人生のゴールをふと垣間見たように感じた折がありました。 そのときから、句や歌と向き合う動機づけを与えられ、言葉があふれ始めたのです。 与えられた時間への歓びと感謝、そして祈りとして。 「思い出すままに」の項より、最初の部分を紹介。 装丁は、長島世津子さんの自装と言ってもいいかもしれない。 表紙絵は、画家であるご子息の長島毅さん。 タイトルは(たぶん)AIが書いたもの。 つや消しの金箔。 表紙。 見返しは、こまやかな砂粒をまきちらしたような感触。(この写真ではわかりませんが) 扉。 目次は、(一)四季、(二)時の恵み(孫 老い 人生 余滴)、(三)思い出すままに、(四)メープルの風 (五)勿忘草のスケッチ(友人たち)、エピローグ の項よりなる。 本文のいたるところに、カットがあしらわれている。(AI作成) 二句組のレイアウトも、左よりに。 この絵が排された頁には、 「この句歌集を、今私が通うデイサービスでの友人たちとの、送迎時や日々の楽しい語らいを描いたスケッチで結ばせていただきます。」という一文がそえられている。 この一冊を手に取ってくださった皆様の人生の小さな片隅に、楚々とした野の花の優しい幸せな風が、そっと吹きますように。(エピローグより) 長島世津子さん。 昨年10月9日、ご来社のときに 線路音かすかに響きてれんげ摘む 長島世津子
by fragie777
| 2026-05-07 18:35
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