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3月5日(木) 啓蟄 旧暦1月16日
3月1日の夕暮れ時に自宅から仕事場への道に咲いていた白木蓮。 ふいうちのように現れたので、(あらっ、こんなところに)と思わず立ち止まった。 たくさんの蕾があって、この道を通るのが楽しみになりそう。って思った。 民家ではなくて、四階建ての建物のある門扉のよこに植えられていた。 その翌日、わたしは白木蓮に会えることをたのしみにこの道を通った。 すると、姿が見当たらない。 おかしいな。 気づかずに行きすぎてしまったのかしら。 その翌々日、ふたたびその道を通った。 場所の記憶はおぼろげで、愛想のない建物がつづいている通りである。 やはり白木蓮の姿はない。 おかしい。 この道ではなかったのかしら。 それとも… 幻影?。。。 いや、写真に撮ったし、 しかし、どこにもその姿はない。 今日のお昼にその通り(守衛さん以外には人がほとんどいない)をゆっくりと注意深くあるいてみた。 そうしたら、 いた! まったくおもいもかけないところに、無残な姿となって。 これ。 わかるかしら。 根元から引き抜かれて積み上げられている。 蕾だった花はなおもけなげに美しく開いている。 嗚呼。。。 とても悲しい。。。 今日は沢木欣一(1919-2001)の忌日である。 荒川英之著『沢木欣一の百句』より、紹介したい。 天の川柱のごとく見て眠る 『雪白』昭和十七年 この年の夏、欣一は楸邨に同行して東京を出発し、金沢を経て佐渡に遊ぶ。掲句は出雲崎で投宿した折に詠まれたもの。同時作に「佐渡見ゆる二日宿りの天の川」の句がある。掲句は、天の川を「柱のごとく」と立体的に捉えることで、天空を支える銀河の雄渾な立姿を描き出した。いうまでもなく、芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは)」の句を念頭に置いたもので、佐渡の空に横たわる天の川のイメージを覆す光の柱は幻想的であるが、座五「見て眠る」が旅寝のわびしさを感じさせる。ここに、芭蕉の足跡をしのぶ心が込められていよう。 赤土(あかんちや)に夏草戦闘機の迷彩 『沖繩吟遊集』昭和四十八年 昭和四十三年七月下旬から八月下旬まで、文部省より派遣されて沖縄本島に滞在した。この間、欣一は各地を巡遊する。『沖繩吟遊集』は、この時の体験に基づく書き下ろしの句集である。 掲句は那覇での作。本句集の巻頭に据えられたもので、「赤土」「夏草」「迷彩」という色彩の印象によって、沖縄固有の風土と、基地問題を描いてみせた。 那覇では他に、「黒人がタイヤ燃やせり土用浪」と詠む。これは、軍用ジープのタイヤを処分する黒人兵であろう。海鳴りの低い響きに、作者の批判精神が籠もる。 戦争の砂漠が写り蜆汁 『交響』平成三年 一月十七日、米軍を中核とする多国籍軍は、「砂漠の嵐」と称する作戦を開始してイラクを空爆した。湾岸戦争の火蓋が切られたのである。 食卓で蜆汁をすすっていると、この軍事行動がテレビの画面に映し出された。掲句を仮に、「戦争の砂漠写れり・蜆汁」と中七で切った場合、映像の事実と蜆汁は断絶され、遠国の紛争に対する作者の痛痒といったものは稀薄となる。ここでは、あえて切れを弱めることで、作者の生活感情に国際紛争が暗い影を投げかけた瞬間を捉えている。 「戦争」という言葉がこれほど日常茶飯につかわれる今を生きるようになるとは思ってもいなかった。 今日見えた詩人のお客さまと、わたしたちはこれからのっぴきならない方へむかっているのではないか、そんなことを話したのだった。 午前中に見事な胡蝶蘭がとどいた。 「あら、ふらんす堂へのお祝い?」って一瞬おもったのだけど、そうではなかった。 「祝 十五周年 ナベヤビル」って書いてある。 ふらんす堂のあるビルの大家さんがとどけてくださった。 『ナベヤビル」ってふらんす堂がはいっているビルのことである。 このビルが建って十五年が経過して、そのはじめから入っているふらんす堂にもお祝いとしてのお花をくださったのだ。 「まあ、ありがとうございます。」と言って、ありがたくいただいたのだった。 大家さんには、家賃の振り込みをよく忘れて、迷惑をかけているのに。 なんというお優しいお心遣い。 恐縮するばかり。
by fragie777
| 2026-03-05 18:35
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Comments(2)
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