|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
2月25日(水) 旧暦1月9日
山茱萸(サンシュユ)の力強い蕾。 次にここに来るときは、きっと満開だと思う。 神代植物園にて。 早春を代表する黄色の花のひとつ。 この日、雲のかたちが面白かった。 23日づけの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、中島やさか句集『茫茫』より。 陽炎や平城宮を電車過ぎ 中島やさか 「平城宮は『青丹によし』と称えられた奈良の都(平城京)の大内裏。」「春を迎えていちめんの陽炎の原になっているだろう」と長谷川櫂さん。 今日は、斎藤茂吉(1982-1953)の忌日である。 放(はふ)り投げし風呂敷包ひろひ持ち抱(いだ)きてゐたりさびしくてならぬ 大正二年、三十二歳のときの作。茂吉はしきりに寂しがっている。寂しい、寂しいという気持ちがこんな上句によって見事な一首として成立した。風呂敷包みを思わず放り投げてしまい、そのあと、仕方なく拾いあげて抱きしめている茂吉の姿が目に浮かんでくる。 短歌は、こんななんでもない行為を表現するだけでも、それが深い寂しさに裏打ちされることによって大きな力を発揮する。 この年、茂吉は恋人との別れがあり、生母の死、伊藤左千夫の急逝など、悲しい出来事が続いた。 あかあかと一本(いつぽん)の道とほりたりたまきはる我が命(いのち)りけり 左千夫の死後、アララギを支えなければならなくなった茂吉が、今後の自分の生き方を見つめている歌。東京の代々木あたりの野原を歩いていて作られた。 歌の意味としては、太陽に照りつけられて一本の道がまっすぐに伸びている。これから生きてゆかねばならない自分の道のようだ、という信念を込めている。 東京帝国大学医科大学を卒業して付属病院(東京府巣鴨病院)に勤めていた茂吉は翌年(大正三年)、長く婿養子の立場にあった斎藤てる子(二十歳)と結婚、医学生としての留学も考え、目の前に人生が開けてきていた。 わが生(せい)はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ 上句で、自分の人生など、考えてみればこのように単純で平凡なものなのだ、と、感慨を述べ、下句では、これもまた明快に、自分の食べる納豆を今日は買って帰ることだ、と言っている。わびしい心境にはちがいないが、自分のありようを納得しているようなところがある。 昭和二十四年に入っての作で、この時期、茂吉は相変わらず性欲の歌と食欲の歌をたくさん作っている。同じころの作に「さしあたり吾にむかひて伝ふるな性欲に似し情(じやう)の甘美を」「山もとに生ふる蕨をもらひければはやはや食はむわれひとりにて」といった歌がある。 本著は、好評のため昨年再販をしている。 お読みなりたい方は、是非に。 仕事場のわたしの机の目の前の風景。
by fragie777
| 2026-02-25 18:31
|
Comments(2)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||