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1月14日(水) 旧暦11月26日
寒雀(かんすずめ) みなぎるものがある。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り変型 388頁 歌人・大口玲子(おおぐち・りょうこ)さんの第8歌集となる。2024年にふらんす堂のウエブサイトに「短歌日記」として連載したものを一冊にしたものである。 「スルスムコルダ」とは、おもしろいタイトルである。 「あとがき」を紹介しておきたい。 「SURSUM CORDA(スルスムコルダ)」は、「心を高く上げよ」という意味のラテン語です。3世紀からカトリック教会で唱えられている文言で、今もミサで唱えられています。現在の日本語のミサでは司祭が「心を込めて」と呼びかけて会衆が「神を仰ぎ」と応える部分が「スルスムコルダ」にあたるようです。「スルスムコルダ」というくすぐったいような不思議な響きが印象深く、気持ちが落ち込んでうつむきがちな時にひとりで唱えることがあります。 「心を高く上げよ」とは、なんと素敵なことばだろう。 大口玲子さんは、カトリック信徒である。しかし、その精神は教条に鎧われておらず、生身のまま世界に投げ出されている。そこからの嘆き、あえぎ、怒り、悲しみ、歓び、祈りなどが短歌という形式をとおして率直に詠われている。 読み手の腸にドスンドスンと直球がなげこまれてくるような感触である。 日記をいくつか紹介したい。 一月一日㈪ 教会のステンドグラスを透過して初明かりわが内に射したり カトリック教会の暦では「世界平和の日」。ベトナム戦争が激化する中で定められて今年で五十七年目だが、今も平和とはいえない世界が続いている。朝九時に「神の母聖マリア」のミサ、帰宅後に「杉の子」のおせちをいただく。 三月十日㈰ 死が及ぶことなどないといふやうな宮崎の空の深さを仰ぐ 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」(ヨハネ 3・14―15) 五月三日㈮ 日向夏みづみづと実る重たさに「明らかに違憲です」と告ぐべし 二〇一五年九月十九日の強行採決の後、全国各地の裁判所に提起された安保法制違憲訴訟。私は宮崎訴訟の原告となり、共同代表の一人として「新安保法制は違憲である」という明確な判断を求めて声を上げてきた。一七六名の「上告人兼申立人」と弁護団で最高裁への上告を行ったが、上告棄却・上告不受理の調書決定が四月二十五日に出たという知らせを受ける。法の専門家のほとんどが違憲だと指摘している法律が、今も効力を持ち続けている。 五月二十日㈪ 立つたまま枯れてゆくといふむらさきのギルボア・アイリスそのほそき茎 ギルボア・アイリスはパレスチナの国花。 八月八日㈭ 露草は蕊ながくうつむきてをり秋立ちて聞く母の入院 母は東京のリハビリ病院に入院し、一日に三回各四十分のリハビリをするようになった。いろいろな人に「早く帰りたい」と電話をかけてしまうので、スマートフォンは持ち込めなかったらしい。毎日母に手紙を書いている。 ふたたび「あとがき」を紹介したい。 二〇二四年、私にとって最も大きな出来事は、息子が高校進学のために家を出て長崎に行ったことでした。そのことを通して多くの人との出会いがありましたが、特に、これまで書籍を通して知っているだけだったマキシミリアノ・コルベ神父と新たに出会うことができたのはかけがえのない恵みです。 毎週日曜日は、主日ミサで朗読される聖書を読んで短歌を作ってみました。神の呼びかけに応えるというような域にはなかなか届きませんでしたが、自分と短歌の関係、自分と言葉の関係、自分と神との関係をあらためて見つめるきっかけとなりました。 ご子息はたびたび日記に登場する。 短歌のみ数首を紹介したい。 霜踏んでひとり行くらむ それぞれの冬野があれば子に付き添はず そして今朝青いギターを肩にかけて息子はこの家を出ていつた 子の居ない四月終はりぬごはんには春のわかめのキムチをのせて 雲仙に殉教者の指切られしを聞きにけむ子のやはらかき耳 長崎の息子のぶんも食べてゐるスイートコーンのみの朝ごはん 身代はりの死を死なむとし前方へ一歩踏み出す息子の素足 旅に出る子のリュックには文庫本『百年の孤独』とスマホのみ 本書には息子さんを詠んだ短歌がまだまだある。 そのなかでわたしが一番好きな一首は、 子に「思想強い」と言はれたるわれは「あんたが弱すぎる」と言ひ返す いやあ、いいお母さんである。 本歌集の装丁は、和兎さん。 かぎりなく白にちかい肌色の用紙につや消しの銀箔が効果的である。 光があたって金色にみえるのもおもしろい。 新しき星座のやうなつながりを見出したくて手を伸ばしたり 2024年12月31日の掉尾の短歌である。 「「自由や平和を求める本当の闘いは、一見なんのつながりもない人や、敵だと思える人にさえ何とかつながりを見出していこうとすることから始まるのかもしれない」。いつか聴いた、谷本仰牧師の説教の言葉が今年の手帳の最初に書きとめてある。」 「心を高く上げよ」 カバー、表紙、見返し、すべて同じ用紙に。 表紙。 扉。 意図せず信仰に関わる短歌や記述が多くなりましたが、今の時代にこのような歌集が一冊くらいあってもよいかと腹をくくりました。信仰や政治について表立って話題にすることは青臭く無粋でつまらないことだとする社会の空気に抵抗したい思いもあります。(あとがき) 1月7日づけの宮崎日日新聞に、大口玲子さんのインタビュー記事が載っている。 タイトルは「素の自分 そのまま出した」「『上を向いて』願い込めた」とある。 抜粋してすこし紹介したい。 ーどのような歌集か。 自分の頭の中をそのまま出した日記のような歌集。1日1首作るので濃淡があって素の自分に近い」 ー連載をしていた2024年にはどのような思い入れがあるか。 息子が高校進学のたに家を出て長崎に行ったのが自分にとって一番大きな出来事だった。息子の周りにいる人との出会いがあり、信仰を深めたり、視野を広げたりするきっかけとなった。 ー自選一首とその理由は。 〈霜踏んでひとり行くらむ それぞれの冬野があれば子に付き添はず〉息子が高校受験をする時、私はホテルに宿泊、息子は高校敷地内にある寮に泊まって1人で受験に向かった。この歌集にはさまざまな要素があってそれぞれの人が自由に受け止めてくれればと思うが、「子離れ」がひとつのテーマになっている。 ー短歌の持つ力とは 声を上げるときに短歌という形式はストレートに思いを伝えられる。短歌で世の中を変えるのは難しいけど、人を勇気づけたり、気持ちを変えさせたりすることはできると思う。 本歌集の担当はPさん。 Pさん曰く、詠われている内容が自分の切実さとつながるところがあり、大口玲子さんは、人の痛みがわかる人であると思ったということ。 そして「日記」に登場してくる宮崎の野菜や果物などの食べ物が美味しそうだったとも。 大口玲子さんは、問題意識をもった歌人である。 この短歌日記にはそれらのことにも触れている。というか、バリバリ活動をしている方である。 十二月十九日㈭ あらゆる手を尽くして声を上げること冬越えてゆく鵙の鋭さ 宮崎山形屋前で「19の日の集会」。二〇一五年九月十九日に安保法制が強行採決されたことへの抗議として始まり、毎月十九日に宮崎山形屋前交差点で安保法制の廃止や国民のための政治を求めて市民が集まっている。今回は私も参加して五分ほどスピーチをして、援助修道会のシスター山本きくよが作った「すべての人の平和を」を歌う。 十一月五日(火)の一首は、今日の雀たちにささげたい。 鳥は鳥の言葉尽くして遊べるをそれのみを今朝のよろこびとして
by fragie777
| 2026-01-14 19:17
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