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1月10日(土) 水泉動(しみずあたたかをふくむ) 十日戎 旧暦11月22日
今年はじめての多摩川を渡る。 こうして改めてみると、空の青さにおどろく。 今日は電車の駅を一駅のりこしてしまい、バスも駅をおりそこねるところだった。 休日ということで気持ちがゆるんでいるのかもしれない。。 今日は俳人・綾部仁喜(1929~2015)の忌日である。 藤本美和子著『綾部仁喜の百句』より紹介したい。 いぬふぐり大足の師を戀ひにけり 『山王』(昭和55年作) もちろんこの「大足の師」とは波郷のことである。〈椎若葉わが大足をかなしむ日〉と詠んだ波郷句に呼応する形で詠まれていて印象深い。波郷句は句集『大足』(昭和15年刊)所収。仁喜句は波郷没後十一年を経ての感慨である。波郷の「かなしむ」が「愛しむ」とも、また「哀しむ」とも通いあうように、「師を戀」う心情のうちにもこの「かなし」の一語が浸透している。年々歳々濃く深くなってゆく思慕を、早春の季語「いぬふぐり」の瑠璃色に仮託している句である。 (いぬふぐり= 春) 初夢の死者なかなかに語りけり 『樸簡』(平成3年作) 「初夢」と「死者」との配合にまず意表をつかれる。「一富士二鷹三茄子」が吉兆の夢の代表。とすれば「死者」は対極の忌み言葉に属する。しかしながら、この常識を 超えた言葉の斡旋には作者の矜持が窺われるように思う。なぜなら次のような自註があるからだ。「夢の中では死者も諸共に生者。(略)芭蕉は歳旦吟に薦を着た人物を詠んで咎められたが、現代では死者も可能である」。敬愛して止まない芭蕉の句の心とも通い合う歳旦吟の扱いで、生者死者の別なく生き生きと語り合う「初夢」こそめでたい。 (初夢= 新年) たくさんの音沈みゐる冬の水 『沈黙』(平成15年作) 自註によると「都立殿ヶ谷戸庭園」での作で「池畔に立つと木立や鳥声に混ざって街騒までもが聞こえてくるが、それらがみな水に沈んで静かである。一句の澄明感は『冬の水』の賜物」と書いている。視覚ではなく聴覚で捉えた「冬の水」。「音沈みゐる」が出色である。かつて石田勝彦が仁喜句を評して「ものの『気配』を捉えることに秀でている。この『気配』に耳をそばだてている」(平成七年「泉」三月号)と「耳の論」を書いていたことを思い出す。この「耳の論」に仁喜の「俳句説話論」が重なる。 (冬の水= 冬) さきほど気づいたのであるが、明後日12日もお休みであることに。 やったね! なんにも予定はないけれど、やはり嬉しい。。。 しかし、なんでおやすみなのだ。 (カレンダーでいま調べてみた) そうか。 成人の日。 了解。。。 いまは仕事場。 帰るか。。。 草むらに放置してあった一輪車。
by fragie777
| 2026-01-10 19:01
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