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12月28日(日) 旧暦11月9日
美しい枯。 名栗にて。 遠く黄金色にかがやいているのは、日があたっている山肌。 運転免許の書き換えに行く。 いまはマイナンバーと免許証を一体化できるようなので、その方向で手続きをしたのであるが、今後いろんな手続きやら情報は人間を介せずオンラインを通してやることになる。 R女のyamaokaは、時代に追いついてゆくのがやっとね。。。 昨夜、マンションにもどって部屋のドアーをあけたら、部屋がずいぶん寒い。 あらっておもったら、窓を開けっ放しででかけてしまった。 あまりにも寒いので、暖房をつけた。 そしてパソコンにむかってブログをかきはじめた。 書き終えて、ふっと、寒いな。と。 エアコンをみたら、 あら、いやだ、 冷房になっていた。 どうりで寒いわけよね。 こんなんで生きていけると思う? 心配ご無用。 ふてぶてしく生きてるから。 わかってるって、 そうよね。 新聞記事を紹介したい。 今日の朝日新聞の岸本尚毅さんによる「俳句時評」は、「二つの六林男論」と題して、二冊の書籍をとりあげている。 全文を紹介したいところであるが、抜粋して紹介したい。 (略) 〈暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり〉は、六林男の戦後の作。これを川名は、「混迷の世に眼を曇らせず、意志的に生きようとする」生き方の現れと捉える。 川名の俳句史は、表現史と俳壇史を包括したところに妙味がある。六林男の句を戦中戦後のリアリティーを体現した作と位置づけたのも、ごく自然な見方と思われる。 いっぽう高橋修宏は、六林男のこうした句から伝わってくる「虚無感と、それを含んだ〈しずけさ〉は何であろう」と問う。 (略)「暗闇の句は、「〈眼玉〉という原初的と言ってもよい生々しい身体性のクローズアップ」だという。 高橋の六林男論は、時代的背景も踏まえつつ、六林男をという俳人を「個」として深く掘り下げた。川名の俳句史と高橋の作家論。これらを併せ読むとき、六林男自身が、自らの句が時代の産物であることを自覚し、そのうえで詩としての普遍性を求めて言葉と格闘していたであろうことが想像されるのである。 そして、昨日27日付けの日本経済新聞の「回顧2025」の「俳句」欄では、相子智恵さんが、2025年に刊行された句集についてとりあげている。 タイトルは「映像・AI時代の『写生』」 俳句の基本は「写生」だといわれる。だが、AI映像が現実世界を拡張する時代に、俳句が写し取る「今、ここ」はどこまで拡張できるのか。 という一文で相子智恵さんははじめ、『AI研究者と俳人』の共著でもある大塚凱句集『或』が実験的であると記してゆく。 〈写らない蠛蠓(まくなぎ)で途切れた動画〉は映像かつ不可視という、従来の「写生」とは真逆の方法で季語の蠛蠓のリアルを描いてみせた。(略) 自身でさえ未来の参照データの一つだとばかりに、刊行後は全句をウェブで公開した。一方で、造本は手触りなどにこだわり、感覚に訴える。作品性、検索性、本の物質感……句集というツールをあらゆる角度から試す。 ベテランの中村和弘『荊棘』は骨太である。(略)表題句〈人間の影こそ荊棘夜の秋〉の「荊棘」とは、草木が乱れ茂る藪のこと。そこに異様な様子の「おどろおどろしい」の意味を重ね、人間の不気味さを、自然tと重ねて描く。 俳句らしいゆったりとした詩情を味わったのは、、西村和子『素秋』。〈はつふゆと息吹くやうに独り言〉 ほかに、 蛇笏賞受賞の三村純也『高天』、上方の風情ある人事句が上質。〈鉾立たぬ路地に研屋の来てゐたる〉 片山由美子『水柿』、自らを更新する意欲作。伊藤若冲の世界に材を取る連作〈朝顔の紺の全円宙に浮く〉〈年送る武器の名いくつ覚えしや〉の社会詠など、幅を広げた。 高山れおな『百題稽古』〈花筏ももとせ揺れて戦前へ〉「『近代文学が蒸発し、題詠性に針が揺れたの平成以後の俳句』という時代俳句は鋭い。 大木あまり『山猫座』「四季の些細な一場面から、異界の扉が開く筆力。」〈呼ばぬのに来る砂色の冬の蝶〉〈蛸足の配線と春惜しみけり〉 伊藤伊那男『狐福』〈生きてゐる証海鼠を噛み切るも〉「急逝が惜しまれる」 池田瑠那『心柱』〈船窓に糞り冬鴎はや遠し〉「動植物を描写して見えざる命を宿らせた」 若林哲也『漱口』「表現の抑制が利いた好句集」〈水槽の内なる水面虫時雨〉 楠本奇蹄『グッドタイム』〈波音をゆるく握つて毛糸編む〉詩的な飛躍がある。 今年はあと三日とちょっと。 しかし、まだ仕事がのこっている。 明日もがんばるか。。。
by fragie777
| 2025-12-28 19:29
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