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12月26日(金) 御用納め 旧暦11月6日
今日の日の出。 朝日に染め上げられた室内。 (横縞はブラインドのしわざ) 今日でふらんす堂は仕事納めである。 yamaoka以外のスタッフは朝から大掃除。 わたしはお掃除の邪魔をしないように仕事をもってあっちに行ったり、こっちに行ったりと落ち着かない。 スマートボールを机にあげてワックスで床みがき。 床がぴかぴかしてますでしょ。 今日は夕方よりスタッフみんなで忘年会。 ちかくのレストランを借りて、お食事をする予定。 新聞記事を紹介しておきたい。 19日づけの東京新聞・夕刊に安里琉太さんが対馬康子句集『百人』を丁寧にとりあげてくださった。 タイトルは「たそがれた匂い」 かなり長い評より、抜粋して紹介したい。 (略) 本書には師系に根差した理念の単純な継承、あるいは単一の方法や思想による統一された印象がない。あとがきで『俳諧自由」が掲げられているが、その内側には海外詠やアニミズムや生き物感覚やイロニー、そのほか戦後の俳句が、時に他のジャンルの方法さえ摂取しながら身を捩って模索してきたであろう様々な方法の混淆、文語口調さえ入り混じる様々な書きぶりの犇きを覗くことができる。既に鬼籍に入った”偉大”で”手ごわい”書き手たちの方法なり書きぶりなりに通じながら精製されて見える本書は、書名に由来する〈百人に死は百通り薔薇の香水〉と重なり合う。絢爛ながら懐かしく、たそがれた匂いがする。 (略) 安里さんは、対馬康子の評論「中島斌雄における宇宙について」の文章を引用しながら、「斌雄はさらに、季題のイロニッシュな使用法の有効性、蕉風俳諧における試行を超えて、無季俳句におけるイローニッシュな方法をどのように求めるかを、現代俳句の一課題とする、と明言している」と概略し」(略) 1948年の戦後比較的早い段階から見られる井本農一や神田秀夫によるイロニーへの言及、第二芸術論議に積極的でなかった山本健吉の諧謔の論述とは異なる地点からの派生が『百人』には見られる。第5句集の本書まで敬虔に行われてきたこのキメラ的な様相に向かう時、戦後俳句を読みなれた私たちは安心してたそがれることができる。この後に私たちは何を方法として選び、あるいは選ばないのだろうか。 ブログは気ままに書きます。 やり残したことなども。。。 今年のお正月は基本家でくすぶっております。 では、行ってまいります。
by fragie777
| 2025-12-26 17:55
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