ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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俳句を詠むという営みは、少なくとも、感覚によって把握されたものの次元と同次元において成立する。

12月17日(水) 鮭魚群(さけのうおむらがる)  旧暦10月28日


俳句を詠むという営みは、少なくとも、感覚によって把握されたものの次元と同次元において成立する。_f0071480_16431423.jpg

井の頭公園の池のオオバン。

ここは毎年たくさんの水鳥がやって来るので楽しみにしてきたのだが、なんと、水鳥の姿がほとんどない。
その中でオオバンのみが目立っていた。

仙川もそうだが、飛来する水鳥が減っている。


俳句を詠むという営みは、少なくとも、感覚によって把握されたものの次元と同次元において成立する。_f0071480_16431616.jpg

水鳥がいると思えば、オオバン。
ひょこひょこと首を振りながら、池を独り占めしている。
「あなたたち、よくやって来たね」と声をかける。

しかし、いままで出会えたあのたくさんの水鳥はいったいどこへ行ってしまったのだろう。

さびしい。。

生態系がかわりつつあるのか。
あるいは夏の暑さが影響しているのか。
よくわからん。



新刊紹介をしたい。

俳句を詠むという営みは、少なくとも、感覚によって把握されたものの次元と同次元において成立する。_f0071480_16433001.jpg
『現代俳句文庫Ⅱ 中村雅樹句集』

既刊句集『果断』『解纜』 『晨風』 の三冊よりの400句を精選収録した句集である。
ご自身による評論と森賀まりさんによる「解説」を収録する。

本文より。

 万巻の書と地下室に凍ててをり
 金網にあたりし音の蝗かな
 ざぶざぶと舟まで歩き天高し
 麗かや弓の袋に弓を入れ
 大波を犬のよろこび晩夏光
 陶工の手の濡れてをり山桜
 古釘は打つて伸ばしぬ水澄めり
 簗守は何を聞いてもうだうだと
 夕方の子どもが落葉掃いてをり
 大銀杏太初の言葉降る如し
 よく晴れて大仏露を流しけり
 虚子の忌の椿先生よつこらしよ
 榠樝の実二つが枝に押し合へり
 花の山より一舟へ吹き下ろす
 黄落の戸に郵便の挿してあり
 鶯の夕べの声となつてをり

中村雅樹さんによる評論は、俳誌「百鳥」の平成16年3月号に掲載されたものである。
タイトルは「飴山實の覚悟」と題して、力のはいった評論である。
一部を抜粋したい。

私が飴山實の俳句と評論について関心を抱くのは、實が一貫して戦後俳句について問い、ついには「戦後」俳句のみならず、俳句一般について深い洞察を示した俳人だからである。『おりいぶ』(昭和三十四年)から『少長集』(昭和四十六年)に至る自己否定を伴う作風の変化は、その洞察が実作へと定着したものであろう。私はこの変化の底流に存在している實の俳句観、とりわけ抒情についての考え方を浮き彫りにしたい。

「はじめに」としてこのような書き出しではじまる飴山實論である。
ここでは「おわりに」の文章のみを紹介しておきたい。

不器男の句に深く触れることによって實は俳句の初心に帰った。實の覚悟は、たとえ平凡であろうとも、この初心をどこまでも堅持するところにある。俳句における抒情とは懐かしい抒情を追い求めることではない。抒情は日常生活における作者の実在を、すなわち今現在の作者の「心音」を表現に定着させるところに生まれるのだ。このことは實の信念にとどまるのではなく、普遍性をもっているように私は思う。それは、「抒情とは現在の心の表われである。甘美な過去の追想などではない。現在を生きる人間の情をいつわらず抒べたものが抒情にほかならない」(「鷹羽狩行論─ 多産と深化─ 」、『現代俳句の山河』所収)という大串章主宰の言葉とも通じるであろう。飴山實の抒情についての考え方また俳句観は、抒情を追究していく私たちにとって一つの重要な示唆を与えてくれるように思われる。 
 
森賀まりさんの「解説」は、「百鳥」平成12年3月号所収のものである。「健やかな抒情へー中村雅樹小論ー」。
こちらも一部のみを抜粋しておきたい。

『果断』は志の高さを感じる好句集だった。そこから少し引く。
 万巻の書と地下室に凍ててをり
 瀬を渉る虎杖の花ざかりにて
 水平線いちじくに熱こもりたる
 二百十日杉の葉に火を移しけり
雅樹さんは、自分の好むところをよく承知している。好むところとは、目指すもの、美の基準といってもいいかもしれない。
(略)
一度出来上がったものを壊していくことは難しい。だが、変わりゆくことは意思があれば可能だろう。そして、雅樹さんのこれからに大切なことは、変わりつつ一方で変わらないものを自分の中に確認していくことだろう。もし歩みを逡巡するようなときがあっても、掘り起こした土をもう一度さらうようなことをしてほしくない。完成された過去よりも、未完の未来を見つめていってほしい。

「あとがき」は以下のように書かれている。

これまで刊行した三冊の句集から四〇〇句を選んで一集とした。「眼前の見えるものを通して、見えない世界を詠う」という宇佐美魚目先生の俳句があり、「山川草木が送ってくるひそやかで情熱的な通信を解読する」という大峯あきら先生の俳句がある。お二人の言葉を反芻しながら思うことは、俳句を詠むという営みは、少なくとも、感覚によって把握されたものの次元と同次元において成立する。





今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、河瀬俊彦句集『櫓の音』から。

 流木は海の旅人寒北斗   河瀬俊彦

山から海へと流されてきた流木は「故郷で生まれ、世間に出て人生を重ねてゆく人間の姿に似ている」と、長谷川櫂さん。





このyamaokaも、自覚はないのだけれど結構な時間を旅してきたらしい。
流木だとしたらどんなかたちの流木だろうか。
なんて、
決して美しくはない不格好な流木をおもいうかべてしまった。
即座に、頭をふってその流木を消し去ってやった。128.png




俳句を詠むという営みは、少なくとも、感覚によって把握されたものの次元と同次元において成立する。_f0071480_16431830.jpg




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by fragie777 | 2025-12-17 18:16 | Comments(0)


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