ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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クリスマスソングが流れるふらんす堂であるが。。。。

12月16日(火)  旧暦10月27日



クリスマスソングが流れるふらんす堂であるが。。。。_f0071480_18092687.jpg
井の頭公園の山茶花。


クリスマスソングが流れるふらんす堂であるが。。。。_f0071480_18092859.jpg

いまは山茶花をよく見かける。


クリスマスソングが流れるふらんす堂であるが。。。。_f0071480_18093020.jpg
赤が美しい。



目下、アドベントの期間、ふらんす堂の時計からはクリスマスソングが流れて時を知らせる。
この期間だけ、そのようにしている。
「きよしこの夜」をはじめ「主は来ませり」「ジングルベル」などなど、いろんなクリスマスソングが流れるのである。
曲がなるたびに、ちょっと心が浮き立ったり、ああ、クリスマス!なんて思ったりするのだけれど、別にとりたてて楽しいことがあるわけじゃない。
いつものように仕事をするばかり。




今日は歌人・落合直文(1861~1903)の忌日である。
近代短歌の碑を気づいた歌人である。

梶原さい子著『落合直文の百首』より。

 父と母といづれがよきと子に問へば父よといひて母をかへりみぬ

お父さんとお母さんのどっちが好き? という質問をすると子どもが困る。その様子も可愛いので、わざとからかうという場面は、今も日常にある。
下句が見事で、「父」と答えつつも母に申し訳ないという子どもなりの気の遣い方が実によく描かれている。動作の描写が、子の心を雄弁に伝える。直文に問われたら、「父」と答えないわけにはいかない。無論、父の方を立てるという時代の慣らいも子どもながらに承知していた。
「かへりみぬ」は「みる」に比べて大きな動作。大好きなお母さんを傷つけなかったか。小さな心を砕いた。

 
 わが歌をあはれとおもふ人ひとり見いでて後に死なむとぞおもふ
 
切なる願い。自分の歌をいいなあと思ってくれる人をひとりでも見つけてから死にたい。「あさ香社」を設立し、多くの人に歌を教え、憧れられ、仰がれた。そんな直文が、たったひとりを求める。創作者の孤独が胸に迫る。
〈あかつきの星のおちきてくだけなば君が歌の如きひびきあらむか〉│直文は、和歌の改良を目指し、新しい歌を求めていた。「君」の歌にある、あかつきの星が落ちて砕けるような衝撃性。翻って己の歌は。才能ある人々を育て、その歌の輝きを喜びながら、募る切なさがあった。


二首のみ紹介したが、直文の短歌はとてもやさしい表情をして古びることなく、読み手のこころに寄り添ってくる。

直文は、守旧派と改進派のはざまにいて、双方に活を入れ、提案できる貴重な存在であった。実際、古今の古典・漢文をとことん学び、和歌をものし、そのよさを十分知り抜いている直文だからこそ、その言が聞き入れられたところはある。直文が言うのならば、と。(巻末の解説「始まりのひと、結ぶひと」より)




そして今日は俳人・桂信子(1914~2004)の忌日でもある。
鈴木六林男が12日、同じ年のその数日後の今日亡くなった。

吉田成子著『桂信子の百句』より。

 手袋に五指を分ちて意を決す

昭和三十一年一月二十九日、師の日野草城が逝去する。十年の歳月を病臥にあった草城であるが、信子が師としてひとえに敬った人物である。同時作に「父も夫も師もあらぬ世の寒椿」があり、最後の頼りであった人まで失った心の空白は大きかったと察する。
信子が俳句を志したのは草城のモダンで明るい作品に触れたのがきっかけだが、以後師と仰いだ十五年余は俳句をする喜びの歳月であった。草城の死はこの先の独り立ちを促すとともに、改めて生涯を俳句にかける決意を固めさせた。そんな覚悟の強さが下五音から感じ取れる。

 忘年や身ほとりのものすべて塵

信子七十四歳の作品。この頃の信子は俳誌や総合誌からの作品あるいは文章の依頼、また俳句界の集いなどの外出も著しく増え、九十年の生涯で最も多忙な時期だったと推察する。それも年末ならひときわの筈。身辺には本や書類をはじめ色々なものが雑多に置かれていただろう。日頃は大切な書物や仕事に必要な書類、日々の暮しにかかせない物だが、今はすべて塵に等しく不要だと言う。一年の多忙を振り返って身をとりまく何もかもが疎ましく投げ捨てたい思いがしたようだ。言い放つような結句の表現が印象深い。


以下は、宇多喜代子『この世佳しー桂信子の百句』 の解説から。

(略)七月三十一日、ホテルから何かを取りに自宅に帰った際に石に躓き転倒、大腿骨骨折という大怪我で緊急入院をした。春、胸を強く打ったときには「ホテルで静養しているうちにいつの間にか治りました」で済んだ。ところが大腿骨の方は手術をすることになり、しばらくは身動きできなくなった。やがてリハビリが始まった。担当医に「病院開設以来、最高のリハビリ頑張り屋さん患者です」と言われるほどにこれに努め、まだ正式に退院許可がおりないうちに早々に退院してきた。治るまでに三か月はかかりますという当初の診たてであったのに、「ここに居たら病気になります」と、二か月でさっさと自主退院をしたのだ。しかも、ろくに予後療養もせずに「教室に行きます」とカルチャー教室や句会に出向いていく。それからが大変で、これを機にいくつか引き受けていたカルチャー教室をやめたらどうです、その荷は重すぎます、一時開催の句会にこの時間から行くのは早すぎます、となにかにつけて意見することになる。すると、これは宇多さんと吉田さんには内緒にして、と教室の面々と食事に出かけたりする。私もああだこうだとうるさかったと思うが、吉田成子さんも相当にうるさかった。その一方にひたすらやさしい人たちも多かったから、まぁ、よかったのであろう。骨折はたちまち完治した。




お客さまがいらっしゃった。
ゲラを持参して。

俳誌「鶴」主宰の鈴木しげを氏。

目下「季語別鈴木しげを句集」をおすすめしており、来春には刊行となる。
今日は最終ゲラを持ってきてくださったのだ。
お仕事のついで、ということで車を運転さていらっしゃった。

いつくかのことを確認する。
造本は、薄表紙の上製本である。


クリスマスソングが流れるふらんす堂であるが。。。。_f0071480_18555569.jpg

鈴木しげを氏。

『季語別星野麥丘人句集』と『季語別大石悦子句集』を手にされて。









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by fragie777 | 2025-12-16 19:21 | Comments(0)


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