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12月15日(月) 旧暦10月26日
仙川沿いの雀たち。 よく肥えている。 皆、一様に食欲旺盛である。 ふらんす堂連載ウェブサイトの「短歌日記」の執筆者である高橋睦郎さんは、今日がお誕生日。 八十八歳の米寿をむかえられた。 お電話でお祝いをもうしあげると、 「干支がひとめぐりすると百歳ですよ。たった十二年間で百歳。その間にやりたいことがありすぎて、すぐに百歳になってしまいそう」と語る高橋睦郎さんだった。 すばらしい「やる気」である。 すでにこの「短歌日記」は一冊にするべく原稿をいただき、刊行の準備をすすめている。 確か大井恒行さんも今日がお誕生日。 大井恒行さんも日々ブログを更新されて、たいへん元気である。 昨日付けのブログでは坪内稔典著『正岡子規の百首』を取り上げてくださった。 新刊紹介をしたい。 四六判フランス装段ボール函入り帯有り 216頁 2句組 著者の栗坪和子(くりつぼ・なぎこ)さんは、1954年千葉県安房郡生まれ、市川市在住。1984年加藤楸邨に師事。楸邨亡きあとは「寒雷」編集長・矢島房利に師事。2017年「沖」入会、2019年「沖」新人賞受賞、現在は「沖」蒼茫集同人。「沖」副編集長、俳人協会千葉県支部幹事、市川市俳句協会幹事。栗坪和子さんは、文芸の大手出版社で長いあいだ編集の仕事をされてきた方である。夫君は、文芸評論家の栗坪良樹(1950~2021)氏である。本句集は、第1句集であり、「沖」の能村研三主宰が序文、森岡正作副主宰が跋文を寄せている。 能村研三主宰の序文より抜粋して紹介したい。 海嘯の遠鳴るころや鯨来る 和田浦は日本全国でわずか四か所しかない捕鯨基地の一つで毎年夏にツチクジラが水揚げされる。科学的な根拠があるわけでないが、地震や津波が起きる前には、鯨が異常行動をとるということもあるそうだ。海が遠くで嘯く時、その気配を察知して鯨がやって来るのかも知れない。本句集の題名はこの句から「海嘯」とした。 栗坪さんが「沖」へ入会されてからの月日を思うと、まだ十年足らずであるが、その中身の濃さに驚かされるものがある。それだけ、「沖」に対しても「俳句」に対しても、時を惜しんで絶えず真摯に向き合っていただけたことによるものなのだろうか。これからも「沖」を背負う中心作家として活躍されることを願ってやまない。 森岡正作副主宰も懇切なる跋文を寄せている。 追憶のやうに黄砂の降りしきる 今残暑のさ中にあって部屋には少しく冷房が効いているのであるが、この句に出会ってすうっと何か身も心も軽くなってゆくように感じられた。しかも御夫君の逝去を詠まれた句と知り、さらに心が澄んで行くように思われたのである。なんと美しい句であろう。「黄砂」は「霾る」という季語の傍題であるが、「黄砂」と詠まれるとどこか明るく、恰も平山郁夫のシルクロードの世界へ誘われるような心地であり、黄泉の界をも連想させられる。遠眼差しの作者が薄い光の中を遡るようにして若き夫君に逢いに行かれているのであろう。 栗坪和子さんとは、わたしが出版社勤務のころ、栗坪さんが勤務する出版社を訪ねいろいろなお話をうかがったという思い出がある。栗坪さんはわたしの大学の先輩でもあって、その当時の連れ合いが、夫君の栗坪良樹氏と知り合いということもあった。編集という仕事を楽しそうに語られていたことを思い出す。もう遙か昔のことである。 文芸の分野でいろいろな作家の方のご本を出されきた優秀な編集者であった。 本句集を拝読していくと、文芸の分野で培われた深い教養がその俳句の背後にあることを気づかされるのである。これはもう年月をかけて栗坪和子という人間に自然に浸透したものである。だから無理がない。きわめて自然体なのである。 好きな句はたくさんあった。ここでは数句のみにとどめる。 稿を待つ鎌倉に月上がるまで 命あまさず生きよと波郷冬木佇つ 遠河鹿眠りの中も川流れ 海光のふくらんで来る神輿かな 積み上げし本の断面十二月 白南風やフランス装の訳詩集 水は夜もほの明るくて雁渡る 銀箔の鏡花全集十三夜 インバネス津島修治は丈高し 白木蓮月まだ色を失はず 茄子の紺きのふのごときむかしあり 火をつかふ静けさにゐて初時雨 波音か雨かと聞かれ白障子 稿を待つ鎌倉に月上がるまで 編集者時代の一句か。鎌倉には文士が多かった。そのおひとりの原稿をもらいに行ったのである。原稿がかきあがるまでひたすら待つ。季節は秋、三方を山に囲まれた鎌倉という土地のもつ暗さ、その歴史が呼び起こすもの、そんな気配のなかで原稿をまつ作者には、さまざまなおもいが去来していたかもしれない。時間は過ぎていく。やや不安な面持ちで待っていたところ、とうとう原稿を手渡された。ほっとした心持ちのまま空をみあげると澄んだ夜空に月が煌煌として上がっていたのだった。この時の月は、格別作者の心をあかるく照らしだしたのではないか。「鎌倉」という地名を効果的にもいちて、作者の心の機微まで詠み込んだ一句であると思った。簡潔な一句であるが、「月上がるまで」の措辞が巧み。 命あまさず生きよと波郷冬木佇つ 字余りの破調の一句であるが、一気に読ませる勢いがある。「命あまさず生きよと波郷」というフレーズと下五の「冬木佇つ」が緊迫感をもって対峙している。無駄なものをいっさい切り捨てて裸木として寒空を突き刺すかのように冬木が佇っている。その緊迫したありようは、死をみすえつつ命に向き合った波郷の生き方がつげるものに呼応しているのである。字余りの破調であることで、端正に整えられない波郷の胸の思いがほとばしって来る一句である、その思いを垂直にたつ冬木がガシと受け止めている。 海光のふくらんで来る神輿かな 房総の海の近くに生まれた作者である。本句集は、海を感じさせる句集である。海の光、匂い、音、色など海にまつわるものが作者の身体にしみ込んでいるとわたしは思った。そして本句集ではそれがときどき顔を出す。掲句は、海沿いの祭りの風景である。神輿がやってくる。その背後には海がみえる。潮風がほほをなでていく。山国の祭りとちがって開放的で遠くまでよく見える。「海光のふくらんで来る」という措辞は海に親しいものであるから言い得たのだと思う。光はまっすぐ差してくる、しかし、夏祭りの季節は、神輿のうねりにまきこまれるかのように海光も自在である。「ふくらむ」という措辞によって、躍動する神輿を祝福しているかのような海光である。ほかに〈はるかより海光降れり白障子〉 インバネス津島修治は丈高し 文芸畑で編集者として来られた栗坪さんならではの一句であると思った。きっと太宰治の本なども、全集などで手がけたのではないか。作家太宰治への挨拶句であるが、まだ作家となるまえの津島修治への挨拶である。「インバネス」が季語で、確かインバネスをはおった太宰の若き日の写真をわたしも見た記憶がある。太宰は背も高かった。「丈高し」という下五は、単なる身長のことのみではなく、津島修治の文学への志の高さをもこめた一句なのではと思う。〈一葉忌文机といふ暗きもの〉という句もあって、好きな一句だ。こちらは物書きとして生きることは人間の闇と向き合うことでもある、ということを文机の暗さにたくした一句だ。 茄子の紺きのふのごときむかしあり この句をみたとき、久保田万太郎の〈うららかやきのふはとほきむかしかな〉を思い出した。作者は、この万太郎の一句を尊重しつつ、あえて自身の句を詠んでみたのではないだろうか。万太郎の句は「きのふはむかしのようである」ということで、万太郎の句は、「きのう」がむかしのようにとおくおもえるという意味に詠んでいるのであるが、掲句は、「むかし」にウエイトが置かれて、それが「きのふのごとき」であるというのだ。むかしがとおいものではなく、昨日おこったことのように色をうしなわずに鮮明に迫っているのである。その感慨を茄子の紺に投影したのである。紺といっても紫にもみえ、時には黒にちかく、強い光をはなっている。その紺の色をみつめていたときに「むかし」が迫ってきたのだ。万太郎の「きのふはとほきむかしかな」は、「きのふ」もすでに色褪せてとおきものとなっていく。万太郎の句を意識しつつ、それとは違う感慨を同じ「きのふ」と「むかし」で詠んでみせた一句。両句とも上五におかれた季語が、中七下五に巧みに響き合っていると思った。万太郎の句は、ゆったりとゆるやかな調べがあり、栗坪和子さんの句は、句が立ち上がってくるような強い響きがある。 校正の幸香さんは、〈歩まねば泉は通し白き牛〉に特に惹かれました。 私の俳句は、高校の新聞部で国語乙、古典の藤代千代先生に手解きを受けたことに始まります。ただならぬ歳月が過ぎました。その後、昭和四十二年四月、文芸出版社の新潮社に入社し、「文士」と呼ぶのがふさわしい先生方に大勢お会いいたしました。四百字詰め原稿用紙を用いての、いわゆる「眼光紙背に徹す」の時代でした。先生方の本を一冊ずつ丹念に作らせていただきました。「君ね、俳句を手放してはいけないよ」と言われたことがあります。出来たばかりの自分の拙句を、畏れ多くも見ていただいては、ご意見を伺っていたからです。荻窪にお住まいの井伏鱒二先生、世田谷桜にお住まいの中野重治先生、憧れの幸田文先生、編集者でもいらっしゃった竹西寛子先生からは、たくさんの宝のようなお言葉をいただきました。 大様ないい方ですが私の俳句の源流は、編集者時代の先生方から示唆いただいたように思います。また俳句は、加藤楸邨先生のもとで勉強いたしました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本の装丁は、君嶋真理子さん。 出版社勤務時代にたくさんの本を手がけてこられた栗坪さんであるが、ご自身の本を作るにあたって、ひとつの強い思いがあった。 それはフランス装の本をつくりたいということ。 大手出版社の場合、グラシンが巻かれたフランス装は、編集会議を通らなかったのである。 瀟洒で破損しやすく、汚れたらもうおしまい。 それでいて造本は手作業となりコストもかかる。 一見、そんなに手間暇がかかるとは思えない造本である。 栗坪さんは、そのフランス装をご自身の本でかなえる事にされたのだった。 しかも、段ボール函入りのもの。 こちらも一見無造作にみえるのであるが、いまはこれを作ることのできる製本屋さんも限られてしまっている。 栗坪和子さんの造本へのこだわりは、わたしの願うところである。 かつてはこういう本作りをしてきたが、それを願う人がいなければ、なりたたない。 栗坪和子さんの本作りへの情熱で出来上がった一冊である。 段ボールにラベル貼り。 帯裏の十五句は、辻美奈子さんの選による。 白い表紙のフランス装の本。 「海嘯」のフランス語訳をそっと付した。 見返しもオフホワイト。 清潔感があるが、冷たさはない。 グラシン(薄紙)とともに折り込まれて。 扉。 段ボール箱の天地はホッチキス止め。 糊で張り合わすのではなく、あえてホッチキス止め。(この無骨さがいいのである) 製本屋さんいわく、「ホッチキスで止めるなんていったい何時ぶりだろう」と。 (ふらんんす堂ではかつてよくやってもらったのである) 天アンカット。 栞紐は、水色。 海嘯の遠鳴るころや鯨来る このたびの句集名「海嘯」は、能村研三先生より賜りました。 私の生まれ育った安房の国の海原が輝いてくるようです。(あとがき) 上梓後のお気持ちをうかがった。 ○ご本を手にされたときの思いは。 初めての自分の本です。これまで出版社におりましたので、いろいろな本を作ってきましたが、逆の立場というのが極めて新鮮でした。フランス装の見事な本の作成は、版元の熱意とご支援の賜物と思いました。 ○この句集に込めた思いがあれば、教えてください。 遅々とした歩みでしたが、俳句を始めてずいぶん長くなりましたので、一区切りつけたいと思い立ちました。 ○これからのヴィジョンがありましたら、 俳句はこれからも大いに楽しんでゆきたいと思います。 栗坪和子さん。 5月13日、ご来社の時に。 国和ぐを願ひしわが名終戦日 栗坪和子 「和子(なぎこ)っていうお名前なんですね。素敵ですね」 わたしはお会いしたときに、思わずもうしあげたのだった。
by fragie777
| 2025-12-15 21:23
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