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12月2日(火) 橘始黄(たちばなはじめてきばむ) 旧暦10月13日
冬紅葉にもいろんな色がある。 その色をたのしみながら散歩するのもいい。 散歩といえば、わたしは夜中の12時半ごろにこのところ毎晩散歩をしている。 場所はマンションの廊下を高下駄の一つ歯で。 人に会わないようにとその時間を選んでいるのだが、これまでに二回ほど会ってしまった。 にっこり笑って「こんばんは」と挨拶をするのだが、ある男性は振り返ってこっちを見ているのが前方の窓ガラスに映っていた。 もうひとりの若い女性は、1時近かったのでおどろいたようで下を向いて急ぎ足でとおりすぎた。 そうだろうなあ、R女が風呂上がりにトレーナーを着てゆらゆらと歩いているのだから。 長い廊下を二往復している。 都合がいいのは廊下に手すりがついていること。 慌てても手すりにつかまれば大丈夫。 毎夜の散歩が功を奏したのか、高下駄が身についてきた。 そういうわけでわたしは天狗に変身しつつあるのである。 新刊紹介をしたい。 四六判フランス装帯有り 224頁 二句組。 著者の須田和子(すだ・かずこ)さんの第1句集である。須田和子さんは、昭和16年(1941)山梨県・甲府市生まれ。短歌誌「コスモス」、「青藍」を経て、平成12年(2000)俳誌「一葦」入会。島谷征良に師事。現在「一葦」同人。俳人協会会員。歌集に『浜豌豆』がある。本句集に、「一葦」編集長の中根美保さんが序文を寄せている。 序文でも書かれているが、「野鳥の会」に所属されているという須田和子さんであるので、本句集には沢山の鳥が詠まれている。 句集名も「赤翡翠」である。 序文を抜粋して紹介したい。 探鳥や己が影踏み青き踏み 三光鳥抜身のごとき尾を垂れぬ 大瑠璃や富士の麓に泉古る 青鳩に潮飲まさじと土用波 置物と寄るに鶉の目が動く 和子さんの鳥への視点は実に多角的である。登山や芝居見物といった非日常と、日々の暮らしの中にある日常。それぞれに鳥たちが登場してくるのも和子さんらしい。 (略) 海外での作もあるが、海外吟であることを忘れそうになるくらい自然体で詠まれている。旅吟というと、とかく名所旧跡やその土地の有名なエピソードなどを句に反映したくなりがちだが、和子さんはそういったものには目もくれず、ひたすら出会った人や事象、自然を受け止め、自身の言葉で写し取ろうとする。句集全体を通して感じる清々しさは、そういった句作の姿勢から来るのではないかと思う。 句集にはほんとうに沢山の鳥が登場する。全部を紹介したいところである。 赤翡翠三声に足りて旅終はる 句集名となった「赤翡翠」の句である。「赤翡翠」は翡翠の仲間。写真や絵画、映像などでみたことがあるけれど。肉眼でわたしも見たことがない。まぼろしの鳥であうる。須田和子さんは何度かその姿をとらえているようだ。 うらやましい。 本句集の担当は、育児休暇に入っている文己さんの助っ人して働いてもらっている優子さん。編集経験が豊富で頼もしい助っ人である。 その優子さんの好きな句は、 初芝居被り物透く黒子の目 やはらかく冬蝶つつむ日差しかな 梅雨の夜の地球儀の影ふくらめり 冬の鳶空の深さを見せてをり ざくざくとつつかけで踏む春の霜 青みかん色さす前の昏さかな 接近の火星を梢に花楝 やはらかく冬蝶つつむ日差しかな 「冬蝶」を詠んだ一句だ。命は風前の灯火である。息も絶え絶えとなってこの世になんとかへばりついている冬蝶である。その冬蝶にあたたかな冬日が差している。この一句は「つつむ」という措辞が要だと思う。「つつむ」のことばによって、冬の日差しが恩寵となって冬蝶を癒やしねぎらっている。そのような表現をした作者のこころがみえてくる一句だ。やがて死んでいく冬蝶を作者の心もやさしくつつみこんでいるのだ。 梅雨の夜の地球儀の影ふくらめり 梅雨の季節になり湿気をおびた地球儀がふくらんだのではなく、「地球儀の影」がふくらんだというのが面白い。一段階屈折させた表現であることによって、この一句の世界がさらに深まった。影が生き物のようにふっと膨らむ。しっとりと湿り気おび、人の心にも陰影がうまれる。そんな梅雨の季節である。一句のもつ気配をあじわうというべきか。 ざくざくとつつかけで踏む春の霜 音が聞こえてきそうな一句だ。つっかけということだから、たぶん素足であるかそれに近い。つまり足は武装してはいない。霜の冷たさはすぐ近くだ。しかし、「春の霜」である。こちらもそれほ尖ってはいない。水気をたっぷり含んで、ザクとふめば水分が飛び出して足にかかりそうである。それでもへいちゃらさ、ザクザクと音がするくらい踏み込むことができるのは気持ちのいいことよ。春の訪れを、己の足で確かめている気持ちの良い一句だ。 冬の鳶空の深さを見せてをり わたしも引かれた一句である。「空の深さ」という表現はある意味そう新鮮さはないのだが、この一句においては、それに説得力を感じた。「冬の鳶」であること、「見せてをり」という表現がいいかもと思ったのである。これが鳶でなく鷹だったら、空の深さはみえてこない。ぐるぐると旋回をしながらゆったりと高みにのぼっていく鳶であるからこその一句だ。寒空にやや厳しく立体的に滑空をしていく鳶を見つめていると、空の深さにきづかせられたのである。それを「鳶」が「見せてをり」とすることで、鳶があたかも空を統べているかのような雄渾さも見えてくる。厳しい寒さにたちむかう鳶へのオマージュか。 吹く風に滝は生絹となりにけり これはわたしの好きな一句である。「生絹」は「すずし」と読ませて、軽くて薄い絹織物のこと。音をきいただけでも涼しくなりそうな、そんな一句である。季語は「滝」である、が、「滝」を物にたとえてこれほど涼しく詠んだ一句はないのではないだろうか。しかも計らいを感じさせないシンプルな文体である。「吹く風に」という上5の措辞も自然体にして巧みであると思った。 校正スタッフのみおさんは、 〈力抜くごとく檸檬に黄色差す〉 秋のやわらかな日ざしに色づいてきたレモンが見えるようです。 俳句の前に短歌をしていました。結婚して住んだ家の前に歌人宮柊二の弟君の家があり、朝日歌壇の宮柊二選を読むうちに自分でも作りたくなり「コスモス」に入り短歌を始めました。父が短歌、俳句、川柳を嗜んでいたので、もともと文芸は身近な存在でした。二十年ほどたった頃、島谷征良先生の俳句講習会に参加、俳句一つに絞り、現在に至っております。 句集名の「赤翡翠」は渡り鳥で夏に日本に来ます。深山渓谷に住み、滅多に見られない鳥です。私も何年か追い続け、新潟の松之山温泉で声だけを聴き、「赤翡翠三声に足りて旅終はる」と一句出来ましたが実物を見たのは数年後、やはり新潟の山中で、巣作り中を一瞬見ることが出来ました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 鳥の図を赤の色でそのまま配したが、フランス装ゆえに、瀟洒で品格のある一冊となった。 赤翡翠の写真とかを用いなかったことで、詩歌の本らしくなったのではないだろうか。 造本はグラシン巻きのフランス装。 時間も手間暇もかかる造本である。 そして、このグラシン巻きができる職人さんが減りつつあるのだ。 タイトルは金箔押し。 見返しの赤が効いている。 扉は文字を赤く。 グラシンは写真でとるとぼけてしまうのが残念。 フラン装装は手触りと風合いをたのしむ、それにつきる。 この句集全体を通していえることだが、和子さんにはこれ見よがしの句や奇を衒った句が一切ない。対象と真摯に向き合い、自らの感性を大事にして自然な言葉で詠んでいるのである。 このたびの『赤翡翠』上梓を一区切りとして、これからも和子さんらしい俳句を詠み続けることを願っている。(中根美保/序) 著者の須田和子さんは、リウマチを発症して病院にて療養をされ退院された。 いまは、リハビリをされているということである。 探鳥や山歩きの好きな須田和子さんである。 ご快復をこころから願わずにはいられない。 探鳥や己が影踏み青き踏み 須田和子
by fragie777
| 2025-12-02 19:34
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