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12月1日(月) 旧暦10月12日
神代植物園にて。 今日から12月。 昨夕、仕事場へiPhoneをわすれてとりにもどろうとしているとき、友人に声をかけられた。 「あら、お元気だった?」 「ええ、なんとか」などと言いながら30分ほど立ち話をしたのだった。 野良猫の話になった。 ご近所に6匹ほどの野良猫がいるらしい。 「あらいいわね、ここんとこ野良猫に会えなくて」などと話しているうちに、その友人の家には、耳が聞こえず、目の見えないかつて野良猫だった猫がくらしているという。 「ほかの猫は元気にうまれたようなのだけど、その子だけ、そんな風で」 友人のくらずご近所では、野良猫たちを去勢したりえさを上げたり、いろいろと皆で面倒をみているという。 野良猫たちにとってはいい環境だ。 「来年の5月には薔薇がきれいに咲くのよ。たくさんの種類があるの。是非見に来て」と友人。 「ああ、行くわ」と言って別れたのだった。 「週刊新潮」12月4日号の「新々句歌歳時記」に小澤實さんが大塚凱句集『或』より一句とりあげて鑑賞をしておられる。 抜粋で紹介したい。 橋に鳩マフラー貸してそれつきり 大塚 凱 微妙な友情が描かれたか。「橋に鳩」のさりげない導入も「それつきり」という口語脈での断絶もわるくない。首の回りが寒く、欠落感がある。他に「着ぶくれて似てゐる午後をくりかへす」。作者は平成七年生まれ。俳誌「ねじまわし」発行人。 昨日付の北海道新聞の日曜版の「十七音の旅」で櫂未知子さんが、五十嵐秀彦著『細谷源二の百句』をとりあげておられる。 こちらも抜粋となるが紹介したい。 源二といえば次の雪の句が最も知られている。 地の涯に倖せありと来しが雪 東京の下町に生まれ、大空襲で焼け出された一家7人がたどり着いたのは泥炭地で、白樺だらけの土地だった。夢を抱いて来た地は幸いをもたらさず、さらなる極貧の日々を見せてくれただけだった。 私はこの句を、俳句を始めて少し経ったころに知った。自分と全く逆というか、違うと思った。わたしは余市の雪が嫌で上京したからである。中学生のころ、松明けに東京の親類の家に行ったら、雪はないし、連日みごとな晴天だった。父の郷里でもあり、その時、「東京に住む!」とひそかに決めたのだった。 ただ、今度のお正月は、数十年ぶりに余市で過ごそうかと思っている。子どものころとどう感じ方が変わったのか、静かにたしかめるために。 また、櫂未知子さんは、本著のなかの〈雪にあきあきして万の鴉に火をつけとばす〉という作品があることを本書から知った。と、書かれている。 今日は、俳人・三橋敏雄(1920~2201)の忌日である。 池田澄子著『三橋敏雄の百句』より数句紹介をしたい。 昭和衰へ馬の音する夕かな 『眞神』 句集『まぼろしの鱶』によって現代俳句協会賞を受けたが、作者は自作に満足できていなかった。ボクの俳句はこんなものではない筈だと思ったのだそうだ。そして『眞神』の世界が現れた。昭和四十八年刊、二百部限定。各句の完成度にとどまらず各句に通底しているもの、人間が自然の一部として生き合うことを手放し、逞しくも辛く暮らし合う姿への、哀惜の念の形象化か。 「昭和衰へ」とは切に切なく、「馬」は懐かしく切ない。人馬という言葉があるように、人と共に生き働いていた馬は海を渡らされた。戦後は置き捨てにされた軍馬の蹄の音が耳底にこびりつくこの句から、『眞神』は始まる。 戦争にたかる無数の蠅しづか 『疊の上』 「戦争にたかる」とはどういうことか。蠅がたかるとは何にたかるのか。「たかる」という言葉は嫌な言葉だ。戦争と言えば、傷、傷口が腐って蠅がたかる。蛆が湧く。そして死体。荼毘に付すことも出来ないそれに蠅がたかる。読むほどに口惜しく腹立たしく悲しくなる。作者も読者も気分がよくなりようがない。戦争に関わることで稼ぐ人間が居る。蠅のような人たちが居る。 これは、過去を含め今にも続くものを、見詰め見詰めた客観写生句であると私は思う。地獄が在れば覗かねばならぬ。一句は客観写生により作者の個を離れる。読者は読後の嫌悪を作者と共有せざるをえない。 土は土に隠れて深し冬日向 『しだらでん』 目、眼球では見えないモノを凝視して、それを敏雄という俳人は、いつも客観写生しようとしていたのだと思う。「冬日向」が明るく暖かく広がっている景は、果ての無さを視る気持を誘う。それは、光の中のここに描かれているモノが「土」だけだからだろう。 土の上には枯草が吹かれているかもしれないし、落葉が積もっているかもしれない。それらはやがて土になる。枯草や落葉はもう土の心持ち、だから土である。 その土はどこまで深く隠れているのか。地球のマグマに至る深さまでの土を思った句と言ってよさそう。暖かそうに冬日が溜まっている地球の其処は極楽のようだ。 以下は巻末の解説「待遠しき俳句は我─ 三橋敏雄」より・ 俳句の上での反対勢力からではなく、軍国主義の国家によって成功に至らなままに前途を閉ざされた無季新興俳句と、その作者たち、そしてまた戦争という理不尽なものに殺された人間の無念を、敏雄は忘れない。愚直に謙虚に一生そのことに拘り続けた。 そして未来に、同じような愚行が繰り返されないようにと警告し続けた。時代が変わっても、世の中が変わって人の思いが変わっても敏雄は忘れない。だから、その多様な作には、同じ芯が通っていた。 草荒す真神の祭絶えてなし 絶滅のかの狼を連れ歩く 敏雄は終生、「絶滅の狼」をこの世に在らせ連れ歩いた。 むささびや大きくなりし夜の山 三橋敏雄 この句にふれて、ときどき会いにゆく飯能・名栗の「むささび」のことを、そしてその闇を思った。
by fragie777
| 2025-12-01 18:33
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