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11月27日(木)朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 旧暦10月8日
今朝の出勤風景。 今日の七十二候「朔風払葉」のように北風が吹き、木の葉ふりちる朝のはじまりだった。 木々は葉をつぎつぎとはらいおとして、やがて裸木となっていくのだろう。 裸木となった木々は美しい。 わたしはコートの襟をかき合わせる。 新刊紹介をしたい。 四六判小口折り表紙。 98頁 著者・森山弘毅(もりやま・こうき)さんの詩歌の鑑賞集である。 森山弘毅さんは、1937年京都生まれ。国文学者である。著書は、共著『新日本古典文学大系62 田植草紙 山家鳥虫歌 鄙廼一曲琉歌百控』(1997年岩波書店)をはじめ。『金素雲『朝鮮民謡選』と日本の歌謡』(2025年無明舎出版)などなど多くの書籍を出版されている。本著は、身近な人たちの詩歌について折りにふれての鑑賞をひとつにまとめて一冊にされたものである。 ご自身による「まえがき」がある。 すこし紹介したい。 もとより私は、作句も作歌もしないが、単なる一読者として、永年親交を深めてきた知人たちから、句・歌集の寄贈を受けた折に、その都度、感想を添えることで返礼に代えてきた。その句・歌集どれもが私自身、素人の読者ながら味わい深かったので、いわば、市井の、無名の、私の知人たちの句・歌であるが、私の読み方でそれらの句・歌を紹介したいと思った次第である。 そして、「私の読みの浅いところは、読者それぞれに補ってもらうことにして、」と記されて、知人のかたたちの俳句や短歌を鑑賞していく。 タイトルにある「まいのち」とはちょっと聞き慣れないことばである。 本書の第1章の副題「玉井正六さんの歌に寄せて」のタイトルが「『まいのちの輝き」となっている。 本文より抜粋して紹介したい。 この十月(二〇一〇年)に満九十三歳を迎えられた、「さわらび会」の創立時からの会員玉井正六さんが、この度三人文集『思ひ草』(さわらび会会員の井上幸江さん、姉崎典子さんとともに)に、一七○首の歌稿を収めてご上梓されました。ご長寿をお慶びするとともに、このご上梓をお祝いして玉井さんへの書簡の形で、感想を添えさせていただきました。 という書き出しではじまり、玉井正六さんの短歌の鑑賞を約30頁にわたってされている。 何度か訪れた広島の平和記念資料館の遺品には、名札がついていたり、名前が記されているものがたくさんありました。その名前を見ながら、突然その人の人生が顕ち上がってくる思いが募って来たことがありました。 玉井さんの歌々を味わいながら、資料館の遺品の名前に出会った時の感覚に襲われました。死者たちの数だけ、そこに人生があったこと、そのあまたの人たちの人生を一瞬で死に至らしめたこと、その想像力が問われているのだと思います。 玉井さんの歌々は、もう一度、そのことを思い起こさせてくださいました。 こうした「いのち」を歌う玉井さんだからこそ詠みうる歌々に出会いました。次に引いてみます。 いわし雲の美(は )しく広がるこのひと日わがまいのちは生きてありけり 水のごとくときは流れてなにわずの花はひそかに今日を匂えり かそけくもすがしき花にふるえたるこころかなしもいまを生きつ 「わがまいのちは生きてありけり」はまさしく「いのちの讃歌」。「なにわずの花はひそかに今日を匂えり」もまた「なにわず」の「いのちの讃歌」、その「ひそか」さに触れた玉井さんの「いのちの喜び」、「すがしき花にふるえたるこころかなしも」の感慨もまた「いまを生きつつ」の深い感慨。「水のごとくときは流れ」ていくなかでこそ、「かそけ」きものに心が向かい、空に広がる「美はし」き「いわし雲」に心奪われて、「いのち」を、「生きてありけり」「いまを生きつつ」と感得できる日常が、玉井さんにあることの幸せを、敬意とともに深く深く感じ入っています。「まいのち」の輝きがまぶしいほどです。 このように思いをこらして作品にむきあいつつ、鑑賞の筆をはしらせていく森山弘毅さんである。 第2章は、ふらんす堂から2020年に句集『羽のかろさ』を上梓された名取光恵さんの収録句についての鑑賞である。こちらもたっぷりと頁数をとって、万葉集の歌と対比させながら沢山の句を鑑賞しておられる。 逢ふための暗峠(くらがりとうげ)しぐれけり この句、「逢ふための暗峠」とは言い得て妙、と感じ入ったことでした。(略) たとえば、次の歌 妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る (一五ー三五九〇) 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り (一五|三五八九)この二首いずれも「遣新羅使人」歌で難波を出帆する前の僅かな時間を惜しんで妹に「逢ふため」に「生駒の山を」越えて急いだのでした。まさに「逢ふための暗峠」でした。しぐれ降る中を濡れて急いだ「暗峠」越えを、この句は深く示唆しているかのようです。「生駒山越えのすべての万葉人に和する句」といっていいと思います。本句集の名吟の一句と感じ入ったことでした。 ほかに、「苫小牧市 短歌結社「ヌプリ」の人々の歌を読む」「梅津博子・松前駿(梅津譲一)合同歌集『綿毛たんぽぽ』を読む」の項目があり、わたしたちが日頃お会いすることもなく、存じ上げない人たちの短歌を紹介し、懇切な鑑賞をほどこしている森山弘毅さんである。 本書装丁は、君嶋真理子さん。 いろんな案を考えてもらったが、最終的にはとてもシンプルなブックデザインとなった。 シンプルであっても、用紙は凝っている。 扉。 当然、私の読みの力が問われ、試されることにもなるが、それでも、私の読みの浅いところは、読者それぞれに補ってもらうことにして、先ずは、知人たちの、味わい深い作品を紹介することを旨としたいと思う。 何よりも読者も共に、私の知人たちの句・歌を読み味わってもらいたいと思う次第である。(まえがき) 「まいのち」。 これについて、森山弘毅さんにあえて伺うことはなかったが、 「まいのち」 漢字でかけば、 「真命」ということなのだろうか。 しかし、ここはやはり「まいのち」という平かなが呼び起こすものを大切にしたい。
by fragie777
| 2025-11-27 18:47
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