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11月26日(水) 旧暦10月7日
冬紅葉。 窓にあざやかに映っている。 すぐる11月24日に、第75回滋賀県文学祭の表彰式が滋賀県立文化産業交流会館にてあり、俳句部門で、句集『ひかりあふうを』上梓された金山桜子さんが、表彰された。 表彰理由は、滋賀県における文化振興のための一環として。 「文芸出版物表彰を受けました。」ということで、そのときの写真を送ってくださった。 金山桜子さん(右)と句集『ひかりあふうを』に装画をよせられた画家・金山雅幸さん。 雅幸氏は、桜子さんのご夫君である。 私の俳句は、足元をじっと眺めるというスタイルのもので、この句集に収められた俳句も、冬の初めに水仙の芽が土くれを押し上げたり、湖畔の波音を聞きながら桜の散る様子をじっと見て作ったものです。 そのような日々の生活の中で出会った、ささやかな景色をまとめた句集に目をとめていただいた方々に感謝を申し上げたいと思います。 と金山桜子さん。 句集『ひかりあふうを』 針のごとくひかりあふうを神の留守 金山桜子 金山桜子さま おめでとうございます。 こころよりお祝いをもうしあげます。 「静かな頑固」をつらぬいて、 更なるご健吟をお祈りもうしあげております。 今日は橋間石(1903~1992)の忌日である。 新刊の赤松勝著『橋間石の百句』より紹介したい。 芹の水生きて途方に暮れいたり 芹は、春の七草で、その筆頭に数えられる。豊富に水が使えるところか、湧水のある所で育てるのがよいとされる。従って清澄な水の場所を思い浮かべるが、さて、中七以降をどう読めばよいのか。 「水清ければ魚棲まず」という諺がある。掲句、清廉潔白な信条が孤高を生んで「途方に暮れ」ているという解釈が成り立つ。あるいは、清濁を併せ吞む難しさを述べたのかも知れない。この句の隣に「迷い来てもっとも澄めり芹の水」の句があり、どちらも、芹の水と生き方とがシンクロしている。 するすると除夜になりたる雁もどき 日本語はオノマトペが豊富な言語だとされる。「するすると」は物事が円滑に進行するときに使われ、掲句は年末のゴタゴタした雑事も難なくこなし、順調に除夜となった、ということのようだ。そこに「雁もどき」がポツンと置かれる。「雁もどき」は江戸時代、肉食が禁じられるなか、雁の肉に似せて豆腐を加工し作られるようになった精進料理である。するとこれは、お寺の除夜の様子かもしれない。あるいは、一般家庭で、お節料理の用意に押されて居場所を失った雁もどきのことかも。しかし、何といっても存在感のある食品だ。 人も物云う蛋白質に過ぎずと云える春の人 この句には原句があり、 春めくや物言ふ蛋白質に過ぎず 菟原逸朗 というものだ。菟原逸朗はかつて「白燕」の同人であり、連句に情熱を注いだ人物であった。その人の句をほぼそのまま引用して、破調の長い俳句となった。逸朗は大学で物理化学の教鞭をとっていたというから、俳句に独特の角度があり、閒石にとっても忘れ難い句だったのだろう。 ちなみに和田悟朗は菟原逸朗の縁で「白燕」に関わるようになったと聞く。そして、悟朗は、閒石没後「白燕」の代表となった。 ほかに、百句のなかから、 宗論やいもりの腹は花ざかり 鳥墜ちし夢の続きの雪掃かん 顔じゅうを蒲公英にして笑うなり 一月の山青し困った男かな 銀河系のとある酒場のヒヤシンス そして、 吐くだけの息を吸うなり大根畑 橋 間石 「『生きる』原点がここにある、という大悟がでんと座っている。何とも言えない静寂と安心の余韻を味わうことができる」と赤松勝氏。 今日もジタバタと仕事をしたyamaokaであるので、橋間石の俳句を読んでいると、肩のちからがぬけていくようないい感じの脱力感がある。
by fragie777
| 2025-11-26 18:54
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