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11月14日(金) 旧暦9月25日
雨に濡れた梅擬(ウメモドキ) 薬師寺へつづく道。 ここ数年、身体全体がかゆくなるアレルギー止めの薬を服用しているのだが、最近かゆみがおさまりつつある。 で、薬の服用をやめたところ、ふたたびかゆみがはじまった。 で、今日皮膚科に行ってそこのことをはなしたところ、 「そういう場合は、急にやめてはいけません。まずは一日おきにするとかしませんと」とドクター。 まさに。。。 そのとおり。 わたしはたいへん納得したのだった。 新刊紹介をしたい。 A5判小口折り表紙帯有り 132頁 詩人・杉本徹(すぎもと・とおる)さんの第5詩集である。杉本さんは、ふらんす堂より2003年に第1詩集『十字公園』を上梓されている。あれから20年余が過ぎ去ったとは。。。到底信じられない、そんな気持ちで詩集の原稿を受け取ったのだった。 「逆光地図」と題された詩集である。 頁をひらいて最初の詩をよみはじめると同時に、わたしのまえにひらかれた景にみちびかれて詩人とともに歩みはじめる。 本詩集において、詩人はつねに歩いている。立ち止まることもあるが、それは散歩の途上にてである。 回想や記憶の断片が立ち現れて詩人を立止まらせることもある。 あるいは、野良猫や団地やノウゼンカズラに。 詩人には同行者はいない。孤独であるが、それは詩人が詩人であるためには当たり前のようなこと、そうして世界にむきあいつつ歩き続ける。 読者はその詩人の歩みに歩をあわせながら、つむぎだされたことばが描き出すものにこころをそわせていけばいいのだ。 最初におかれた詩「ヴィオラ」をまず紹介したい。 ヴィオラ 地図に落ちた名もない実の、彩りをひろい 地図のなかの町を 過ぎてゆく ズック靴の片方のころがる先で 勝手口の、開閉のきしみが 一拍ごと織る風よ ……ヴィオラ、と路地裏の子どもが呼んでいた 過去の方角で海が鳴り、潮だまりのように帰路はゆらいだ 歩道橋の上に、堆くイチョウの葉を吹き寄せる 日々の魔法を 踏みしだいて、どこへ どの地へ降りようとしたか 秋の匂いのする辞書の、紙裏に 読みとれない星座がまぎれたきり、さぐりあてようもなく 陽に走る罅に指をとどかせ鼓動に、眼をとじれば 深い青空も、ともに脈打つ 郵便受けをあけるいとなみが 逆光に、黒く浮きたち やがてパンドラの函だか、あける音が 背後でかさなる─ でもあなたは、ひとりではない そう告げられた気がして顔をあげた、そこは 新月の咲いた場所 本詩集は、比較的長い詩が多いのでなかなか紹介をしきれず、ここでは短い詩を紹介したい。 蜜 月曜日の門灯がともると、真下の、少しずつ薄らいでゆく日なたの、方形の場 所に、水差しを置いた。その手つきの影が残り、あらぬ方位を示すようだった。 背後でさえずりが破れ、散る空白、にじむ光斑、それら気配だけの五月の昼を 点描のまま、叢林に見送る、 太陽は血のぬくみ─ 忘れない、静かな掟だ 足もとに滞留するひとすじに交わり 染まり、はなやいで口にする「さよなら」という言葉のなかには 波が打ち寄せている おそらくこの惑星でもっとも細緻な 精密な、波が 水差しを置いた、……そこからひろがる見知らぬ町があった。 月の位置が変わったと気づく。物蔭で、折り紙のように畳まれる暮らしがあり、 壁いちめん帆布のような薄闇があり、……樹上生活にかまけたせいだろうか、 地上のあらゆる巣の犇めきの濃淡や、刻々の図柄に、これほど誘われるのは。 * ツツジの花の、蜜の吸いかたを教わった時間は 蝶の口吻の形象となっていつか 失われる でも迷うことが、時を失わないことなのだ 崖づたいに駅を過ぎ、取りだしたペーパーナイフに空を宿し かざしたまま天の青い封書を、切り裂いてゆく─ 眼をとじて仰いだ 洗濯日和 世界の終わり 記憶からあふれてやまない、これらの日々 どれも、……どちらも、なんてまぶしいんだろう 詩集『逆光地図』を読んでいると、ときにこころを奪われるような詩行にであう。 ああ、この詩行、好きだな、なんて立ち止まってしまう。そういう箇所が沢山あって付箋だらけになってしまった。 そんな読み方は邪道?! っていわれるかもしれないけど、どう読もうとそれは読者のもの。 この「蜜」においても。 「月の位置が変わったと気づく。物蔭で、折り紙のように畳まれる暮らしがあり、 壁いちめん帆布のような薄闇があり、……樹上生活にかまけたせいだろうか、 地上のあらゆる巣の犇めきの濃淡や、刻々の図柄に、これほど誘われるのは。」 好きな詩行に出会えると、それをそらんじておき、わたしが散歩をするときにふっと声にだしてみたい。そして何度も反芻してみたいとも。 たとえば、 日々という器には、それぞれの空がたたえられ 日々は空とともに消えてゆくのだから ……青い一滴に触れる 触れていれば 触れたまま眼をとじれば そのまま どこへだって消えることができる (「頰を風に染めて」より) この詩集のゲラを読んでいるとき、まさに猛暑の日々だった。 あのときは、みなへとへとだった。 わたしもへとへとになりながら仕事をしていた。 しかし、このゲラにむかっているとき、暑さをわすれた。 言葉によって私の肉体が化学変化をおこしているかのよう。 逆光地図のなかにわたしも取り込まれてしまったのだった。 本詩集の装丁は、君嶋真理子さん。 第1詩集『十字公園』もそうである。 著者の杉本徹さんの希望でもあり、第1詩集と響き合うものをということだった。 どちらもやや縦長のすらりとした詩集である。 ブルーの色も考えたのであるが、豊潤さと成熟ということをおもい、君嶋さんに薄紫のものにしてもらった。 杉本さんはこの色を気に入ってくださった。 帯には、 予期せず出会った舟の骨格を遠巻きに、そして徐々に近づき、夜露を踏んだ日、 しんしんと満ちる永遠の波のゆらめきを周辺に感じその確信を以後、ひそかな 標(しるべ)とした。よろめいて手をついた鉄材表面をゆるく風が弄ぶと、そこに細か な白い微光も浮きたち、まるで惑星の音楽が剝がれてゆくようだった。 「海への地誌ーステルラ・マリス」より。 帯うらには、 往路がやがて復路となる この謎もきっと色づいてゆく鐘、だから 道にはぐれた手の暗がりでかすかに、鳴ります……ように 「十月巡歴」より 用紙はかすかな模様がはいっている。 もう一編、詩を紹介したい。 詩集の最後におかれた詩である。 灯台へ うつろう地球の季節を、縫ってゆく道の、……あの遠い一劃が翳ると、もっと も身近な蔓草の実の、ちいさな光沢のなかをひとすじ通過する、線描があり、 眼をこらそうとして、失う─ 確かに以前もみとどけたのだ、それはほんの些 細な、肩ごしの、無限遠のかなたで燃えつきた流星の反映にほかならず、 たとえば秋、冬、という畳まれた記憶の層に 分け入ったとて 消えた光芒はすでに残像ですらなく、採集のしようもない …… 灯台(ライトハウス)と呼んでいた細ながい標本箱の 内部は不思議なくらい十月末の空に似ていた みつめていると青は、どこまでも、はてしない やがて箱の 空洞をゆっくり旋回する海鳥の翼が まばゆい陽をさえぎり また雲の切れ目のほうへ、舞いあがる─ いわし雲が階梯のようだった その先のかすかな白い月に、わたくしの墓はあるのだろうか、と思う
by fragie777
| 2025-11-14 19:38
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